この愛は致死量のモルヒネ




いつか、あの大好きな手を離すことになるんだろうか。
朝目覚めたとき、白いカーテンから漏れる淡い光を見ながら、ぼんやりとそう思った。
好きで好きで堪らないくらい愛していて。もう彼をただの弟分として扱うには難しいくらい、彼はおれの視線を独占し続けた。やがて紆余曲折を経てお互いの想いを確かめ合って、ずっと一緒にいようと約束した。生半可な気持ちではなかったし、おれたちが二人でいることを許してくれた周囲のひとたちのためにも、中途半端なことはしてはいけないと強く思った。だから、普通の恋人たちのように少し喧嘩したくらいで別れたり、心が離れたりはしない。今だってお互いしか見えていないというくらいに好きあっていて、毎日愛をもらって、大切にしてもらえて、幸せに包まれて。だからこそ、終焉を迎える日がいつしか来てしまうということを想像すると、背筋がぞくりとしたし、急に足場が消えたかのような途方も無い虚無感が襲ってくるのだ。

同性同士の恋愛はよく生産性がないと批判されがちだ。恋愛に生産性を加味して行動する人の方が少ないだろうが、客観的に見ればそういう評価が下される。生産性とはつまり生殖だ。地球上に存在する生物に課せられた使命とは、生命を途絶えさせないこと。生殖は生物としての本能であり義務である。それができない同性同士の恋愛は、異質なのだ。多極化した今の世界ではそれが全てではないと主張することが許されてきているとはいえ、おれたちの国では未だ同性同士の恋愛に批判的な風潮は緩まない。ただでさえそうなのに、おれたちを取り巻く環境は更に普通とは違っていて、常に誰かがおれたちの動向を逐一見ているかのような、人生のうちのほとんどを人目に晒されて生きているような職業だから、自由に恋愛することは昔からできなかった。おれと彼がそういう関係になってからも特にそれは変わらず、どこで見られているか分からないから触れ合いはメンバー愛で済まされそうな程度にセーブする。詰め込まれたスケジュールのせいで二人で過ごせる時間は極端に少ないし、この関係はおれと彼が付き合っていることを知る数少ない人達のフォローありきで成り立っているといっても過言ではない。それを迷惑だなんて欠片も思うことなく「困ったことがあったらちゃんと言えよ」と温かく見守ってくれる兄さんたちには本当に頭が上がらないし、だからこそ、唯一の弟分に恋をしてしまった自分は、絶対に彼を幸せにしてあげなくちゃいけない、と思う。

彼の幸せとは何か、おれがそれを理解することはできない。彼にしか分からないことだから。だから、もし彼がおれといることで不幸になったり、おれといても幸せを見いだせなくなったら、それはおれと彼の関係の終わりで、彼の幸せを願うおれは彼の手を離してやらなければならない。
もし、彼がどこかの女の人を好きになってしまった、と言ったら。おれは笑って、「わかったよ。幸せになってね」と送り出すのだ。男女なら、手を繋いで歩いても後ろ指を刺されることはない。おれみたいなごつい男じゃなくて、華奢で柔らかい女の子のか細い手を引いて、色々なところに連れて行ってあげて。やっとまともな恋愛ができるじゃん、よかったね、と祝福してあげなきゃいけない。
朝からすごくブルーな気持ちになって、重たくなった身体を無理矢理起こす。別に彼との関係は後ろめたいものではないと思いたいのに、どうしても男女の恋愛と比べると隠さなければならないものが多い。愛していても、きっとどこかで限界が来る。それがとてつもなく怖いのに、手を離したら同じくらいホッとしてしまいそうで、そんな自分が嫌だった。いっそおれをこっ酷く振ってくれたら、そのショックでめちゃくちゃに壊れてしまえるのに。幸せと緩やかな絶望に首を締められそうだ。何と贅沢な悩みだろうか。

