忠犬彼氏と飼い主彼女 | ナノ
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合わせる顔もないほど自分が愚かしくて


朝。
竹谷は頭にくる鈍痛で目を覚ました。

「いっ…てぇ」

のろのろと体を起こすがそんな少しの動きでも頭が痛む。
ずきんとする頭に喉の乾き。分かりやすい二日酔いの症状だ。

「(あれ…昨日俺、飲んだんだっけ…?)」

二日酔いの症状が出ているのだ。飲んだことは確かである。
だが記憶は曖昧で、誰と、どのくらい酒を飲んだのか思い出せない。
ふと自分の格好を見てみると、上衣を脱いでいて帯は無く、半端に袴が脱げかけている。
酔って部屋に戻り、着替える途中で寝てしまったのか…と竹谷は考えた。

「あー……水…」

呻くように呟いて、ぞんざいに頭を掻いた。
ゆっくりしたいのが本音だが、今日も授業がある。
のんびりしている暇はなさそうだ。
とりあえず水を飲んで顔を洗わなければならない。
脱げかけていた袴を帯で縛り、上衣を羽織るだけ羽織った。
だらしがない格好だが、今は身だしなみを気にする余裕はない。
と、竹谷が立ち上がろうとした時ふいに部屋の扉が開かれた。

「あ、ハチ。目が覚めた?」
「へっ?…泉美先輩?」

そこには泉美が立っていた。

「おはようございます」
「ん、おはよう」

体調はすこぶる悪かったが、泉美が目の前にいるだけで嘘のように気分が良くなる気がした。
顰めていた顔を緩め笑顔を浮かべたが…はっと自分の格好を思い出して、急いで上衣の前をとじる。

「す、すみません、こんな格好で…!」
「ううん、大丈夫だよ。それより、どう?体調は。…やっぱり少し二日酔いがありそうだね。お水持ってきたから、良かったら飲んで」

泉美は竹谷の前に屈んでその顔色を伺う。
そして持って来ていた湯呑みを机に置いた。

「ありがとうございます。…って、え?」

礼を言う竹谷はそこで疑問を持つ。

「やっぱり、って…泉美先輩、どうして俺が二日酔いって分かるんですか?」
「え?」

次は泉美が目をぱちくりさせる番だった。
けれど直ぐに笑みを浮かべる。

「昨日、忍たまの五、六年で酒盛りをしたって聞いたからね。もしかしたらって思ったの」
「そうだったんですね。さすが泉美先輩だ」

竹谷が心底感心して言うが、泉美はそんなことないよ、と笑って返した。

「あと、二日酔いにはお味噌汁や生姜がいいって聞くから今日の朝食に加えてもらえるか食堂のおばちゃんに聞いてみるね」
「あ、ありがとうございます、泉美先輩。何から何まで」
「気にしないで。先に食堂に行ってるから、ハチは楽になってから来てね」

微笑みを浮かべて泉美は立ち上がった。
さらり、と柔らかい泉美の髪が揺れる。
何気なくそれを見ていた竹谷だったが…突如目を大きく見開いた。

「泉美先輩!」

声を上げた竹谷は泉美の腕を取る。
つんと腕を引かれ足を止めることになった泉美は首を傾げ、「なに?」と竹谷を見やった。

「そ、それ、どうされたんですか?」
「どれ?」
「首の…!」

初めは髪で隠れていて気付かなかったが、泉美の首元には点々と痕がついていた。
傷なのだろうか、そこだけ血色が良くない。
泉美の肌はただでさえ色白だ。傷のついた首はひどく痛々しく見えた。

「ああ…ううん、何でもないよ」

泉美は隠すように手のひらで首を覆った。
何でもないと言われるが、竹谷は気が気でない。
腕を掴んだまま泉美を見詰めた。

「何も無いのにそんな傷は付きませんよ!し、しかもそれ、噛み痕じゃ…!?何があったんですか!?」
「本当になんでもないから。気にしないで」
「気になりますよ!」

泉美は訳を話そうとしない。
傷の心配に加え、理由を教えてくれないことに竹谷は心苦しさを感じた。
既に二日酔いなどどこかへ飛んでいっている。
今は…いや、いつものことだが、竹谷の頭の中は泉美のことしか無い。二日酔いなど二の次だ。

