忠犬彼氏と飼い主彼女 | ナノ
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この世界に二人きり


ここ数日の竹谷の生活は目まぐるしかった。
一昨日は手甲鉤の実技試験があり、昨日は虫獣遁の術の授業で使用する虫を捕まえるため遅くまで裏山にいて、今日は座学の試験があった。
しかも僅かに空いた時間で生物委員会の虫や動物の世話をしたり自分の試験勉強をしたりと、とにかく休む間も眠る間もなく動いていた。
そんな竹谷がようやく一息つけたのは、座学試験が終わった日の昼下がりだった。

「…ふう…」

飼育小屋の前に置かれている長椅子に座っていた竹谷は無意識のうちに息を吐いた。

「…ハチ、やっぱり疲れてるんじゃない?」

そんな竹谷の様子に気付き、申し訳なさそうに声をかけるのは泉美だ。
先程から並んで座り談笑をしていたのだが、竹谷が時折見せる疲れた表情を泉美が見逃すはずがなかった。

「最近ずっと忙しそうにしてたし…お昼の時も眠そうに見えたよ。大丈夫?」
「えっ!?す、すみません、大丈夫です!俺は疲れてもないですし眠くもないですよ!」

眉を下げてしまっている泉美を見て、竹谷は慌てて首を振った。
無理に笑顔を作って泉美に向ける。
本音を言えば相当疲れていたし、寝ようと思えば今すぐ寝られるくらい眠気もある。
だが今は泉美と一緒に居たいという竹谷の我儘でこうして話しているのだ。
自分からねだった手前、疲れや眠気を見せては失礼だと思い、竹谷は強がって笑っていた。
しかし当然、その強がりも泉美には見透かされていたわけで。

「ハチには無理して欲しくないよ。疲れたなら疲れたって言ってくれた方が私は嬉しいよ?」
「…泉美先輩…」

居住まいを正して泉美は竹谷を真正面に見据えて言った。
その優しい口調に、竹谷は不意に顔をふにゃりと崩した。

「…すみません。その…本当は少し疲れて…いや、かなり疲れました」

素直に認め弱々しく笑んだ竹谷に、泉美は「そっか」と頷く。

「本当にお疲れ様。今日これからは予定は無いんだったよね。なら無理しないで、もう長屋で休んだ方がいいんじゃない?」
「えっ」

と、泉美が提案した途端に竹谷は目を大きく見開いた。
そしてぶるぶると、今度は大袈裟なほどに首を横に振る。

「だ、大丈夫です、長屋には戻らなくても!」
「でも、かなり疲れてるなら…」
「本っ当に、大丈夫です!」

泉美の言葉を遮るようにして竹谷は繰り返す。

「俺は泉美先輩と居れば休めるんです、泉美先輩と一緒に居たいんです!」
「…ハチ」
「あっ…で、でも、泉美先輩が早く部屋に帰りたいと思うなら…俺も戻ります、けど…」

しゅん、と叱られた犬のように竹谷は身を小さくさせた。
自分がまた我儘を言っていると気付いたからだ。
あまり我儘ばかりをぶつけてしまうと、呆れられ、そのうち愛想を尽かされてしまうのではないか…という不安、恐怖が過ぎったのだ。
しかし思考に反して体は正直で、竹谷の手は泉美の手に触れ、そっと握る。
泉美はその手に視線を落とした。
握られた手からは、もっと一緒に居たい、部屋には行かないで欲しい、という竹谷の切実な訴えが伝わってくるようだった。
泉美が再び視線を上げると、不安そうに答えを待っている竹谷と目が合う。
…そんな目を向けられてしまっては、竹谷に甘い泉美がダメと言えるわけがない。

「ううん。私もハチと一緒に居たいよ」
「!」

泉美が微笑めば竹谷はぱあっと分かりやすく破顔する。
一方的に握っていた泉美の手指に自分の指を絡ませた。

「良かったぁ。じゃあ決まりですねっ」

弾んだ声でそう言うと、竹谷は泉美の手を握りしめ、擦り寄ってその肩口に頭を預ける。
幼子のように甘えてくる竹谷に、泉美の笑顔はより一層の優しいものになる。

「お疲れ様」

泉美の優しい声を間近で聞けば、竹谷はひとりでは味わうことの出来ない安らぎで身も心も満たされていく。
ありがとうございます、と答え、その居心地の良さを噛み締めるようにそっと目を閉じた。