それから動く気になれずにベッドでじっとしていると、コンコンとドアがノックされて、ジョングクが入ってきた。

「テヒョンイヒョン、おはようございます。起きてます?」
「うん……おはよう」

ぼんやりとしているおれにジョングクは柔らかく笑う。愛しくて仕方がないというように甘い眼差しでおれを見るから、先程までおれが何を考えていたか知られたら申し訳なくて消えたくなっちゃうな、と思った。ジョングクはやっぱり目敏くて、「調子でも悪いんですか」とすぐに顔色を伺ってきた。

「ううん、なんでもない」

何となくジョングクの目を真っ直ぐ見られなくて、俯いたまま返事をすると、ぐいと顎を掬われて無理矢理目を合わせられる。

「嘘、なんでそんなに不安そうなの」

ああ、どうしてすぐに見破られてしまうんだろう。そんなジョングクが好きで好きで堪らない。

「……これはさ、いつか言わなきゃいけないことだと思っていたから言うんだけど、聞いてくれる?楽しい話ではないよ」
「?はい。どうぞ。それ長くなりそうですか?朝ごはんできてますよって呼びに来たんだけど」
「うーん、どうかな。すぐ終わらせられるよう努力はするね」

何となく今でなくてはならない気がして、首を傾げるジョングクを隣に座らせる。

「好きだよ、ジョングガ」
「へ……、ど、どうしたんですか、朝っぱらから」

ふわっと赤くなる頬が愛おしい。照れながらくすぐったそうに笑うジョングクが可愛くて、おれもつられて笑ってしまう。

「愛してる。ずっとね」
「うん、俺も」
「だからね。おれといることでもしお前が不幸になることがあったら、絶対にお前と別れるよ」
「……え、なん……っ」

何か言葉を発しようとするジョングクの唇にぴとりと人差し指を充てる。「ごめんね。おれが全部言い切るまで少し黙ってて」
先程までの可愛らしい顔から一転して苦しそうな顔になってしまったジョングクは、それでも一応黙っておれの話を聞くことにしたらしく、こくりと頷いた。

「おれはお前が大好きで、可愛くて仕方がない。それはヒョンたちもジミンも同じ。おれとは愛のかたちが違うけど、みんなお前を愛してるよ。だから、お前が不幸になることは誰も望まない。お前がいつしか関係を煩わしく思ったり、窮屈に感じて幸せを感じられなくなったら、それはおれたちの終わりだよ。おまえがおれじゃない他の誰かに恋をしてもおれは止めない。お前が子供を欲しくなったり世間に認められるような恋をしたくなったら、おれはお前の背中を押してあげられる兄さんに戻るよ。今お前にこんな話をしたら怒っちゃうってわかってるけど、これから先何があるか分からないでしょ。おれはお前の人生を塞ぐ障害にはなりたくない。もし未来で別れることになっても、今おれを愛する選択をしてくれたことに一生感謝するし、離れてもずっと愛してる。大好き、ジョングガ」

全て言いたいことを言い終えると、ジョングクは赤くなって潤んだ目で「もう喋っていいですか」と律儀に許可を求めた。少し笑っていいよ、と言うと、ジョングクは不機嫌そうな顔を隠しもせず捲し立て始めた。

「あなた狡いですよ、一方的にそんなこと話すなんて。おれがあなたといて不幸になることなんて有り得ない。若気の至りでそんなことが言えるんだろうってあなたは思うのかもしれないけど。確かに俺達が恋愛するのには障害は多いし時間はないしデートだってままならない時の方が圧倒的に多いよ。でも、それでもあなたといることを選んだ。俺はあなたと結ばれる前は、絶対に叶わない恋だと思ってたよ。許されない恋だって諦めようとしたけど、どうしても無理だった。それにあなたに恋してる人なんて世界中にいる。わざわざ男なんか選ぶ必要はない。それでもあなたは俺を選んでくれた。あなたと結ばれたこと自体が何にも変え難い幸せでしかないのに、あなたのことを煩わしく思ったり窮屈に思うことなんて、あるわけない。あなたとじゃないと、俺は幸せになれない、俺はあなたが他の誰かと恋をしたら嫌すぎて泣いて縋っちゃうよ。あなたが優しすぎるのはわかってたつもりだったけど、俺を諦めようとしないでよ。俺だってあなたを幸せにしたいのに、終わりの話なんて酷い。あなたが嫌だって言っても俺はあなたを手放す気なんて一切ないのに」

