ある雨の日01【柔勝】 梅雨入り。 ここ数日の天気は雨、曇り、良くて曇りのち晴れ。そんな天気だからいつものように子供の遊ぶ声などはまるで聞こえず、雨が地面を打ちつける音しか聞こえない。 真夜中、柔造は雨の音で目が覚めた。寝る前はそんなに酷くなかったのだが、今はかなりの水が地面を打ちつけていた。柔造はそんな音の中で眠れるわけもなく、自室から出て外を見た。 今日は旅館に泊まっていた。少し大きな任務が終了し、ここで宴会のように騒ぎそのまま居座らせてもらったのだ。 「こら……止んでくれんな」 静かにしてくれれば寝れそうだが、眠気はぶっ飛び雨は一向に降り止む気配はない。このままでは朝まで起きているという事になってしまうかもしれない。柔造は少し考えて酒でも少し飲んで眠気を呼び戻そうという結論に行きつき、溜息を一つついてゆっくりと自室を抜け出し、酒をこっそり拝借して縁側へと向かった。いつもこのように酒を飲んでいるわけでもアルコールに強いわけでもないが、時々一人で酒を飲むのを柔造は好んだ。 風がほとんどないことが救いだ。雨が濡れ縁の方に入りこんでしまっているが、座れない事もないとそのままどっかり腰を落とし、雨を肴に酒に口をつける。 基本的に一人の時間は大切にしている。自分の考えをまとめたり、スケジュールを把握し直したり。頭の中を整理させるのに必要だった。 今回の考え事は末っ子たちだ。勝呂に子猫丸に廉造、まだ遊びたい盛りなのに雨ばかりで退屈しているだろう。特に廉造は雨ばかりで苛々している金造の格好の獲物として訓練という名のストレス発散にてしごかれている。それを見て少し可哀想だと思いはすれど訓練になっているので手を出さずにいたが、そろそろ金造に言ってやらないと廉造があまりにあまりだと流石の柔造も思う。子猫丸は二人より大人だ。雨でも文句も言わず自室でする事を見つけている、出来た子だと感心するほかない。勝呂は元気がない。寝不足なのか最近とろんとした目をしていて、柔造があの仲の悪い蝮とも勝呂は大丈夫かと相談したほどだった。 そうやって色々考えて三十分程だろうか、少量の酒を雨を見ながらゆっくりと飲み干した。酒を飲みきり、これなら眠気もいずれは来るだろうと腰を上げ、自室に戻ろうとしたとき、柱の影に隠れている勝呂を見つけた。 「坊!こんな夜更けに……」 「っ柔造!おったんか」 「へぇ、ちょお眠れんくて。坊も寝れんかったんですか?」 「ん……」 勝呂は柱の傍で柔造が濡れ縁に、互いに静かにしていたがために気づかなかったのだ。 勝呂は小さい体を余計に小さくして座り込み、まだ動こうとはしない。 「そろそろ部屋戻りましょ。ほら、こんな身体冷え切って。風邪ひきますえ」 勝呂の肩を触ると体温が感じられない位冷え切っていた。これでは本当に風邪をひいてしまう。 「大丈夫や。あとで自分で戻るから」 「いーえ、坊が戻らはるまで柔造もここにおります」 勝呂はまだ小さい。このままここで寝てしまうかもしれないと思った柔造は酒を戻してからまた勝呂の隣に腰を下ろした。 「ええて。ほんまもうすぐ戻るから…」 「ほんなら今戻りましょ。ね?」 勝呂はもう少しここに一人でいたいという気持ちが強かったが、柔造はひいてくれそうにもない。ずっと一緒にいるのだ、柔造が絶対に自分を一人にさせないという事もすぐ分かった。 「………行く」 「はい」 柔造は勝呂の手をひいてそのまま勝呂の部屋へと戻った。手は案外温かく、もう眠りそうな体温であるのにと柔造は思った。それでも眠れないのが最近の勝呂の元気のなさなのか、と考える。 布団に寝転がって寝る準備が出来てからお休みなさいと一言言ってそのまま襖をしめた。自分の部屋に戻ろうと踵を返したがまさか、と思いつつ少し離れてそのままその場に居座った。 数分経つとそのまさかが的中し、勝呂の部屋の襖はゆっくり最小限の音で開けられ、ひょこっと勝呂が出てきた。 「ぼーん」 「じゅ、柔造!?まだおったんか」 「悪い子や。女将はんに言いつけますえ」 「あ、あかん!