短編 | ナノ


この蕾のような気持ちになんて名前をつけようか【金出】


この場所はあまり好きではない。煙草臭くて煙たくて一人で来るには少し怖くて。でも自分のお気に入りのガールズバンドが演奏するから一人でも来てしまう。出雲は買った飲み物をもう全部飲み干してしまったが、買い直す気はない。自分のお気に入りのバンドさえ見れればもう帰る予定だからだ。煙草の煙のせいで喉が痛いし、頭がぼーっとする。途中までは外に出ていたが、次の次にまで自分のお気に入りのバンドが迫っていた。

(やっぱりギリギリまで外に居れば良かったかな)

今歌っているバンドが終わってももう一バンドあるから、まだ時間的に外に出れることは出れる。しかし今日はどのバンドも人が多く、もしかしたら自分のお目当てのバンドの時に前の方で見れないかもしれない。人気があるバンドなのだから、その可能性は十分にある。あと今日は自分一人だけの参戦で(朴は体調が悪くなってしまって来れなかった)外をぶらぶらする気にもなれない。それなら興味がないバンドでも音楽を聞いていたかった。

(って言っても喉が痛い)

今のグループが終わってとりあえず拍手。少し照明が明るなって次のバンドまでそのまま待っていると、まだ余裕のあった空間が徐々に狭まっていくのを出雲は確実に感じた。人がどんどん増えている。基本的に出雲は自分の好きなものばかりを見ていて他のバンドの事には疎い。もしかしたら有名どころのバンドが来ていたのかもしれない(いつもは朴が教えてくれるのだが)。あまり興味はないが、そんなに良いのかと今日一番の密集度の中、心を弾ませる。出雲はガールズロックが好きだが、他の音楽も勿論聞く。朴と一緒だったらいろんな音楽を聞いたりするし、それに感化されて他のバンドを好きになったりもする。こうやって一人で発掘するのも楽しい。そしてたまには自分が朴にバンドを教えてあげよう、なんて。
照明がふっと暗くなる。全員が出てくるが照明がまだ暗くてよく見えないが、ファンであろう女の子がきゃあきゃあと黄色い声を出した。女の子に人気なのか、と出雲は少しむっとした。歌はそこそこで顔が良いから売れるバンドもあり、出雲はそれを嫌った。けれど女の子のファンがいるのは当たり前で、自分の先入観に偏見はだめだと頭を振る。女の子がきゃあきゃあ言うバンドなんて山ほどいるのに、と自己嫌悪。ドラムの人がMC担当らしく挨拶を簡単にして曲名を告げ、すぐにリズムを取り出す。

ライトが一気に輝き出し、出雲は目を奪われた。先ほどの偏見なんてすぐにどこかへ飛んでいくほどの、すごい迫力だった。ドラムから始まって紡ぎだされる音楽は爆音で、煙草の煙で霞んでいたぼーっとしていた頭の中に叩き込まれた。それからその音楽の波に乗ってくる歌声が脳を揺らし鮮やかに音を弾いていく。ライトでちかちかとしていた目は慣れてくるとそのバンドを美しく映し出す。こんなに胸が高鳴ったのは今追いかけているガールズバンドの曲を初めて聞いたとき以来だ、と思った。

(すごい、私このバンド好きだ。……………ん?)

胸が高鳴り、どう表現すれば良いか分からない感動の中、出雲はボーカルの男をよく見た。腹の底から声を出すようにして歌う彼に出雲は見覚えがあった。金髪、そして赤いピン止め、顔をあげるとたれ目。毎日のように見ている塾生と瓜二つのような顔。出雲は息をするのも忘れるほど驚いた。
この夏に会った事がある。ここではない彼の生まれた土地でだ。勝呂家の門徒、志摩家の四男に当たる。出雲が廉造と話しているときに「出雲ちゃんバンドとか聞きに行くん?え〜嫌やわぁ、もしかしたら俺の兄貴…四男の金造いうねんけど、会うかも〜」と冗談交じりにへらへらと言っていたことをふと思い出した。まさか本当に会うとは。あの廉造の兄弟にこんなにも心を揺さぶられているなんて、と出雲は訳の分からないショックを受けた。

