長編 | ナノ


いきぐるしいのはキスのせい


「苦しかったら、言うてくださいね」

もう何度も何度もこういう行為をしているのに金造は聞いた。これは紛れもない優しさだ。しかし今は自分が女ならばこんなことを言わせることもなくできるんだろうか、なんて叶わないことを考えて悲しくなった。


休日。朝をゆっくり過ごして朝昼兼用のご飯を一緒に食べてから買い物に行ったり洗濯物を干したり掃除したり。何気ないことを二人で行う。それに小さな幸せを感じて夜も共に過ごした。いつもの休日。
寝るにはまだ早く、金造は歌詞を書きたいと言って勝呂は本を読みたいと言った。じゃあお互い静かにしようということになってソファに隣同士で座って各自したいことに没頭する。最初は隣あって無言無音状態で過ごしていたのだが、金造がテレビをつけたいと言って勝呂が了承した。バラエティ番組はどれも笑いに満ちていてその音を聞く気になれなかったし、ドラマもそうだ。そうやってチャンネルを変えていって最終的に落ち着いたのは教育番組だった。
優しい声のナレーションにヒーリング系の音楽。雄大で青々しい海に魚たちが泳いでいる画面。これならどちらの邪魔にもならないと判断してリモコンを置いた。小さな魚たちがどんどん大きくなって海豚やクジラが出てくる。その生物たちが緑の覆い茂っている陸にあがり、小さなネズミほどの動物となって恐竜も現れて。BGMとして流しておこうと思っていたのに、そのグラフィックの美しさに2人とも見入ってしまう。
人間の紹介がされたとき、聖書のアダムとイヴの話が出てきた。世界は男と女が必要なのだとナレーターはいう。男と女は子を成して子孫を増やして、そして死んでいく。そうやって人間は生きてきてここまで進化してきたのだと当たり前のことを当たり前に言う。だからこそ、2人は現実というものを不意討ちで突き付けられた。お前たちはこの中に入っていないねと、そうやって進化してきたのにお前たちは出来損ないだね、と誰でもない自分の心が言う。

2人だけの時間を誰にも邪魔されず、そして幸せに過ごしていただけだ。なのにその時間を過ごせるのはもう残り少ないと言われているようで、ぬるま湯にいつまで浸かっている気なのだと言われているようで(誰に?)(世界に、だ)。
画面に映る子供は多分でも確率的に低いというわけでもなく、2人の間にはできない。絶対、必ず、どう足掻こうとも出来ない。そういう決まりなのだ、この世界は。それは互いに重々承知していたし承知して付き合って今のような生活をしているのだ。けれど急過ぎて受け入れても耐えられるだけの心積もりが出来ていなかった。2人とも息をすることができなくて顔を顰める。今これをどう思ってみているだろうか、俺はこんなにも考えているけど向こうはどうだろうか。お互いがお互いの気持ちを聞きたいのに聞けない。いつもなら軽く受け流せるのになぜか出来ずにぐずぐずと心に溜まる。自分の未来について、相手の未来について。こんなこと考えても仕方のないことだと分かっているのに、だ。

「……金造?」
「坊、こっち来てください」

ちょいちょい、手招きされた方に立ち上がっていく。ソファの後ろにある自分たちのベッド、金造の方だ。どうしたと聞く気にもなれず、勝呂はそのまま金造のベッドに座った。ピッと電気がリモコン操作によって消されてテレビの画面だけが青白く浮かび上がる。

「なん、」
「やりましょう、ね?」

座っている勝呂をゆっくりと押し倒し、頬にキスをした。影になって勝呂は金造の表情が読み取れない。まるで生温かい水にどぷんと浸かっているような居心地の悪さのようなものを感じた。さっきまでの幸せな気持ちはもうない、どこかに身を潜めてしまった。

