明日はあなたに愛される 2


09:愛とは何か


ジミナ。おまえは愛を知らない子どものまま、大人になってしまったんだね。

そういうおれだって、愛が何かはよくわかっていない。でも、理解することを放棄してしまったら、どうすることもできないよ。
耳を塞いで、否定することは簡単だけど、もうおれは逃げたくない。

「ジミナ。おれもね、人間と吸血鬼が相容れない存在なのは分かってるよ。吸血鬼が人間を捕食対象とする限り、おれたちは分かり合えないかもしれない。だから皆に認められたいわけじゃない。ジョングクみたいに、おれを見てくれる人が欲しかった。……おれはね。愛が欲しかったの。誰かを愛するって、何だか知りたかった」
「………くだらない」
「ジミニはおれに依存してるだけだよ。ジミニはおれを愛してるわけじゃない」
「愛してるよ。僕はお前さえいればいいって言ってるのに」
「……おれはおまえを愛してるよ。でも、おれの愛はきっとジョングクへの愛とは違う」

おれの言葉に打ちひしがれるジミンに、おれは言葉を重ねる残酷さに目の前がくらくらした。今まで、おれはジミンに従い続けた。ジミンが言うならそうなのだろうと、疑問に思っても押し込めて、なんでもない振りをした。ジミンの言うことを否定したくなかった。いつだってジミンは正しくて、おれは間違っている。ジミンがいれば、おれもそれでいいと思っていた。

いつからジミンへの気持ちとジョングクへの気持ちが違うものだと気づいたのかは、明確にはわからない。でも、漠然と感じ取れたことはあった。ジミンと一緒にいるのは、地獄の底まで一緒に落ちていくということと同じだということ。そして、ジョングクは絶望の中に咲いた花のように、おれの心を照らしてくれるということ。知らず知らずのうちにずっと、おれは記憶の中のジョングクを心の拠り所にしていた。あの時ジミンに殺されなかった、どこかで生きていてくれるということだけでおれは救われていた。
そして、危険を冒してこんなところまで来て、おれを助けると言ってくれた。きっとジョングクは、足を踏み外して落ちかけているおれを引っ張りあげて、光のあるところへ導いてくれるだろう。ジョングクはおれに新しい世界を教えてくれる。新鮮な気持ちを与えてくれる。この子とずっと一緒にいたいと思う。ジミンに抱く気持ちはどうしても薄暗くて胸が痛くなるけれど、ジョングクとなら。

「ジョングクが迷わず『ここから出ましょう』って言ってくれたこともね、おれには眩かった。おれは諦めてた。もう無理だって。このままジミニに殺されるなら、それはそれでいいかなって思ってた。でも、わざわざこんなところまでおまえが来て、連れ出そうとしてくれて。おれ、ここから出たい。吸血鬼だってバレて他の人間に殺される運命かもしれないけど、それでもいい。ジョングクと一緒にいられるならなんでもいい」
「………どうして?そんな人間と僕と、何が違うの。僕はお前がいなくちゃ……」
「おれといたらおまえはだめになっていくよ。おれはおまえの光にはなれなかった。愛を教えてあげられなかった。だから、……ごめんね」


ジミンのおれに対する歪な行為は、「こうすることが正解だ」と思い込んでいるに過ぎない。どこで覚えてきたのかいつしかするようになった乱暴な口づけも、おれと子作りの真似事をするのも。そこに愛があってするわけじゃなくて、したいからしているだけだった。それこそ、動物の本能に突き動かされるように。

ただ欲をぶつけて、依存しているだけでは意味が無い。

ごめんねと謝って、別れを告げる辛さはよく知っている。ジミンがおれに依存したまま一人きりでこの城に残るのは嫌だった。

「テヒョンア」

いつの間にか涙をこぼしているジミンの頬に手を添える。ジミンはおれが何をしようとしたのか分かったようで、悲しげに「もう僕とはやり直せないの?」と問うた。
それには応えずにいると、ジミンの目がぎらりと光った。

「それならそいつを殺すだけだね」

あ、と思ったときには思い切り殴られて、床に叩きつけられた。あまりの衝撃に頭が揺さぶられるような感覚がして、息が出来なかった。かひゅ、と肺が潰れるような音がする。

「テヒョンさん!!」

ジョングクがおれの名前を呼んだ。いつ名前教えたっけ。その数秒間にも満たない一瞬の間に、ジミンがおれの前から消えてジョングクの方へ移動した。「やめて、ジミナ!!」と叫んで手を伸ばしても届かない。慌てて身体を起こしても間に合わない。いやだ、やめて、それならおれを殺してよ、その子は関係ないでしょう。