いろいろ考えたいことはあったが、今はこの音楽に集中しよう。出雲は何も考えず、音楽に身を任せた。一曲歌い終わると出雲は自分の手が痛くなるほど拍手をした。もう一度曲名を言ってドラムの人が話し出す。関西を中心に回っていて、こっちの方に来るのは半年ぶりらしい。金造はいつも喋らないのだろう。メンバーも別段話を振ってくる様子もない。他のメンバーと面白おかしく話している間にペットボトルで水を飲む金造が会場全体を見渡していた。すると金造の目と出雲の目がパチンと合って互いに少し見つめ合う時間が出来た。出雲と金造は夏の数日の間に少し顔を合わせて話しただけだ。自分の事を覚えていることはないだろうし、偶然だろうと出雲は考え、目を逸らした。それからちらりと見返すが、金造は目を離さなずにいる。もしかして覚えているのだろうかと軽く会釈をするように頭を下げるとふいと目を逸らされた。

(なんなの、一体)

あの人は一体なにをして欲しかったんだ、人の事は言えないけれど愛想の悪い人だ。そう思っていると二曲目が始まった。会った時から愛想がない人だと思っていたが今はそんなことは関係ない。知り合いとしてここにいるのではない。観客としているんだからと今の事を忘れて曲にのめり込んだ。全てが終わって金造のバンドががはけると大きな拍手が湧き上がった。出雲は興奮でどきどきと胸が高鳴ったままだ。自分の知り合いの兄というのが少々気にかかるが、朴と一緒にまたこのバンドを聞きに来よう、心の中でそう決意した。今日の曲はCDになってるって言ってたな、他の曲もあるんだろうか、なんて考えている間に、ようやく今日一番聞きたかったガールズバンドが姿を現し、出雲はまたもステージに釘付けになった。





「あー…夢みたい」

こんなに良いライブ、滅多にない。出雲は鞄を愛おしそうに撫でた。そこには金造たちのバンドのCDと出雲のお気に入りのバンドのCD2枚が入っていた。まさかCDを買ってしまうなんて、と自分で驚いたがあの声をもう一度あの音楽をゆっくり聞きたいと思ってしまったのだから仕方がない。あれからすぐに帰ろうとしたけれど、ライブハウスの中が大盛り上がりしていたため結局最後まで残ってしまった。全く知らないバンドばっかりだけれど、それでも良い音楽に触れあえたと出雲は未だに胸が高鳴っている。
階段を上っていくが、なんだか人が多い。階段を数段上がると何人かさっきステージ上に上がっていた人たちが外に出ていたからかと理由がわかる。手に箱を持って今日のライブのアンケートを回収しているようだ。出雲はその人ごみをかき分けて、ようやく外の澄んだ空気を吸えた。今日は寒くなると聞いていたため、暖かい恰好で来たはずなのに冷え込みはそれ以上だ。マフラーをしっかりと巻いて駅のある方面へと歩き出す。するといきなりビルとビルの間からぬっと手が出てきてそのまま引きずり込まれた。

「きゃあっ!」
「でかい声出すなや」
「や、離し……っ…あ」

いきなりの事にその手を引っ掻こうとしたが、その声とイントネーションに覚えがあってすぐに動きを止めた。見てみるとやはり、派手な金髪はニット帽に隠して私服に着替えた金造がそこにいた。ぱくぱくと口を開閉すると、なんやねん、と自分が引っ張ってきたにも拘らずに実にふてぶてしい態度だ。

「なぁ、ここらへんで茶ぁできるとこない?」
「は?」
「寒いから茶したいねん」
「急に言われても……えっと、ここ真っ直ぐ行ったところに遅くまでやってる…」
「よっしゃ連れてって」
「え、ええ!?ちょっと…っ!」

横掛け鞄の紐を引っ張られながら先ほど指さした方向にぐんぐん進んでいく。いきなりのことで何が何だか分からない出雲は自分より歩幅の大きいこの男に転ばずについて行くのがやっとだった。声を出して金造を止めたいが、誰かがこの状況に気づくとまずいんじゃないかとも思う。出雲から見て金造は顔は良い方だと思うし、今日の盛り上がり方を見ているときっとファンも多いだろう。そんなバンドマンが女の子のカバンをぐいぐい引っ張りながら歩いているだなんて知れたらファンの間で噂話になってしまう。こういう話しがすぐに回るという事は出雲も知っている。金造もそうならないように最初人気のないビルの隙間に自分を引っ張ったのだろうと考え、口を噤んでされるがままに身を委ねた。

