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座学の授業が終わり足早に教室を出た。
思ったより長引いてしまった。
折角今日の午後は予定が無くて、ずっとペット達の世話が出来ると思っていたのに。
…それに、あの先輩も来て下さってる筈だ。
そう考えると心無しか気持ちが逸る。
自然と早くなる足で、飼育小屋へと向かった。

「(…居た)」

飼育小屋が見える所まで来たら、その前で屈んでいる桃色の忍び装束姿の人が見えた。
その先輩は、小屋の前に出した口の空いた箱…ジュンコがいつも入っているものに何か話しかけているようだった。
いや、正しく言えば箱の中のジュンコに、だ。
その姿が目視できる距離まで来たのに先輩は顔も上げずずっと話していた。
時折優しく微笑み、その度に一つに束ねられている綺麗な髪が揺れる。
ジュンコもそれに応える様に鎌首を擡げている。

…何故だろう、それを見ていたら胸が波打つ。
ジュンコがぼく以外と仲良くしていたから?
ジュンコが先輩と楽しそうにしていたから?
それとも、それ以外の何かがあるのだろうか。

先輩がジュンコに手を差し伸べると、ジュンコは自然な流れでその腕に巻き付いた。
それを何を言う訳でもなく見ていたら、すっと先輩は立ち上がりこちらに体ごと振り向いた。
余りに急で、心臓が大きく跳ねる。

「や、孫兵くん」

ぼくと目が合い、優しい声で先輩がそう仰った。
動物以外には余り表情を変えない、なんて忍術学園内で言われている先輩だけど、今はとても優しく微笑んで居る。

「こ、んにちは、名無し先輩」

その笑顔につい声が上擦る。
…いつもこうだ。
先輩を前にすると何でかいつも通りに話せない。
ただ挨拶をするだけなのに言葉が閊えてしまう。
そんなぼくの思いは知らずに、先輩はジュンコが巻き付いたその手をぼくに伸ばした。
一瞬戸惑うが倣って手を伸ばす。
その手を伝ってジュンコが腕、そして首に巻き付く。
ぼくの肩で、いつものように安心した顔で舌を出すジュンコに自然と気が緩む。

「やっぱりジュンコは孫兵くんと居るのが一番だねぇ」

屈んでジュンコに視線を合わせ、先輩が仰る。
そう仰って下さるのは純粋に嬉しい。
するとジュンコを見ていたままの体勢で、先輩がぼくに視線を向けた。

「そう言えば、孫兵くんは今日は来るのが珍しく遅かったね」
「えっ、あ、す、すみません…その、授業が長引いてしまって…」
「謝らなくてもいいよ。…ああ、でもジュンコ達は孫兵くんが遅いと寂しがるね」
「………先輩は」
「うん?」
「……、…いえ、何でもないです」

至近距離で首を傾げる先輩の顔を見て、言葉が出なくなる。
先輩は寂しがってはくれないんですか?なんて無粋な思いが湧きたってくるが、聞くことは出来ない。
気持ちをはぐらかすように視線を先輩から外し、ジュンコの頭を撫でた。

「…私も寂しいよ?」
「えっ?」

そんな先輩の言葉に思わず顔を上げる。
屈んでいた身体を起こした先輩は変わらず優しい笑顔だった。

どうしてぼくの聞きたい事が分かったんだろう。
いやそれよりも、先輩も寂しいと思ってくれている?
それはどういう事なんだろう。
深い意味なんて無い、と思うけれど。
疑問と淡い期待がぐるぐると回る。

ぼくの葛藤すら読み取ったのか先輩はふふ、と小さく笑った。

「孫兵くんが言いたい事は不思議と分かるんだ。凄いでしょ」
「あ…」

かあっと顔が赤くなるのが自分自身でも分かった。
そんな顔を見られたくなくて、咄嗟にうつむく。
口にしなくても思いの内を理解してくれるなんて、考え過ぎかもしれないけれど、特別に思ってくれてるのかも…なんて思ってしまう。

