Sincerely


ユンテテ

ヴァイオレット→テヒョン
ギルベルト→ユンギ


おれ、どうして泣いているんだろう。

後から後から涙が溢れて落ちて、止められない。手をあててもこすっても、頬を伝って落ち続ける。でもどうして泣いているのか、わからないよ。

例えようのないこの胸の痛みは何なのだろう。何もわからないのに、痛くて耐えられそうにないのに、不思議と愛おしいと感じる。とても、とても大切なもの。言葉にならないけれどわかる。優しくてきれいでどんなものも代わりにはならない。
いつもそうして涙を流すのはあの人を思い出すときだ。

おれはあなたに会いたいよ。



「さようなら」は苦くてさみしい。
「あいしてる」はなんだか切ない。

本当はこんな感覚的な表現ではなくて、もっと具体的に説明してくれていたと思う。おれのともだちであるジミンは、おれに言葉を教えてくれる。

きれいな言葉。すてきな言葉。色んな意味の含まれた言葉。言葉には表面上だけではとても掬いきれないくらい、沢山の意味、感情、背景が込められているときがある。おれには難しくてまだまだわからないことばかりで、言葉が足りなくてひとに誤解を与えてしまうことだってあるけれど、それでも、言葉というものは自分の気持ちを伝えられる大切なものだ。それなのに、おれには胸につかえたままどうしても口にして表すことのできない感情が数え切れないくらい沢山ある。



あいしてる。

あいしてる、ってなんだろう。
おれにはやっぱりわからない。でもあの人は苦しそうにしていた。悲しい言葉なの?それとももっと、あの人がおれにだけ伝えなきゃいけなかった言葉なの?
最後にあの人がくれた言葉の意味をどうしても知りたくて、おれは働きながら、言葉を学ぶことにした。



00:ジン


「テヒョンア。どう?調子は」

昼前になって職場に一人の男の人がおれを訪ねてきた。一目で国の役人だと判る服装と、端正な顔立ち。どこか上品ささえ感じる出で立ちのその人は、ジンという軍人だった。どんな地位の人なのかおれにはいまいち理解できていないのだが、きらりと光る胸元のバッチはきっと軍人としても上であることを示すものだろう。そんな人がおれを訪ね、声をかける。テヒョンア、とまるで親しい人間のように。
──別におれたちはそれほど親しい仲というわけではない。だが、このジンという男はおれの保護者なのだった。

戦争孤児だったおれは終戦後、行く宛てがなかった。戦争中、心を預けたただ一人のひとの消息さえ分からず、途方に暮れた。そんな時、突然おれの前に、ジン──ジニヒョンは現れた。

「ユンギに頼まれたんだ。君を保護してほしいと」

ユンギ。その名前に即座に反応を示したおれに、ジニヒョンは表情を曇らせた。

「残念ながら、ユンギは見つかっていない。ただ、『俺に何かあったらテヒョンを頼む』と言付かったんだ。だから、僕についてきてほしい」

ごめん、期待させるようなことを言ったかもしれないね。整った顔がくしゃりと歪んだ。おれは何も言葉を発せなかった。色んな感情が綯い交ぜになって、言葉にするには難しい。ただ、悲しいという気持ちだけは胸の中に冷たく広がった。

「僕とユンギは親友だった。だから怪しい者ではないし、君に酷いことをしたりもしない。ユンギに叱られちゃうからね」

あなたがおれに酷いことをしようなんてひとつも思っていないということはわかるよ。そう言いたかったけれど、やっぱりおれの口からは下手くそな言葉しか出そうになくて、「わかりました」と無愛想に頷いた。背の高い大きな背中はユンギヒョンに似ても似つかない。なのに、きっとその背中のとなりにユンギヒョンが居たのだと思うと、涙で視界が滲んだ。泣きたくないのに、ぽろぽろと涙が後から後から溢れて頬を伝い落ちていく。振り返ったジニヒョンが胸元からハンカチを取り出して、優しく拭いてくれた。そっと頭を撫でられたその感触もユンギヒョンとは違うもので、おれは小さな子どものように泣き続けた。