「誰に、何をされたんですか!?泉美先輩を傷付けるなんて許されない…!教えてください、誰であろうと俺が今すぐ八つ裂きにして来ますからっ!!」

泉美の両肩を掴んで鼻息も荒く言う。
その目は冗談を言っているようには見えない。竹谷ならば本当に八つ裂きにしかねないだろう。
竹谷の性格を分かっている泉美はただ苦笑うだけで、言い淀んでいた。

「うーん、でもね…」
「言い難い相手なんですか!?大丈夫です、相手が先輩だろうと先生だろうと、例え学園長先生であろうと八つ裂きにしますよ!?任せてください!!」

何が大丈夫なのか、よく分からない言葉を竹谷は豪語する。

「…それだと、ハチは自分を八つ裂きにすることになっちゃうから…」
「え?俺を?なん…で、…えっ?」

一瞬きょとんとした竹谷だが、意味を理解した途端その顔色がさあ、と悪くなった。

「…ま、まさか…その傷…」

震える手を泉美の肩から離す。
泉美は苦笑して肩を竦めてみせた。

「…ん、覚えてないと思うけど、ハチ昨日かなり酔っちゃっててね。そのせいだと思う」
「…!」
「でも大丈夫だよ。もう痛くもないし、直ぐに治ると思うしね」

あまりのショックに言葉すら出てこない竹谷を気遣い、泉美は笑いかける。
だが竹谷は到底気にしないなんて出来なかった。
竹谷は真っ白に近い顔色で視線を揺らす。

「じゃあ、私は先に食堂に行ってるね」

真正面から竹谷を見詰めて、にっこり優しく微笑んだ。
泉美が竹谷に対して嘘をつくことは無い。
大丈夫と言うのも本心なのだろうが、今の竹谷にそこまで考える余裕などなかった。
部屋を出ていく泉美を呆然と見送る。
最後まで竹谷は頷くことも笑い返すことも出来なかった。



「…失礼します…」

同日の昼下がり。
医務室の扉を開けて、竹谷は部屋の中に入っていった。
部屋の中には医務室当番の善法寺がいた。
竹谷に気付き、顔を上げる。

「竹谷。…どうした?」

善法寺は心配そうに声を掛けた。
心配になるのも無理はない。
竹谷の顔色は良くなかった。
青白い顔に生気のない目。足に力が入っていないのかふらふらとしている。
弱々しい足取りで、善法寺の前にぺたんと力なく座った。

「…薬が欲しいんです…」
「薬?分かった。かなり体調が良くなさそうだね。どこか痛い所はある?」

善法寺は薬の入った箱を取りに立ち上がる。
だが竹谷は弱く首を振った。

「俺は大丈夫です……欲しいのは、傷薬で」
「傷薬?」
「…………はい…噛まれた跡を治したくて…」
「咬まれた!?」

善法寺は目を見開いた。
竹谷は生物委員会委員長代理だ。
咬まれたとなるとなにか動物か、はたまた虫か…と思うのは至極当然である。
生物委員会にはかなりの数の毒虫がいるため、もしそれらに噛まれたとしたら早急の対処が必要だ。
気を引き締めた善法寺は頷いた。

「直ぐに薬を準備する。何に咬まれたんだ?虫か?それとも動物?」

咬んだものにより毒の種類は変わり、毒の種類に応じて解毒薬も変わる。
何に咬まれたかはとても重要なことなのだ。
善法寺は逼迫した表情で聞くが、一方の竹谷は慌てる様子はない。
慌ててはいないが…その顔色はさっきよりも悪くなっていた。

「……動物…」
「動物だね」
「………というか、人間、と言いますか……」
「…え?」

思いもよらない言葉に善法寺はぴたりと動きを止めた。
ニンゲン?と、竹谷に聞き返す。
竹谷はだらりと頭を垂らし、今にも消えてしまいそうな声で続けてゆく。

「…人間というか……俺が噛んだというか…噛んでしまった、というか…」
「…え?噛ん……えっ?竹谷が?…それは一体…」

どういうこと、と善法寺は問おうとしたのだが…出来なかった。
問うより先に竹谷が床に伏せったからだ。
伏せたというより、崩れ落ちた。
「竹谷!?」と善法寺が慌てて駆け寄る。
竹谷からは苦しそうな呻き声が漏れ出した。

