「あれ、真緒は?」

「え〜何それ。朝会ったらまずは挨拶、『おはよう』でしょ。…ま〜くんがいないと不満な訳?」

「いや、そういう訳じゃないけど…」

今の時刻は朝7時30分。学校へ向かうため家を出る時間だ。いつもなら我が家の玄関を開けると真緒が待っていて、そのまま一緒になかなか起きない幼馴染み、もとい凛月の家へ向かう。だが今日は違った。どういう訳か、玄関先にいたのは真緒ではなく制服を着て鞄を持った凛月だった。

「凛月が起きてるなんて…、もしかして私まだ現実で寝てるのかな?」

「なまえのくせに生意気〜。せっかく愛しのりっちゃんが早起きしてお迎えに来てあげたっていうのにさぁ」

来て損した、と頬を膨らませながらそっぽを向いてしまった。慌てて玄関のドアを閉めて凛月の元へ駆け寄る。チラッと横目で私を見ると、行くよと言って指を絡め歩き出す。

「ごめん、凛月が朝迎えに来るなんて初めてだからびっくりしちゃって」

「たまには俺も彼氏らしいことしないとねぇ」

「私やっぱりまだ寝てるのかな…」

なんちゃって、と付け加える前に凛月の長い指が私のおでこを弾く。容赦ないデコピンに顔を歪めると、ふふっと凛月の笑い声が聞こえた。

「ま〜くんは今日は生徒会の仕事があるとかで、とっくに学校へ行ったよ」

「そうなんだ、真緒はいつも忙しそうだね…」

「ま〜くんは忙しくないと生きていけないからねぇ。ふふっ、ドMなま〜くん…」

「真緒がドMなら、凛月はドSだよね」

「そういうなまえはドドM〜」

「なっ、ドドMって何それ!」

「Mを越えたM……♪」

反論しようと凛月へ顔を向けたが、いつもより格段にご機嫌な表情の凛月を見てその気も失せてしまった。真緒と三人で学校へ向かうときは、目も開けずに私と真緒に抱えられながらノタノタと登校しているというのに。今日の凛月は、ゆっくりながらもしっかりとした足取りで、少し冷たい手をぎゅっと絡め、優しい眼差しをくれながら私の隣を歩いてくれている。そういえば、付き合ってからこうして恋人のような時間を過ごしたことは片手で数えられる程だったかもしれない。休日は凛月の練習やらライブがあるし、普通科の私は平日も部活がある。毎朝会えはするけれど、先に述べた通り真緒と二人で凛月の介護をしているようなものだから、甘い空気になることは皆無だ。だから、なんだか、今日は……

「……………」

「…ん、な、何?」

「なまえが考えてたこと当ててあげようか?」

「へ?か、考えてたことって?」

「俺と恋人みたいなことできて嬉し〜って、声に出てたよ」

「え!うそっ、私声に出してた!?」

「ふふっ、うそ〜。でも合ってたんだ?なまえは可愛いねぇ、いいこいいこ…♪」

はめられた…!心を読まれたような恥ずかしさにカーっと顔に熱が溜まり、赤くなってるであろう顔を隠すために凛月から顔を背ける。1つ年上の余裕を見せ付けられたようで、なんだか面白くない。

「あれ、怒っちゃったの?」

「怒ってる訳じゃないんだけど………はぁ、まあいっか。凛月の言ってること当たりだよ。二人でこうやって手を繋いで歩くの久しぶりだし、なんだかデートみたいで嬉しい」

そうだ、滅多にないこの状況で機嫌を損ねるなんて勿体ない。凛月が朝私を迎えに来る日なんて、この先もう無いかもしれない。今日という貴重な日を胸にしっかり刻んでおかなくては。

「最近、お互い時間合わないもんね。実はね、ちょっと寂しかったりしてたんだ。もっといっぱい一緒にいられたらなって思うんだけどね。それに凛月はファンも多いからさ、可愛い子がいっぱいいて不安にならないって言ったら嘘になるし…」

「…………………」

「…て、ご、ごめんね!私、ワガママだね、こんなこと言うつもりじゃなくてっ、」

「…ふふっ、嬉しい」

「へ……?」

「やっと言ってくれた」

手を繋いだまま凛月が立ち止まるから、つられて私も数歩前に出た状態で止まる。

「なまえはいつも自分の気持ちを押し殺しちゃうでしょ。言いたいこと我慢したり。俺はそういうの気付けないからさ、本当は言って欲しいんだよねぇ」

「凛月…」

「まぁ、それで俺がなまえにしてあげられることなんて限られてるんだけど。どうやったらま〜くんみたいになまえのこと喜ばせてあげられるか分かんないから」

「そんなのっ……」

そんなの、私だって同じだ。恋人になっても、凛月のことは分からないことばかりだ。凛月は自分のこと話さないし、そもそもお互いにそんな話をしている時間すらない。これって付き合ってるっていうのかな?凛月って本当に私のこと好きなのかな?でも凛月には言えない。だって面倒くさいって思われそうだもの。こないだ思わず、真緒に愚痴るように溢してしまった言葉だ。あぁ、そうか、それで凛月は…


「…俺、なまえのこと好きでいて良いの?なまえはま〜くんと一緒になったほうが幸せになれると思うよ」

「私は、凛月が私のこと好きでいてくれたら、それだけで幸せだよ」

「…変わり者だねぇ、なまえは」

「それ凛月が言う?」

「ふふっ、そうだねぇ…」

「……凛月、ありがとう」

朝が苦手なのに、頑張って起きて迎えに来てくれてありがとう。私が不安になっているのをきっと真緒に聞いて、私が喜ぶことを一生懸命考えてくれたんだね。彼氏と彼女が手を繋いで歩くなんて普通のことだけど、その普通にとても憧れていたこと、ちゃんと凛月は分かってくれていた。

「凛月が彼氏で良かった!」

「…ほんと唐突に可愛いこと言うよねぇ。それ狙ってるの?天然?まぁ、俺もなまえのこと一生手放す気ないからねぇ。早くお嫁さんになって、沢山俺のお世話してね〜」

「お、お嫁さんてっ!……ん、お世話?」

それってお嫁さんていうより家政婦じゃん…。ボソッと呟いた言葉はしっかりと聞こえていたようで、またクスクスと笑って「冗談」という台詞と同時に唇が重なった。

「…好きだよ。俺の可愛い花嫁さんになってね」

「…っ、うん」

高校生の口約束なんて大人は馬鹿にするかもしれない。でも私は凛月となら叶えられる、そんな自信が溢れている。私たちはお互い相手の気持ちを知るのを怖がる臆病で、その距離を縮めるのにとても時間がかかってしまうけれど、それでもこうやって一歩づつ近付いて少しずつでも気持ちを深めることが出来るのだ。きっと明日からはまたいつも通り、寝坊の凛月を真緒と起こして学校へ引きずる日々が始まるのだと思う。でも一つだけ違うのは、今までのような行き場のない不安や寂しさはもう無いということ。それは凛月が、愛する人が取り除いてくれたから。私もこれからは凛月に返していきたい、愛された分と同じくらい、いやそれ以上の愛を。




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