忠犬彼氏と飼い主彼女 | ナノ
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何も出来なくて


「…泉美先輩、もしかして体調悪いですか?」

ランチ時、向かいに座っていた泉美に、竹谷は心配そうに聞いた。
既に食事を終えお茶を呑んでいた泉美は一瞬目を丸くさせるも直ぐに微笑む。

「大丈夫だよ。どうして?」
「いつもより元気が無いように見えて…」

竹谷は本気で心配しているようで、目の前の煮魚定食にほとんど手をつけておらず、じっと泉美の顔を伺っている。
そう言えば食事している間もやたら目が合ったなと泉美は思う。
確かに朝から頭痛はあるが、耐えられない程でもなく、むしろこの程度で竹谷に心配を掛けるわけにはいかないと泉美は笑顔を向けた。

「そんなことないよ。心配してくれてありがとう」

礼を言うと、竹谷の顔はほっとしたように緩む。
けれどまだどこか不安そうな目をしていた。
体調が悪いなんて表に出したつもりはなかったが、いつも泉美以上に泉美を見ている竹谷には些細な変化でも気付いたのだろう。
そう思うと泉美は少し嬉しく感じた。

「ほら、早く食べないと昼休み終わっちゃうよ」
「……はい」

泉美に言われてようやく竹谷は箸を手に取る。
けれど直ぐに顔を上げた。

「無理はしないでください。何かあったら直ぐに俺に言ってくださいね?」
「ふふ、ありがとう。ハチは優しいね」

泉美が言えば、竹谷は顔を赤くして「そんな事ないです」と俯いた。
それにまた泉美は笑みを零す。
結局、泉美は竹谷が食べ終わるまで、その席で他愛もない会話を楽しんだ。



…しかし、午後になり泉美の表情は一変した。
頭痛は酷くなり、頭はぼうっと靄がかかっているように重い。
ああ、風邪をひいたな、と泉美はひとり納得した。
午後は幸いな事に座学だけだったので授業には出られたものの、終わる頃には周りから心配の声を掛けられる程に弱っていた。
周りに促されるまま医務室に行き、風邪薬を受け取った。

「(…明日が休みで良かった…)」

医務室を出た泉美は小さく溜息をついて、長屋へ向かう。
心なしか、長屋への道が長く感じる。

「泉美先輩!」
「……ハチ?」

歩いていると後ろから声が掛かる。
泉美は声でそれが竹谷だと分かり、ゆっくり振り返る。
無理に笑顔を作って答えるも、竹谷は泉美を見るなり顔色を変えた。

「…泉美先輩っ!?ど、どうされたんですか!?」

慌てて泉美の元に駆け寄る。
泉美の近くへ来るや否や、その頬を両手で覆った。
加減を誤られ、その勢いに泉美は「うっ」と声を漏らす。

「だ、いじょうぶ。ちょっと頭痛いくらいで」
「ちょっと!?ちょっとじゃないでしょう!?こんなに熱くて…ね、熱があるんじゃ…!」
「ん、風邪かな…。駄目だね、自己管理がなってなくて」

泉美が弱々しく笑えば、それに反して竹谷は泣きそうに顔を歪める。

「…昼の時、俺がちゃんと気付けていたら…!すみません…」
「謝ってくれなくてもいいよ。ハチのせいじゃないんだから」
「で、でも…」

頬に手を当てたまま竹谷は、丸で泉美の体調の悪さは全て自分のせいと言わんばかりに項垂れる。
気付けられなかった自分を責めているようだった。

「私は大丈夫だから。今日はこれで授業もないし…明日は休みだから、しっかり寝れば治るよ」

ね、と慰めるように泉美は竹谷の手に触れた。
泉美の気遣いに竹谷は余計泣きそうに眉を下げるが、堪えてまたすみません、と小さく謝った。

「そ、そうだ、薬!俺、医務室で風邪薬貰ってきます!」

はっと思い付き竹谷は泉美から手を離した。
直ぐにでも走り出しそうな所を泉美が制する。

「薬はもう貰ったから大丈夫」
「そ、そうなんですか……あっ、なら、食堂のおばちゃんに何か作って貰って来ます!何か栄養があるものを、」
「ううん、まだお腹空いてないし、欲しかったら自分で行けるから大丈夫。ありがとう」
「うぅ…じゃ、じゃあ」

尽く拒まれてしまい竹谷は肩を落とした。
何か自分に出来ることはないかと、忙しなく視線を当たりに向ける。
どうにかして泉美の役に立ちたいと思うけれど…何も思い浮かばない。

