2冊目。日記○○ページ目「よくできました」
朝は慌ただしい時間だ。
ラクサスの作った朝食を口にしていたナツは手を止めて、目の前で食事をとるラクサスを見上げた。
「なぁ、ラクサス」
「夕飯ならお前の希望通りハンバーグにしてやる」
「やった!……て、そうじゃねぇよ」
不満そうに顔をゆがめるナツに、ラクサスは眉をよせた。ナツの事だから食事関連だと思ったのだろうが、残念な事にラクサスの予想は外れたようだ。
「くだんねぇ事じゃねぇだろうな」
「くだらなくねぇよ!今日、」
ナツの言葉を遮る様にラクサスが立ちあがった。自分の使っていた食器を、台所の流しへと持っていく。
「お前も早く食えよ。話しなら歩きながら聞いてやる」
時間を確認すれば、いつも家を出る時間に迫っていた。
ナツは慌てて食事を口へと放りこむ。食器を流しへと下げて、準備してあったランドセルを引きずって玄関先まで急ぐ。それに続く様に、ラクサスもゴミ袋を手にやってきた。今日は燃えるごみの日なのだ。
「いってきまーす」
今はナツとラクサスしか暮らしていない家だから、同時に家を出る際には言う必要はない気もするが、毎回ナツはこの挨拶を欠かさない。
ラクサスは鍵をかけると、ナツを促すようにして門を出た。すぐ近くのゴミ収集所にゴミを出して、ラクサスは一息ついた。
「で、話ってのは何だ?」
ラクサスの通う妖精学園高等部とナツの通う小学部は、途中まで同じ通学路だ。それを、ラクサスはナツの歩行速度に合わせて歩みを進める。それが平日の朝の光景だ。
歩きながら視線を寄こすラクサスに、ナツは口ごもりながらも、話し始めた。
「あのな、今日学校で」
「ナツ、おはよう!」
ナツは腕を引かれて身体をよろけさせた。視線を向ければそこには笑顔の少女。同級生であるリサーナだ。少し後ろから、同色の淡い色の髪の少女と少年が続いて歩いている。
「おはよう、ナツ。……あと、ラクサスも」
ナツには満面の笑顔で。その後少し間をおいて、隣のラクサスへと挨拶の言葉をかけた。その少女はミラジェーン。近所に住むラクサスの幼馴染だ。
「姉ちゃん……」
呆れたように声を漏らしたのは、エルフマン。ミラジェーンの弟でありリサーナの兄である。
「計ったように来やがったな」
舌打ちをするラクサスに、ミラジェーンはにこりと笑う。
「何の事?」
「変態女」
「ショタコンに言われたくないわね」
「それはてめぇの事だろ」
二人の間に火花が散っているように見える。エルフマンは関わらないようにそれから視線をそらす。少し視線を下げれば、リサーナとナツが純粋な笑顔で他愛無い話をしているのに、温度差が凄い。
「おい、ナツ。話しはいいのか」
後少しで、高等部と小学部の分かれ道だ。ラクサスの言葉に思い出したように顔を上げたナツだったが、すぐに口を閉ざしてしまった。ラクサスだけではなく、ミラジェーン達三人の視線もナツに集まっているのだ。
「どうした?」
訝しむラクサスに、ナツは堪える様に目を閉じると走り出した。
「何でもねぇ!!」
小学部の校舎へと一直線に向かっていくナツをリサーナが追いかけていく。
小さな背中があっという間に見えなくなって、ラクサスは溜め息をついた。
「何なんだ、あいつは」
「ナツ、少し泣いてなかったか?」
エルフマンが心配そうに呟けば、ミラジェーンは頬を染めた。
「かわいい……」
もう何も言う気にはなれないと、登校の道を急ぐラクサス。隣接している中学部に通うエルフマンも同じ道だ。
三人が並んで登校する姿は中々絵になるのだが、残念エルフマンにとっては少し居心地が悪かった。
「あ、そうだ。姉ちゃん」
ミラジェーンが振り向く。
「リサーナの授業参観は俺が行くよ。中学部は今日午前授業なんだ」
「ちょうど昼休みが終わった頃なのよね。私も無理すれば行けるんだけど……エルフマンが行ってくれると助かるわ」
二人で話が進んでいく。それを聞きながら、ラクサスは疲れた様に手で目を覆った。
「そういう事か……あのバカ」
ミラジェーンとエルフマンの視線がラクサスに向けられる。ラクサスは覆っていた手を話して、二人へと振り向いた。
「小学部は、今日授業参観なんだな?」
いつも以上に落ち着きがない小学部の教室。
授業参観の授業を控える昼休み。後数分で本鈴が鳴る時間だ。生徒の落ち着きがなくなるのは当然だろう。
「あたしのところは、ミラ姉かエルフ兄ちゃんが来てくれるって!ナツは?」
リサーナが隣の席のナツへと話しかける。ナツには珍しく俯いたままで口を開いた。
「オレのとこ、父ちゃんとじっちゃん外国に居るから、来れねぇんだ」
「ラクサスは?」
ナツは力が抜けた様に机にへばりついた。
「ラクサスには言ってねぇ」
「何で?言ったら、きっと来てくれるよ」
そうかも知れない。だから、今朝言おうとしたのだ。それでもタイミングが悪くて伝える事が出来なかった。
しょんぼりとするナツに、リサーナは眉を下げた。
教室には保護者が少しずつ足を踏み入れ始めている。大して広くもない教室がいつも以上に狭くなっていくのを振りかえって見ながらリサーナは溜め息をついた。
「ねぇ、もしかしたら来てくれるかもしれないよ?」
「来ねぇよ……だって、言ってねぇんだ」
ナツの気持ちが浮上する前に本鈴が鳴り、担任が教室に入ってきた。授業開始の号令もナツは力なく終えた。
授業が進む中、遅れてエルフマンが入って来る。それに一瞬で顔を輝かせたリサーナだったが、隣のナツが視線に入ると表情を曇らせた。隣で落ち込んでいるナツを前に素直に喜べるはずがない。
「じゃ、次の問題を……ナツ、出来るか?」
担任がよりにもよってナツを指名してきた。嫌がらせじゃなかったら空気が読めないのか。はらはらとするリサーナを真横にナツがゆっくりと立ち上がった。
その時、教室の扉が乱暴に開け放たれた。教室内の視線がそちらに集中する。
「な、ナツ!ナツ、あれ!」
リサーナがナツの身体をつつきながら教室の後ろに視線を向ける。やる気がなさそうに黒板を見つめていたナツが振り返る。
「……ラクサス」
息を切らせながら教室に入るラクサスの姿が目に入った。不思議そうに瞬きを繰り返すナツ。それに気付いたラクサスが顔をしかめた。
「言わなきゃ分かんねぇんだよ。クソガキ」
ナツはじわりと浮かぶ涙を拭って前へと向き直った。担任も、その姿に目を細めて口を開く。
「2.8リットルのリンゴジュースを四人家族で分けました。さて、一人分は何リットル?」
担任の楽しそうな声に、ナツは、うんうん唸りながらノートに計算をしていく。ラクサスが見守る中、ナツが顔を上げた。
「分かった……1.4リットル!」
自信満々に答えるナツとは逆に、担任は苦笑した。
「残念。それだと二人分しかないぞ?」
「いいんだよ、それで」
ナツは笑顔でラクサスへと振り返った。
「だって、オレとラクサスの分だもんな!」
保護者がくすくすと笑みをこぼす中、ラクサスは盛大にため息をつく。教室に柔らかい空気が満ち、担任は優しく告げたのだった。
「よくできました」
20100823