忠犬彼氏と飼い主彼女 | ナノ
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虹色に輝く


「(あ、櫛屋)」

泉美は足を止めて露店に並ぶ櫛に目を向けた。
初老の男が座る前の台には色とりどりの櫛が並んでいる。
それを見て、少し前に竹谷の持っていた櫛の歯を折ってしまったことを思い出したのだ。
竹谷に買って帰ろうかと一瞬迷うが、ここにあるのはどれも色鮮やかで派手なものばかり。
華やかで綺麗だけれど、傍から見て直ぐに女物と分かる櫛を送っても竹谷は困ってしまうだろうな、と泉美は考える。
竹谷のことだから、実際は泉美からの貰い物ならば女物でも何でも喜ぶのだけれど。

「(今度、ハチと一緒に来よう)」

そう決め、その場から立ち去った。

今日は泉美1人で町へ来ている。
けれど、ふとした拍子に思い出すのはいつも竹谷のことだった。
櫛のことも然り、先程通り過ぎた団子屋に2人で行ったこと、この先にある白粉屋に付き添って来てもらったこと。
あの時は楽しかったな、嬉しかったなと思い出して自然と笑顔になった。
普段は竹谷のオーバーな愛情表現のせいで泉美は愛情を受け止めるだけと思われがちだか、泉美もやはり竹谷に大きい愛情を持っているのだ。

「(帰ったら次に出掛ける約束しておこうかな)」

本当は今日出掛ける前、竹谷に一緒に町へ行かないかと声を掛けていたのだが、残念ながら先約があった。
誰とまでは聞かなかったが、これから町へ行く約束をしていると、それは申し訳なさそうに頭を下げられた。
先約を蹴ってまで自分といて欲しいとまでは思ってなかったため直ぐに引き下がったのだった。
1人で買い物することが嫌いな訳では無いが…やはり隣に竹谷が居てくれた方が楽しいし、嬉しい。

「ねえねえ、お姉さん1人ぃ?」

突然目の前に立ちはだかる様にして男が現れた。
急なことに泉美は目を丸くさせて足を止めてしまう。
声を掛けてきたのだから知り合いかとその顔を伺うが、見覚えはない。

「1人っぽいよなー。じゃ、おれと遊ぼうぜ!」

初対面の男はずいっと一歩体を近寄らせてくる。
泉美は反射的に一歩引き、距離を取った。
その軽く馴れ馴れしい口調で、これが軟派だと合点した。
こういう人物に声を掛けられる経験は余りないけれど、拒否する術は身に付いている。
女が生き抜くための処世術はくの一教室で一通り学んでいるからだ。

「いえ。帰るところですから」

こういう時はあくまで刺激はせずそれでいてはっきりとした態度が重要だ。
気が強くなくいつも相手を気遣っている泉美でも、ここではちゃんと断る。
口調は依然として優しいものではあるが。

「いいじゃんいいじゃん〜」

男は引き下がるどころか余計に距離を詰めて手を伸ばしてくる。
何がいいものか、と泉美は思いながら自然を装いその手から逃げた。
わざと避けてられていることにも気付かずに、男は腕を取ろうと肩を抱こうとするが、泉美は全て躱してゆく。
飽くまで顔はやんわりとした笑顔のままで。
それを何度か繰り返してから、ようやく鈍い男は「避けられている」と気付いたようだ。
ムッと一瞬、分かりやすく顔を顰めた。

「…どうせ暇なんだろ!行こうぜ!」

次第に強引になってきた男が声を大きくするがそれでも泉美は動じなかった。

「すみません。急いでいるので」

最後に笑顔を向けて、さらりと言いのけた。
ここまで頑なに断られ続けたらさすがに折れるだろうと踏み、男の脇を通り抜けようとする。

「チッ!待てよ!」
「!」

グイッと、半ば無理矢理に手首を取られた。
つい顔を顰めてしまうほどの強さだ。

「…何でしょう?」

強く握られた手首をちらりと見て、それからあからさまに怒っていることが分かる男を見上げる。

「てめえ、人が優しく言ってやってんのに偉そうにしやがって…力でおれに勝てるとでも思ってるのか!?」

どうやらこの男は怒りの沸点がだいぶ低いようだ。
泉美は偉そうにしたつもりも怒らせるつもりもなかったのだが、逆に落ち着き払った態度が気に入らなかったらしい。
先程までの呑気な馴れ馴れしさはどこへやらで男は目を釣りあげている。
この男の言う通り、力では到底敵わないだろう。
けれどそれは相手が一般の女性である場合だ。
華奢で物静かな装いの泉美は一見すればただの町娘であるが、くの一教室では座学も実技もかなりの優等生である。
面と向かって戦えば勿論不利だろうが、ちゃんとした戦いの知識がない相手を追い払うことくらい泉美には可能だ。
それも見るからに隙だらけのこの男ならば、打ち負かせることも出来よう。
多くはないけれど人目があるここで大事にはしたくなかったが…引く様子のない相手ならば仕方がなかった。
泉美は掴まれた腕に力を込める。

