忠犬彼氏と飼い主彼女 | ナノ
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -




ありのままの君が好き


中庭を歩いていた竹谷はふと足を止めた。

「(…この声は)」

何処からか数人の女子の声が聞こえてくる。
竹谷は顔を上げ、声のする方へと向きを変えた。
建物の角から覗くとやはり4、5人のくのたまが集まって楽しそうに笑い合っているのが見える。
その中には泉美の姿もあった。
泉美は余り声が大きくないため笑っていても他のくのたまの声にかき消されてしまう。
けれどそんな状態でも竹谷は耳聰く泉美の声を聞き分けられるようだ。
泉美の姿を見つけて竹谷はぱっと顔を輝かせた。
いつものように駆け寄って人目も気にせず抱きつこう!…とも思ったのだが、さすがに阻まれた。
後輩達と楽しそうにしている所に割り込んでも、泉美を困らせてしまうと分かっていた。

「…後で構って貰おう」

呟き、名残惜しそうに泉美の姿だけをじっと見詰めて元来た道に戻った。
…戻ろうとした。

「お待たせ〜」

間延びした声が聞こえてきた。
竹谷が振り向くと、くのたま達の所へ走り寄る紫色の忍び装束の忍たまが居た。

「(え?タカ丸さん?)」

タカ丸の姿に、竹谷はつい動きを止めて見入った。
くのたまの下級生達はきゃあ、と声を上げている。
髪結師でもあるタカ丸はくのたま達から人気がある、と聞いたことがあったと竹谷は思い出す。
髪を好きに結わえてくれるから、という理由があるらしいが…泉美も笑ってタカ丸を迎えていることに竹谷は戸惑う。
泉美の笑顔が竹谷以外に、しかも異性に向けられたものだと思うと胸のざわつきが止まらない。
それが誰にでも向けるような普通の笑顔だとしても、だ。

「もー、遅いですよタカ丸さん!」
「いや〜ごめんごめん。教室から出た途端滝夜叉丸に捕まっちゃって」

竹谷が影から恨めしい目を向けているなんてつゆ知らず、タカ丸は呑気に笑っていた。

「(それより、何でタカ丸さんが…?)」

泉美とくのたまの下級生、タカ丸の組み合わせで何をするのか分からず、竹谷はただ不安そうな顔で眺めている。
するとタカ丸は徐に懐から髪切り鋏を取り出した。

「じゃあ早速。誰からする?」
「はいはいはいっ!まず私からっ!」
「何言ってるの、私が先よ!」
「ずるい!この間だって私が後だったんだから!」

くのたま達が我先にと挙手をし出す。
どうやら髪を整えてもらう約束をしていたらしい。
成程な、と竹谷は納得し安堵する。
…しかしその間にもくのたま達の自己主張は止まらず、詰め寄られたタカ丸も「困ったなぁ」と苦笑っている。

「まあまあ、みんな落ち着いて」

声も大きくなってきた所で、宥めるよう泉美が声を出した。
するとくのたま達の矛先が変わり、今度は泉美に詰め寄り出す。

「そうだ、泉美先輩が決めてください!」
「え、ええ?」
「そうですよ!私達じゃあ埒が明かないですもん!」
「だったら泉美先輩に決めて頂いた方が諦めつきますし!」
「諦め…」

泉美は困ったような顔になった。
泉美を取り囲んだままくのたま達はわいわいと騒いでいる。
先輩を困らせるなんて!と竹谷が飛び出そうとすると同時に「あ!」とタカ丸が声を上げた為にびたっと足を止めた。
タカ丸は指を立て、ゆるく笑う。

「じゃあ、泉美ちゃんが最初にやればいいんじゃない?」
「私?」

「(泉美、ちゃんんんん!!?)」

まさかの自分指名に泉美は目を丸くさせているが、竹谷は泉美以上に驚いて目を剥いた。
タカ丸の「ちゃん付け」が気に障ったようだ。

「(ちゃ、ちゃん付けって!な…馴れ馴れしくないか!?)」

声を上げそうにもなるが既のところで堪える。
考えても見れば、泉美は忍たま下級生達からは名字で呼ばれているが、六年生からは名前で呼ばれている。
ちゃん付け、という他と違う呼び方に引っ掛かりはしたがそれで怒っていたら切りがない。
ぶんぶんと頭を振り、竹谷は必死に心を落ち着けようとした。
いつもの事ながら、泉美のこととなると竹谷は我を忘れてしまう。

「確かに、それもそうですよね」
「というか、先輩を差し置いて私達が先にっていうのもおかしい話でしたね」
「すみません泉美先輩!」
「え?そんな、私は後でいいよ。私は髪結いして貰うんじゃなくて状態を見てもらうだけだから」
「だからこそ先に終わらせた方が効率いいと思うよ?」

