「わあーすごい…」

「思ってたよりでけぇな」


その一言で、先生も初めてここの水族館に来たんだと知る。それがやけに嬉しいのは多分まだあの綺麗な女の人が頭に残ってるからだ。忘れようと決めたのに。わたしの決意は弱くてもろいんだな、うん。


「あ!ペンギン見たい」


とりあえず今考えてることを頭から追い出したくて、興味のあったペンギンのことを言ってみる。


「おー」


そう言って優しく笑う先生。それに安心する自分。ごめんね先生、わたしの心の中は酷く汚くて黒い渦でいっぱいなんだ。全然純粋じゃないんだ。だから、だからそんな笑顔でわたしを見ないで。


「名前?」

「………」

「どうした?」

「へ?あ、何でもないよ!はやく行こう!」

「おー」


まだ怪しそうにわたしを見る先生にどうしてもこの感情だけには気づいて欲しくなくて、精一杯の笑顔を向ける。そこに気付いてもわたしが言うまで待ってくれる先生の優しさがまた少しつらい。それが我が儘だってことくらいはわたしにも分かるけど。



「潜ってるよ先生!かわいいー!」

「そうだな潜ってるな。で名前もお仕置きな」

「……!」


今まで頑張ってきたのが水の泡だ。やってしまった。先生って呼んじゃった。お仕置きってなんだろう。もう帰るとか?口聞いてくれないとか?先生に触るの禁止とか?


「んなびびんなくても平気だから」

「……お仕置きって何ですか?」

「キス。あ、名前からのキスとかいいな」


まるで小さい子がいたずらを成功させた時のように笑う先生。


「わたしからなんて、む、無理です!」

「まあ、初めてのお仕置きだから多めにみてやるよ。ってことでお仕置きはただのキスだな。」

「ここで?」

「当たり前だろ」

「人がいっぱいいますってば!」

「んなの関係ねぇーよ」


わたしの抵抗なんて気にも止めずに徐々に近づく先生の顔。思わず目を閉じる。そして唇に………


あれ?何も起きない。からかわれた?とか思いながらゆっくり目を開ける。先生の顔は確かに目の前にある。


でも、わたしを見てない。わたしを通り越した後ろの何かを見てる。何か面白いものでもあったのだろうか。わたしも無意識に振り向く。

……ああ、振り向かなければ良かった。視線の先には先生と並んで歩いていた女の人がいる。周りも友達だと思われる女の人だけ。そしてあの人がこちらに気付く。先生は気まずそうな顔をする。
なんで?なんでそんな顔をするの?わたしが隣にいるから?先生がわたしにキスしようとしてたのを見られたから?ねぇ、なんで?

ゆっくりと着実に女の人は近づいてくる。でも会話なんて声なんて聞きたくなくて、あの人に見せる先生の顔をどうしても見たくなくて。


「…先生、わたし先に帰りますね。先生はあの人と話とかあるんでしょう?だから、帰りますね」


そう言って走り出す。車で来たのにどうやって帰るとかすべも分からないのに、ただただ走った。後ろで先生がわたしの名前を呼んだ気がした。でも、いま振り向いたら先生から離れられなくなる。だから振り向かない。



それから意外と近くに駅があって、駅員さんに聞いて帰ってきた。
帰りは悲しくて悲しくてずっと泣いてた。もうなんで泣いてるのか分からなくなるくらいに。でもね、先生。ちょっとくらい追いかけて来てくれるかな、って思って信じてたんだ。だけど、とんだ自意識過剰だったね。先生の中でのわたしは、ほんとに小さい存在だったんだ。悲しくて悔しくて先生を責めたくて。
でも、どんなに小さくても少しの間でも先生の中にいれたことが嬉しかった。だけど本当は、もっともっと先生といたかった…そんな我が儘でさえ神様は叶えてくれない。



そして歯車は狂いだす