「…あれ?」

それから暫くとりとめのない会話を続けていたのだが、ふと竹谷からの返事が途絶えたことに泉美は気付いた。

「…ハチ?」

そう呼び掛けると、返事の代わりにすうすうという静かな寝息が聞こえてきた。
もたれかかってきている竹谷の頭が重くなったように感じ、眠りについたのだと分かった。
それでも手はしっかりと繋がれたままで、泉美はくすっと笑みを浮かべる。
今ここには泉美と竹谷、2人きりだった。
飼育小屋の動物達も竹谷と同じく寝入っているようで、辺りは静か。
昼下がりということで校庭で遊んでいるのであろう下級生の声が僅かに聞こえてくるだけだ。

「…おやすみ、ハチ」

竹谷を起こさないように泉美は小さく言った。
その声が夢の中でも聞こえたのか、竹谷の口元がやんわりと緩んだ。





擽ったいような、それでいて心地の良いような…そんな感覚で竹谷はゆっくりと眠りから引き上げられた。

「……ん…」

薄らと開いた視界に入ったのは外の景色だった。
ぼんやりとその風景を眺める。
まだ頭は完全に覚醒はしていないために、なぜ自分がここにいるのか分からなかった。

「…目が覚めた?」
「…うん…?」

竹谷が目元を擦っていると、上から優しい声が降ってきた。
夢現な状態でもそれが泉美の声だと分かり、竹谷は仰向けに体勢を変える。

「…泉美せんぱい…?」

見上げるとそこには微笑む泉美がいた。
その手で優しく竹谷の頭を撫でている。
微睡みの中で感じた擽ったさや心地良さは、どうやらこうして泉美が膝枕をしながら頭を撫でてくれていたおかげらしい。
泉美が傍に居ることや頭を撫でてくれていることが分かると、竹谷は条件反射でへらりと顔を緩ませた。

「よく眠れた?」
「えへへ…はい」

そう答え、竹谷は泉美に擦り寄る。
大好きな泉美の匂いをすぐ傍に感じられ、目を閉じてみればその匂いに包まれているように感じる。
そのまま眠りにつけそうな安心感に、竹谷はあぁ幸せだなぁ…としみじみと思うのだった。

「…あれ…?でもどうして俺、こんな所で寝てるんでしたっけ…?」
「ハチ、話してた途中で寝ちゃって。初めは座ってたんだけど、体勢が崩れてきちゃったからこうしたの。ごめんね」
「そうだったんですね。えへへ…謝らないでくださいよぉ、泉美先輩。こうしてもらえて、俺すごく嬉し…」

ふにゃふにゃとだらしない笑顔だった竹谷が、そこで唐突に目を見開いた。
弾かれたように泉美の膝から飛び起きる。
突然のことに泉美は「わっ」と小さく声を上げ、驚いて竹谷を見上げた。

「は、ハチ?どうしたの?」
「す、すみません!あれっ、お、俺、いつの間にか寝てた…!?無理言って泉美先輩を引き止めたのは俺なのに!」

どうやら眠りにつく前のことを思い出したようだ。
いくら泉美の膝枕が眠ってしまうくらい心地良かったとしても、一緒に居たいと無理を言って引き止めたのは自分だ。
我儘を聞いてくれた優しい泉美を放っておいて眠ってしまったなんてと、竹谷は顔を青くさせて何度も頭を下げる。
目は完全に覚めていた。
泉美は目を瞬かせてそれを見ていたが、すぐに笑って竹谷の手に触れた。

「気にしなくていいのに。ほらハチ、座って?」
「で…でも」
「大丈夫だから。ね?」
「う…は、はい…」

泉美に手を取られ、竹谷はおずおずと席に戻る。
そんな竹谷を慰めるように今度は泉美から竹谷の手を握った。

「私はハチと一緒に居たいって思ってたんだから。ハチが寝てても起きてても、一緒に居られるなら私は嬉しいよ」
「泉美先輩…」
「それに…ふふ、ハチの寝てる顔を見ていられたし」
「あ…」

泉美に微笑みを向けられ、恥ずかしそうに竹谷は頬を染める。
しかし直ぐに、

「…じゃあ泉美先輩、ずっと俺のこと見ていてくださったってことですよね!」

と目を輝かせて言ったのだった。
兼ねてより泉美が自分を見てくれる、いや自分だけを見ていてくれることを望んでいる竹谷にとってはこの上なく喜ばしいことなのだ。
そうだね、と泉美が笑って頷けば、竹谷は目だけでなくその顔全体を太陽のように輝かせて笑う。