01:戦場



戦争の記憶は曖昧にしか残っていないが、年端もいかない子供すら戦力として投入しなければならないほど、戦時中はあらゆるものが枯渇していた。元々親がいないおれは軍人に拾われ兵士として戦争に参加させられた。おれは銃どころかサバイバルナイフだって持ったことはなかったけれど、運動神経は悪くなかったようで、色々な戦場に駆り出された。そうして戦場を転々とするうち、作戦がどんどん大掛かりになっていったし、最初一緒に行動していた戦友たちは散り散りになった。もしくは死んだ。詳しいことはいつもわからなかった。都合の悪いことは秘密にされる。まるで知る必要はないというように。目の前の作戦にだけ集中しろと思考を奪われる。こわかった。敵よりも何よりも、おれたちを道具としか思っていない大人たちがこわかった。

ある戦場でついに脚を撃たれて地面に転がったとき、漠然とああ死ぬんだ、と思った。戦争に連れていかれる前も貧しくて死にそうだったけれど、それとは違う、もう目前に死がある。もっと言うなら、目前にというよりは、今すぐにでも蝋燭の火のように消されてしまいそうだった。戦場のど真ん中で転がっていては誰も助けに来ない。目を閉じた。おれはこんな時ですら最後に伝えたい言葉もない。知らない。言葉を届ける相手もない。空っぽで、薄っぺらい。何のために生まれてきたんだろう。人の命を奪った。数え切れないほど。可哀想だと思った。できることなら殺したくなかった。でも殺さなきゃ仲間が死ぬ。許してほしいとは言わない。おれもすぐに死ぬから。神さま、天使さま。おれは悪い子だったよね。ごめんなさい。
すぐ傍で耳を劈く爆音がする。死ぬ。死というものの感覚はなんとなくわかる。冷たくて孤独で、でもいつも死はそこにあった。死とは体がただの肉塊になり、意思を失って永遠に動かなくなる、その瞬間のこと。何度も目の前で見た。怖い、と思った。でもそれは、本能的からだ。生き物は本能的に死を恐れる。それだけだ。

「おい、こんなとこで寝てんじゃねえ!」

突然頬を張られておれは思わず目を見開いた。至近距離で怒鳴られて、爆発音でやられた耳が痛む。目や口に砂が入って気持ち悪いし、撃たれた脚は感覚がない。目の前の男の人はそんなおれを引きずって行こうとする。敵なのか味方なのか、そんな判断もつかなかった。

「い、いよ。もう、死ぬ、し」
「うるせえ。黙ってろ」

ぴしゃりと跳ね返されて、おれは口を噤むしかなかった。こわい、と肩を竦めれば、どこかに打ちつけたのか、腕が悲鳴を上げていた。

連れていかれるうちにおれは気絶してしまったらしく、目を覚ましたら男の人の背中に乗って揺られていた。見覚えのありすぎる軍服に、思わずほっとする。捕虜として捕まっていたらどうしようかと思った。ちらほらと他の兵士もいる。怪我でボロボロになった兵隊が列を成して、ぐったりと歩いていた。地獄のような状況で、おれだけが歩かずに背負われて移動しているのが申し訳なかった。少しだけ身じろぐと脚が痛んで涙が出そうになる。このまま腐り落ちたらどうしようか。痛いのは嫌だなあ。

「んう」
「目ェ覚ましたな。重てえ」
「ごめ、なさ」
「脚、怪我してんだろ。手当してやるから動くな」

砂埃でゴワゴワした黒い髪がすぐそばにあった。ぶっきらぼうな声。でもしっかりとおれをおぶったまま。
細くて骨張った身体は煤や土埃や血で汚れていたが、おれは何だか胸の辺りがむずむずして、その背中にぎゅうと力を込めて抱き着いた。うわあ、なんだよ、と困惑する声なんて知らない。何だか落ち着くな、というその感覚だけ。久しぶりに体温を感じた気がした。おれはそのまま、また気を失った。

次に目を覚ますと、どこかの山小屋に寝かせられていた。薄っぺらくて黴臭い布がおれの身体に掛けられていて、撃たれた脚は包帯で手当をされている。その横にはさっきのお兄さんがいて、細い目を更に細くしながら眠そうにしていた。他に人は居なくて、どうしてふたりきりなのか分からなかったけれど、山小屋の中の静寂がどこか心地よかった。