「ッ痛ててぇ!?」

その瞬間男が情けなく声を上げ、泉美を掴んでいた手を離した。
しかしそれを聞いた泉美は驚いて顔を上げる。
泉美はまだ身構えただけで何もしていない。
そして顔を上げた泉美は一層目を丸くさせた。

「…え?ハチ?」

そこには無表情で男の腕を捻り上げている竹谷がいた。
どうしてここに、と泉美が聞くより早く、竹谷は普段と真逆の低い声を出す。

「汚い手で泉美先輩に触れてんじゃねえよ」
「は、はあ!?てめえ、何だよ!?コイツの男かよ!」
「そうだよ」

竹谷はそうきっぱりと答えた。
男は身悶えて逃れようとするが、竹谷とは力の差と圧倒的な技の差があるため簡単にねじ伏せられてしまう。
竹谷は一向に力を緩める様子はない。
ぎりぎりと男の腕が、皮膚が捻れる音が泉美の耳にも届く。

「いっででで!はっ、離せ!離せよ!」

男の情けない悲鳴が聞こえても竹谷は無視をしている。
竹谷は無表情だが、その目の奥底から沸き立つ怒り…殺意に近い感情を泉美は読み取る。
泉美は慌てて竹谷の腕に触れた。

「は、ハチ、私はもう大丈夫だから。離してあげて」
「泉美先輩……は、はい、すみません…」

泉美に声を掛けられると竹谷は表情を一変させて手を離す。
手を離す、というより突き飛ばされるように雑に解放され、男はよろめきながらも走り去った。
あれほど男に怒りをあらわにしていた竹谷だったが泉美に言われれば直ぐに従う。
そして今は竹谷は飼い主に注意された飼い犬のようにしょぼんと眉を下げていた。
逃げるように去っていった男の方を見て、泉美は苦笑する。

「…少しやり過ぎだったかもね…」
「う…すみません…でも彼奴、泉美先輩に気安く触りやがるから…!」
「少し驚いたくらいだから大丈夫。…それよりハチ、ありがとう。助けてくれて」
「あ、いえ、そんな…当然の事をしただけです」

泉美が改めて礼を言うと、竹谷は少し照れたように表情を緩ませた。
竹谷につられて泉美も頬を緩めた。
まさかこんな所で竹谷と会うとは、そしてまさか助けてもらえるとは思っていなかった。
町で偶然会うことは有り得るし、面倒事に巻き込まれているところに偶然遭遇し助けてくれる、ということも現実無いこともない。
今日もただの偶然なのだろうけれど、それでも自分のところへ来てくれるのはいつも竹谷なのだと思うと嬉しく感じた。

「…そう言えばハチ、他の五年生の子達と一緒に出掛けてたんじゃなかった?」

泉美が付近を見る限り、見知った顔は居ない。

「ああ、それは…って、先輩!?それ…!」
「え?」

言葉の途中で竹谷は声を大きくする。
竹谷が目を見開いて見るのは泉美の手首だった。
男に強く掴まれた所が赤くなっている。
泉美は気付き、ああ、と返す。

「ちょっと強く掴まれたからね。これくらいすぐ治るよ……ハチ?」

泉美は戸惑った顔で竹谷の顔を見つめ直した。
竹谷は目を大きく見開いたまま動きを停止している。

「ハチ?どうしたの」
「だっ…」
「…だ?」
「だ…駄目だ、駄目ですよ、やっぱり彼奴許せない…!泉美先輩を傷付けやがってっ…!」
「お、大袈裟だよ。赤くなってるだけだから」

再び竹谷の顔に怒りが戻りつつあった。
それに気付いた泉美は竹谷を宥めるため笑いかけるが、今度はそう簡単にいかないようだ。
竹谷はブンブンと首を大きく振る。

「大袈裟なんかじゃないですよ!泉美先輩に触れるのも、増してや傷付けるなんて許されたことじゃない!…俺、今から追って彼奴の腕へし折ってきます!!!」
「え、ええ?は、ハチ、それはだめだよ。行かないで」
「泉美先輩っ……安心してください!すぐ戻りますから」
「そ、そういう意味じゃなくてね…」

