とある金曜日の放課後、わたしはぐうぜん、桂くんに会った。
 その日は冬の寒い日で、触れたらすぐにとろけるような粉雪がぱらぱら降っていた。わたしはお気に入りの、ピンクの毛糸のマフラーをぐるぐるに巻いて、耳当て代わりのヘッドフォンで音楽を聞きながら、うつむきがちに歩いていた。だから十字路に差し掛かったとき、向かい側から歩いてくる男子が誰なのか、最初はわからなかった。わたしがまがった道と同じ道にその男子もまがってきたので、ようやくわたしは顔を上げて、彼を見た。彼もこっちを見ていたようで、目が合った。「あ、」「ああ」わたしたちは驚いてしまってお互い間抜けな声を交わした。そこにいたのは桂くんで、シンプルな黒いダッフルコートに、去年と同じ青いマフラーをしていた。

 昨日からの降雪でうっすら積もった雪の上をさくさく踏みしめながら、わたしたちは並んで歩く。そうして最近の身の回りのできごとや、昔話をした。彼との他愛のない会話は、わたしをしあわせにした。一年前と比べて、わたしはずっとリラックスして彼と話すことができた。彼は昔のままのやさしい笑い方をしながら、わたしの決して流暢とはいえないお喋りに耳を傾け、相槌を打ってくれた。
 途中の自販機で、コーンポタージュを買って飲んだ。

「相変わらずコーンポタージュが好きなんだな」
「うん、冬は。コーンポタージュに限らないでさ、冬は、あったかいものが欲しくなるよね」
「そうだな。寒いから」

 そういって、桂くんは手袋をしたわたしの手をそっと握った。それはあまりにも自然な動作だった。それでも、あ、と思った次の瞬間から、わたしはひどくどきどきして、寒いはずなのに身体がとても熱くなった。
 手をつなぐ。それは、一年前のわたしたちが、どうしてもできなかったことだった。

***

 一年前、中三だった桂くんとわたしは付き合っていた。告白したのはわたしから。髪が長かったり、ちょっと変わったところもあったけど、やさしくて、真面目で、まっすぐな桂くんを、わたしはいつも目で追っていた。あ、これはどうやら恋らしい、と気づいてからは時々、勇気を振り絞って話しかけたりもした。でもそのうちに我慢ができなくなって、たいして仲良くなっていないうちに告白してしまった。好きです、お友達からでもいいので付き合って下さい、とか当たり障りのないことを書いた手紙を、彼が呼んでいた本のしおりのあるページに挟んで。返事がきたのは、ぴったり1週間後。

 『付き合おう』

 それだけだったけど、それで充分だった。わたしたちは付き合いだした。

 しかし、臆病で引っ込み思案な性格は、「付き合いだして」からも変わらなかった、当たり前だけど。同じクラスだったのにわたしと彼はろくに会話もしなかった。ほかの異性のクラスメートとの会話量より少ないぐらいだった。お互いに照れくさいところがあったんだと思う、たぶん。
 それに、わたしはどことなく、引け目を感じていた。わたしが勝手に好きになって、告白して、彼はそれを「受け入れた」だけ。付き合ってくれてるだけ。どこかでそういうふうに思っていて、だからいつも自信がなかった。ふたりきりになると緊張してしまって、うまくしゃべれなかった。桂くんが話しているときも目を見ることが出来なかった。手をつなぐなんて、もってのほか。
 わたしと桂くんがした恋人らしいことといえば、お互いの部活が休みの毎週金曜日、いっしょに帰ること。それから、予定が合えば、土日のどちらかに近場をぶらぶらすること。

 自信はなかったけど、ろくにおしゃべりもできなかったけど、それでわたしはしあわせだった。これだけは確かである。
 
 別々の高校に進学することが決まって、わたしたちは別れた。言い出したのは、わたしから。

***

 手袋越しに握り合う手があたたかい。わたしはなにも言えないで、ただ空いたほうの手で握り締めたコーンポタージュを何度も飲んだ。桂くんもしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと、口を開いた。

「なあ」
「……ん?」
「すまなかった。付き合ってたとき、こういうふうにできなくて」

 ざく。霜柱のかたまりをわたしのローファーが踏み潰す音が、やけにはっきりと響いた。

「でも、好きだったんだ」

 桂くんはなんでもないふうに、実にさらりとそう言った。

 わたしは絶句する。それから、言いたいことが、言いたかったことが、次から次へと頭の中に溢れかえってきた。洪水みたいに溢れて溢れて、どうしようもなかった。
 わたしは桂くんのことが「好き」で、桂くんはわたしのことが「嫌いじゃなかった」。だから「付き合って」いた。一年前のわたしと桂くんのあいだにあったものは、「付き合っている」という事実だけ。ずっとそう思っていた。けど、そうじゃない。そうじゃなくて。

 ああ、桂くんも、わたしのことが「好き」だったんだなあ。それは今思っても、とっても幸福なことだった。

「わた、しも」

 言いたい言葉はいくつもあったのに、相変わらずわたしは臆病で、話が下手で、顔も見れないで。

「わたしも、桂くんのことが好きだった」

 ようやくそう言った。桂くんはうなずいた。
 別れ道が、近づいてきている。

***

 一年経って、わたしたちは少し大人になった。そうして、いろんなことを話せた。手だってつなげた。
 今なら。今なら、うまくいくかもしれない。それに第一、このまま別れて、何事もなかったかのようにこれからを過ごしていくのは、さびしい。
 わたしはなにか「次」につなげるようなことを言おうと思った。何度も思った。だけど結局、飲み込んだ。それはわたしだけじゃなかったと思う。だけど、桂くんもなにも言わなかった。言うべきことはなにもなかった。
 しんしんと雪が降っている。吐くそばから息は白くなって、ひんやりした空気の中に溶けていく。
 
 やがて別れ道に差し掛かって、握り合った手はそっと放された。

「じゃあ、また今度」
「……うん。またね」

 今度、なんて二度と来ないかもしれなかった。でも、さよならをする。
 さくさくと雪に足跡を残す音が、ゆっくり遠ざかっていった。


 完全に別れるとわたしはまたヘッドフォンをして、お気に入りの音楽を大音量で聞いた。それからコーンポタージュの缶の底に溜まったどろりとした液体を飲み干し、息を吐いた。それは白く染まって、クリスマスのイルミネーションがきらめく街の中に消える。

 これでいいのだ。たぶんわたしと彼のあいだには、亀裂がある。それは小さくて、目には見えない。でも深い。とても深い。思っているよりも、ずっと。
 それは決して埋まることもなく、じっと横たわっていて、桂くんとわたしを決定的に隔てているのだ。ちょうど、つないだ手を覆う手袋のように。
 それを体感するまでは、わたしはただの幸せな重力でいられた。


//2010.11.21 title:みみ
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