「お前のせいだ」

どす黒く濁った目がジョングクを睨めつける。鋭い爪がジョングクの首に掛かり、血が流れる。ジミンの顔がにんまりと歪んだ。ジョングクが苦しげに抵抗しようとするが、力の差は歴然だった。ジョングクの手からナイフが滑り落ちてこちらへ転がってくる。おれはそれを迷わず手に取った。

もう耐えられなかった。手が震えた。こんなことをしたらもう本当に、ジミンとおれは一緒にいられない。でも。
おれは最早ジョングクを殺すことしか頭にないジミンの背後へ這いずって移動し、その背中にナイフを突き刺した。ずぶりと生々しい感覚が手に伝わる。刺されているのはジミンなのに、刺しているのはおれなのに、息がつまって涙で前が見えなかった。生暖かい血が手に伝い落ちて、怖くて手を離してしまいそうになった。

「っぐ、テヒョンア、てめえッ……!」
「ごめ、ごめんね、ごめん、ジミナ」
「お前ッ、どういうつもりだよ、ふざけんな!!」

ジョングクがジミンの手の中から何とか抜け出すのを見届けてから、おれはナイフをもっと奥に突き刺すように力を込めた。

「おまえと一緒にいられて楽しかった。おまえがおれを都合のいい人形だとしか思ってなくても、おまえになら殺されてもいいやって思えた。でも違う。愛ってそうじゃない。おれたちは間違ってた」

ジミンの目から涙が溢れた。

「じゃあ、なんなの?てては、ぼくを愛してないの?」
「愛してたよ。ジミニが好きだった。幸せになりたかった。でももう、おれたちじゃ無理なんだよ。………ジミニに、幸せになってほしい。ジミニの幸せにおれは必要ない。だから、おれのことは忘れて」

ジミンにとっては身勝手な願いだろう。
おれは勝手におまえを置いていくのだから。
おれのことを全て忘れて、リセットして、新しい生活を始めてほしい。そうすれば、ジミンにとっての幸せが見つかるかもしれないから。でもおれがいる限り、その可能性はない。

力が抜けたジミンの顔に手を掛けてそっと目元を隠す。そして、手の上から口付けた。
──こうすることで、ジミンからおれの記憶を消すことができる。眠るように目を閉じて座り込んだジミンの止血をし、おれはジョングクに向き直った。

「おれを、連れて行ってくれる?」

大きな目が一度瞬いて、大きく頷く。

「おれがあなたの光になります」
「ふふ、おまえが光なら、おれは影だね」
「光があるところには必ず影があるから、ちょうどいいですね」

ジョングクの返事に頷くと、「じゃあ出ましょう」ともう一度抱き上げられた。

ジョングクの首に掴まりながら、ジミンの手によって動かなくなった脚を見つめた。そうまでしておれを閉じ込めていたかったのだと思うと、少し切なくなった。まるでお気に入りのおもちゃをこっそり隠しておく子どもに似ていたから。




10:吸血


「やーおかえりぃ。…誰だいその人。怪我でもしてるの?」
「ジニヒョン。この人、脚の腱が切れてて歩けないんです。どうしたらいいですか」
「やああ!どうしたらそんなことになるんだ!とりあえずうちに連れてきて!」

俺の帰りを待っていてくれたらしいジニヒョンは、俺の顔を見てパッと顔色を明るくしたが、背中に背負われているテヒョンさんを見て怪訝そうな顔になった。それから脚の怪我を見ると叫びながら家に案内してくれた。いちいち反応がオーバーで面白い。テヒョンさんもそう思ったらしく、背中で笑う声がした。

「…なんかすごく綺麗な子だけどジョングギあの子どうしたの」
「えーと、あの人は俺がずっと会いたかった人です」
「へえ、どこの子なの」
「…怒りませんか」
「行ってくれないとリアクション取れないでしょ」
「…山奥に監禁されてた人です」
「か、監禁!?事件じゃん」
「いやなんか、えっと、大事にはしたくなくて」
「怖いじゃん、自警団に相談しないと」
「もう監禁してた人はいない、ので…大丈夫かなと思うんですけど…」
「なんで歯切れ悪いの」
「本当に怒りませんか」
「これ以上驚くことがあるの」
「あります」
「言ってみろ」
「あの人、…吸血鬼です」
「…!?え!!?実在するの?ファンタジーじゃなくて!?」
「ファンタジーみたいに綺麗でしょう」
「確かに!正気かよ!どうすんのさ」

