仲がいい姉妹だった。王女の双子なんてあまり縁起が良くないはずなのに、その頃のわたしたちはとても無邪気で、町や城の大人たちの憂いなんて気にする程のことではなかった。それに、次の王位はわたしではない。とても素晴らしい力を持っている、妹のゼルダだ。それは疑いようもないこと。それに何の不満も抱いていなかったし、たとえゼルダが王位についてわたしがその僕になったとしても、わたしは当たり前のようにそれを受け入れるのだろうと思う。それほどにゼルダは素晴らしい“王女”だったのだから。
対するわたしは大した才能もなく、勿論神さまの言葉なんて聞こえるはずもなく。あまり顔立ちも似ていない。「目が似ています」とインパが微笑む程度で、他の城の者たちにはわたしとゼルダの共通点なんて見つけられないだろう。

だけど、だけど。

似ていないけれど、わたしは彼女と違って無力なただの子供だったけど。

それでも、大切な、この国の未来である妹を守りたかった。



砂漠を統べる王がクーデターを起こしたその日、ゼルダはインパと共に城を抜け出そうとしていた。しかし、あのガノンドロフを欺くには時間が足りないし、女性であるインパが力と才能に溢れたガノンドロフに適うわけがない。だから、足止めが必要だった。それこそ、思わずガノンドロフが足を止めざるを得ないような、そんな足止めが。


「というわけで、わたし、残るね。ゼルダのドレス借りていい?」
「…何を、言っているの…?」


雨が窓を打っている。インパは時間を気にするように、怒号が飛び交う部屋の外をちらちらと窺っている。急がねばならない。この窓の下は馬小屋だから、ここから飛び降りれば十二分に間に合うだろう。わたしはゼルダのクローゼットの中から見慣れた濃いピンクのドレスを取り出して、いそいそと着替え始めた。


「…何をしてるの?」
「だって、ここにゼルダが残ってるってふりをしなきゃ。少しならわたしでも時間稼げるよ。ほら、わたしたちって後姿は似てるらしいし」
「そういう意味じゃ…!」
「ねぇ、ゼルダ」


あなたがこの国を守るためには、ここでもたもたしている暇なんてない。あなたが光を託した男の子は、まだ戻ってこない。それがすべて。だからわたしは、無力で何の才も持たないわたしは、わたしに出来る方法であなたを守らなければならない。守りたい。
碧い綺麗な瞳に涙をいっぱい溜めて、ゼルダはわたしを見つめていた。大丈夫、死んだとしてもわたしを思って悲しむのなんてゼルダくらいだから。だからそんな顔しないで欲しい。わたし、ゼルダの笑顔がとても大好きなの。花が咲くような、穏やかで優しい笑顔。きっと怒っているひとも泣いている人も釣られて笑っちゃう笑顔。


「ゼルダ、さよなら」


開け放たれた窓からは雨が入り込む。水が跳ねる音と、蹄が駆ける音が微かに耳に届いた。インパはきっと上手く逃げてくれるはずだ。
背後で荒々しく開けられたドアの向こうから、地を這うような低い声がする。


「ゼルダ姫、お前の持つ時のオカリナを今すぐ寄越せ」
「…残念ですが、それは出来ません」


声も、よく似ていると言われた。だからきっと、少しの間なら彼を足止めできるはずだ。顔を見られない限りは。わたしは窓辺に手をついて、ぎゅっと握りこぶしを作る。雨が頬を打つのも気にしないまま、わたしは暗い町を見下ろした。


「…生意気な態度を取っていられるのもこれまでだ。ハイラルの王は───」


大きくて浅黒い肌が肩を掴む。


「オレが殺した」


知っている。力ずくで振り向かされたわたしの顔は、勝ち誇った笑顔だ。これでゼルダは大分遠くまで逃げられたはず。わたしの顔を確認してから、ガノンドロフは目を剥く。そうして怒りに顔を染めて、わたしを壁に叩きつけてこの部屋を後にした。痛む身体に目を伏せる。ああ、本当に少しだった。どうして一卵性じゃなかったのかな。もう少しゼルダの役に立ちたかった。きっとわたしは死ぬんだろう。あの癇癪持を怒らせたのだから。

さようなら、ハイラル。







なんてことはなく。
わたしはガノン城というなんともまんまなネーミングの陰気な城の一室に閉じ込められていた。暗い空からは絶えず雨が降り注ぎ、城の周りを囲んでいた美しい庭は何故か溶岩へと変貌している。遊び慣れた自然が消されていく光景には胸が痛んだが、どうしようもないのだから仕様がない。
寝るか本を読むか外を見るか。外を見てもなんの変哲もない、荒れた廃墟が映るのみだけれど、それでもわたしの暇を潰すには充分だった。ああ、つまらない。
そういえばゼルダは無事逃げ切れたのだろうか。気絶したわたしの元へ戻ってきてそのままわたしをここに閉じ込めたガノンドロフがイライラしていたから、きっと逃げ切れたのだろう。それがすべてを物語っていた。ならばわたしは御役御免だ、死んでもいい。いっそ死んだほうが、あの男に一矢を報いることが出来るのではないか。
きっとわたしはゼルダをおびき寄せる餌に使われているだけで、生きていようとなかろうと問題はないのだろう。ゼルダの人質はわたしというよりも、このハイラルなのだから。