「……おにいさん、ここどこ?」
「んあ。目覚ましたか。よく寝るな、お前」

ああ、熱があるんだったか。やけに白い手をおれのおでこにあてる。見た目の通り冷たくて気持ちいい、と目を細めれば、やっぱあちいな、とすぐにその手を引っ込められた。

「赤い顔しやがって。生憎と薬も飯もねえんだ。脚撃たれただけじゃ死なねえだろうし、とにかく寝ろ」

ご飯ないのかあ、とぼんやりした頭で思った。長いこと何も食べていないから、感覚が麻痺している。死なないと言われたけど、このまま死んだっていい。寧ろその方がいい。もう戦いたくなんてない。痛いのはいやだ。血なんて見たくない。こわい。こわいんだよ。

「うお、何泣いてんだよ」
「……ん、え?」
「気づいてないのか?」

そう言われて初めて視界が滲んでいることに気づいた。瞬きをしたら水が溢れた。ぼと、と木製の床に落ちて染みになる。

「痛むのか」

そう聞かれても、もう痛いのか熱いのか眠いのか分からなかった。わからないと首を振ると、そのおにいさんが溜息をついた。

「来い」
「……?」
「だあ、もう」

黒い髪をぐしゃりと手で乱してから、おにいさんがおれに近づいた。白い手がおれの頭に乗ったかと思えば、ぽすりと骨張った肩に身体を預けるように持たせかけられた。

「……おぶったとき、嬉しそうにしてたろ」

おれは嬉しかったのか。そっか。そうなんだ。だからおれ、また胸の奥がむずむずしているんだね。目から止めどなく水が落ちていく。それがおにいさんの肩口を濡らしても、彼は何も言わなかった。少し乱暴で不器用な手つきで頭を撫でられる。
何も言わないけれど、静かな空間の中で身を寄せ合っているだけでほわりと胸の辺りが温かくなった。

「……おにいさん、やさしい、ね」
「…その。おにいさんっての、やめろ。俺はユンギだ」
「ゆんぎ…、さん?」

肩口に顔を埋めているからユンギさんの表情は分からなかったけれど、微かにふ、と吐息が漏れる音がしたから、笑ったのかもしれなかった。そうだといい。そう思いながらおれは、歳上の白くて細い男の人に身を擦り寄せ痛みと眠気にじりじりとなぶられながら、寝たり起きたりを繰り返していた。



02:合流



「ねえ、他の人はどこに行っちゃったんですか?」

ぱちぱちと火花が立つ。火を起こして暖を取り始めたユンギさんにそう訊ねると、短く「はぐれた」と答えが返ってきた。

「お前の手当をしようとして列を外れたらいつの間にか人が居なくなってた」

お荷物だと思われたのかもしれないな。そうぽつりとユンギさんが言った。でもユンギさんはまだ戦えるのに。おれのせいで、はぐれてしまったのか。それならおれのことなんて捨て置けばよかったのに。

「生きてる奴を置いていくなんて最低だろ」

おれが声に出して言う前に、ユンギさんが呟いた。

「お前は歩けないけど、生きてるだろ。待ってる家族もいる。こんなところで野垂れ死にするのは撃たれて死ぬよりずっときつい」
「おれに家族なんていないよ」

頭で考えるより先に、ユンギさんの言葉を遮るように、気づいたらそう言っていた。折角気遣ってくれたのに。おれはいつもそうだ。事実を言えばいいということじゃないと怒られたことだってあるのに、人の気持ちを考える前にぽろりと言い捨ててしまう。またやってしまったと思って俯くと、「悪かった」と低い声が謝った。

「悪かったよ、でも待ってる人がいなくても、生きなくちゃいけないんだ」

ユンギさんがおれに真っ直ぐな目を向ける。どうして、と思う。今まで生きてきていいことなんてなかった。優しい大人なんてほんの一握りだった。でも、ユンギさんがそう言うなら。

「……ありがとう、ございます。助けてくれて」

ユンギさんは何も言わなかった。その代わりにぽんと頭を撫でられて、よく分からないまま、おれは少しだけ泣いた。


おれたちがいるのは敵国の領地だ。正確な位置は分からないが母国から果てしなく離れていることは確実だ。負傷した脚を引きずって帰ることは不可能だった。だからと言って、ろくな食糧もないまま山小屋に居続けることもできない。ユンギさんがいつまでここにいるつもりかは分からないが、とにかく早くユンギさんは自軍と合流すべきなのだ。おれのことはいい。おれはもうどうせ戦えない。ユンギさんをいつまでも巻き込んだままではいけない。そう話すと、ユンギさんは苦々しい顔で「分かってるよ」と言った。