リアクションに疲れたのか、ジニヒョンは遠い目で俺を見ていた。

「…まあ僕もね、白状すると吸血鬼の知り合いいるんだよ」
「…吸血鬼って割といるんですね」
「僕は一人しか知らないよ。人間狩るのは非効率的だからって自分で開発したサプリメント飲んでたけど」
「……色んな吸血鬼がいるんですね」
「僕は料理好きだから彼にご飯作ってあげてたよ。血をがぶ飲みしなくても鉄分がたっぷり取れるメニュー考えたりして」
「ええ?ジニヒョンすごすぎ。もうその人とは連絡取ってないんですか」
「取ってないよ。僕がこっちに住み始めたからね」

そう話すジニヒョンにも何やら事情がありそうだったが、人間の生き血を取ってこなくても代用が利くという事実をテヒョンさんに教えてあげなければならない。


そうしてテヒョンさんがいる寝室に入ると、テヒョンさんは目を閉じたまま、時折深く息を吐き出しながら苦しそうに身を捩っていた。顔は真っ青だ。

「……ジョングガ。あのね。多分その子本当に具合悪いんだろうから、血飲ませてあげないと回復しないと思うよ。僕あっち行ってるからさ、飲ませてあげたら?」
「え?俺の飲ませて大丈夫なんですか?」
「あー、ほら。そこの包丁でちょっと切るだけね。ちょっとでいいから。直接飲んだらどうなるかはそこの子に聞ききな」

そう言ってジニヒョンはそそくさと部屋から出ていってしまった。
首を傾げつつテヒョンさんのところへ行くと、更に顔色が悪くなっているような気がしてすぐに俺の思考回路からジニヒョンは飛んでいってしまった。

「て、テヒョンさん、大丈夫ですか!」
「ん、ぅん……だいじょぶ……」
「絶対大丈夫ではないですよね。お腹空いてますか?」
「すいてない……」

頑なに首を縦に振らないが、血液不足なのは一目瞭然だ。
包丁で手首の当たりを切りつけてみる。ピリ、と痛みが走り血がぷくりと溢れ出した。

「ぁ、っじょんぐが、だめ」
「何でですか?血が飲みたいんでしょう」
「っく、や、のみたく、ない……ッ」

涙目でふうふうと息を荒らげながら、テヒョンさんは自身の手首を噛んだ。口から垣間見える鋭利な八重歯に少し驚くも、彼が容赦なく自分の手首にその歯を立てるものだから、俺は慌ててその手を掴んだ。

「ほら、俺の血なら飲んでいいですから」

飲まれすぎて貧血になったら、それこそジニヒョンに鉄分不足に効く料理を作ってもらえばいい。そうしてテヒョンさんの口元に手首を押し付けると、「ぁう」と途方に暮れた声がして、それからぺろりと手首に舌が這う感覚があった。
涙で潤んでいた目がだんだんと光を取り戻し、我慢するために押さえ込まれていた呼吸は興奮に変わった。はあ、はあと吐き出される熱い息が手首にかかり、少しだけ漏れ聞こえる声が何とも色っぽくて、俺はぎゅうと目を瞑った。

「は、はぁ、…ン、おいし、」

最初は傷口に容赦なく入り込もうとする熱い舌にピリピリと痛みが走っていたのに、テヒョンさんの柔らかい唇に吸いつかれているうちに、手首にたくさんキスされているような心地になって気持ちよくなってしまう。むず、と無意識に膝小僧を擦り合わせる。

「てひょんさん……っ、」
「ぁん、ふ、はあ、もっと、もっと欲しい…っ」

べろべろと俺の手首を舐めながら、テヒョンさんは熱に浮かされたような顔で俺を見ていた。トロンとした目と涎にまみれた口周りが壮絶な色気を放っている。

「……もっと、ほしい?」
「ん、ほしい、ほしいの、意地悪、しないで……」

まるで情事の時のようなセリフに赤面しながら、俺は包丁を手に取りもう少し傷口を広げた。また更に溢れる血。それでも傷口は浅いから、これで貧血になることはないのではないだろうか。ふわふわしてきた頭で何とか思考を巡らせながらまた手首を出すと、テヒョンさんは頬を赤くしながら嬉しそうな笑みを見せた。
──やっぱりすごく綺麗で可愛い人だ。
俺の手首を両手で持って、猫が舐めるみたいにちろりと舌を出す。舌の動きがだんだん大胆になっていく様がどうしようもなく淫靡に見えて、俺は目を逸らしてしまった。

「んぅ、じょんぐぎの、おいしい、すき……」
「そ、ですか。よかったです」

俺の手首にちゅ、と口付けたテヒョンさんは、「もう大丈夫」と俺の手を離した。

「え、もういいんですか?」
「うん、ちょっと飲めたらしばらくは持つから。コスパいいでしょ」

にこりと笑うテヒョンさんに、もう少し吸ってくれてもいいのに、なんて思ったことは秘密だ。
そして、ずっと疑問に思っていたことを聞いてみる。俺の血すらこうして半ば無理矢理でないと飲んでくれないが、俺の血ならどうってことないのに。