「や…めぇ金造、いやや、今日はしたない」
「坊お願い、な?ええ子やからじっとしとって」

子供をあやすような声をかけてから勝呂の服を上に捲り上げ、それを拒否するように勝呂が手を出すとあかんよ、と退けられる。腕の中途半端なところまで脱がして、服がまるで手錠みたいになっていた。金造は腕の中に入りこんでそこから何度もキスを降らせる。勝呂も慣れてきた目でようやくぼんやりではあるが表情が読み取れて先ほどよりは若干安心するが、居心地の悪さは薄れてくれない。舌を擦り合わせるようにして舐められてざらりとした感触がすると、背筋に水かなにかを垂らされたような、胸を張らざるを得ないような快感と呼べるかわからないものが走る。飲み込めなかった唾液は口の端から零れおちていき、金造の手によって拭き取られた。最初こそ余裕のあるキスであったが受けている勝呂は徐々に息があがって鼻呼吸だけでは追い付かない。

「んむ……っきんぞ、」
「坊顔あつい」

金造が手の甲をぴたりと頬につけるとかなりの温度差があって、自分だけが必死になっているようでさらに恥ずかしくて熱くなる。いつもと違う、いつもの行為がほんの少しだけ怖い。

「もぉ…ええやろ」
「もうええてまだなんもしてませんえ?」

金造の頭が下がり、勝呂の顔から首へ鎖骨へと移っていく。鎖骨を歯で軽く噛まれるとずくりと下半身に血が集まって熱くなるような気になったが、それ以上どうしたいということはなかった。
口でやめろと止めながらもそれを行動に移さないのは、金造の行動を尊重した方が良いのか突っぱねても良いのか考えあぐねているからだ。勝呂自身の気持ちは「今は止めてほしい」だ。しかしここで突っぱねると金造が傷つくというのもなんとなく分かっている。今は傷つけても大丈夫なのかどうなのか、分かる程まだ勝呂は大人になりきってはいない。

「ぅん…っ」

ようやく衣類から手を抜き取って自由になる。金造の肩に手を置いて少し押すが、それ以上の力で押し返してきて結局離れはしない。肌にチリチリとした痛みが走っているのはきっとキスマークを残しているからだと混濁とした意識の中で分かる。

「は……、坊すんません、ちょお痛いかも」
「ん……?…ぃっ!」

横腹の、皮の薄いところに痛みを感じた。身体を持ち上げて薄明かりの中で目を凝らしてみてみると、金造がそこに歯を立てていた。同じところに何度か歯を立て、満足したらまた違うところに歯を立てる。

「…は、噛んだ痕残っとる」
「ぃた…金造やめ、痛い…っ」
「坊、の、肌…俺の歯型めっちゃ映えますね」

思い切り押し返して怒鳴れば金造はもうしてこない。勝呂は自分の本当に嫌がることをしないやつだと分かっている。しかし、痛くて拒否したいのに力で拒否してしまうときっとこの先の関係で大きな亀裂が入ってしまうような気がする。同じような焦燥感を抱いているのはきっと同じだ。気持ちが同じときに突き放す事をすれば関係が崩れる、という勝呂は結論にたどり着いた。
普段金造の芯の部分は自分よりもブレない。勝呂も芯は人よりもしっかりしていると自負しているが、それ以上に金造はブレないと思っている。仕事でもプライベートでも揺れることを知らないように自分を持って行動する様は勝呂も見習わなければと思うところだし尊敬もしている。だからこそ、肌を触れ合っている今この時にぐらついているのがしっかりと分かる。金造を突き放せば、この場は平気でもこれが小さな蟠りとなっていくだろう。その先にあるのは確実な別れだと思う。
知らされる、ただの教育番組のナレーションだけでぐらつくような柔い関係性なのだということを。もう自立して自分の事は全て自分で決めれるくらい責任を負えるけれど、この関係だけは終着点すら見当たらない関係で、どうすれば良いか分からない。自分の手には余るもので、だけどそれを手放す勇気もなくて。この生活がなくなったあとの自分も想像できない。
今度は歯型を癒す様に慈しむように舌を這わせられる。そして手がスウェットの中に潜り込み、勝呂の自身を握る。

「……っ」
「、勃ってへん」
「いた…く、するからやろ」
「はは、そうですね」

じゃあ勃たせましょか、と笑いながら勝呂のモノを両手で上下に扱いた。急すぎるいきなりの快感に気持ちがついていかず、妙な気分になる。息は上がるが気持ち良さが伴わない。