「このままじゃどっちみち二人で飢え死にするだけだ。幸い次の作戦の決行地点を俺は把握してるから、そこまで行けば合流はできる」
「じゃあ……」
「お前も連れていく」
「……、」
「今更置いていってお前だけ死んだら助けた意味がないだろ。連れて行って、何とか作戦に参加できるように掛け合うから」

俺は知ってんだよ、お前が銃撃戦に長けてること。

おれは目を見開いた。作戦の内容や場所を把握しているということはそれなりに兵士としての地位が上なのかもしれないと思った。ということは多少下っ端の兵士のことを知っていても不思議ではないが、まさか兵士の中でも最底辺の子ども兵の、特技まで知っているなんて。

「……なんで知ってる、んですか」
「気づいたらお前がいたんだ、何度も、俺の視界の中に。腕が良いなと思ってた。お前なら遠距離の攻撃でも練習すれば使えると認められるはずだから、実践で腕を磨いて自分の価値を証明するんだ。ただの弱い奴で終わるな」

ユンギさんはきっと誇り高い兵士なのだろう。冷静で視野が広くて、そして優しい。こういう人が上層部にたくさんいれば、戦争なんて起こらないんじゃないかな。おれはばかだから、よくわからないけれど。

明け方になると、ユンギさんはおれを連れて山小屋を出た。体力があるうちに合流地点を目指す、と言葉少なに今後の計画を伝えられる。おれは満足に脚を動かせないので、ユンギさんに背負われながら移動した。堪らなく申し訳なくて何度も置いていってほしいと言ったのに、それだけは聞き入れてもらえなかった。
お荷物なのは間違いなくおれなのだ。いっそのことあなたがおれを殺してくれたらいい。そう零したら、今まで物静かだったユンギさんはおれを殴らんばかりの勢いで怒鳴りつけた。「二度とそんなことを言うな。俺は人殺しになりたくてお前を助けたんじゃない。俺は助けられる命を捨て置くほど鬼畜じゃない。自分が生きるためにお前を殺すなんて惨めな真似をするくらいなら、俺はここで腹をかっ捌いて死ぬ」と。それはまるで自分に言い聞かせているようにも聞こえた。極限の状況に置かれても、理性という糸で繋ぎ止められたユンギさんの精神は強靭だった。おれはそんなユンギさんの誇りを傷つけたのだと漸く理解して、「ごめんなさい」と小さく震えながら謝った。わかればいい、とユンギさんはすぐに許してくれたけれど、目を合わせてくれない。おれはぎゅう、とユンギさんの背中に力強く抱き着いた。こんなとき、どんな言葉を掛けたらいいのかおれにはわからない。でも、もうユンギさんを傷つけたくない。ごめんなさい。汗ばんだ首筋におでこを擦りつけながら繰り返すと、「もういいから。黙ってろ」と言われてしまった。

「ユンギ…、さ、」
「ああ、もう。泣くなよ。もう怒ってない。喋ったら体力を消耗するから黙ってろって言っただけだ」
「ほん、と?」
「ああ」

ユンギさんは優しい。どうして何の価値もないおれに優しくするのだろう。聞いても返ってくることがなさそうな質問。宙ぶらりんになっていく。よくわからない感情たち。もしいつか願いが叶うなら、学校に行きたいな。そしてたくさん、言葉を学びたい。そしてユンギさんに伝えたい。そうしたらいつも仏頂面のあなたは笑ってくれるのかな。

「……ユンギさん」
「なんだよ」
「ヒョン、て呼んじゃ、だめですか?」
「……勝手にしろ」

おれにとっては素敵なおにいさんだから。そう思って提案すれば、ユンギヒョンはぶっきらぼうにそう返事をした。ふわりと胸の奥が温かくなるのを感じながら、「ひょん、ユンギヒョン」と何度も呼んだ。