「テヒョンさんはなんでジミンっていう人みたいに血を吸わないんですか?」

ジミン、という名前にぴくりとテヒョンさんは反応した。

「…おれはジミニとは違って、人間を食料同然には扱えない。おれは人間と友達になりたいのに……。矛盾してるのはわかってるけど、どうしても、さ。だから、おまえもおれに血を飲ませようとしなくていいよ」
「……俺は、テヒョンさんの食料じゃないでしょう。テヒョンさんの友達だから、俺はあなたが飢えて苦しむのは見たくない。あなたのためならこの身体を差し出せる。別に飲んだからって死ぬわけじゃないし、俺の血は飲んでください」

テヒョンさんはううむ、と唸ってから首を捻った。

「……確かにおれは少食だからおまえを貧血にしちゃうほど一気に飲まないけど……友達の血を飲むの、だめじゃない?」
「だめじゃないです。俺は了承してるので。寧ろ飲んでほしいです」
「初めて血を飲んでほしいなんて言われたよ」

あは、とテヒョンさんは笑ってから、「じゃあおまえの血だけ飲むね」と言ってくれた。

それからジニヒョンから聞いた話を掻い摘んで伝えてから部屋を出ると、ジニヒョンに俺の赤らんだ顔を見られて窓拭きのような声で盛大に笑われた。

「吸血鬼の血の飲み方とか飲まれたらこっちまで頭がふわふわしてきたりとか、色々すごくない?」とジニヒョンは笑ってから、ふと真剣な顔を作った。

「昔ほど吸血鬼の存在は知られてないけど、あの子を日のあるうちに連れ回したりするのはやめておきな。すぐ不審がられるし、あの子はやたら綺麗だから目立つ。夜になったらお前の家に移って、それからあの子をどうするか今後のことを決めたらいいよ」

ジニヒョンの言う通り、昔は吸血鬼の話がもっと信憑性のあるものとして話されていた。しかし村人が入れ替わってから少しずつ薄れていき、吸血鬼は御伽噺のように扱われた。というよりは吸血鬼という単語はここ数年聞かなくなって、森でたまに出る死人は熊か何かの仕業だろうと言われてきた。本当はジミンというあの男が殺していたのかもしれないが、もう今となってはわからない。
それでも、村は狭いし顔が全員割れている中でテヒョンさんを引き入れたらどうしても目立つし、太陽の下に出られないことなどの説明をしなくてはならないだろう。村にいる限りは何か仕事をしなくてはいけないのに、若い男が体を使った労働に参加できないのはおかしいと思われるだろう。それなら、ジニヒョンのいうようにテヒョンさんの存在を隠して、俺が養っていくしかない。当面はそうして、そのうち村を出ればいいだろうか。色々と考えながら夜まで待って、大分暗くなってからテヒョンさんを連れ出して、俺の家へ赴いた。

「ジョングク。ごめんね。おれがいるとその、村にいるの大変にならない?」

テヒョンさんは色々察してか、俺を気遣った。でも、テヒョンさんをあの城から出したのは俺なのだ。俺が責任を持ってテヒョンさんを守る。そうテヒョンさんに伝えれば、テヒョンさんは涙ぐみながら「おっきくなったねえ」と言った。小さい頃を知られているからか、ちょっと格好がつかなかった。


11:満月

一緒に住み始めてから、テヒョンさんは三日に一度くらいのペースで少量ずつ俺の血を飲むようになった。ジニヒョンにご飯の作り方を教えてもらって、血を飲まなくてもある程度鉄分を賄えるメニューを作ったりしていたが、ある日テヒョンさんの調子がおかしくなった。
月明かりが眩しかったから窓から空を見上げたら、満月だった。満月の中に照らされた彼の顔はゾッとするほど美しかったが、彼は苦しそうに俺を見上げてから、自身の胸元を荒々しく掴んで「苦しい」と俺に訴えた。浅い呼吸に熱でもあるのでは、と心配になり身体に触れればやはり熱を持っていたので、すぐに水を取りに行こうとした。

「待って、じょんぐが」
「テヒョンイヒョン?」
「じょんぐが」

一緒に生活し始めてからテヒョンさん自らヒョンって呼んでよ、と言ってくれたおかげで変わった呼び名は、何度も俺を呼ぶヒョンの声に掻き消された。

「おれのこと抱いて、って言ったら怒る?」

テヒョンイヒョンの言葉がよく理解できなくて、数秒フリーズした。抱いて、ってなんだ。ハグのことか?と思ったけれど、テヒョンイヒョンの顔を見てすぐに違うと悟った。

「……満月の夜になるとどうしてかホルモンバランスが崩れて、性欲が抑えられなくなっちゃう、の。ねえ、ジョングギにしかこんなことお願いできない、お願い、抱いてよ……」

