熱
風邪をひいて寝込んでしまった時は、ずっと側にいてくれた。寝ないで側に付いていてくれた。桃の缶詰とか、すりおろしたリンゴとか、ミルク粥。優しくかけてくれた声。幾度となく変えられる冷たいタオル。
同じように熱を出した時は、体が弱っているせいか強く求めてしまう。
「だるい、頭いてぇ……気持ちわる……うぷ!」
「ナツ、トイレいこ!」
ベッドに横たわるナツをハッピーは翼を出して運ぶ。トイレにしがみ付いたナツは苦しそうに嘔吐した。それが昨晩から何度も繰り返されている。
ベッドに戻ったナツは、体温計をミラジェーンから渡される。暫くして取り出せば、軽く38℃を超えていた。
「ほとんど下がってないわね……ご飯食べたらお薬ね」
ナツから返事はない。目を閉じて、荒い呼吸を繰り返している。その姿に顔を歪めると、ミラジェーンは部屋を後にした。付きっきりでハッピーも側にいるし、ミラジェーンは寮内にずっといるから、何かあれば対応もできる。
平日の今日、学校があって他の者たちは不在だ。グレイが、学校を休んでナツの看病をすると言いだした時はエルザが無理やり送り出した。
「ナツ、魚食べれば治る?」
ハッピーが心配そうに声をかけるが、熱で朦朧とする頭ではナツも返事できないだろう。うなされる様に苦しそうな声を漏らすだけだ。それに更にハッピーは不安になっていた。
「ナツ、死なないよね……」
「大丈夫よ、ハッピー」
食事を運んできたミラジェーンが静かに部屋に入ってきた。粥の乗っているトレーを置いてハッピーの頭を撫でる。
「ご飯食べてお薬飲んで、いっぱい寝れば、ちゃんと治るわ」
「本当?」
涙を浮かべるハッピーに頷くと、ミラジェーンはナツに顔を近づけた。
「ナツ、起きて。お粥作ったから少しでも食べて、お薬を飲みましょう」
ナツがゆっくりと目を開く。熱で潤んだ瞳がミラジェーンを捕える。
「……ル」
「何?ナツ」
ナツが何を言っているのか、聞き取ろうと耳をすませるミラジェーン。掠れた声が紡いだ言葉に、ミラジェーンは顔を歪めた。
ミラジェーンはナツの手を握ると、優しく声を落とした。
「ナツ、あなたには私たちが居るわ」
何とかナツに食事をさせて、薬を飲ませたミラジェーンは、ハッピーを連れて部屋を出た。
ナツに付いていると抵抗したハッピーだったが、昨晩からずっとそばに居るのだ、うつってしまったら大変だからだと無理やり連れ出された。
昼過ぎ、大学の講義を終えて帰宅したラクサスは、自室の途中にあるナツの部屋で立ち止まると扉を薄く開けた。微かに覗ける部屋の中、ベッドにはナツが横たわっていた。
他に誰もいない事を確認すると静かに部屋へと足を踏み入れる。
部屋は荒い呼吸が支配していて、それを耳にしているだけで、どれだけ辛いのか分かる。
ベッドに近づけば眠っているナツの額からタオルが落ちていた。冷やしていたはずだろうタオルは逆に暖かくさえ感じる程になっている。
ラクサスはタオルを拾い上げると、側に置いてあった洗面器に視線を落とす。水は張ってあるが氷はほとんど溶けてしまっている。これでは、ほとんど意味をなさないだろう。
ナツの額にラクサスが手を当てれば、手のひらに熱が伝わってくる。
「熱ぃな……ミラジェーンは何してんだ」
看病しているはずのミラジェーンとハッピーがいない。
とりあえず冷やさなければ。ラクサスがタオルと洗面器を持って立ちあがったと同時だ、ナツが小さく呻いた。
「いぐに、る……」
ナツは苦しそうに荒い呼吸を繰り返しながら、うなされる様に名を呼ぶ。それにラクサスは眉を寄せた。
イグニール。それがナツの父親の名だという事は妖精の尻尾内の者たちで知らぬ者はいなかった。いつか迎えに来る。探し出す。いつでも前向きに、そう言い続けていたナツだったが、所詮強がりだったのだろう。
「ガキの癖に、強がってんじゃねぇよ」
ラクサスには珍しく急く様に部屋を後にし、戻ってきた時手には氷水の張ってある洗面器にタオルが泳いでいた。
タオルを絞りナツの額にのせてやる。
熱のある額には心地がいいのだ、顰められていた顔が緩んだ。それと同時にナツはゆっくりと目を開く。
ラクサスと目が合うと、ナツは、ふにゃりと力なく笑った。
「ありがと、とうちゃん……」
頭が朦朧としていて、ちゃんと認識できていないのだろうか、それとも夢の中でイグニールと時を過ごしていたのかもしれない。
心を許している、安心しきった表情だったのだ。
20100820