「気にしなくていいよ。私は心配してくれるだけで嬉しいから」
「で、でも…」
「ほら、あんまり一緒にいるとハチにうつっちゃうし」

それは嫌だから、という思いを込めて言った泉美だが、何故か俯いていた竹谷はぱっと顔を上げた。

「うつす……そうですよ、泉美先輩!風邪なら全部俺が貰います!どうぞ全部うつしてください!」
「…え?」

目を輝かせる竹谷に圧倒され、泉美は目を丸くさせる。
冗談かとも一瞬思う泉美だったが、竹谷が泉美に対してこんな冗談を言うことは無いだろうし、泉美を見る目は真っ直ぐでとてもその言葉が冗談だとは思えない。
どうやら風邪をうつして欲しいと本心から思っているようだ。

「それは私が困るよ。ハチに風邪をうつすわけには」
「俺が風邪ひいたってどうってことありませんから!」
「どうってことあるよ…」

泉美が困ったように竹谷を見上げても、竹谷は一歩も引かない、と言わんばかりに見詰めてくる。
第一うつした所で治る、なんて単純なものではない。
けれど今の竹谷を理論で押し返せるとは思わなかった。
泉美が返答に悩んでいると、竹谷が再び眉を下げた。

「先輩が辛い思いしているのに何にも出来ないなんて情けないです…もうこれくらいしか出来ないんです…」
「本当に気持ちだけで嬉しいよ?だから無理しないで」
「無理なんかじゃないです。少しでも先輩の役に立ちたいんです!」
「う、うーん……でもほら、うつすと言ってもどうしようも無いじゃない…?」
「それなら俺に任せてください!」
「え?…って、ハチ?ちょっ…待っ」

泉美が驚いている間に、竹谷は間合いを詰めた。
抵抗するより早く、熱を持った泉美の顔を掬い上を向かせ、唇を塞ぐ。
「待って」という言葉はそのまま竹谷の口に吸い込まれた。

「…これなら、確実に風邪を貰えますよね?」

一息程の長さで竹谷は離れた。
互いの息すらかかる程の至近距離で、笑う。

「そう……かも、しれないけど…」

泉美の言葉を聞き竹谷は嬉しそうにまた笑った。
泉美に拒まれるより先に、また口付ける。
今度は長く長く。
泉美は身を捩るものの、竹谷の腕は泉美を抱き竦めた。
いつの間にか、顔に添えてあった竹谷の手は泉美の首元を押さえ逃がそうとしない。

「んっ…」

泉美の口の端から声が漏れる。
半ば無理矢理口を開かされ、竹谷はただ優しく、甘くゆっくりと舌を絡めてくる。
ただでさえ熱でふらふらしている頭が、増してくらくらしてきてしまう。
泉美が目眩すら覚え始めたところで竹谷は唇を離した。
泉美に劣らず、竹谷も熱い吐息を漏らす。

「……もう…」

竹谷をぼんやりと眺めていた泉美は困ったように…けれど、弱く微笑む。
その顔は朱に染っている。
顔が火照っているのは、恐らく熱のせいだけではないだろう。
目が潤んでしまっているのも息が上がっているのも、熱のせいだけではない。

「……っ」

そんな泉美を見て、竹谷は息を呑む。
目を伏せ、泉美を引き寄せ強く抱き竦めた。

「……ハチ…?」

突然のことに泉美は驚き、僅かに首を上げ呼び掛ける。
しかし竹谷は腕を緩めることなく泉美の首元に顔を埋めた。

「…す、すみません、泉美先輩…」
「……どうしたの?」

呻くような竹谷の声に、泉美は心配そうに問いかける。

「じ、自分でしておきながら……これ以上先輩にそんな顔で見られたら俺、たぶん我慢出来なくなる…」

そんな場合じゃないのに…と続けられ、泉美は察する。
竹谷がその気になったら止められないことは泉美が一番分かっている。
泉美は小さく苦笑う。

「じゃあ今日はこのくらいにしておいて?」
「…………はい」
「ハチが心配してくれただけで私は嬉しいから」
「…はい」

そう言えば、やっと竹谷の腕が緩む。
泉美が身を離して見上げると、眉を下げ、唇を引き結んでいる竹谷と目が合う。
我慢している顔だ、と泉美は理解する。

「続きは治ってからして?」
「っ…!」

諭すような泉美の言葉に、竹谷は目を見開く。
離れた所だと言うのに、竹谷は再び泉美を強く抱き寄せた。
ぎゅう、と装束が皺になりそうなくらいの力で。

「わっ、なに?」
「…その言い方駄目です……頑張って我慢してるんですから、あんまりその気にさせないでください…」
「ああ…ふふ、ごめんごめん」

竹谷の必死さが、声から、そして抱き締められている腕や体から伝わって来る。泉美はつい笑みを零した。

「…早く良くなってくださいね、泉美先輩」
「ん。ありがとう」

希う竹谷の声に、泉美はそっとその背に腕を回した。


…この後、思惑通り竹谷が風邪を貰い受けたのは、また別の話。


おわり