テヒョンさんの消え入りそうな声は切羽詰まっていて、顔は恥じらいと欲情で赤くなっている。俺しかいないという言葉に突き動かされるようにテヒョンイヒョンの傍まで行くと、ヒョンは不意に「ジョングギはおれのこと好き?」と訊いた。

「……好きな子を抱いたことはある?おれのこと抱こうって思える?」

俺の人生の中で、恋愛感情を抱いたことがあるのはテヒョンイヒョン以外にいなかった。だから経験はない。あなたが初めてになります、と言ったら重いだろうか。逡巡しつつそう答えると、テヒョンイヒョンは目を丸くしてから、「じゃあ抱いてよ。おれはジョングギが好きだよ」と甘ったるい声で囁いた。

誰かと抱き合うことも口付けも、誰かとベッドで眠ることも全てが始めてだった。唇をくっつけた後、テヒョンイヒョンがリードするように舌を絡めて、戸惑う俺に「舌出して」と教えた。湿った感触、他人の舌。混ざる唾液と静かな夜に響くお互いの呼吸。全てが未知で、少しずつ昂っていく。キスをしながらテヒョンイヒョンがゆっくりベッドに身体を倒すと、「ジョングギのしたいように、おれの身体に触れてみて」と言った。
俺は緊張で震える手で、テヒョンイヒョンのシルクのような繊細な作りのシャツに手をかけた。金の釦を一つひとつ外して、手を滑らせて。もうつける事はなくなったあの革ベルトの首輪があった部分に触れると、テヒョンイヒョンの身体がびくりと震えた。

「……あのジミンっていう人にも、抱かれてた?」
「…うん。ジミニがしたいって言ったから」
「満月の夜はどうしてたの」
「…自分で抑え込もうとして、いつもジミニに見つかってた。……ね、もうこの話はやめよう」
「ごめんなさい」

踏み込みすぎたと気づいた時には遅かった。テヒョンイヒョンの切なげな顔に胸がずきりと傷む。つまらない嫉妬心だと自分でもよく分かっている。

「おれはね。誰かに抱いて欲しいって言ったことはないよ。おまえ以外にはね。満月にかこつけてなら、言えるかなって思って。ずるかったよね」
「え、それ、は」
「おれが好きなのはおまえだけ。だからたくさん愛して、おれに愛を教えて」

きゅ、と俺の腰に絡められた脚に力が込められる。俺は嬉しくて「うん」と頷きながら、今度は自分からテヒョンイヒョンに口付けた。少しずつどうしたらいいのか分かってくる。テヒョンイヒョンの時折漏れる鼻にかかったような声がもっと聞きたくて、身体にも触れてみた。
滑らかな肌が月明かりに映えて美しい。キスを落として、胸の飾りに触れる。どこを触っても少しだけ身体を震わせるくらいなのに、乳首に触れると大きく肩が跳ねた。

「あっ、ん」
「ここ、弱いの?」
「ふ。そうみたい」
「あなたの弱いとこ、たくさん教えて」
「おまえが見つけて。そしたら、教えてあげる」

テヒョンイヒョンの手が俺の手の上に重なり、乳首にもう一度触れる。それから指で弄って、捏ねたりして。自分で触れ方を教えながらびくびくと身体を跳ねさせるのが健気で、色っぽくて。俺は教わった通り反対側も同じように触れながら、時折キスをした。

「あのね。おれ、女の人みたいにおっぱいは膨らんでないけど、舐められるのもすき、なの」

恥ずかしそうにそう言ったテヒョンイヒョンのために乳首に舌を這わせてみると、「あん、」と更に悩ましげな声が聞こえた。

「テヒョンイヒョン、かわいい」
「ふ、ンっ、ぁん……じょ、ぐが。じょうず」

テヒョンイヒョンの目が弓形になって微笑んだ。いけないことをしているような気持ちになるのに、テヒョンイヒョンに褒められると嬉しくてもっとしたくなる。かわいいヒョンをもっと見たくて、胸にむしゃぶりついた。舌で乳首を押し潰すと高い声が上がって、ヒョンが感じ入っているのが分かる。

