近づいては離れ、離れては近づく。
ふわふわゆらゆらと俺を弄ぶように揺れるそれに、触れてみたいと思った。

【熱視線と低体温】

「今日は冷えますねぇ…」

桜の白い息がはぁっと濃紺の空に溶けた。

「春と言えど、まだ夜は冷える。」

油断しているから、そうなるのである。と桜の儚げな表情に見入っていた自分に喝を入れるように、強い口調でそう唱える。

「そうですね、油断していました。」

ふふっと笑って、前を歩いていた桜がこちらを振り返って立ち止まった。
にこりと細められて、隠れてしまった漆黒を見つめる。

「桔梗さんは、厳しいですね。」

日中暖かいので、ついつい薄着で来てしまいました。なんて言って楽しそうに笑う。そんな桜を見て、心臓の音が大きくなっていくのを感じる。
桜の優しい声が近づいて、隣に並んだ。

「…悪いのは部長である!」

だから、桜は悪くない。そう付け加えるつもりが、言えないままに、もごもごと口ごもってしまう俺は、いつからこんな軟弱な思考になってしまったのだろうか。

「ふふっ、そうですね。まさかこんな時間まで長引くなんて、思いませんでしたから。」

口元に手を当てて笑う桜が、俺を見る。
突然合わさった視線に戸惑って、すぐに反らしてしまった、目線。
もう少しあの漆黒を見ていたかったなんて、俺は本当にどうして弱くなったものだろう。

「その格好では寒いであろう。」

「そうですね、冷たい風に吹かれると結構堪えます。」

堪えると言いながらも、面白そうに笑って全然寒そうな仕種をしない桜は再びゆっくりと歩き出す。
桜より先にと俺も足を早めると、また視線が合わさる。

「な、なんであるか!」

うろうろと視線を泳がせていると、また細められて見失った漆黒。

「桔梗さんも、なんだか寒そうです。」

ゆっくりと近づいた桜の細い指先が、そっと俺の頬に触れて包み込む。
一気に脈を早める心臓。
混乱する思考。

「なっ、なにをする!桜っ!」

後方へ距離をとり、触れられていた頬にそっと自分の手で触れてみる。
じわじわと実感するその感触に、一気に照れくささが込み上げてきた。

「桔梗さんの頬が赤くなっていたので、」

熱でもあるのかと思いました。と悪びれずに桜に言われても、動揺は治まらない。

「その程度の自己管理は自分で…!」

「ふふっ、いつも桔梗さんには叱られてばかりいるので、仕返しです。」

たまには私にも世話を妬かせてください。なんて楽しそうに笑って、桜はいつもと変わらない態度で俺に微笑む。
夜道を明るく照らす街灯を、これほど憎く思ったのは初めてだ。

「こんなところに長居すると風邪を引く。」

早く帰るぞ。と、いつの間にか止めていた足を動かす。
桜も歩きだして、俺は桜の少し先を進む。

「寒いですからね。」

桜の白が、また濃紺に溶けた。
早めていた足がだんだんと速度を落とし、気づくと桜の少し後を歩いている。
ふと、ゆらゆらと揺れる桜の手の平が目に入った。
寒そうな華奢なそれを想うと、自然と先程触れられた頬が熱を帯びる。

「…桜っ!」

「はい?」

無意識に名前を呼んでしまったことに気づき後悔していると、振り向いた桜と目が合う。

「その…、」

声をかけてしまったからには、何か話さなければいけないのに、肝心な話題が何ひとつ浮かばない。

「私の手が、どうかしましたか?」

「!?なぜ手なのだ!」

俺の考えていることが桜に知られているようで動揺してしまう。漆黒に、呑まれてしまいそうだと思った。

「先程から、手に視線を感じていましたので。」

そんなに俺は、桜の手を見ていたのだろうか。本人にそう言われると、途端に恥ずかしさが込み上げる。

「…寒そうだと思っただけなのである。」

「そうですね…たしかに、手先が冷えますね。」

では、こうしたらどうでしょう?笑顔で俺の手を取ると、桜は己の指先を絡めて繋ぐ。

「なっ…!」

「桔梗さんの手は、暖かいですね。」

近づいては離れ、離れては近づく。
ふわふわゆらゆらと俺を弄ぶように揺れるそれに、触れてみたいと思った。


熱視線低体温


その漆黒に呑まれても良いと思ったことは、桜には伝えずにいよう。



11/04/16
お題:剥製様より。
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