何度目かの夜を明かした時、兵士の基地を見つけることができた。あちらから敵と見なされる前にとユンギヒョンはおれを物陰に隠してから基地へ向かった。消息不明扱いだったユンギヒョンが奇跡的に帰還したと兵士たちは湧き立っていた。それからおれを連れて、ユンギヒョンは更に上の地位の面々に「こいつを使わせてもらう」と説明し始めた。

「ただの怪我をした元兵士だろう。何故捨て置かない?」
「こいつの利用価値はこの腕にあります。脚が使えなくても遠距離攻撃に長けているから、物陰に隠れれば奇襲作戦も決行できる。こいつほどの腕の人間は中々いないから、これからの作戦で有効活用していきたいと考えています」
「遠距離攻撃に長けた人間など他にもいる」
「先の作戦で遠距離の狙撃部隊の配置が敵に割れて殆ど全滅した筈です。新たに編成する必要がありますが、そこにこいつを入れたいというだけです」
「脚の使えない人間は邪魔になる」
「今は少しでも使える人材はとことん使うべきです。それにこいつはまだ子どもだから、脚が治る可能性もある。狙撃は腕と頭さえあればやれる。他の手助けが必要なら俺がやります」

ユンギヒョンはすらすらと臆することなく言葉を並べていく。そんな利用価値があるのか俺自身は甚だ疑問だったが、とにかく敵国のど真ん中で置いていかれては死ぬしかなくなってしまうので、ユンギヒョンの提案を隣で黙って聞いていた。母国へ帰るには、勝つしかない。それほどおれは母国に愛国精神は持っていないものの、ユンギヒョンは戦争に勝って母国へ帰還したいようだったから、自然とおれの目標も「戦争に勝つこと」になった。ユンギヒョンが言うなら。ユンギヒョンがおれを使いたいと言うなら。ユンギヒョンがおれに生きろというなら。だっておれを生かしたのはユンギヒョンだから。まるで生まれて初めて見たものを母親だと認識する小鳥のように、おれはユンギヒョンの後をついて回るようになった。

ユンギヒョンの犬だと言われたけれど、それでもいい。脚が使えないおれなんて、本当なら犬以下なのだから。怪我が治る見通しも立たないおれを律儀に使おうとするユンギヒョンのためなら、盾にだってなれる。だから、何とでも言えばいい。おれはユンギヒョン以外の人間の言葉を聞き入れようとはしなかった。


03:狙撃


松葉杖をつきながら移動し、ユンギヒョンと射撃の練習をする。ユンギヒョンに着いて行けるように次の作戦の概要を教えてもらいながら、戦いの基礎を学んだ。今までがむしゃらに動いていたから、初めて頭を使って戦うかも、と言えば、ユンギヒョンは「今までよく死ななかったな」と呆れた顔をした。

「まず地図を見ろ。次の戦地がどこになるかは正確には分からないが、大まかに相手方が潜伏する場所はこっちに割れてんだ。森を抜けた先に拓けた場所があって、そこに遺跡やらごろごろある。多分その辺りが次の戦場になる」

がさりと広げられた地図には細かく書き込みがされてあって、部隊の配置や動き方まで詳細に示されている。今まで子どもしかいない部隊には細かい指示は出されずとにかく殺せ、味方と敵を混合するなとしか言われなかったので、実はこうして作戦が練られていたということが驚きだった。それだけ子どもの兵士は期待なんてされていない。最初から捨て駒なのだ。それはそうだろう。おれを含めた子どもたちは今まで戦闘経験など皆無で、銃を持たせられただけの人間だ。別に憤りはないが、そんなことのために命をかけることはやはり馬鹿馬鹿しいと思えても仕方がないことだと思った。

おれは今までの部隊から狙撃部隊に組み込まれることになり、動き方を地図上で簡単に説明してもらった。ユンギヒョンは最前線の部隊なのだと言った。

「おれも……ユンギヒョンと同じ部隊がいい」
「お前は走れないだろ。怪我が治ってから言うんだな」

俯くおれにユンギヒョンはぽんと頭を手に置いた。おれによくやる仕草。ユンギヒョンはいつも他の人と話すときは険しい顔をしているけれど、おれと話すときは少しだけ表情が柔らかくなる。それが好きだった。
おれはユンギヒョンのために戦いたい。だから早くこの脚を治さなくてはいけない。合流してから撃たれた脚はきちんと医療担当の人に手当をしてもらったけれど、使えるようになるまではまだ時間がかかりそうだった。いっそのこと、痛みなんて感じなければよかったのに。


