とある日の授業後。 廊下を歩いていた鉢屋三郎の後ろから声が飛んできた。
「三郎」
鉢屋が振り返るとそこには同じ組の竹谷八左ヱ門、不破雷蔵が立っていた。
「どうした?」 「この後時間ある?あるなら僕達と町に行かないか?」 「勘右衛門が美味いうどん屋があるって言ってたんだ」 「あー…」
そう言われるものの鉢屋は首を振った。
「悪い。今日は予定があってな」 「あーそうか。なら仕方ないな」
悪かったなと竹谷が言おうとすると鉢屋の表情がやけに明るいことに気付いた。
「なんか機嫌良いな、三郎」 「ん?そうか?いやー、まあでもそうかもな」
そうかも、と言う割には表情がどんどん緩んでいく。
「…もしかしてその予定っていうのはあの子と?」
それに思い当たる節があるらしく不破が聞いた。 すると鉢屋はこの上なく幸せそうな顔になる。 そして大きく頷いた。
「ああ!前から約束していた甘味屋に行くんだ!あいつがずっと前から行きたがってた所でな。あいつ、甘い物が好きなのにそれを表立って言うことが出来ないから何が食べたいとか何処の甘味屋が良いのか察するのが大変で…でも表情には出やすくてそこがまた可愛いんだ!」 「あーはいはい。分かったから」
次第に言葉に熱を込めだし語り始めた鉢屋に不破は「またか」と言わんばかりに手で制した。
「あいつ?って誰だ?雷蔵は知ってんのか?」 「ああ。というより八左ヱ門も知ってると思う。くのたま五年の」 「くのたま…あー!あいつか!前から三郎がしつこく付きまとってる「八左ヱ門んんん!それは語弊があるっ!」わ、悪ぃ」
鉢屋のあまりの形相に竹谷はつい謝る。
「そんな人聞きの悪い!私は付きまとってなんかいない!」 「わ、分かったって」 「ほら八左ヱ門も謝ってるから」
不破にもそう言われ漸く鉢屋は口を閉じる。
「…まったく、三郎はあの子のことになると見境なくなるんだから」
不破がため息をついた。 あの子というのはくの一教室五年生のとある少女のことだ。 ずっと前から鉢屋はその少女に想いを寄せていた。 余りの想いの重さに暴走することもままあった。 見境が無くなると言われ不満そうな顔をしていた鉢屋だが、はっと顔を上げた。
「こうしちゃ居られない!早く小松田さんに外出届けを出しに行かないと!」 「あ、ならついでに俺達も出しに行くか?外出届け貰っちまったし」 「そうだね。どうせならうどん屋さんに行こうか」 「だな」
慌てて走り出した鉢屋のあとを竹谷と不破もついて行った。
それから数分後、3人は門の外で掃き掃除をしていた小松田の元へやって来た。
「小松田さん、外出届けお願いします」 「うん、分かったよぉ。竹谷くんと不破くん2人分だね」 「あと私も。2人分お願いします」 「鉢屋くんもだね。…って、2人?ああ、くの一教室の子かぁ」 「はい」 「…あれ?でもこの子、今日はもう外出してるよ?」 「え?」
小松田の言葉に鉢屋だけでなく竹谷も不破も目を丸くした。 驚きで声が出ない鉢屋の変わりに不破が聞く。
「それ、本当ですか?」 「うん。だって外出届けだって貰ったし」 「え…外出…え?私と出掛けるって約束してたのに…!?なんで!?何でですか!?誰と!?何処に!!?」 「う、うわぁ鉢屋くん近い!近いって!」
我を忘れ小松田に詰め寄る鉢屋。 慌てて竹谷と不破が両脇から鉢屋を引っ張り引き離した。
「離せ、雷蔵!八左ヱ門!私はっ、私はただあいつを誑かした奴が誰なのか知りたいんだ!!」 「お前は落ち着け!!」 「そんな、誰かに誑かされたなんて分からないじゃないか!」 「そうかも知れないだろ!?いやそうだ、絶対そうだ!誰なんだ!六年生か!?それとも先生なのかッ!!?ああもう誰だとしても許さない!!!」
落ち着くどころかヒートアップしてきた鉢屋に竹谷も不破を手を焼き、小松田はただ慌てふためくだけだった。
と、その時。
「あ、ほ、ほら!帰ってきたよ!」 「!!」
小松田がそう言うと暴れていた鉢屋もぴたりと動きを止めた。 顔を上げると向こうから1人の少女と3人の下級生の姿がやって来るのが分かった。 近くに来るとそれが一年は組の乱太郎、きり丸、しんベヱであったのが見て取れた。
