藹々(鬼滅ALL) | ナノ
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十八話

蔦子姉さんは穏やかで優しい、笑顔の綺麗な人だった。

“私はね、義勇。明日お嫁に行ってしまうけど、それでも貴方の姉であることは変わらないわ”

そう言って頭を撫でてくれた姉は、その日の晩。
鬼に襲われて帰らぬ人となった。


「冨岡さん、あなたのおかげで名前さんはとても気に病んでいらっしゃいましたよ?少しは愛想を持って接してあげては如何ですか?」


微笑む胡蝶の声に「そうか、」と一言返す。笑うつもりが一切ないのに、よくもこれだけにこにことしていられるものだ。妙な感心を覚えながら、そのまま診察室を出ようとすると、「聞いてませんね?そういう所ですよ冨岡さん」と去り際に投げつけるような声を掛けられた。

柱は胡蝶の元で定期検診を受けることになっている。
毎度毎度真面目に受けに来るのは煉獄や悲鳴嶼さん、甘露寺くらいで、残りの面子は胡蝶からの催促(という名の脅し)がない限り自分から赴くことは中々ない。
今回もそうだ。暫く忙しいことを理由に検診を受けていなかったが、「そろそろ来て下さらないと、私がお館様に叱られます。そんなに人を困らせたいんですか冨岡さん」と言う胡蝶の呼び掛けに、漸く蝶屋敷へ来ることにしたのだ。
すれ違う者は皆、忙しそうに廊下を早足で掛けていく。先日階級が下の隊士達がある鬼のせいで重症を負わされたと聞いた。その鬼は甲の隊士数名によって斬られたと聞いたけれど、十二鬼月でも無い鬼にこうも苦戦を強いられてしまうなんて、やはり隊士の質の低下が否めない。


ああ、でも、


“やめてください……どうか、妹を殺さないでください……お願いしますっ………”


あいつは、どんな隊士となるだろうか。
土下座までして鬼となった妹の命を乞うた少年。師であり育手でもある鱗滝先生を紹介したが、あの少年は、竈門炭治郎は、一体どんな鬼狩りとなるのか。
出来ることなら、一刻も早く新たな“水柱”となってくれることを願いたい。そうでなければならない。俺は、他の柱とは違う。俺にはこの名を背負う資格はないのだから。


『あれ……?冨岡さん??』

「っ」


ガラガラと屋敷の戸が動く。玄関で鉢合わせてしまうとは、なんて折が悪い。後ろには何故か時透がいて、どうやらこいつが彼女をお館様の屋敷から連れてきたらしい。
「ここまでありがとう。無一郎くん」と時透を振り返り礼を言った苗字。“無一郎”とは時透の名前だ。「気にしないでいいよ、名前さん」とどことなく表情を緩めた時透は、ちらりと一瞬俺を見遣ると、「それじゃ、用があるから行くね」と踵を返して去っていった。


「………なぜここにいる?」

『え?……あ、しのぶちゃん達のお手伝いに来たんです。いつもより患者さんが多くて忙しいみたいなので、お館様にも頼まれて、』

「……そうか」


ということは、手が空かない胡蝶に代わり、時透が代わりに彼女の迎えを行ったのだろう。「冨岡さんはどうしてここに?」と言う問いかけに「…検診だ」と答えれば、納得したように頷いた苗字は、すぐ様表情を曇らせた。


『……あの、冨岡さん。この前の……お館様の御屋敷でのことなんですけど………』


この前。お館様の屋敷。

“姉さん……”

つい口をついて出てしまった一言に気づいた時、自分でも信じられなかった。まさか姉のことを口にしてしまうなんて。穏やかで優しい、笑顔の綺麗な蔦子姉さん。嫁に行くはずだった姉さん。鬼に殺されてしまった姉さん。
血だらけの姉の姿は今でも覚えている。忘れられる訳がない。いつでも優しく俺を撫でてくれた温かな手は、一瞬にして冷たいものへと変えられてしまった。


「……羽織ならこの通り戻って来ている。何も気にすることはない」

『あっ……』


苗字の横を通って開いたままの戸口から出ようとする。すると、思わずと言ったように伸びてきた手が羽織の袖を掴む。「…なんだ?」と顔だけ振り向かせれば、唇を引き結んだ苗字が、勢いよく顔を上げた。


『お、お姉さんがいたんですか……!?』

「っ、」

『ご、ごめんなさい……!その、回りくどく聞くのが苦手で………』


あわあわと慌てて手を離した苗字。口にして後悔するなら、言わなければいいものを。そう思ってしまうのは、自分が話すことが面倒で苦手な性分だからだろうか。
気まずそうにさ迷ってきた視線が、意を決したようにもう一度俺に向けられる。あまりに真っ直ぐなその目が酷く美しくて、目を背けそうになってしまう。


『ごめんなさい、冨岡さん。私……あなたの触れられたくない事に触れてしまったのかもしれません』

「………では何故引き止める?」

『…しのぶちゃんが言ってたんです。人には、触れて欲しくない部分はあるのかもしれない。でも、自分が触れて欲しくないと思い込んでいるだけで、誰かに話した方が楽になる事だってあるって』

「……だから俺の話も聞かせろと?」

『い、いえ!そんな、“聞かせろ”なんて言う権利、私にはないし……そんなつもりはないです。でも、あの時、冨岡さんが“姉さん”って呼ぶ声が、すごく…すごく優しくて、悲しげで……だから、気になってしまったんです。冨岡さんのお姉さんのこと』


眉を下げて微笑む苗字。胡蝶の奴も余計なことを吹き込んだものだ。ふう、と息を吐いた俺に苗字の肩が小さく揺れる。伺うように下から見上げてくる瞳は、それでも逸らされる事なく俺に向けられている。


「……やはりお節介な女だな」

『う………』

「………手伝いはいつまでだ?」

『え?』

「胡蝶の屋敷には、いつまで世話になるんだ?」


苗字の瞳がぱちぱちと瞬きを繰り返す。「いつなんだ?」ともう一度尋ねれば、はっとした顔をした苗字が、「二三日はここに居るつもりです!」と慌てて答えを返す。


「……お館様の屋敷へ戻る時は俺が送ってやる」

『冨岡さんが?……いいんですか?』

「……その代わり、これ以上の“お節介”は焼くな。姉さんのことを話すつもりはないし、話したところで何も変わるとは思えない」


そう言って羽織を翻した俺に、苗字が何か言いたげな顔を見せる。そんな彼女を見ないフリをしてその場を去れば、懐かしい二人の色を纏った羽織がいつもよりも重たく感じたのだった。

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