「う、う…ううぅ」
「どうした!?やっぱり竹谷もどこか調子が悪いんじゃ…!」
「い、いざぐ、ぜんぱぁぁい」

竹谷を助け起こした善法寺は、ギョッと目を剥く。
顔を上げた竹谷の両目からは大粒の涙が溢れていた。
その勢いは半端ではない。ぼろぼろ、ぼろぼろと、とめどなく流れている。
それは善法寺に哀れむ気持ちや慰める気持ちを起こさせないほどの凄まじさだった。

「お、俺ぇ、泉美せん、ぱいにっ…きら、嫌われた、かもしれませんんんん」
「…えっ?泉美に?」
「ど、どっ、どう、しましょううぅ」
「どうしましょうって…」

竹谷からは僅かなヒントしか与えられないにも関わらず、善法寺はここでぴんときたようだ。
噛んでしまったという言葉と、泉美に嫌われたかもしれないという言葉、そしてこの竹谷の取り乱し様。

「…つまり…竹谷に噛まれて怪我をしたのは泉美ってこと?」

善法寺が聞くと、竹谷は返答する代わりに大きく鼻を啜って頷いた。

「…どうしてそんな事…。竹谷がどれだけ泉美を好きかは知っているけど、さすがにそれはやり過ぎじゃ…」

その言葉を聞いた竹谷はバッと頭を上げて目を見開く。

「ちっ、違いますよ!?いや、好きなのは違わないですけど…!あ、あの時は酷く酒に酔っていて…!」
「酒に…って、ああ、昨日の…」

善法寺は昨日、五、六年生の一部で飲み会があったことは知ったいた。
委員会の仕事があったので断ったのだが、今朝食満から、七松が一方的に五年の誰かと酒の強さを競ったという話は聞かされていた。
どうやらその相手が竹谷だったようだ。
そしてその酔った勢いで、泉美を噛む…という暴挙をしてしまったらしい。

「で、でも、酔っていたからって、泉美先輩を、きず、傷付けて良い訳がないんです…!こ、こんな最低な俺なんか、絶対先輩に嫌われる…!呆れられて、引かれて、それで嫌われて…嫌われ…っ…うわああああ!」

再び床に伏して、今度は声を上げてわあわあ泣き始めた竹谷。
1人で自分を否定し、1人で話を進め、どつぼにはまってしまっている。悪循環極まりない。

「お、落ち着いて。まだ嫌われたって決まった訳じゃないんだろ?僕には泉美が竹谷を嫌いになるなんて思えないよ」

善法寺は竹谷を宥めるために言ったのだが、それは決して出任せではなく実際にそう思っていた。
泉美はいつもおおらかで滅多に怒らない。
それもあるが、泉美はいつも竹谷に甘かった。
竹谷が噛むという所業をしたとは言え、嫌うなんて思えない。
その言葉を聞いた竹谷は、ぐしゃぐしゃの顔で見上げた。今は涙に加えて鼻水も溢れている。

「そ…そう…でしょうか…」
「そうだよ。第一、嫌いだなんて言われてないんだろ?」
「それは…そう、ですけど…」

見兼ねた善法寺は棚から手拭を出して竹谷に渡した。
竹谷は軽く頭を下げて受け取るが、拭うこともせずただ両手でぎゅう、と握りしめている。
竹谷も心の奥では泉美が嫌うほど怒らないと分かってはいるのだろうが、「泉美を傷付けた」という事実が重く重くのしかかっていた。
善法寺は薬箱から軟膏を取り出し、これも竹谷に渡す。

「これが傷薬。泉美に渡してあげて」
「…ありがとうございます…」
「これを持って行ってもう1回謝れば、泉美だったら快く許してくれると思うよ」
「…はい……もう1回、謝………あっ」

善法寺の言葉を聞いた竹谷の顔がまた青ざめた。

「どうした?…え?まさか…」
「…あ、謝、ってない…です…」

蒼白な顔を見た善法寺は「それは…」と言葉を失ってしまった。
竹谷は泉美の傷を見付け、それが自分がつけたものだと知っても謝っていなかった。ショックが強過ぎて口も聞けなかったのだ。