「あったあった」

お目当ての店が目の前に現れ、ようやく解放されると思えば、そのまま出雲も引きずられて店内に入った。まぁ座れ、と言われて店の一番奥の席に案内されて、コートとマフラー貰うわ鞄もこっちおけるし、とてきぱき一緒にお茶をする気満々だ。強引過ぎて何が何だか分からない状態の出雲はどうすれば良いのか分からずとりあえずその通りにした。コートとマフラーを預け、鞄は自分のところにも置けるので遠慮しておいた。

「金造久しぶりだな」
「あーうん、今日ライブしててん」
「女の子とか珍しいな」
「ん。俺珈琲で…なぁ、珈琲?紅茶?」
「え、あ…こ、紅茶」
「紅茶お願い。どっちもホットで」
「あいよ」

金造がライブ後だと分かると他の席から見えないようにパーテーションを立てた。店員が「ファンの子に見つかるとうるさいからね」とにこにこ答えていたのを見ると何度も金造がここに通っていたというのが分かる。

「お前名前なんやっけ?」
「はぁ!?」

落ち着いての第一声がそれか、と出雲は素っ頓狂な声をあげてしまった。ここまで連れてくるんだから自分の事を覚えててくれたのかと思ったのにとんだ間違いだったようだ。

「廉造の同期やろ?ちゃんと覚えとる。でも名前聞く機会なかったやん」
「…ああ、そういえば」

あのときはすぐに任務で挨拶も碌にしていなかった気がする。しかも金造と出雲はほとんど接点がなかった。名前を知らないのは当たり前かもしれない…と出雲は納得しそうになったが、名前も知らない女の子をいきなり連れまわすのはやはりおかしい。しかし塾で一緒に学んでいる男子の兄だ、粗相もできない。例えメアドを何度も何度も聞いてくるようなしつこい男の兄でも、だ。

「俺覚えとる?廉造の兄貴の金造」
「覚えてます。私は…神木出雲、です」
「出雲な。多分覚えた」

多分ってなによ失礼ね!名前呼び捨てとか馴れ馴れしいのよ!といつもの調子で言いそうになったけれど、金造は出雲よりも5つ年上だ。そんな言葉づかいは出来ないとギリギリまで出かかった言葉を飲み込んだ。

「一人で来てたん?」
「はい」
「女の子一人でライブハウスは感心せんな」
「友達が体調悪くて来れなくなってしまって。でもどうしても見たくて…」
「どのバンド?」
「金造さんの次の……」
「あー、ミケさんとこ。あそこええよな」

そこから飲み物も運ばれてきて、話が盛り上がった。金造は出雲が好きなバンドのことを知っていたらしく、いろいろ教えてくれた。今新曲をまた作っている最中で大変そうだっただとかまた路上ライブするとか。HP上に載せてないけれど、仲が良い人なら知っている情報をいろいろとくれた。
そこから出雲の学校の話になって、廉造がアホで大変やろ、と少し兄らしいところもあるんだなと思いつつ日々の生活について話した。祓魔塾の事も勿論知っているから、学校で話せない内容も話せて出雲は会話を楽しんだ。

(……ってなんで私はこんなところで談笑してんのよ!)

気が付くと時間もだいぶ経っており、完全に金造のペースになっていた。こんなことになるとは思ってもみなかった。こちらのペースを完全に崩されてしまう。話を合わせてくれているし、楽しいのだがおかしいだろう。偶然会って、ほとんど話したこともないのに二人っきりで話だなんて。

「あの…」
「なんや」
「この店、前から知ってたんですよね…?なんで私に案内なんて」

さっきからずっと聞きたかったことを思い切って問いただした。お茶ができるところと言われて、出雲は確かにここを指して道筋を説明した(それも途中で中断させられたわけだが)。知っていたなら出雲に場所を聞かなくても良かったし、声をかけなくてもそのまま一人で行けばいい。

