霧雨が降っていた。まるで、なにかいけない秘密を、煙に巻くように……。
水滴の浮かぶ窓の向こうに、ハナミズキが見えた。白い花と黒い幹が、雨に濡れてその色をいっそう濃くして、ぼんやりと霞みながら浮かび上がるようだった。
首に黒いふるくさいカメラを提げたあずさたちは、気に入りの先生たちと接する良い機会だと、嬉々として教室を出て行った。浮かれた笑い声と足音が遠ざかっていく。
わたしは……。
わたしは、恋をしていた。
初恋だった。初めて、血のつながっていないひとを、愛した……。

絵を描くことは恋することに似ていた。わたしは夢中で筆を走らせた。水をたっぷりふくんだ絵の具が白いキャンバスにじわじわ染み込んでいく。わたしは先生のすがたを一秒も逃さずに描きとめておきたかった。明かりの消された教室は翳っていて静かだった。窓からは白い陽光があふれだして、教室内に無声映画のような陰影を生み出していた。グラウンドから生徒たちの声がかすかに聞こえてきた。先生は窓の外を見ていた。こちらにさらけ出された首筋はしろくて、わたしにはない喉仏が隆起していた。それは先生のかすかな息づかいにあわせて、ゆっくり、ゆっくり、上下した……。
「完成はいつになりそうなんだ?」
ふいに先生が聞いた。わたしは息が詰まった。憑かれたように動いていた右手が止まって、絵の具の染み出した筆先が、絵の中の先生のワイシャツに藍色の染みを落とした。
「完成、は、」
こちらを見据えてくる先生のまなざしに耐えられなかった。わたしはパレットを見る振りをして視線を下に落とした。
「完成は、しません」
だからもうすこしだけ付き合っていてください。もうすこしだけ。
先生は、なにも言わなかった。かすかに微笑んだような気配がした。肌がざわついた。こめかみからひとすじの汗がつうっと垂れる。暑い暑い、真夏の気配が、じりじりと近づいてきていた。
世界中から音が消えたようになった。無声映画のなかに迷い込んだみたいだった。わたしは、これから先の、あらゆる「未来」を、見失ったような気がしていた。ずっとずっと予感していたのが、今このときになって、確かな、揺るぎない事実になったようだった。世界中に、わたしと、先生だけで、いいと思った。
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