豚か牛か鶏か、がそもそもの発端だったように思う。

今夜は冷えるらしいから鍋にしよう、今年初めて(ついでにいうと二人で暮らしだしてから初めて)の鍋だからメインは肉にしよう、というところまでは意見も一致して、なかなか和やかな雰囲気だった。
しかし何の肉にしよう、というところであたしは豚、桂さんは牛、と意見がすっぱり分かれた。それから段々と言い争いになって、今に至る。

「せっかくちょっと奮発しようというときになぜ豚なんだ。大体志乃は最近貧乏くさいぞ、この間だって日曜の朝六時からスーパーの特売だとかで起こしてきおって」

「それは桂さんがわるいんでしょ!桂さんが攘夷志士とか訳のわかんないことやって定職につかないから、うちの家計は不安定なんですー!」

「貴様ァァ攘夷志士を侮辱するかァァ!志乃、よく聞け!攘夷というものはだな、この日本に暁光をもたらすべく日々奮闘して」

「わーわーわー!聞き飽きたー!」

耳をふさいでうずくまると、桂さんは不機嫌そうに顔をしかめた。キリリと整った眉がけわしく寄せられる。彼はフンと鼻を鳴らすと、玄関に向かってずかずか歩き出した。

「こうなったらもう今すぐ牛肉を買ってきてやるからな」

「あっちょっと待ってよ! ずるい!」

「先手必勝!」

ピシャリと乱暴な音をたてて、玄関の扉が閉まった。


 ◆


桂さんがいなくなって一時間が経過した。彼のいない、自分ひとりきりの部屋は、なかなかに静かだ。

ものさびしい気分をごまかすように、テレビをつける。画面の向こうでは夕方のニュース番組をやっていて、天パのアナウンサーがダルそうに原稿を読み上げている。まるで銀ちゃんだ。でも、それを分かちあって大笑いする相手は、今はいない。 

そこまで考えて、ふっと嫌な気持ちになった。あぁ、あたしなにさびしがってんだろう。桂さんは買出しに出たのだ、家出したわけじゃない……。ケンカは、したけどさ。 

リモコンに手をのばし、テレビを消す。


 ◆


二時間も経つと、さすがに不安になった。窓の外をみるとすっかり暗い。夜だ。

スーパーはすぐ近くにある。どんなに時間をかけて買い物をしたって、いいかげん帰ってきてもいいはずだ。

おなかが空いた。どうせ待ってたって牛肉なのだ、あたしは台所に行って冷蔵庫を開ける。なぜか魚肉ソーセージでいっぱい。あぁ、この前の特売で安かったんだっけ。
――そう、あのとき。桂さんは「俺は寝不足なんだ」とかぶつぶつ言いつつ、付き合ってくれたんだっけ。
 
お菓子を入れてある棚を開けると、大量のんまい棒が降ってきた。
んまい棒片手に『日本の未来』とか『夜明け』について輝かしく語っていた桂さんが思い浮かぶ。たまらなくなって、あたしは窓辺にかけよった。薄青に染まる江戸の町、行きかう人の中に桂さんの姿はない。

なによ、遅いのよ。まさか、このまま帰ってこないつもりじゃないでしょうね。

玄関のほうで物音がしたのは、そのときだった。


 ◆

 
両手いっぱいに買い物袋を下げた桂さんは、草履を脱ぎながらまったくいつも通りに話す。

「いやいやすまない、冷凍の手打ちそばが安くってつい買い込んで……志乃?」

とりあえず、タックルした。

「遅い!ばか!」

どさり。買い物袋が落ちる音がして、背中に両腕、全身にぬくもり。ぎゅう。
胸に顔をうずめる。くすっと、頭上で桂さんが笑う気配がした。

「すまない……」

「もう牛肉でもいいから……鍋だから今夜は!早く!」

「む? 折れてくれたところ悪いが、もう買ってきてしまったぞ」

え。身体を離して、彼を見上げる。微笑んでた。まさか、


「鶏肉を」


なんでだ。



//2010.11.7 title:みみ
鍋うまいですよね
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