「あ!ぁッ、ひゃん、らめ、ッ」
「ヒョン気持ちいい?もっと気持ちよくなれる?」
「ん、うん、ぁ、きもちい、きもちいからぁっ、そこだけ、やぁ……ッ」

テヒョンイヒョンは目に涙を浮かべながら、俺の腹筋に股間を押し付けた。興奮して大きくなったそれを無意識に擦り付けて呼吸を荒くするヒョンを見たとき、頭が急に沸騰したかのように熱くなった。早く、ヒョンに挿れたい。ヒョンをもっとめちゃくちゃにしてしまいたくて、今にも暴走しそうだった。

「……ヒョンっ、下、触っていい?」
「ん、お願い、触ってぇ……っ」

履いていたスラックスを脱がせてみれば下着がグチョグチョに濡れていて、テヒョンイヒョンが恥ずかしそうに膝を擦り合わせた。下着も取り払い裸になったテヒョンイヒョンの、興奮しきったそれを手で包み込む。すると、テヒョンイヒョンが「こっち」とまた俺の手を取って誘導した。

「おれはこっちの方が気持ちいいの」

にゅぷ、とテヒョンイヒョンが指を入れたそこは、本来なら排泄のために使われるところだ。けれど確かに、男同士だとそこ以外に挿れるところがない。俺は全く性知識がないため恐る恐る触れることしかできない。とにかくヒョンを傷つけないように、とゆっくり触れてみると、じれったかったのかヒョンが「こう、ね?」と指の動かし方を教えてくれた。

「こう、ですか?」

指を入れたそこは驚くほど熱かった。これからそこに俺の性器を入れるのかと思うと鼓動が早くなる。熱くうねって、指を動かすと吸い付くような感覚。ぬちゅ、と水音を鳴らしながら言われた通りに出し入れしてみる。

「ぁっ!あン、ふぁ、じょんぐがッ、じょうず、だね……ッ」

声に甘みが増して、俺も嬉しくなる。そうしてぐちゃぐちゃと引っ掻き回しているうちに、何かのしこりに当たった。

「あ゛ッ!?」

びくん!と一際身体が大きく震えて、ヒョンの性器からぴゅく、と白濁が溢れ出た。

「ヒョン?イったの?」
「ッ、……は、ン、めっちゃイイとこ、不意打ちで触られちゃったから、…軽くイっちゃった」

テヒョンイヒョンはえへ、と恥ずかしそうに舌を出した。色々触ってみて思ったが、初心者にも分かるくらいテヒョンイヒョンは感じやすい体質だ。どこに触れても反応が良くて、イきやすい。俺は性欲処理に性器を扱くくらいしかしたことがないから余計にヒョンのような感じやすい体質が未知で、そして理性を煽られる。

「ジョングガ。おれもしてあげるね」

はふ、と息を整えたヒョンが起き上がって、俺の足元に身を屈めた。それから下着越しに俺の股間に触れて、「わあ、がちがちだね」と笑った。何をするんだろうとドギマギしていると、ヒョンはそのまま下着から性器を取り出してぱくんと口に含んでしまった。

「え、ヒョン!そんなとこ汚いからッ」
「おまえのなら汚くなんてないよ。こうして舐めるの、気持ちいいんだよ」

大きめな唇がちゅ、と先端に触れて、それから亀頭を包み込むようにねっとりと舌が絡められた。びり、と腰に響く快感に声が漏れそうになる。咥えきれない部分は指を使いながら愛撫されていく。唾液に塗れていく感覚が気持ちよくて、「ぅ、ひょん、あぅ」と思わず情けなく声を出せば、テヒョンイヒョンは「かぁわいい」と笑って、じゅ、と更に深く性器を深く咥え込んだ。ヒョンがじゅぷじゅぷ、と激しく頭を上下させる。もう耐えきれる気がせず、「ヒョンっ、出ちゃうッ」と申告すれば「出していいよ」とヒョンが言った。そんな、口の中に射精なんて。そう千切れそうな理性の先でそんなことを考えたけれど、せり上がる射精感にすぐに抵抗できなくなった。
テヒョンイヒョンは俺の精液を口の中で受け止めてから、「たくさん出たね」と笑って飲み込んだ。

「ちょっと、汚いです!そんなの飲むものじゃありません」

焦ってすぐ側にあったタオルを差し出しても、ヒョンは「だいじょうぶ、おいしかったよ」と笑うだけだった。この人すごくすけべだな、と何となくちょっと悔しくなった。

テヒョンイヒョンがぱたんとベッドに身体を倒すと、おいでと俺の手を引いた。

「もうここ、充分慣らしてあるから。挿れていいよ」

ヒョンの勃ち上がった性器の下にある後穴がぱく、と収縮する。それがあまりにいやらしくて、頭が沸騰しそうだった。
それでもやはり、俺の脳裏にはあの銀髪の吸血鬼が過ぎる。