タカ丸に言われ、半ば無理に納得させられたように泉美は「…そうかな」と言った。
他のくのたまも先程までの諍いが嘘のように、空いている腰掛に泉美を座らせた。

「じゃあ、お先にごめんね」
「いえいえ!」
「それじゃ、髪下ろさせて貰うね〜」

腰掛の後ろに回ったタカ丸は泉美の頭巾と髪紐を解いた。
ふわり、という音が聞こえると錯覚しそうなくらい、柔らかく泉美の髪が広がる。
その光景に竹谷はつい息を飲んだ。

「わぁ…!」
「泉美先輩、髪お綺麗ですよねぇ」
「(分かる…!本っ当綺麗なんだよなぁ)」

うっとりと、羨ましそうな顔で口々に感嘆の声を漏らすくのたま達に、竹谷は何度も頷いた。
泉美の髪は優しい亜麻色でとても柔らかい。それでいて触り心地も滑らかで、男だけでなく女も見惚れてしまう程だ。

「そんなことないよ。私はただ、タカ丸君に言われた通りに手入れしてるだけだから」
「泉美ちゃんが丁寧にしてくれてるお陰だよ〜。…うん、問題ないね」

何故かタカ丸が嬉しそうに笑って泉美の髪を櫛で梳かす。
一通り梳かし終わり再び結えられた髪は、流石タカ丸だと言うのだろう、いつもより増して輝いていた。
タカ丸の太鼓判に泉美照れたように笑っている。

「(うわぁ…触りてー…髪、というより泉美先輩に触れたい、先ず何よりあの顔可愛いぃぃ)」

竹谷は蹲り、顔を覆って悶える。
自分に向けられているのではないが、泉美の笑顔に撃ち抜かれたようだ。

「いいなぁ、泉美先輩。私も先輩みたいにふわふわした綺麗な髪になりたいです〜」
「分かるぅ〜」
「そう?私は猪々子ちゃんやしおりちゃん達みたいなさらさらの髪の方が好きだよ」

「え?」

顔を覆ったままの体勢で竹谷は動きを止めた。つい声が漏れる。
何気ない言葉が突き刺さった。
泉美先輩はさらさらの髪の方が好き?
竹谷は無意識に結わえている自分の髪を触る。
触るだけで分かる、何の手入れもしていない傷んだ髪。
泉美が好きなさらさら髪とは真逆のボサボサの髪。
泉美の好みとは掛け離れてしまっていることに、竹谷は呆然とした。

「(…し、知らなかった……)」

それなりの時間を共に過ごしているはずなのに、さらさら髪が好きなんて知らなかった。聞いたことがなかった。
自惚れだとは思うが…泉美が自分を好きでいてくれるなら、この傷んだ髪でも好きでいてくれる。
そう思っていた。
…だがそれは竹谷の都合の良い考えだったようだ。

竹谷は力なくよろりと立ち上がり、視線を落としたままその場を後にする。
とぼとぼとしたその足取りは重い。
後ろから依然とタカ丸やくのたま達、泉美の楽しそうな声が飛んでくる。
泉美の提案で、次に髪結いをしてもらう人をジャンケンで決めることになったらしい。
…けれど竹谷はもう振り返らなかった。



「……はあ……」

泉美達を見掛けた中庭から離れた、生物委員会の生物小屋が立つその傍らに竹谷は座り込み、息を深く吐いた。
誰が見てもすぐ分かるほどの落ち込みようだ。

「…今更…どうにもなんねぇよな…」

呟き、再び自分の髪に触れる。
今の今まで髪なんて気にしたことなどなかった。
けれど泉美の言葉を聞いてしまってからは、もはや気になってしようがない。
なんでこんなバサバサで傷んでいるんだ…と憎らしくも思う。
それは他ならぬ、面倒くさがって手入れも何もしてなかった自分のせいなのだが。

「……どうにか…なんねぇかなあ」

竹谷は懐から櫛を取り出した。
ここへ来る途中、自室に寄って持って来たのだ。
長く使っていないため見付けるには苦労したし、歯の部分も欠けてしまっている。
そんな状態の櫛を、結わえた髪に通す。

「…いててててて!」

通そうとしたが、すぐさま髪が絡まった。
それでもぐいぐいと力任せに動かすせいで痛みが起きる。
その後も何度も梳かそうと試みるが尽く櫛に絡んで上手くいかない。
それどころか複雑に絡んでしまったせいで、櫛が髪に引っかかったまま取れなくなってしまった。

「…なんだよこれ……くっそー」

さらさら以前に梳かすこともままならない髪に、竹谷は肩を落とした。
後ろ髪に櫛が絡まったまま項垂れる姿は少し滑稽にも見える。

「…やっぱ無理だ」

はぁ、と諦めが混じった溜息をつく。
泉美の好みのさらさら髪には、やはり程遠いようだ。

髪だけじゃない。
顔だって体付きだって、声や性格、他のどんなことでも泉美の好みでありたい。
そうでありたいのに、一つ目から盛大に躓いてしまっているではないか。
他にどんな好みがあるかは知らないが、こんな所で相反していては先が思いやられる。
もしかしたら、自分は先輩の好みから大きく離れているのかもしれない。
だからもし好みど真ん中の男が現れたら、先輩は自分から離れてしまうかもしれない。
そう考えたら、心臓を締め付けられたように苦しくなった。

