藹々(鬼滅ALL) | ナノ
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七話

美しく咲く藤の花の下に立つ冨岡さんの姿はやけに絵になる。

掃除を終え、雑巾と桶を片手に縁側を歩いていると、ふと目に映った一人の男性の姿。あれは確か、柱の一人である冨岡さんという人だった気がする。「口数少ない無愛想な人です」といい笑顔で教えてくれたしのぶちゃんを思い出した思わず足を止めると、お館様の屋敷に咲く藤の花を見つめていた冨岡さんがゆっくりと視線をこちらへ。

あ、目が合った。


『あ……えっと……こんにちは?』

「………ああ」


目が合ったからには挨拶の一つくらいせねばと声をかければ、たった一言“ああ”と返した冨岡さんはすぐ様顔を背けてしまう。なるほど、口数少ないと言うのは本当だったらしい。相手が私だから素っ気ないという可能性もあるけれど。
珍しい柄の羽織を翻らせた冨岡さんはその場から去ろうとしている。一体何しに来ていたのだろう?と首を傾げながら自分もその場を離れようとした時、ブワリと強い風が吹く。

あ、やばい、落ち

バシャッ!と桶の水が零れた音がする。縁側から地面に傾いていた身体は、落ちることなく何かに受け止められた。
え?と顔を上げてみると、すぐ側には冨岡さんの整った顔があり、膝裏と腰に添えられた手に自分が彼に横抱きにされている事を知る。


『!?す、すみ、すみません……!!!』

「……いや」


慌てて謝罪を口にすれば、小さく首を振った冨岡さんは優しく縁側へと降ろしてくれる。まさか受けとめてくれたなんて。というか、結構離れた所に居た気がしたんだけれど。
驚きと羞恥と混乱と、兎に角色々な感情を混じらせて顔を真っ赤にしていると、冨岡さんの髪からポタリと雫が落ちたことに気づき、今度は顔が真っ青になる。


『と、冨岡さん!!みず、水被っちゃいましたか!?』

「……少し」

『少しって量じゃなさそうですよ!?ああ、しかも!これ掃除で使った水……!!す、すみません!すみません!!今何か拭くものを持ってくるので!!!』

「いや、だいじょ」


大丈夫。そう言い終える前に廊下を駆け出す。慣れない着物で小走りし、調理場に居る女中さんに訳を伝えると、あらあら!と大層驚いた顔をした女中さんがすぐ様手拭いを渡してくれる。それを三つほど引っ掴んで、直ぐに冨岡さんの元へと戻れば、先程の状態から一歩も動いていない彼は、変わらず髪から水を滴らせていた。


『これ!使って下さい……!』

「……すまない」


すまないなんてとんでもない。それはこちらの台詞である。ブンブン首を振って手拭いを渡せば、受け取ったそれで頭を吹き始めた冨岡さん。髪だけでなく、羽織まで濡らしてしまっている。珍しい柄の羽織は濡れた部分だけ色が変わって重そうだ。
少しでも早く乾くようにと、余った手拭いで肩の辺りを拭くと、ピクリと肩を揺らした冨岡さんに慌てて手を離す。


『す、すみません…!不快でしたか!?』

「……いや。……ただ、」

『ただ??』

「………何でもない、気にするな」


そう言ってまた自分の髪を拭き始めた冨岡さん。ただ、何だったのだろう。なんて言おうとしたのだろうか。
気になりはするけれど、わざわざ気にするなと言われた事にそれ以上踏み込むのは気が引け、手拭いを持ったまま俯いていると、無言の空気に包まれる。
……気まずい。非常に気まずい。ガシガシと荒っぽく髪を拭う音しか聞こえない空気に耐えきれず、「あ、あの、」と声を上げると、「…なんだ?」と冨岡さんが小さく答えてくれる。


『と、冨岡さんはどうしてここに??』

「……お館様に任務の報告に来ていたんだ」

『そ、そうなんですか……』


以上。会話終了。
助けてくれたし、汚れた水を被せられても怒らないし、決して悪い人ではないのだろうけど、どうにも掴みどころが無いというかなんというか。居心地の悪さに顔を俯かせると、「……なぜ俺の名前を知ってる?」と今度は冨岡さんから声を掛けられた。


『え?……あ、えっと……しのぶちゃんと蜜璃ちゃんが柱の方達の名前を教えてくださったんです。冨岡さんは、確か…………み、水?水柱でしたか??』

「……………一応な」


なぜ“一応”だなんて言い方をするのだろうか。まるで自分は仮にその座に居るのだとでも言うように。不思議に思いながらも追求はせずにそのまま口を閉じる。
いやいや。折角話を降ってくれたのだから、もう少し何か話せよ私!と閉じた口を再び開こうとすると、拭き終えたのか濡れた手拭いを冨岡さんが差し出してきた。


「報告ももう終えた。俺は行く」

『え、でもまだ濡れてますよ…!』

「問題ない」


問題ないって。
歩いて行こうとする冨岡さんを、羽織の裾を掴んで慌てて止める。引き止められたことに僅かに眉根を寄せた冨岡さんは「…なんだ?」と顔をだけ振り向かせた。