「どどど、どうしましょう…!?」
「どうするもこうするも…う、うーん…謝られないなんてさすがの泉美も…」
「っ!!」
「うわっ!?ご、ごめん嘘嘘!冗談だから!」

ぶわっとまた涙を溢れさせた竹谷に、善法寺は慌てて謝った。

「…涙も鼻水も拭いて。泣いているだけじゃ何も変わらないよ」
「う、うぅ…」

ただ竹谷に握り締められていただけの手拭を取り、その顔を拭ってやる。
そんな善法寺の姿は手のかかる弟にしてやる兄そのものだ。
善法寺と一つしか年は違わないのに、今の竹谷は小さな子どもと変わりない。
拭ってもらい幾分か顔はマシになったが、それでもまだめそめそとしていた。

「…謝れてないなら、今から行けばいいよ」
「でっ…でもぉ…泉美先輩に会っても、もう嫌われてたら…!め、目の前で嫌いなんて言われたらぁ、俺、おれえぇ、その場で木っ端微塵になって粉塵と化す自信がありますうぅ」
「そ、そんな負の自信はいらないよ。…今ならくの一教室も授業は無いはずだから、泉美と会って話せるんじゃないか?顔洗って、会ってきたら良いよ」

そう善法寺が勧めた。
竹谷の顔では涙と鼻水が混ざり、そして目の周りは泣き腫らしてしまっている。とてもではないが恋仲の相手に見せるような顔ではない。
泣き顔なんて何度も泉美に見せているが、今回はことさら酷かった。

「でも…」
「でも、じゃないよ。そんな考えばっかりだと良くなるはずの関係も悪くなってしまうよ」
「そ、それはっ…」

いつまでも踏ん切りが付かない竹谷に、温和な善法寺も語気を強めた。

「本当に嫌われたらどうするんだ?」
「!そ、それは嫌です!絶対に!」
「だろ。後悔しても嫌われた後じゃ何もかも遅いんだ。だったら行動できる今のうちに謝りに行くべきじゃないか?」
「…」

諭された竹谷はしばらく黙って視線を揺らしていた。
その様子を何も言わずに善法寺は見守る。
しばらくの間の後、竹谷はぎゅっと目を瞑り、一呼吸をしてから顔を上げた。

「………分かりました。会いに行って、謝ってきます」

そう言った竹谷の顔はまだ涙で濡れていたが、目はもう塞ぎ込んでいなかった。
それを見た善法寺は胸をなで下ろし笑顔を向ける。

「…うん。行っておいで」



それから竹谷は善法寺に背を押されるようにして泉美の元に向かった。
竹谷は泉美に呼ばれたらどこからでも駆け付ける特性を持っていたが、それがいつの間にか泉美がいる場所が自然と分かる、という能力に向上していた。
泉美を見付けるには時間はかからなかった。
今、その泉美は中庭を歩いている。
くの一教室の後輩達と一緒だ。
しかし竹谷は直ぐに駆け寄ることはせずに様子をこっそりと物陰から伺っていた。
いつもと変わらない泉美の笑顔を見て竹谷は内心安堵していたが、その首を見てぎくりとした。
見慣れないスカーフが巻かれている。恐らく噛み痕を隠すためだろう。

「……」

竹谷の表情が曇った。
その茜色のスカーフは何の変哲もないお洒落に見える。
実際泉美によく似合っていた。
だが竹谷には、自分が仕出かした失態を見せ付けられている気がするのだ。
せっかく善法寺が元気づけたというのに再びしゅんと萎れていく。
…と、ため息をついていた竹谷が顔を上げると、いつの間にか泉美の姿がなくなっていた。
そこにいるのは後輩のくのたま数名だけだ。

「(えっ?…あ、あれ?)」

竹谷は驚いて辺りを見渡す。

「(泉美先輩…どこに)」
「ハチ、何してるの?」
「うっわああ!?」

背後から声を掛けられ竹谷はつい大声を上げた。
慌てて振り向くと、そこには竹谷程ではないが目を真ん丸くさせた泉美が立っていた。

「えっ、あ…?泉美先輩っ…?」
「ご、ごめんね、ちょっと驚かそうとしたんだけど…まさかそんなに驚くなんて思わなくて」
「い、いえ、気付かなかった俺が悪いんです……あの!それよりっ」