「うぅ……」

根も葉もない負の考えばかりが渦巻き始め、竹谷は頭を抱えた。

「…あれ?ハチ?」
「!」

声を掛けられ、竹谷は顔を上げた。

「泉美先輩…」

そこには泉美が立っていた。
既に頭巾は被っているが、結わえている髪は艶やかだった。

「何してるの?…髪に何か付いてない?」
「えっ!?い、いや、これは別に!っいててて!?」

髪に絡まった櫛が泉美に見付かり、竹谷は慌てて取ろうと引っ張る。
が、先程まで悪戦苦闘していて取れなかったものが泉美が来たからと言ってあっさり取れるはずもなく。
むしろ思い切り引っ張ったせいで激しい痛みが襲う。

「ちょ、ちょっと落ち着いて。私が取るよ」
「うぅ…す、すみません」

慌てている竹谷に驚きつつも泉美は宥めるようにして後ろに回った。

「あぁ櫛だったんだ。結構絡んじゃってるね」

泉美は櫛に触れ、苦笑いながら言う。
情けなくなり竹谷は消えそうな小さな声でまた「すみません」と謝った。
それから苦戦しながらも泉美は髪から櫛を救出する。
手際が良かったおかげで竹谷は殆ど痛みを感じなかった。

「はい、どうぞ…あっ」

櫛を手渡したところで泉美が声を漏らす。
ぽろり、と歯が1本零れ落ちた。
泉美はそれを慌てて拾い、眉を下げて竹谷を見上げた。

「…ご、ごめんハチ…折れちゃった…」
「え?あ、ああ、これ古いやつなんで…元から何本も折れてますから大丈夫です。それに絡ませたのは俺だし、気にしないでください」
「でも…これじゃ使えないよ。ハチ、髪梳こうとしてたんでしょ?」
「あー…はは、は。もう良いんです……どうせ、こんな傷んだ駄目な髪なんていくら梳いても無駄ですから…」

自嘲気味に笑って、櫛を懐にしまう。
丸で櫛に否定されているようで虚しくなった。
お前は泉美の好みになんかなれない、と。
竹谷は気付かれないよう溜息をついた。

「そんな事言わないで。私はハチの髪、好きなのに」
「えっ?」

竹谷は驚いて顔を上げる。
いつもと変わらぬ優しい微笑みの泉美に竹谷は困惑した。

「で、でも泉美先輩、さっきさらさらの髪が好きだって」
「あれ、聞いてたの?」
「あっ、い、いえ、すみません…立ち聞きするつもりじゃなかったんですけど…」

後ろめたい気持ちになり、竹谷の言葉が段々と小さくなっていった。
しかし泉美は気にしていないようだ。首を振る。

「それは良いんだけど。…まさかハチ、そのせいで髪梳かそうとしてたの?」
「う……。は、はい……」

真を付かれて竹谷は素直に頷いた。
「少しでも泉美先輩の好みで在りたくて…」と視線を落とし、小さく言った。
そんな言葉に、今度は泉美が驚いたように竹谷を見る。
竹谷は手に取るように落ち込んでいた。
影での努力を見られた情けなさや、足掻いても好みには近付けないという現実を突き付けられたショックが大きいらしい。
…その根本が泉美の好みになりたいから、という何ともいじらしい思いからだと分かり、泉美はつい笑みを零す。
いつでも竹谷は真っ直ぐに泉美を、泉美だけを見ていた。

「さらさらの髪は自分の憧れなだけだよ。それに、好みで言ったらハチの髪が好き」
「…えっ?」

竹谷は再びがばっと顔を上げる。

「ほ、本当ですか…?こ、こんなに傷んでボサボサなのに?」
「というより、ハチだったらどんな髪でも好きだよ」

泉美は手を伸ばして竹谷の髪に触れる。
確かに竹谷の言う通り、その髪は日に焼けて傷んでいるのが触れただけで分かる程だ。
しかし泉美にはそれすら愛おしく思える。

「先輩…っ」
「それに私が好きなのは髪がどうであれ性格がどうであれ、ハチなんだから。ハチの全てが私の好みだよ」
「あ……」

至近距離での泉美の笑顔とその言葉に、竹谷は何も言えず顔を赤くさせて俯いた。
消え入りそうな声で「ありがとうございます」と答えるのに精一杯だった。
くすっと笑った泉美は優しく竹谷の頭を撫でる。
耳まで熱くなるのを感じながらも竹谷は安堵していた。
泉美はいつでも自分の側にいてくれるんだ、と改めて思うと、幸せに頬が緩んだ。

「私の好みで在りたいなら、ハチはありのままで居てくれればそれで良いよ」

泉美の優しい声に、竹谷ははにかんだように笑い「はい」と強く頷いた。


おわり