「出掛けてたのってあの3人とだったのか」
竹谷がそう呟く。 鉢屋は言葉が出ないらしくただ呆気にとられた顔をしていた。 その間にも4人は門の前にやって来た。
「ただ今帰りましたー!」 「あれ、竹谷先輩に不破先輩、それに鉢屋先輩も…って、何してるんスか鉢屋先輩?」
竹谷と不破に両腕を取られている鉢屋を見てきり丸が聞いた。 「いや、ちょっとね」と不破が誤魔化すように苦笑った。 首を傾げる4人だったが、乱太郎たちは少女の方を振り向き揃って頭を下げた。
「では先輩、今日はお誘いありがとうございました!楽しかったです!」 「いいえー。私も楽しかったよ」 「しかも奢って貰っちゃって!」 「美味しかったです、あの餡蜜!」 「そう?私が前から気になってた所でねー、今日は行けて良かったよ」 「え?」
その言葉に鉢屋が驚いた顔になる。 話を聞くと、鉢屋と行く予定だった甘味屋に行っていたようだ。 しかも少女の誘いで、だ。 驚いた顔をしていた鉢屋に気付き少女も「?」を浮かべたが、乱太郎たちが長屋に戻ると言いそれを手を振って見送った。 小松田もそれに付き添い忍術学園内へと戻って行った。
「鉢屋くんたちも外出?町の方だったら今日はどのお店も空いてたみたいだから良いタイミングかもしれないよ」
鉢屋の思う事などつゆ知らず、呑気にそう言った。 まるで約束のことは丸っと頭から抜けてしまっていたような口ぶりだ。 これにはさすがの鉢屋も立腹気味だった。 竹谷と不破に目配せし、ようやく腕を解放してもらう。 不機嫌そうな顔で少女を見る。
「どうしたの?」 「…私に何か言う事は無いのか?」 「え?」
聞くからに機嫌が悪い声で聞く。 何のことか分からないらしく少女は眉を寄せた。 しばらく考えた後、首を傾げながら鉢屋を見る。
「…ただいま?」 「……おかえり!」
怒るのかと思いきや、思い切り顔を緩ませ返事をした。 それを見て竹谷も不破も盛大に転ぶ。
「〜〜、三郎!そうじゃないだろ!なんで嬉しそうにしてんだ!」 「はっ!そうだった!」
竹谷に言われ鉢屋は我に返る。 きっと少女の方に向き声を荒らげた。
「お前っ、今日甘味屋に行ったんだろ!?」 「えっ?ああ、うん。そうだよ」 「お前が前から行きたかったって言っていたあの甘味屋なんだろ!?」 「うん。…あれ、というかよく知ってるね鉢屋くん。私、その甘味屋の話とかしたっけ?」 「なっ……!」
まるで約束の事など忘れているかのような口振りに鉢屋は絶句した。
「…?え?どうしたの?おーい、鉢屋くーん?」
言葉も出なければ動く事も出来なくなった鉢屋の顔の前で、少女がひらひらと手を振る。 しかし反応はない。 少女が首を傾げていると、事態が飲み込めてきたのか鉢屋はぎゅっと眉を寄せた。
「なん…っ…何で忘れてるんだ…!」 「へ?」 「わ、私はあれだけ…あれだけ楽しみに、してっ…いたのに…!!」
次第に語尾が震え始める。
「え?…えっ!?」
鉢屋の顔を覗き込んだ少女は驚き目を見張る。 その丸い目からはぽろぽろと大粒の涙が溢れていた。
「あれっ、えっ!?ご、ごめん!な、何かごめんね!?」
人目も幅からず泣く鉢屋にただただ少女は戸惑う。 何が悪いのかも理解出来ないまま必死に謝った。
「さ、三郎、何も泣くことないだろ」 「う、るさいっ!私にとってはっ、死活問題なんだ!!」
宥めようとした竹谷にも鉢屋は食ってかかる。
「ね、ねえなんで鉢屋くん怒ってるし泣いてるの…?」
困り顔で少女は不破に尋ねた。 聞かれた不破も困ったように眉を下げて苦笑する。
「大事な約束を忘れられちゃってたみたいだからね」 「や、約束……?」
そう言われてもなお少女は心当たりなど無いようだった。 困惑気味な竹谷と不破、そして怒った顔で未だ泣いている鉢屋に視線を送られ、ようやく察する。
「…え…もしかしてこの流れだと……私のこと?」 「そうだっ!!!」
急に鉢屋が声を荒らげたために少女はびくっと肩を震わせる。