話しながら涙を溢すジョングクの頭を掻き抱くと、まだ話は終わっていないと言うふうにおれを引き離して、「あなたは分かってないよ」と苦しげに泣いた。

「あなたが俺のことをすごく愛してくれていて、その愛し方が俺と違うことは分かったよ。でも俺は、あなたがもう俺から離れたら死んじゃうってくらい依存してほしい。もっとあなたが俺のところに堕ちてくれるように、綺麗な愛し方だけじゃ足りなくなるように、俺が愛してるって伝えなきゃいけないね」

つるりと滑っていったジョングクの涙がぽつりと部屋着のズボンに落ちて染みを作った。それを確かめるくらい、数秒置いてから、ジョングクはぐっとおれの肩を掴んで引き倒した。下から見上げたジョングクの目に光はない。

「じょんぐ、く」
「あなたみたいに綺麗な人って、愛し方も綺麗だね」

言外にジョングクとおれは違うと言われたようで、そんなことはないと否定しようとして。唇が温かいものに触れて食まれる。

「んぅ……っ」
「俺みたいに、あなたのこといっそぐちゃぐちゃに壊してやりたいとか醜いこと考えたりしないよね」
「あ、じょんぐ、っ…ンッ」
「俺だって考えなかったわけじゃない。あなたが俺じゃない誰かに惚れてしまったらって。でも、ねえ、本当はそんな仮定すら思い浮かばないように閉じ込めてしまいたいよ」
「ぁ、ぐが、ッん、ぁう」
「……こんな汚い独占欲あなたに見せたくなかったのに」

おれが口を開こうとする度に口付けてきて、言葉を挟むことすらできない。縋るようにジョングクの服を掴んで止めてと目で訴えてもやめてはくれない。ジョングクの気が済むまで唇を貪り尽くされながら、徐々に身体を拓かれていく。部屋に入ってきたときの甘い顔とは丸っきり違う雄の顔をするジョングクに、おれは悦んでいるというのに。どこが綺麗だというのだろう。

「ぐが……、」
「…なに。今はもう優しくなんてしてあげられないよ」
「おれ綺麗なんかじゃないよ……、ジョングギがそんな風に言ってくれて、おれ、嬉しいもん。…おれ、おまえに壊されたいの」
「……は、」
「幸せすぎて怖かったんだ、だから臆病になって、いつか来るかもしれない日が怖くて仕方なかった。どうしたらおれのせいでお前が不幸にならないか、そればかり考えて」
「不器用だね、テヒョンアは」
「うん。でもそうやって怯えるくらいにはお前に依存してるってことだし、きっとお前と別れたらおれ、壊れちゃうなって思った」
「……うん」
「でも……お前が壊してくれるなら本望だな。ねえ、もっとおれをお前のものにしてよ」

するりとジョングクの頬を撫でながら、今度はおれからキスをする。好き、愛してる、狂おしいくらいに。それから手を伸ばしてジョングクの股間に触れると、興奮しているのがわかって嬉しくなる。

「おれをめちゃくちゃにして。おまえのカタチ覚えちゃうくらい……お前でおれをいっぱいにしてよ」

ごくりとジョングクの喉が鳴った。それを笑う暇はない。一切の余裕をかなぐり捨てたジョングクが些か乱暴におれの服を剥いでいく。その様子を恍惚とした表情で眺めながら──ああ、なんて幸せなことだろう、もうおまえしか考えられないくらいに沢山溶け合って、ひとつになれたらいいのに、と。そうしたら、おれの臆病な部分も滲んで消えるだろうか。どこかで冷静なおれが逃避を促している。おれを見下ろすぎらついた目が、余計なことを考えるなと雄弁に訴える。おれは甘い顔を作って、言った。


「……ごめんね。朝ごはん、冷めちゃうね」








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