「…少しは体、休められた?」

その笑顔の眩しさに目を細めつつ、泉美が尋ねる。

「それはもちろん!すっかり疲れは無くなりました!泉美先輩のおかげですよぉ」

言い切る竹谷だが、それは決して誇大な表現ではない。
実際に試験や委員会の仕事の疲れは嘘のように消えていた。
僅かな時間とはいえ眠れたこともそうだが、何より泉美が側に居て自分を見ていてくれたと思うと、疲れなんて元から無かったかのように身も心もすっきりとしていた。

「それなら良かった。でもまだ無理しないでね?」
「はいっ、ありがとうございます!」
「ふふ。…あ、じゃあ…私そろそろ行くところがあるから。ごめんね」
「えっ?」

そう言って泉美が立ち上がり、竹谷から手を離した。
手が離れたことで竹谷は悲しそうに、まるで留守番を言い付けられた飼い犬のように眉を垂れさせたが、それは一瞬のことで、すぐにさっと顔色を悪くさせた。

「泉美先輩、この後ご予定があったんですか!?すみません、俺が一緒に居たいなんて言ったから!」
「あ、ううん。そうじゃないの。予定って言ってもさっき急に決まったことだったから」
「さっき…ですか?」
「ハチがまだ寝ている時に、三治郎君と虎若君が宿題が分からないから教えて欲しいって言いに来てね。本当はハチにお願いしに来てたんだけど、寝ちゃってたから。だからまた時間を置いて、私が教えに行くって約束したの」
「ああ…そうだったんですね。気付かなかったな…」

竹谷は2人が来ていたことに全く気付いていなかった。
忍者のたまごとして気配に気付けないことは褒められてことではないが、それだけ気を緩めて安眠していたのだろう。

「夕飯前までにはって言っておいたから、時間はまだあるの。…それよりごめんね、2人が来たのに起こさなくて…。疲れてるし、気持ち良さそうに寝てたから、起こすのも悪くって…三治郎君も虎若君も、戸惑ってたかも」
「そんなぁ、謝っていただくことなんかないですよ!起きなかった俺が悪いんですし…それに泉美先輩は俺を思って寝かせてくれてたんですから!それに三治郎だって虎若だって、俺より泉美先輩に宿題を教わった方が解りやすいって喜びますよ」
「…うーん…」

竹谷がそう言うも、何故か泉美は弱く苦笑いを浮かべた。

「…と言うよりね、ハチが膝枕されて寝てるところを見られちゃったから…。後輩の子達にそんな姿、見られたくないんじゃないかって思って」

泉美が気に掛けたのはそのことだった。
眠っているところだけならまだしも、幸せそうに膝枕をされて眠る姿を後輩に見られるのは恥ずかしいのではないかと思ったようだ。
だが竹谷は一瞬キョトンとしただけで、直ぐにいつもと変わらない笑顔に戻った。

「ああ、何だそんなこと!それなら全っ然気にしてないですよ!」
「そう?それなら良かったけど…」
「むしろ三治郎達に見られて良かったくらいですもん」
「え?…そうなの?」

泉美が目を瞬かせると、竹谷は「はい!」と力強く頷いた。

「だって俺達の仲が良いところを見せられたってことじゃないですか!」

えへへ、と無邪気に、そして嬉しそうに竹谷は笑う。
仲睦まじいことを知られて恥ずかしがる必要はない、と言わんばかりだ。

「…そっか。そうだよね」

いつでも真っ直ぐに泉美を見て、そして心の底から愛している竹谷の屈託のない笑顔を見ると、泉美の頬も自然と緩む。

「そうだ、泉美先輩、今から三治郎達のところへ行くんですよね?」
「うん」
「なら俺も一緒に行きます!…良いですか?」

元はと言えば竹谷が頼まれていたことなのだから「俺が」と言ってもいいところを「俺も」と言うのは、ただもっと泉美と居たいからだ。
竹谷の申し出に、泉美は優しく笑んだ。

「ふふ。そうしようか」
「!はいっ」

泉美の返事を聞くと、待っていたとばかりに竹谷は勢いよく立ち上がった。
そしてすかさず泉美の手を取り、握った。

「じゃあ、行きましょう!」
「うん」

竹谷は太陽のように明るい笑顔で、泉美は月のように優しい微笑みで。
まるでこの世界には自分達しか居ないとばかりに微笑み合い、歩き出すのだった。



おわり