あれから1週間が経った。
あの夜拾われてからというもの、特に何事も無く生活を送っている。
服や下着、その他諸々の日用品は「これ、好きに使って」と目の前にポンと出された札束を少し拝借して揃えた。
にしても、何であんな大金を…。
私があの場所にいた時でさえ見た事の無い厚さだった。
そして私を拾った張本人…赤木しげる。
『オレはあんたを抱かない』
その宣言通りしげるは私に指一本触れてこない。
今まで、私は男から性欲のはけ口として扱われた事しか無かった。
人形の様な存在でいるのが当たり前だと思っていた。
それなのに。
しげるに性欲という物が存在しないのか、私に何の魅力を感じないのか、むしろ私に興味すら無いのか、何にせよ調子が狂ってしまう。
それは勿論良い意味でなのだが、今までが今までだっただけに、自分を否定されているような錯覚にも陥ったものだ。
そして、そんな彼は、今はいない。
この一週間の中で、しげるが夜にいなかったのはこれで4回目だ。
毎回日が沈み始めた頃に家を出て行き、空が薄明るくなってきた頃に帰ってくる。
どこに行くの、とは聞かない。
あれだけの大金を持っているのだ。
私なんかじゃ入れない世界の人間なのかも知れない。
こんな私が出来る事といえば、朝帰ってきたしげるに軽い食事を出したり、部屋の掃除、毎日するにはあまりに量が少ない洗濯くらい。
掃除にしても、この部屋には物が無さ過ぎてその必要はほとんど無いのだけれど。
―今日はどんな話をしようかな。
普段家にいる時だったり、朝しげるが帰って来てから眠りに就くまでの間、取り留めのない会話をするのがちょっとした楽しみになっていた。
いつも行く八百屋さんに行ったら少しだけオマケして貰えただとか、窓から外を見たら飛行機雲がうんと伸びていただとか、それは本当に他愛のないものだったけれど、何だか心が安らぐ、不思議な時間だった。
今まで感じた事のない心地良さ。
こんな感情があるなんて、知らなかった―…。
その時、不意に玄関から物音がした。
…?
まだ時計は深夜1時を指す少し手前。
しげるが帰って来るには早過ぎるはずなんだけど…。
恐る恐る玄関に向かうと、そこにいたのはやっぱりしげるだった。
「お帰りなさい…今日は早かったんだね……っ!?」
玄関の電気を点けると、そこには綺麗な赤に染まったしげるがいた。
俯くしげるの頭からは血がポタポタと垂れている。
―怪我してる。
それもかなりの怪我。
「え、ちょっと、やだ…しげる…!?」
「…名前…」
「早く病院行かないと…血が…!」
「大丈夫、だから」
私は軽くパニックに陥っていた。
全然大丈夫じゃないじゃない。
―怖い。
しげるがいなくなるんじゃないかと考えると、どうしようもなく怖くなった。
「やだ、死んじゃやだっ…私…!」
次の瞬間、私は腕を引かれ、暖かい感触に包まれた。
「名前、オレは大丈夫だから、落ち着いて。」
「しげる…」
「タオルか何か持って来てくれる?」
「う、うん」
びっくりした。
いきなりしげるに抱き締められた事も、それによって物凄く安心した事も。
応急処置、というほどの事でもないがとりあえず止血は出来た。
でも、病院に行こうと言っても行かないの一点張りだったから、そこは仕方なく譲る事にした。
そしてしげるは、ぽつりぽつりと自分の事を話してくれた。
やっぱり、私には入れない世界に彼はいた。
死さえも厭わない、狂気に満ちた様な世界に。
「―…でも、初めて、『死』に対して恐怖した。」
「…うん」
「名前がいると思ったら、今こんな所で死ぬわけにはいかないと思った。」
「うん…そう思ってくれて、良かった。
私も、まだ話したい事いっぱいあるし、それに言ってくれたじゃない。違う生き方があるって事を教えてくれる、って…。私、まだ、全然教えて貰ってないよ…」
「フフ…そうだったな。じゃあ尚更。」
名前、と優しく呼ばれてしげるの側に行くと、今度はさっきと違いしっかりと抱きしめられ。
「前に気が済むまで家にいろって言ったけど…撤回。ずっとここにいて。」
「うん…当たり前じゃない…」
しげるとの初めてのキスは、少し鉄の味がした。
たとえ私とあなたで住む世界が違っていても、そんなの構わない。
今この時は二人の距離がゼロになるのだから。
AM1:00
「…もう、あんまり危ない事はしないでね?」
「ああ…努力する」
「(…不安だ…)」