竹谷は急いで懐から入れ物を取り出す。
善法寺から受け取った傷薬だ。
両手で泉美の前に突き出した。

「…これは?」

急なことに一瞬驚いて、泉美は竹谷を見上げる。

「き、傷薬です!さっき医務室で貰ってきたんです」
「傷薬って…もしかしてこれの?」

泉美は自分の首元に触れた。
竹谷は何度も頷く。

「そんな、気にしてくれなくて良かったのに。…でも、わざわざありがとう。使わせてもらうね」

泉美は眉を下げつつ微笑んだ。そして薬を受け取った。
泉美の手に渡ったことを見て、竹谷は口を引き結び「あとっ!」と大きくする。

「ん?なに?」
「泉美先輩っ…さ、昨晩は、本当に…すみませんでしたぁっ!!」

竹谷は渾身の力で謝罪を口にした。土下座をしながら。
地に両手をつき、深く深く頭を下げる。

「えっ?ちょ、ちょっと、ハチ?」

竹谷の行動には、さすがに普段から落ち着いている泉美も唖然としてしまっていた。
そんな泉美の気も知らず、竹谷は地面に頭を埋める思勢いで擦り付けている。

「すみません、本当にすみません!!すみません…っ」
「い、いいよハチ、そんなに謝らないで」

延々と謝り続けるに横に屈み、泉美が声掛ける。
泉美が背に手を触れたというのに、竹谷は頭を上げようとしなかった。

「泉美先輩に酷いことをしてしまったのに、謝りもしないで…!そればかりか酷いことをしたこと自体、酔っていて覚えていなかったなんて…!」
「私は気にしてないから。ね、頭上げて」
「駄目です、俺みたいな最低な奴、本当なら先輩に合わせる顔もないんです…!八つ裂きにされるべきなのはやっぱり俺だったんですっ…!」
「そ、そんなことないから」
「あ、呆れますよね、引きますよね…こ、こんな俺なんか、き、嫌いになりますよね…っ」

竹谷の声が次第に震えてくる。
また懲りずに思考がマイナス方面へと向いてしまっていた。

「すみません…すみませんっ…!」

竹谷は呪文のようにすみません、を繰り返す。
泉美は弱った顔になるが、ふと身を起こして竹谷の前に回った。
ぽんぽんと優しく竹谷の頭に触れると、そこでやっと竹谷が少し頭を浮かす。
すかさず手を滑り込ませて竹谷の頬に触れた。

「ハチ。こっち向いて」
「!」

泉美が手で持ち上げるように竹谷の顔を上に向かせた。
されるがままに竹谷は顔を上げる。
すんでのところで堪えてはいるが、顔は泣き出す1歩手前だ。
しかも額は土で汚れてしまっている。

「もう謝らなくてもいいよ。私は気にしてなんかないし、呆れても引いてもない」

取り乱している竹谷を落ち着かせるため、泉美はいつにも増して優しく語りかける。

「せ、んぱい…っ」

泉美は竹谷の額についた土を優しく手で払い、微笑んだ。

「私はハチのこと嫌いになんてなれないよ」
「…っ!」

一瞬、竹谷は目を見開いた。
直ぐくしゃりと表情を崩したかと思うと、泉美ににじり寄りその腰にすがりついた。

「泉美先輩ぃ…っ!すみません、すみません…!」
「ほら、また謝ってる」

泉美が言うと、竹谷はもう一度すみません、と呟き頭を擦り寄せた。
その頭を泉美がそっと撫でれば、竹谷からは小さく鼻を啜る音が聞こえ始める。

「…俺、もう二度と泉美先輩を傷付けません。…絶対に」

少しの間ぐすぐすとしていた竹谷が、顔を上げずに言った。

「ん。ありがとう」
「だから…だから、泉美先輩、俺のこと…嫌いにならないでください……おねがいします…」

竹谷は哀願を含んだ声を絞り出す。
声はあまりにも弱々しく、今にも消え入りそうだった。

「大丈夫。私も絶対にハチのこと嫌いにならないよ」

泉美は微笑み、竹谷を抱き締める。
その背をぽんぽんと優しく叩けば、泉美の言葉に応えるようにして、竹谷はぎゅう、とすがりつく腕に力を込めた。
そして小さく、「よかったぁ…」というか細い声が泉美の耳に届いた。

だがそれから数日の間、竹谷の土下座の所だけを偶然見ていた尾浜と鉢屋により、「酒に酔った竹谷が泉美にいかがわしいことをして怒られていた」という噂が忍術学園内を回ることになるのだが…今の竹谷は知る由もなかった。


おわり