「ぅ、ん、っ、っ、ぁ」
「なかなかですね」
「っ、も、ちょ…待て…っ」

ぴたりと止まった手の中のものは少しだけたちあがっただけだ。いつもなら前戯だけでもそれ以上にたちあがる。上がった息を落ち着かせようと大きく息を吸って吐く。なにか言わなければ、気の利いた何かを言いたいのに言葉が出てこない。必死に水の中に手を入れて掬おうとするのになにも掬えない。

「俺とすんの、嫌ですか?」

ちがう。今日、今この気持ちでするのが嫌なだけだと言いたい。けれど「嫌」という単語すら使ってはいけないと本能が告げる。金造を極力拒否したくない。拒否してはいけない。だけど自分の気持ちが追いつかずにいるのも事実だ。

「…っ、ちゃうよ」
「ほな続けてもええです?」
「…すんなら、ゆっくり、が、ええ」

目を瞑ってテレビの事を考えないようにする。聞こえる音はノイズと判断。耳は金造の息遣いだけに、感覚は金造の手だけに集中した。息を合わせて吸って吐いて。手の動きはいつもの金造だ。

「勃ってった…」

その言葉に安堵したのはきっと自分だけじゃない。くちくちと音がする程になってきたとき、後孔にひやりとした感覚がした。ローションを切らしていたから軟膏かなにかだろう。

「ん、きんぞ……まだ、そこ…」
「解すだけです」
「っ」
「…でも、入れれそうでっせ」

ここ、と言いながらぐりぐりと勝呂の弱い場所に指を何度も行き来させる。何度もしている行為だ。勝呂の身体を知り尽くした金造は勝呂がよく啼く後ろの場所を刺激しつつ、前の刺激も怠らない。気持ちが伴わなくとも金造の指が増えると身体は難なく受け入れた。

「ひ…っ、ぁ!」
「ほら、もうここ解れた」

ずるりとそこに入れられた指を出す。前にしてから日が浅いし負担は少ないはずだがいつもより急すぎるその行為に不安を隠せない。

「ゆっくりて、言うた……のに…」
「はよつながりたいんです。坊お願い、坊…」

ああなんて目を自分に向けるんだ。情欲のすぐ後ろに恐怖と焦りが見えている。勝呂は息が詰まる、と思った。息が詰まってそのまま失神してしまった方が楽なのかも知れないと馬鹿なことを考えながら、金造の願いを肯定すべく少し身体を持ち上げてキスをした。きっと明日は足腰立たないけど仕方がない。

「あんまがっつかんでや…」

形だけの牽制の言葉を吐いた。多分金造の元には届いていない。こんなに近くにいるのにきっと届いていない。
ぬるぬると自分の中に金造が入ってくる。道具の力を借りてだがすんなりとすべてが収まった。女の子と同じくらい簡単に入ったぞと訳の分からない張り合った気持ちが浮かぶ。すぐにその気持ちを消そうとするが、頭の中の女の子は消えてくれなかった。でもあなたには柔らかでふくよかな胸はないし、どこもかしこも筋肉質で触りたいなんて思わないわ。偏頭痛のような痛みがきてしまった。ああもう、余計なことを考えているからだと自分を叱咤する。出して入れて出して入れて。ぴたん、ぴたんと肌がぶつかる音がノイズと一緒に聞こえた。

「気持ち…ええです」
「っ、ぁ、う、っ、っ、あっ」
「坊には俺がおりますから」
「あ、…っ、ぅ、ん、ん、ふ、」
「俺のそばに坊がおってくださいね」

抱きしめられてキスされた。全てが冷えていて熱かった。
教育番組は既に終わっていてニュースに映っていた。どこかの国で油田がありました、政治で怪しい動きがあります、あの県で今日はお祭りがありました、あの動物園で赤ちゃんが生まれました。どれもこれも2人に関係のない話だった。ニュースも教育番組もこの2人には関係なかった。

奥を突かれながら、キスをされて、愛の言葉を囁かれる。これはきっと幸せなことなのだろう。けれどなぜだろう、なぜだろう。2人とも顔が強張ったままだ。




いきぐるしいのはキスせい(涙が止まらんのも、きっとキスのせい)



<了>

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