「おま、お前が…!約束っ…!」 「え、えええ!?わ、私だったの!?約束とか、本当覚えて…えっ、ご、ごめん、約束ってなんだっけ…?」 「〜〜っ!!」 「う、うわぁぁ!ご、ごめん!」
少女の言葉に耐え切れず、ぶわぁっと鉢屋の目からまた涙が溢れ出た。
「で、でも本当、何のことか思い出せなくて…!」 「今日お前が行った甘味屋、三郎と一緒に行く約束だったって言ってたぞ?しかも今日」
泣いて言葉すら出せない鉢屋に代わり竹谷が答えた。 それを聞いた少女は顔色がさーっと引いた。
「え……そ、そうだったっけ…!?ああもう、私が悪いんだよね!?本当!本当ごめんね鉢屋くん!!」
あたふたと、少女は必死に謝る。
「ほら、こう謝ってくれてるんだからいい加減泣くのは止めなよ三郎。見っともないから」 「う…」
地味に酷いことを不破に言われ、鉢屋は落ち着きを取り戻し始めた。
「まあ、ほら。誰にだって間違いもうっかりもあるだろ?こいつだって わざとすっぽかした訳じゃねーし、そんな落ち込むなよ」 「…本当、ごめんね……」 「……いや、私も取り乱したりして悪かった…」
鉢屋がそう謝ると少女は首を横に振り「ううん、忘れてたのは私だから」と答えた。
「そういや、お前が今日行った甘味屋って橋を渡ったすぐ先にある所か?」
場が落ち着いたところで竹谷が聞いた。
「え?ああ…うん。出来てまだ半年くらいの甘味屋」 「八左ヱ門、知ってるの?」 「前に話題になってたからな。出来た当初は長い時間並ばないと駄目だって」 「そうなの。だから半年経ってから行こうかなーって思ってて…」 「…それ、約束した時にも言ってたよな」
鉢屋がぽつりと言った。
「えっ!?そ、そうだったっけ!?」
少女は焦った様に顔を上げたが、そこでふと気付く。
「…って、半年経って行こうって言ったなら…あれ、約束したのって半年くらい前だった…?」 「丁度半年前だ」 「半年って…そんな前だったのか…」 「…三郎、お前それ忘れられてもしょうがねーんじゃ…」
不破も竹谷も呆れたような声になるが、鉢屋はキッと睨む。
「私は忘れた事なんかない!あの時どんな話をしていたかも覚えている!!」 「ええ、そうなの!?わ、私なんて言ってたっけ…?」 「お前が『甘味屋が新しく出来たんだー、行ってみたいなぁ。でも人気あるみたいだからすぐに行ってもゆっくり出来ないだろうし…あ、半年とか経ったら空くかも。そのくらいに行こうかなぁ』って話してただろ!くの一教室の奴らと!」 「あー……そんな事もあったような気も…」 「……いや、ちょっと待とうか三郎。今の言葉からすると、三郎は彼女がくの一教室の生徒と甘味屋の話をしているのを聞いたんだよね?」 「ああ!」 「その後、その間に入って約束を取り決めたのか?」 「いや、私はそのまま長屋に帰ったな」 「…だったら三郎はいつ約束したんだ?」 「いや、約束は……………あれ?」
当時のことを思い出そうと眉を寄せて鉢屋は考える。
「……お前、本当に約束したのか?その時から丁度半年後、なんて話したんじゃねーの?」 「いや、半年って言うのは…半年すれば空くから行こうかって言ってたのを聞いて………聞いて?………聞いた…だけ、だった」
その言葉に再び不破も竹谷もコケる。 少女もポカンとした顔で鉢屋を見ていた。
「三郎!約束してないじゃないか!!」 「い、いやだって!私の中では約束したつもりだったんだ!!」 「彼女と甘味屋の話すらしてないのに『つもり』も何もないだろ!思い込みにも程がある!」 「うっ…」
竹谷にも不破にもぴしゃりと言われ鉢屋は縮こまる。
「…なんだ、約束してなかったのか。よかった」
少女が安心したように言った。
「ほら三郎、謝りなよ。彼女は何も悪くないのにあんなに謝らせたんだから」 「う……わ、悪かった…」 「いやいやいや、謝らなくてもいいよ!ただ私が焦っただけだし!」 「いやマジで濡れ衣にも程があるぜ」 「あはは」 「……」