「死んでみようかな」


ぽつりと呟いた声は雨の音に混じって、他に人のいない部屋に溶けていく。死んでみるなんて、失敗すれば次があるような言い方は相応しくないのだろうけど、わたしにとって“死”とはそんなものだった。
窓辺に肘をついて顎を乗せる。目を閉じれば、静かな雨音が鼓膜を打つほかに、上手いんだか下手なんだか分からないオルガンの音が聞こえた。
窓に映った自分の青い目が濁っていた。ゼルダのとは大違いだ。空をそのまま映したような目、ハイラルの光をぎゅっと詰め込んだような綺麗な目が、懐かしくて恋しい。ゼルダ、たったひとりのわたしの家族。今どこにいるのだろう。


「こんにちは」
「、え?」


ガノンドロフの声は低くて荒い。こんなに優しい声音は久し振りに聞いた。思わずばっと扉のほうを見ると、見慣れない青年が赤い瞳をこちらに向けていた。
一歩一歩、わたしが怯えないようにゆっくりと歩み寄ってくる。そして、椅子に座ったわたしの元で跪いた。


「ちょ、ちょっと…!」
「貴女はこの国の姫だ。普通の対応だろう」


当たり前のように口にした青年はしかし、上目でわたしを見てからすっくと立ち上がった。すらりとした細身の体躯に、ぴったりした衣服。口元は隠されているし、目だって片方は金髪の奥だ。顔立ちまでは分からないが、相当の美人さんのはず。


「…単刀直入に言わせて貰おう。ゼルダ姫を覚えているか?」
「……ゼルダ…ゼルダのこと、知ってるの?」
「そう、良かった。僕は彼女に言われてここにいる」


覚えているか?それこそ馬鹿げた質問だ、彼女の姉であるわたしが、彼女のことを忘れているはずがない。目の前の青年は、一度目を閉じたあとにもう一度口を開いた。彼は布の奥から淡々とした声で言葉を投げかける。


「彼女は生きている。…そして、貴女を救おうとしている」


───良かった。
口からぽろりと零れたのはそれだけだ。どこに向けられた感情なのか自分でも分からない。ゼルダが生きていて嬉しいのは本当。けれど。


「貴方はゼルダに会えるの」
「……そうだね。可能だ」
「じゃあ伝えて。『わたしを救おうとしないでほしい』」


ゼルダはそれが義務だと思っているのだろう。わたしがゼルダを助けたから、ゼルダもわたしを助けなければならないなんて、そんな律儀なことを。その辺、わたしの妹は抜けている。だってゼルダは神の声を受け取れる子なんだ。わたしが逆さまになっても得られないものを与えられている。そんな存在のために、ちっぽけなその辺の人間と変わらないわたしが命を張るのは当たり前じゃないか。凝り固まった表情筋でなんとか笑顔を作ると、目の前の青年は目を細めてわたしを見つめ返した。


「………では、ひとつ質問させてもらうよ」
「どうぞ」
「貴女がゼルダ姫のように神の声を聞く事が出来る存在だったら、貴女はゼルダ姫に大人しく救われてくれるのか?」


…そうか、なるほど、そういう質問がくるのか。


「ううん」
「どうして?」
「だって、狙われるのはわたしになるんでしょう。それならわたしは、ゼルダにオカリナを持たせて逃がすよ」
「…それは矛盾しないか?逃がしたとして、貴女が殺されればこの国は奴の手に落ちてしまう」
「いいえ。この国を救うのはゼルダでもわたしでもない、時の勇者。わたしが死んだとしても、ゼルダが死んだとしても、きっと彼はハイラルを救ってくれる。わたしがゼルダを助けたいのは、彼女がわたしのたったひとりの家族だから」
「それならゼルダ姫の気持ちを汲んでやってもいい筈だ。彼女にとっても、貴女がたったひとりの姉であることに代わりは───」
「いいえ」


ゼルダがわたしを助ける理由と、わたしがゼルダを助ける理由はイコールにはならない。何故か?当たり前だ、わたしは彼女の“姉”なのだから。上に生まれた者は下に生まれた者を守る義務がある。


「…じゃあ、言わせて貰う」


きっぱりと言い切ったわたしに、諦めがつくと思った。思っていた。そして彼は諦めて立ち去るのだろうと思っていた。しかし予想外にも、目の前の彼は再び跪いてわたしの左手を取るのだ。


「僕は貴女を助けたい。ゼルダ姫も、リンク…勇者も関係ない。“僕”は、貴女がこんなところでそんな顔をしているのが似合う人ではないことを知っている」


低めの体温が心地よく、それに比例するように彼の赤い瞳がゆらりと揺れた気がした。


「貴女は昔のように笑うべきだ」
「……貴方、一体───」


どうして、わたしを知ったような口ぶりが出来るのか。どうしてわたしの顔を、そんなに真摯な瞳で見つめることが出来るのか。見知らぬ人間への恐怖が今更溢れかけたところで、その瞳が、強い意志を湛えた瞳が、昔からよく見知ったものであるとわたしは気付いた。





(共に生まれた。共に笑った。それが“私”の、貴女を救いたい理由。血を分けた姉妹に、双子に生まれなくても、きっと“私”は貴女を見つけて共に笑いたいと願うのだろう。たまたま双子に生れ落ちただけ。けれど、誰よりも近くで貴女を見ていることが出来た。それこそ、神さまが“私”に与えてくださった百に一つの運命なのだ。)








120527 ゼルドリ企画様に提出。

朱宮伊織@退廃世界

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