『せ、せめてもう少し拭いてください!』

「いい」

『風邪ひいたらどうするんですか…!』

「ひかない」

『ひかないって……』


どこから来るんですかその自信は。
淡々とした口調と変わらない表情。ただクールなだけの人かと思ったけれど、多分あれだ。この人とても頑固な人だ。
とはいえ、ここで返してしまっては立つ瀬がなさすぎる。柱に水をぶっ掛けて濡れたまま返したせいで風をひかせました。なんて事になれば、多分もうここには居られない。
「とりあえず、一度座ってください」と少し強引に裾を引くと、渋々と言った様子で縁側に腰掛けてくれた冨岡さん。改めて髪を確認すると、やはりまだ中途半端に濡れた状態で、毛先が下を向いている。


『…冨岡さん、やっぱりもう少し拭いた方がいいですよ。いくら晴れていると言っても、濡れたままはよくありません』

「そんなにヤワじゃない」

『冨岡さんは気にならないのかもしれませんが、私が気になります。濡れた羽織も脱いで縁側に干しましょう?日も高いし、そんなに時間は掛からないと思うので』


ね?と言い聞かせるように冨岡さんの横顔を見つめれば、ちらりと一瞬だけこちらを見遣った冨岡さんが深くため息をつく。流石に執拗いだろうか。次に断られたら諦めようと思っていたのだけれど、徐に羽織に手を掛けた冨岡さんは、そのまま羽織を脱いで渡してきた。


「お節介な女だな」


褒め言葉ではない。むしろ、どこか呆れたような声。でも、不快さは混じっておらず、懐かしむような色さえ含んでいる。
「すみません」と苦く笑いつつ羽織を受け取り、縁側の下にある下駄を踏んで物干し竿に羽織を掛ける。眩しく照りつく太陽のおかげで乾くのにそう時間は掛からないだろう。お日様の下でユラユラと揺れる羽織によし。と一つ頷くと、そんな私を眺めていた冨岡さんが、少し、ほんの少しだけ口元を緩めたように見えたのは気の所為だろうか。
下駄を脱いで縁側に戻ると、今度は濡れたまま髪に視線を移す。「これ、掛けておきますね」と先程冨岡さんの肩を拭こうとしたら手拭いを彼の肩に掛けることに。残されたのは、濡れた手拭いとまだ使っていない綺麗な手拭いの二つ。綺麗な方を手に取り冨岡さんの髪と手拭いを交互に見つめていると、「…なんだ?」と視線に気づいた冨岡さんが振り返る事無く尋ねてきた。


『…い、いえ、その……髪を、』

「髪がなんだ?」

『まだ濡れているので、拭いた方がいいと思うんですが…』

「…待っていれば自然に乾くだろう」

『それはそうですけど……。でも、拭いたらもっと早く乾きますよ。なんなら私が拭きましょうか??』


なんて冗談混じりにそう言えば、冨岡さんからの返事が返って来なくなる。やばい。あまりに馴れ馴れしく話過ぎただろうか。慌てて謝ろうとしたその時。


「好きにしろ」

『……………え?』

「拭きたいなら拭けばいい。好きにしろ」


今なんて??ポカンとしたまま固まる私を他所に、冨岡さんはじっと座っているばかりで訂正の言葉はない。
拭きたいなら拭けばいいって言われたよね?そんな事言うような人には見えないけど…。聞き間違いか?とも思ったけれど、動く気配のない冨岡さんを見るにそうでもないらしい。本当にいいのだろうかと疑問を感じたものの、わざわざ引き止めてしまった以上、このまま帰すなんて選択肢は残されていない。
「し、失礼します、」と声を掛け、膝立ちになって冨岡さんの後ろにつく。広げた綺麗な手拭いで、おそるおそる富岡さんの髪を包むと、見た目よりも柔らかな髪に、おお、と内心感動してしまう。

わしゃわしゃと髪を拭く私と無言の冨岡さん。

冨岡さんは前を向いている為、今彼がどんな表情をしているのか分からないけれど、止められないという事は怒っている様子はなさそうだ。いや、むしろ、どこか穏やかな空気さえ感じる。まるで、そう、まるで、小さな男の子の髪を拭いているようなそんな気分だ。ふっと笑みを零した瞬間、


「……姉さん、」

『っえ?』


ポツリと何かを呟いた冨岡さんに手が止まる。はっ、とした様に勢いよく立ち上がった冨岡さんは目を見開かせて固まっている。
今、姉さんって言った??
キョトンとした顔で冨岡さんを見上げていると、どこか苦しそうに顔を歪めた冨岡さんはそのまま振り切るように走っていってしまう。「ちょ、冨岡さん!?」と慌てて追いかけようとしたけれど、あっという間に冨岡さんの姿は見えなくなり、彼が置いていった羽織だけがユラユラと寂しそうに揺れていた。

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