少女は笑っていたが、傍の鉢屋は見るからに落ち込んでいた。 一緒に出掛けられると思って半年も楽しみにしていた気持ちも一気に奈落へと落とされ、約束を忘れられていたと勘違いして絶望し、その上その約束は実はただの思い込みだったなんて。 恥ずかしいやら情けないやら、何も言葉が出せなかった。
「…」 「どこ行くの三郎?」
ふらふらとした足取りで鉢屋は歩き出す。 不破の言葉に小さく「……部屋に帰る…」とだけ返した。 その背中だけでどれだけ気分が落ちているか感じ取れるほど、負のオーラが纏わりついていた。
「あ、待って鉢屋くん!」
少女が走りより、鉢屋の腕を掴んだ。 急に掴まれた腕に驚き鉢屋は足を止め少女の方を見る。
「なっ、え…っ」
掴まれた腕と少女の顔を交互に見て、鉢屋は言葉も出せずただ顔を赤くさせる。 焦る鉢屋には気付かず少女は話を続けた。
「今度さ、本当に甘味屋行かない!?」 「…え?」 「今回は色々と擦れ違っちゃったみたいだから。だから今度はちゃんと約束して!」 「…」
ね?と笑いかける少女の顔を、鉢屋は丸い目をさらに丸くさせ見つめることしか出来なかった。
「……?おーい、鉢屋くん?…あ、今更行きたくなんかない、って感じ…?」
再び鉢屋の顔の前で少女は手を振る。 我に返った鉢屋はぐっと身を前に出した。
「…っ!いや、行く!行きたい!!むしろ今から行きたい!!」 「いや、今はもうお腹いっぱいだから」 「あ…そうか……」
やんわりと断られ鉢屋はがくりと肩を落とす。 今しがた甘味屋から帰ってきたばかりの少女にしたら断るのも仕方が無いのだが。
「…明日はどうかな?私、予定ないし」 「!」
少女の言葉に鉢屋は返事をする代わりに何度も頷いた。
「じゃ、決まりだね!甘味屋でいい?それとも別の」 「何処でもいい!お前と一緒なら何処でも!」 「え?そう?」
鉢屋の真意など知らず少女は首を傾げるが、鉢屋が嬉しそうに笑っているのを見てつられて微笑んだ。 なんやかんやで良い雰囲気になりつつある2人を竹谷と不破は苦笑しながらも見ていた。
すると、学園内から「鉢屋せんぱーい!」と呼ぶ声が聞こえてきた。 その後に「どこですかー!」と別の声も聞こえてきた。 その声を聞くと主は学級委員長委員会である今福彦四郎と黒木庄左ヱ門だと分かる。
「三郎、お前探されてないか?」
竹谷に言われ鉢屋は「あ」と声を出した。
「…そう言えば今日は学級委員長委員会で集まりがあるんだった」 「おいおい…忘れてたのか」 「そりゃあ甘味屋に行くことの方が大事だったからな!」
正しくは少女と共に行くことが大切なのだけれど。 何故か悪びれることもなく言う鉢屋に不破は呆れたような顔になる。
「そんな偉そうに言う事?」 「うるさい!」 「…鉢屋くん、一年生の子たちが探してるけど行かなくていいの?」 「はっ!そ、そうだな、行ってくる!」
少女に言われ鉢屋は慌てて駆け出した。 が、途中で振り返り少女の方を見る。
「明日っ!約束だからな!」
そうはっきり言った。 少女は優しい笑い、手を振る。
「楽しみにしてるね!」
少女の笑顔を見て鉢屋も嬉しそうに笑い声のする方へと走っていった。
「…まあ、なんとか機嫌も直ったようだし良かったな」 「そうだね」 「お前も大変だな、振り回されて」
竹谷と不破が苦笑いをして少女の方を見る。
「いや、そんなこと無いよ。…それに鉢屋くんのことちょっと分かったし」 「え?」 「鉢屋くんって、甘い物が好きなんだよね!あんなに甘味屋行くの楽しみにしてるんだから」 「……」
人は見た目によらないよねー、とどこか酷いことを笑いながら話す。 それを見ていた竹谷も不破も、 「(いやお前のことが好きなんだよ)」 「(いや君のことが好きなんだよ)」 と言いたかったが堪える。
「…少しずつでもいいから三郎のこと知っていけばいいよ」
不破の言葉に少女は笑った。
「うん、そうだね」
2人が共に歩き出せる日は先になりそうだが、明日はその小さな第一歩になることに違いはなかった。
おわり
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