「ここら辺でこの時間までやっとるカフェなんてここくらいやろ。なんやライブハウス初心者っぽくなかったし知っとるかなーって」
「はぁ…」
「で、案内させたら絶対ここ言うやろなって」
「それなら私の案内要らないじゃない…」
「あん?そんなもん、なんの前置きもなくお前連れてったら逃げそうやったし」

案内って建前あったら逃げへんのちゃうかなと思て。
そういって笑う五歳も年上に唖然とする。もっと言葉を濁すとか、逃げると分かっているんならこんなことをするなとかいろいろ言いたいことがある。だが、出雲は金造のなんの悪びれもない顔を見るとそんなことが一気に頭から零れ落ちて脱力する。だめだ、年上という事もあるからか、いつもの調子が出ない。

「なんなの…一体」
「出雲と茶ぁしたかった。それだけや」
「な……っ」
「メアド教えてや」
「えっ」

おらはよ携帯出せ、と言わんばかりに手を出してくる金造に、そろそろと携帯を出した。

(あれ……なんか私、この人相手だと押し切られてる?)

自分のメールアドレスを表示すると携帯ごと奪われて赤外線通信を始めた。よっしゃ、と携帯を返してもらうと、まだ廉造のメールアドレスすら入れていないのに(出雲が拒否しているため)金造のメールアドレスが登録されていた。

「あ、あとこれやる」
「……要らない」
「はあ!?」

机にぽいと出されたものは金造たちのバンドのCDだった。滑らせるようにして出雲の方にCDを投げたが、また滑らせるようにして戻ってきた。おい!と怒る金造に、出雲は自分のカバンから同じCDを見せる。

「……さっき、買わせて貰いました」
「…なんやねん、そんなん先言うたらやったのに」
「別に、買えたからいい」
「そんなに良かった?俺らの」
「…」

にやにやと笑う金造に感想を述べようとしたが、本人の前で感想など言えるわけもなく別にと呟くのが精いっぱいだった。しかしその手に大事そうにCDを持っているというだけで金造は十分に答えを貰っている。

「また東京遠征すんのいつか分からんけど、あったら来てや」
「…」
「日程送る」
「……どうも」

ちょっとお手洗い、と出雲は席を立った。このよくわからない空間からとりあえず抜け出した。用を済ませて手を洗う。石鹸のにおいを嗅ぐと、自分が今いかに煙草臭いか分かる。だからライブハウスは嫌なのだ。あらかじめ持ってきていたヘアスプレーで少しにおいを変える。消臭効果があってほんのりとミントの香りがするものだから多少は臭いも消えるだろう。香水もつけようとしたが、これ以上においを重ねると自分の鼻が今以上にもたないと思ってやめた。髪の毛のにおいが薄くなっただけマシだ。
時計を見ると結構な時間になっていてまずい、と思う。寮の門限までに帰れないのは分かっていたが、こんなにも遅くなるとは思ってなかった。友達に寮の鍵を開けて貰うように頼んでいるからこれ以上遅くは帰れない。化粧室から出ると、金造は先ほどの場所にいなかった。きょろっと見渡すが狭い店の中、他の客しかいない。

「ここで少し待っててほしいって伝えてくれって金造が」
「え?」
「でもそろそろ来るからコートとマフラーだけ返しておこうかな」

店員からコートを貰ってのろのろと着替える。そして最後の一口の紅茶を飲んで時計を見る。出雲はすぐに帰れるように支払いだけでも先にと店員を捕まえる。

「すいません、お支払させて貰っていいですか?」
「あーもう金造から貰ったから大丈夫だよ」
「えっ」

にしても遅いね、と店員がドアを見ると、金造がタイミングを計っていたかのように現れた。

「おい、帰んで」
「へ?」
「ほなまた来ますわ」
「おー。CDありがとうなー」

店員とあいさつをするとそのまま外へ出て行ったので出雲も急いで金造についていく。
店の前には大型のバイクがあって金造がそれに乗ってヘルメットを被っていた。そしてもう一つ取出し、それを出雲に渡す。