不安そうな瞳の泉美を両肩に手を置き、竹谷はにっこり微笑んだ。
竹谷は泉美がここに1人残されることに不安を抱いていると思っているようだが、泉美が持つ「不安」とは竹谷が暴力を振るってしまうかもしれないということだ。
しかし当の本人は全く分かっていない。

「ああそうだ、ついでに首も折っておきますね!そうしたら金輪際泉美先輩に触れることも出来ない、傷付けることも出来ない!それに近付くことも声をかけることも迷惑をかけることも出来ませんよ!」
「首って…だ、だから、もう…!」

鼻息も荒く物騒なことを口にする竹谷だが、その顔は一切の迷いがなかった。
自分は決して間違っていない!…と信じて疑わない顔のそれだ。
泉美が困っていることにも気付かず、竹谷は意気込んで拳を握ってみせている。

「じゃあ、行ってきます!」
「ちょっ…!」

だっ、と泉美が引き止める手を伸ばすより早く竹谷は走り出す。

「はい、そこまで」
「!」

と、そこで突然割り込んで来た手が竹谷の袖を掴み動きを止めた。
つんのめった竹谷も泉美も驚いてその人物を見やる。

「…尾浜君?」
「か、勘右衛門?」
「どうも」

そこに居たのは竹谷と同じく五年生の尾浜だった。
泉美に笑顔を向け、軽く頭を下げる。
いつの間に来たのか泉美は気付かなかったが、ここに居るということは、どうやら竹谷と共に出掛けていた相手は尾浜らしい。
袖を掴んでいる手を払い、そのままキッと視線を向ける。

「な、何すんだよ勘右衛門!俺、今から彼奴の首へし折りに行かねーといけないのに!」
「止めときなよ。話は聞かせてもらっていたけど、そんな事したら西浜先輩が困るだけだから」
「え?」

尾浜に言われ竹谷はそこでようやく泉美が困り顔になっていることに気付いたようだ。
泉美は眉を下げて笑ってみせる。

「…うん。困るから行かないで」
「で、でも…!」
「私はハチに危ないことして欲しくない。これくらい何ともないし、怒ってくれただけで嬉しい」
「う……」

泉美に真っ向から見つめられた竹谷は言葉を詰まらせた。
泉美に害を及ぼす輩は根絶やしにすべきと心の底から思っているが、それ以上に泉美を困らせたくないという相反する思いがおり混ざっているようだ。
しばし葛藤していたが…不意に肩を落とした。答えが出たらしい。

「……分かりました…すみません、勝手なことをしようとして…」

泉美へ迷惑をかけたくないという考えが勝ったらしく、こうべを垂れて力なく謝る。
泉美はほっと安堵の息をついた。

「分かってくれたならそれでいいよ。謝らないで」
「…はい……」
「…ほら、そんな顔してないで」

そう言い泉美が竹谷の頬を手で包むように優しく触れた。
竹谷が気を落としている時は泉美は決まってそうする。
落ちている竹谷の視線を自分と合わせるため、そして揺れている竹谷の気持ちを落ち着かせるためだ。
それはいつも効果てきめんで、今も竹谷はふにゃりと表情を崩した。
もうその目には泉美しか映っていない。
男の首をへし折るなどという狂乱しかけた考えは頭から消え去っているようだ。

「…えーと」

…その光景を「見させられて」いた尾浜は居心地が悪そうに笑う。

「なんと言うか、さすが西浜先輩ですね。八左ヱ門の扱いが上手いですね」
「そんな事ないよ。…それより、尾浜君もさっきは止めてくれてありがとう」
「ああ、いえ。気にしないでください」
「それに2人とも、面倒事に巻き込んじゃってごめんね」
「そんな!面倒事なんて!」

竹谷は大袈裟なほど首を振る。
すると尾浜も笑って「そうですよ」と続けた。

「さっきのは巻き込まれたというより、八左ヱ門が勝手に巻き込まれに行っただけですし」
「え?」

尾浜の言葉に泉美は目を丸くした。

「…それはどういう事?」
「いや、俺達さっきまで向こうにあるうどん屋さんに居たんですけど、店出た途端急に八左ヱ門が「泉美先輩が危ない」って言い出して走って行ったんですよ。丸で西浜先輩が危険な目に遭っていることが分かっているみたいに」
「え?」
「分かっているみたいに、じゃなくて分かるんだよ!」
「…じゃあハチは私が危ないって分かって来てくれての?」
「はい!泉美先輩が何処にいるかも直ぐに分かりますから」