「…ぼ、ぼくがジュンコの事を理解出来ると同じですね」

その期待も想いも、すべて先輩に見透かされそうな気がしてつい話を逸らす。

「そうだね」

頷く先輩を見て、ほっとしたような、どこか残念に思う気持ちが生まれる。
なんて自分は臆病なんだ。
自分の想いなんて前から理解している。
けれどそれを認めたらどんな顔をして先輩と会えばいいのか。
今まで生きてきた中で、こんな気持ちになるのは初めてだ。
だからどうするのが正しいなんて分からなかった。

「でも、孫兵くんも私のこと結構理解できるんじゃない?」
「え?そう…ですか?」
「うん。だって孫兵くん、よく私のこと見てるし」
「っ!?す、すみません!」

ばっと反射的に頭を下げる。
確かに、気付けば先輩を目で追うことが多かった。
居なければ自然と先輩の姿を探していた。
それすら先輩に気付かれていたなんて、ただただ恥ずかしい。

「だから謝らなくてもいいのに」

可笑しそうに笑う先輩の声が聞こえた。
…ああ、思えばそこで否定すれば話は治まったかもしれないのに、謝ってしまったら先輩の言葉を認めているようなものだ。
それも羞恥に拍車をかけ、この場から今すぐ走って逃げたくなる。

「…知ってると思うけど、私、周りから感情を表に出さないって言われることが多いんだ」

ぽつりと先輩が仰った。
顔を上げると先輩の顔はどこか寂しそうだった。
確かに先輩は他のくの一教室の生徒より落ち着いていて表情も余り変わらず…少し、言い方が悪いけれど、他の生徒と距離ができているようだ。

けれどぼくは知っている。
時間があれば、先輩は委員長が居ないこの生物委員会の手伝いをしてくださっている。
予算会議前で忙しい時に手伝ってくれたと左門に聞いたし、人手が足りなかった修復作業も手伝ってくれたと作兵衛に聞いたこともある。
口数は少なくても、本当は優しい方だ。
周りにそれが伝わっていないのは心苦しい。
先輩だって、辛く思っているはずだ。
なのに先輩はまたぼくの思っていることが分かったらしく、微笑んだ。

「…でも、私は今のままでもいいと思ってるんだよね」
「え?」

今のままでもいい?
先輩の言葉に驚く。

「皆に本当の私を知って貰わなくても、私はこうやって動物達と居ると自然でいられるし、笑えるし」
「先輩…」
「……もしかして、孫兵くんと居るからかも知れないかな?」
「え…?」
「孫兵くんはたぶん、周りのみんなより私のこと知ってくれてると思うから。…いや、自惚れかもしれないけどね」

そう仰る先輩は真っ直ぐにぼくの目を見て、そして微笑んだ。
優しい笑顔に再び顔が熱くなるのが分かるが、それでも今度は先輩から目を背けられなかった。
…それは自惚れなんかじゃない。
今、ぼくがどれだけ先輩のことを知っているかは分からないし、他の人たちより先輩のことを知っているかなんて比べようがない。
けれど先輩のことを知りたい、と思っている。他の誰よりも。

ぎゅっと拳を握り、ぼくも真っ直ぐに先輩を見つめる。

「…ジュンコのことは、ぼくが一番理解していると思います。でもぼくのことは先輩が一番理解してくれてると思っています。…だから今度は…これからは。名無し先輩のこと、もっと知りたいです!」

思いの丈を、始めてはっきり口にした。
捉え方によっては告白とも取れてしまうであろう言葉だったけど、紛れもないぼくの本心だ。
こんな事を言われて迷惑に思われたらどうしようとか、困った顔をされたらどうしようなんていう思いが頭を巡ったが、先輩は嬉しそうに「そっか」と仰った。
先輩が拒まず笑って下さったのが嬉しくて、ついぼくも表示が緩む。
すると先輩がすっと、ぼくに向けて手を差し出した。

「じゃあ、これからもっと仲良くしてね」

差し出された手と、先輩の顔を交互に見る。
はい、と緊張からか掠れ気味になってしまった声で答えつつ、手を出して先輩の手を握る。
優しく握り返して下さるその暖かい手に心まで暖かく包まれる、そんな気がした。
にこりと笑った先輩の顔はとても優しくて美しくて、つい見蕩れてしまった。

ああ、駄目だ。
もう気持ちを押し込めるのは出来ない、この気持ちに向き合わないといけない。

ぼくは先輩のことが、好きだ。