「え、えっと」
「電車もバスも少ないやろ。タク飛ばすんも金かかるし、送るわ」

東京のダチが車貸せへんいうからバイクで申し訳ないけど。あ、ダチのでもこれ何度も乗ったことあるし俺無事故無違反やから安全だけは保障するわ。つーかとりあえず被れ。
なんも問題も文句もないよな?と言うようにヘルメットを出雲に被せてエンジンをかける。本当に良いのだろうか、と思いながら早く、と急かされればまた金造の言うとおりにバイクに乗った。バイクなんて乗ったことがないため、どうやって乗れば良いのか分からないが、なんとかよじ登るようにして乗れた。

「の、乗れまし、た」
「よっしゃ。きつうに掴んでええから」
「どこを」
「俺の腹。絶対緩めたらあかんで」

腹、と言われて恐る恐る手を金造のわき腹にやった。なんとなく恥ずかしくて服を少し掴む程度でいたが、振り落とされたいんか、と金造の手によって掴むというより出雲が金造を抱きしめていると言った方が正しいほどになった。そこでようやくバイクが動きだし、そのまま寮へと向かう。

(わ、はやい…っ)

びゅんびゅんと早い速度で道路を走るのは車と全然違う。冷たい風が直接当たるし、振動が大きい。出雲は無意識により一層金造に回している腕の力を強めた。それでも金造が前にいてくれるから我慢できないほどではない。兄弟なのに、やっぱり五歳も離れているからだろうか、金造は大人びて感じるし(前はもっと子供っぽいと思っていたけれど)いい加減とか軽いなどとは微塵も感じない(廉造には感じるのに、だ)。趣味が同じだからだろうか、離していても楽しいし、祓魔塾の事を知ってるし、祓魔師として先輩だからきっと見習うところが多々あるだろうし。出雲は今日の事をいろいろと思い返す。バイクで送ってくれたり、カフェで楽しい話を聞かせてくれたり、ライブで歌っているのがすごくかっこよくて…。そこまで考えて、なにがかっこいいだ!と自分の思考にツッコミをいれる。同期の兄にあたる人だ、これからライブを見に行かせてもらうかもしれないけれど、かっこいいだのそういう事ではなくてただ単に音楽が良いからであって、あの声がすごく自分の好みで……と自分の頭の中でぐるぐると考え込む。

「……ぃ、おい、おい出雲」
「…へ?あ、」
「着いたで。ここからやったら帰れるやろ?」

何時の間にか目の前には見慣れた景色。この大きな音であまり近くにまで行ってしまうと先生にばれるだろうからということで少し離れたところで金造は出雲に降ろした。
寮には入れるな?と聞かれ、友達に開けて貰えると答えれば、もう夜遅いからすぐに寮に入れやと言った。

「あの、紅茶代…」
「ああ?…あーそんなん要らんわ」
「でも、」
「俺が勝手に引っ張ってきてんから。つーかメット」

それは返してもらわんとあかんで、と笑われてすぐに返した。

「ありがとうございます」
「別に……なんかええにおいすんな」

スン、鼻を鳴らした金造は出雲の長い髪の毛から一房持ってこっからええにおいする、と言えば、顔を赤くした出雲がさっと自分の髪の毛を奪いとる。恥ずかしくてついすぐに行動に出たが、変に思われてしまっただろうか、と脳裏をよぎるが、金造はケロリとした顔だったので杞憂に終わったようだ。

「す…スプレーしたから」
「ああやからか。出雲からライブハウスのにおいせんの」

そのにおいええな、というと、エンジンをふかせる。もう帰ってしまう、最後になにか言いたいと出雲は言葉を探す。

「あの、ライブ頑張ってください」
「おう。頑張れ思うならまた見に来てや」
「絶対、絶対行きます!」
「あとメールも無視すんなや」
「しません、多分」
「ふは、多分ってなんやねん。ほな、またな」

頭を撫で、金造は来た道を戻って行った。なんだか今日は不思議な体験をした。でも全然嫌ではなかった、と思う。多少強引なところはあるにしろ、やっぱり良い人だと再確認できた。
出雲はうっすらとだがあの夏の任務の時、金造と少しだけ話したことを覚えていた。その時に悪い人ではなさそうだ、という印象を受けたため今日は再確認だ。

(…また、会えるよね)

撫でられた頭を自分で触った。なんだかまだあの人の手の熱があるみたい。バイクが見えなくなるまで、テールランプの残像も見えなくなるまで出雲はその道路を眺めた。



<了>

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