「こんなガキが使えるわけないでしょう」

狙撃部隊のリーダーのところへユンギヒョンに連れられて行けば、開口一番にリーダーの男はそう言った。

「ユンギヒョンはたまに無茶を言いますね」

体格のいい男は細い目を更に剣呑に細めながらおれを見下ろした。ユンギヒョン、というおれと同じ呼び方。親しいのだろうか、と思えばユンギヒョンは「無茶でもなんでもない」とすぐに切り返した。

「こいつの狙撃の腕を見ればいい。そうすれば分かる。それに、狙撃部隊には人員が必要なはずだろう?ナムジュナ」

ぐ、とナムジュナと呼ばれた男が唇を噛んだ。それから「では見せてください。脚が使えないことを補って余りあるだけの腕がなければ認められません」と言ったのだった。

やってみろ、とぽいと銃を渡されて、おれは構えるしかなかった。おれは目と耳がいい。それだけが救いだった。夜闇に紛れ始めた木々の犇めきの中に、たまに鳥が飛び立つ音がする。鳥を撃ってみろとユンギヒョンに指示されて、おれは黙って目を凝らした。
音がする。微かなものだ。覗き込んだスコープの中で葉が跳ねる。その隙間から生き物が動くのが見える。羽を広げて飛び立とうとする、細かな動き。真っ直ぐに銃口をその先へ定めた。細い首、大きな羽。できれば生き物なんて殺したくないのだけれど、と思っていれば、その鳥のすぐ下に木の実がなっているのが見えた。

「……ユンギヒョン。おれ、鳥は殺したくない」
「あ?でも他に撃つもんないだろ」
「木の実。小さな木の実があるんです。それじゃあ、だめですか」
「木の実じゃ狙って落ちたかどうか小さすぎてわからないだろ」
「おれは分かります。目がいいから……ちゃんと撃ったら落としたものを拾ってきます」
「……やってみろ」

渋々頷いたヒョンに、おれは今度こそスコープを覗き込んで狙いを定め、引き金に指を掛けた。耳を劈く発砲音は何度やっても慣れないが、見兼ねたユンギヒョンが耳栓をくれたので前ほどではなかった。視線の先、スコープの中でぽとりと落ちた木の実。おれはひょこりと片足で立って、そちらの方向へ行こうとした。早く木の実を拾わなきゃ、ということだけが頭を占めていた。

「おい」
「あ、!?」

だから突然ぐいと腕を引かれて、おれは驚いて体勢を崩した。危なげなくユンギヒョンの胸元に倒れ込み、打った鼻をさすれば「それじゃ完全に日が暮れる」と言ったヒョンが、そのままおれを持ち上げた。

「ふあ!?」
「何回驚くんだ、お前。俺が抱えて行った方が早いだろうが」

呆れた声と一緒にぱしんと軽くお尻をはたかれた。おれは米俵よろしく運ばれ、「そこら辺にあります」と木の実が落ちている場所に行くまで降ろしてもらえなかった。

「お、これか」

やがてユンギヒョンがしゃがみこみ、木の実を拾う。おれにも見せられたそれは見事に穴が貫通していた。木の実の大きさは五センチ程度で、動くものではないとはいえ距離は充分だったし、的は人間と比べれば大分小さい。ナムジュンさんに見せれば「はあ、確かにすごい」と感嘆の声を洩らした。

「見ての通り大分離れた位置からこの狙撃だ。しかも一撃。対象物は生き物ではなかったが、これなら鳥でも人間でも狂いなく撃てる」
「こいつはきちんと人間も撃てるんですか?」

ナムジュンさんがおれを見下ろす。おれは確かに殺しは苦手だし、できれば殺したくなんてないけれど、ここまで来るのにほどほどに人を撃ってきた。だから問題ないはずです、とぼそぼそ言うと、ナムジュンさんはそうか、とひとつ頷いた。

「明日からの作戦会議に参加させてみましょうか」と言った。ユンギヒョンがそうだな、と相槌を打ったので、それで話は終わった。









あなたにもらったものは、あいしてるという言葉と骨張った手のあたたかさだった。



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