生殖行為をする。
でも目的は生殖ではない。
じゃあ何かと聞かれれば、相手が自分を受け止めてくれると確かめるための行為で、それを総括すると愛を確かめる、ということになるのだろうか。テヒョンイヒョンはきっとジミンという男と何度も行為をしたのだろうが、結局二人は愛し合うことができなかった。
俺もあの男の二の舞にならないという保証はない。でも、テヒョンイヒョンを幸せにしたいと願うなら、ヒョンが望むことをなんでも叶えてあげたい。ヒョンが抱いてほしいというなら、ヒョンが愛してほしいというなら。そこにもちろん俺の意思はあって、いつだってテヒョンイヒョンを受け止めて守って、そして愛したいと思っている。
そう思える人が俺の初めての人でよかった。情けないことにほとんどリードしてもらっているけれど、ヒョンは俺が恥ずかしいと思う隙を与えないくらい、俺を気遣いながら行為を進めた。

ぬぷ、と性器を後穴につき入れると、スムーズに飲み込まれていく。熱く蠢くナカは未知で、媚肉に性器が包まれる感触に思わずぶる、と背中を震わせた。気を抜いたらすぐにイってしまいそうだった。
動いていいよ。
弓形に笑むテヒョンイヒョンの目は潤んでいて、待てないというように腰が揺れた。

腰を掴んでぱちゅ、と打ち付ける。俺の性器は大きいからか、すぐにこつんとヒョンの最奥に当たってしまう。

「あッ、ぐが、おっきぃ、ン」
「誰かと比べるの、やめてください」
「んう、そんな、つもりじゃ、ぅあ」

嫉妬心から少しだけぐ、と強く押し込めると一際気持ちよさそうな声がする。ああでも、嫉妬なんかしている場合じゃない。気持ちいい、すごく。

「じょうず、じょんぐが」

くしゃりと頭を撫でられて、もうどうでもよくなった。彼を気持ちよくさせることが一番だ。

「…ン、はぁ…ね、もっと激しくして?」

するりと首に腕を絡められて、上半身が密着する。テヒョンイヒョンの目がきらりと赤く光ったような気がした。
言われた通りに更に腰の動きを早めると、ぬち、ぐちゅ、と更にねちっこくなった水音が響く。

「ひぁ!あ、ンっ、きもちぃ、ぁあッ」
「ぅ、はあ、ひょん、ぁ」
「あぁぁッ!う、あ、ほし、い、もっと、」

ばちばちと腰を打ち付けながら、ヒョンがもっとと喘ぐのを聞いていた。もっとなの、と顔を見ようとして、ヒョンの目が赤くなっていることに気づいた。

「ねぇ、じょんぐが…。血、のみたい、ちょっとだけ、首から吸ってもいい?おねがい、」

ヒョンが物欲しげに俺を見る。ヒョンが望むものならなんでも与えたい。だから俺は「いいよ」とすぐに了承した。手首から吸うだけでヒョンも俺も頭がばかになるのに、首から直接吸われることが怖くないわけではなかったけれど。
ありがとう、と小さくお礼を言ったヒョンはすぐに俺に抱き着いて、ちゅ、と首に唇を充てた。それからすぐにあの鋭い歯が突き立てられて、ぐ、と歯がくい込んでいく。痛いのに、何故だか気持ちいい。その感覚にぞくりと震えた。
ヒョンが夢中で血を吸っている最中にばちゅ、と腰を打ち付ける。するとヒョンが「ひゃんッ」と嬉しそうに声を上げた。

「おいし、ア、んん、じょんぐがぁっ、んむぅ」
「ふあ、ッく、ひょん、っあ、んぅッ」

じゅぶ、とはしたなく血を吸う音と、性器が擦れる水音。ヒョンの甘ったるい喘ぎ声。頭が溶けていくみたいに熱くて、気持ちいい。

「ふああッ!ア、んぁ、っは、…っひ、ンっ、ああッ、おかしくなっちゃ、あぅ」
「ん、はあ、気持ちい、ひょん、やばいッ」
「あ゛っひ、んぁ、ぁー…ッ、あぅ…っふ、はひ、ぅあ…っは、あ゛ぁっ」

泣きながら俺にしがみついて乱れまくったテヒョンイヒョンが、嫌がるみたいに首を横に振る。それを抑えつけて一際強く腰を叩きつけた。ぎゅうと収縮する後穴が、俺から精子を搾り取るみたいに締まる。残らずヒョンのナカに出して、涙でぐちゃぐちゃになったヒョンの頭を優しく撫でた。