それだけは堪忍したって……な?」 柔造の目を見てちゃんと謝り、母親には黙っていてくれという勝呂に、柔造は口では言い表せない可愛らしさとほんの少しのむらむらとした気持ちを持ってしまったが、すぐに仕方ありまへんなぁと笑ってまた勝呂を布団に追いやった。 「なんかあったんですか?」 「べ、別になんもあらへん」 「嘘はあきまへん。柔造に教えておくれやす」 ほらほら、と急かすと勝呂は布団をぎゅっと握っていややと首を振った。 「そんなん、言われへん…」 「絶対教えてくれはりませんの?」 「う……」 「柔造の事嫌いですか?」 「そんなわけあらへん!好きに決まっとるやろ」 布団をのけて必死にそこは否定してくれる勝呂に柔造は嬉しさを感じ、ありがとうございますと言いながらぎゅっとその小さな体を抱きしめた。まだ小さく柔らかい手が自分の浴衣を握るのを見ると愛おしさでいっぱいになる。 「柔造は坊の悩みをいち早く解消させたいんですえ?」 本心だ。この子の悩みはすぐさま解消して笑顔になってほしい、そう常に願う。寺のことでいろんな人にひどいことを言われても自分をもってしっかりと行動しているこの小さな子を見ると、自分が支えてやらねばと切に思う。 「あ………あんな、柔造……あの、な」 「柔造になんでも話しとくれやす」 勝呂はよほど言いにくいことなのか歯切れの悪い言葉を繰り返したが、柔造はそれでも急かさずそのまま黙って言葉に耳を傾ける。 「俺、あんな……その、……なってもてん」 「…………はい?」 勝呂の言葉にしっかり耳を傾けていたはずだが、意味が分からず疑問形で返してしまった。なってしまった、というのは一体なにになってしまったのだろうか。柔造は必死に考えるが思い当たる節も何もない。これはさっき酒を飲んで酔っているからでもなんでもなく、本当に分からない。 「やから………ああもうええやっぱりなんもない!」 「いやいやちょっと坊そこまで言ったら頑張って言ってください!」 布団に隠れようとした勝呂を抱きかかえ、自分の胡坐の上に座らせた。後ろから抱きしめてお願いします、というと勝呂は唸ってもう一度話始める。 「やから……最近、寝ると汚してしまうの」 「汚す…」 「し、したぎ…とか」 「はぁ、下着………した……えっ!?」 ようやく思い当たる節が出てきた。ちょうど勝呂の年辺りでなるもので誰にも言いたくない恥ずかしい事柄、そしてはじめは動揺してしまう事だ。勿論柔造自身も十年程前に体験した。 柔造の足に乗っている勝呂の体温は高く、顔が火を吹くほど真っ赤であるのは容易に想像できる。 「こんなん、誰にも言えんやろ…」 「まぁ……そう、どす、なぁ、言いにくいですわな」 「うぅ」 こんなこと同世代の子猫丸や廉造には言いたくないないだろうし、父親の和尚は多忙でそんなこと打ち明ける雰囲気でない。母親に絶対に言いたくないのは柔造にも心当たりがある。 自分はこの男特有のそれをはじめはどう処理したかと必死に思い出そうとするが、中々思い出せない。どうだったか、保健の時間にノリで皆で相談した気がする。こういう風にしたとか、するとかいろいろとそこで知識を仕入れた…気がする。 「やから最近元気なかったんですか」 「やって寝てまた汚してしもたらいややから……いつもあそこで眠らんようにしててん」 なぁ柔造、どうすればええん?と背中を向けていた勝呂がくるりと反転し、向かい合わせになった。上目遣いで不安そうな顔をされて柔造は自分の理性にヒビが入った音が聞こえた。 柔造は十も年が離れた勝呂が好きだった。小さいながらも次期座主である人への愛、友愛、家族のようなものであるがための家族愛、そして恋のような愛、全て詰めた愛を勝呂に向けていた。その勝呂が誰にも言えない恥ずかしい事を自分だけに打ち明け、助けを求めている。その事実は柔造を幸せで満たすには十分過ぎるものだ。 そしてその次に言う言葉を考えてごくりと喉が鳴った。 「…柔造がどうすればええか、教えましょか」 <続→> |