得意げに竹谷は笑った。
確かに竹谷には、どこに居てもどれだけ距離が離れていても泉美に呼ばれたら駆けつけられるという特技がある。
それがいつの間にか、呼ばれずとも泉美が何処にいるか、危険な目に遭っていないかまで分かるようになっているらしい。

「…恐ろしい野生の勘だね、八左ヱ門」
「だから勘じゃねーから!泉美先輩のことだったら何でも分かるから!」

そういう割にはさっき困らせてたのに気付いてなかったじゃないか、と、竹谷に聞こえないくらいの声で尾浜は反論する。
…それを眺めながら、泉美は竹谷の言った言葉を反芻していた。
竹谷は泉美が危ないことに気付いて、自分の意思で駆けつけてくれたのだ。
泉美の元へ来たのも助けてくれたのも、偶然ではなかった。

「…泉美先輩?」
「……ん?」

考えに耽っていたため、竹谷に声を掛けられたというのに返事に間が出来てしまった。

「なに?」
「あ、いえ…急に笑ったから、どうしたんだろうって」
「え」

泉美は驚いて自分の頬に手を当てた。
竹谷が自分のことを思って駆けつけてくれたのだと思うと嬉しく、無意識のうちに笑顔になってしまったらしい。
泉美はなんでもないよ、と何事も無かったように繕って笑う。

「ところで、西浜先輩はこれからどうされるんです?」

尾浜が声をかける。

「ああ、もう用事はないから。帰ろうかと思ってたところ」
「そうなんですね。じゃあ…もし良かったら八左ヱ門、お返ししますよ」
「え?そんな、悪いよ。尾浜君と先に約束してたんだから」
「俺も用は済みましたし。八左ヱ門もその方がいいんじゃない?」
「あー…いや…いいって。今日は勘右衛門に付き合うって言っただろ?」

竹谷の本心としては喜んで泉美と行く方を選びたいに違いない。
けれどそうしないのは、自分に気を遣ってくれているからだなと尾浜は内心で苦笑する。
竹谷は泉美とよく一緒に出掛けると言っても、忍たまとくのたまでは合う時間は少ない。
同じ忍たまの尾浜との方がよっぽど沢山の時間を共有出来ている。
だったらせめてもの少ない時間は泉美との時間にさせるべきだろうと尾浜は考えたようだ。

「ほら、西浜先輩には番犬が付いていないとまたさっきみたいに変な奴に絡まれちゃうかも知れないよ?」
「そっ、それは駄目だ!」
「だろ?なら決まりだね。俺は帰りますから、後は2人で仲良くしていてください」

泉美と竹谷の返事を聞かないまま、尾浜は「じゃ」とだけ言って来た道を戻って行った。

「…悪いな、勘右衛門!」

背中に竹谷が声がければ、尾浜は振り返らずにひらりと手を振った。

「…気を遣わせちゃったね」
「ですね」

残された泉美と竹谷は、何気なしに顔を見合わせて苦笑う。

「…いいお友達だね、尾浜君は」

泉美に言われた竹谷は一瞬きょとんとした顔になるが、直ぐにっこり微笑んだ。

「そうですね。良い奴です」
「そっか」

その嬉しそうな顔に、泉美もつい笑顔になった。

「では、泉美先輩、せっかく勘右衛門がくれたんですから有効に使いましょう!」
「…ん。そうだね」
「何処か行きたいところはありますか?何処へでも行きますし、俺がついていますからさっきみたいに変な奴らに絡まれることもないですよ!」
「そ、そんなに気張ってくれなくてもいいよ。あんなふうに声掛けられることなんて滅多にないんだから…」

泉美は竹谷の気迫にたじろぎつつも首を振った。
泉美の容姿は整っているけれど、町に出かけても男から声を掛けられたことはほとんどない。
と、そこでふと泉美は思い出す。

「そうだ。私、ハチと櫛屋に行きたいと思ってたの。一緒に来てくれる?」
「!はい、勿論です!」

そう提案すれば、何か言いたそうにしていた竹谷もぱっと表情を明るくさせた。
泉美とともに行けるのなら、竹谷にとってそれが櫛屋だろうと団子屋だろうと戦場であろうと、場所は関係なく嬉しいのだろう。

「ふふ、じゃあ行こうか」
「はい!」

竹谷は嬉しそうに顔を綻ばせ、泉美に倣い歩き出す。

「(やっぱり…隣にハチが居てくれると違うな)」

泉美は隣にいる竹谷をちらりと盗み見た。
ただ2人で並んで歩いているだけなのに、1人で町を歩いていた時と見える全く景色が違う。
そんな気がするのだった。


おわり