「はぁ、はぁ…っ、もぉ…激しすぎ……」
「ごめんなさい、夢中になりすぎました…」

はふはふと大きく息を吐き出しながら未だびくびくと身体を震わせるテヒョンイヒョンは、淫靡以外の何物でもない。血を飲む側も飲まれる側も、媚薬でも入れたかのように夢中になって乱れてしまったのが、少しずつ頭が冷えていくにつれて何となく気恥ずかしくなってきた。

「ヒョン、大丈夫?」
「ン、はぁ…おれ、こんなに気持ちよくなったこと、ないのに……」

とろりとした顔で俺に頭を撫でられながら、ヒョンが俺を見上げた。

「じょんぐぎの血、ほんとにおいしくてぞくぞくしちゃう……あは、またしようね」

唇についた血を舌で舐め取りながら、テヒョンイヒョンがにこりと笑う。毎回こんなの身が持たない、と思ったけれど、死ぬほど気持ちよかったのは事実なのでこくりと頷いた。




「ジョングギと知り合った時はおれ、正体を隠しておまえに近づいたよね。色々良くないのはわかってたけど、会いに来てくれるおまえが可愛くて、止められなかった」

俺の腕枕で微睡みながら、テヒョンイヒョンはそう言った。昔話の答え合わせだろうか。

「おまえの記憶を消せばもう二度と会えなくなるってわかってたけど、おれのせいで殺されるくらいならいいと思った。でもおまえは結局思い出した。それが良かったのかどうかなんて、おれは今も分からない」
「ヒョンは俺に再会したことを悔やんでるの?」
「ううん。おれは嬉しいよ。でも、吸血鬼のおれといても、デメリットしかない」
「俺はあなたがいればそれでいいんだよ」

記憶を消されても思い出すことができたのは、俺があなたを好きだからだ。

「ねえ、あなたの名前を教えてよ」
「?テヒョンだよ」

今は当たり前のようにあなたから名前を聞くことができるから、呼ぶこともできる。でも、ずっと長いことあなたの名前を知りたくて仕方がなかった。
どうしたの、と不思議そうな顔をするヒョンに、なんでもないと首を振った。

「俺はあなたに愛を教えるために、記憶を取り戻したのかな」
「うふ。おまえがおれの天使さまだったのかあ」
「?ん?俺が天使なの?」
「ふふ」

テヒョンイヒョンが楽しそうに笑って、情事中にできた噛み跡をなぞった。

「ごめんね。痛い?」
「全然痛くないよ」
「もうジョングギの血しか飲みたくない」
「俺も、あなたは俺の血しか飲んでほしくないな」
「おれがいつか理性を飛ばしておまえを食い殺してしまうかもしれなくても?」
「あなたになら殺されてもいい」
「……だめだよ。おれがもしおまえを殺そうとしたら、おまえがおれに楔を打って、終わりにして」

テヒョンイヒョンが胸元に俺の手を持っていって、目を閉じた。

「吸血鬼の寿命はすごく長いから、おれももう何年生きてきたのか数えてないんだけどね。ジョングギが生きている間は他の人間の血を飲まなくてすむでしょ。おまえがいなくなっちゃったら、おれはまた自分が野垂れ死ぬまで森の中で動物の死体を漁るハイエナみたいに生きるしかできないんだ。そうするくらいなら、おまえに殺されたい」

美しい瞳が近づいて、長い睫毛が伏せられる。唇にふに、と柔らかい皮膚が触れた。目を見れば彼が異質な存在なのだとわかるくらい、不思議で綺麗な目をしている。

「俺はあなたがとてつもなく好きだから、あなたを殺すなんて出来ないと思うよ」
「ううん、じゃあどうしようか。一緒に死ぬ?」
「あは。心中か。いいかも」
「そうしたら死んでも一緒にいられるかな」
「そうだといいね」

むずがるようにテヒョンイヒョンが俺の腕の中でおでこを擦り付けた。抱き締めて形の良い額にキスを落とし、目を瞑る。

テヒョンイヒョンは自分が吸血鬼であることを憂いていたけれど、俺は寧ろ感謝している。ヒョンが吸血鬼だからこそ偶然会えたのだし、もうヒョンは俺からしか血を飲まない。ヒョンは俺がいなくては生きていけない。夢にまで見た美しいひとを自分のものにできて、嬉しくないはずがない。
脳裏によぎる銀髪の吸血鬼も、きっとテヒョンイヒョンを一生縛り付けておきたかったに違いない。

テヒョンイヒョンは結局誰かに縛られていないと生きていけない存在なのだ。それを哀れに思いながら、同時にそうであることに感謝しつつ、おれはゆっくりと意識を闇の中に揺蕩わせた。


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