鐘の音
鐘がなる。それは時を教えるために、伝えるために。忙しく時計を気にしている暇もない人は、鐘の音を聞いて時を知ることが出来るのだろう。
本日も、魔導士ギルド妖精の尻尾は平穏なときを流れている。
クエストの予定もなく暇な一日を過ごしていたルーシィは、見覚えのある後姿を見つけて近づいた。
「あれ。ナツ、寝ちゃってる?」
テーブルに突っ伏しているナツを覗き込んでみれば規則正しい寝息が聞こえてくる。熟睡のようだ。
寝ているときも起きているときも常に身に付けられているマフラー。幼いころから身に付けているらしいが、これといった傷みは見つけられない。大変汚れてはいるが。ルーシィが。
ナツを観察していると、ギルドに来てだいぶ聞きなれた音が耳に届いた。カルディア大聖堂の鐘の音だ。
「もうお昼なのね」
何もすることもない暇な日は、体内時計も狂ってしまう。ご飯でも食べようかと考えていると、今まで大人しかったナツが体を起こした。
「あ、おはよう。ナツ」
ナツはルーシィには目もくれず、どこかを遠くを見ている。
暫くしてナツはつまらなそうに唇を尖らせた。
「……違ぇ」
小さく一言呟いただけでまたテーブルに突っ伏してしまった。
「ちょっと、違うって何?」
ルーシィの問いにナツは応える様子はない。というよりも、また寝てしまったようだ。寝つきがよすぎる。
「どうしたの、ルーシィ。ナツの寝顔に見とれてるの?」
「違います」
うふふと楽しそうに笑いながら声をかけたのはミラジェーン。
間髪いれずにルーシィが否定した。観察はしていても決して見とれてはいない。
「寝ていたナツが急に起き出して、違うなんて言うんですよ。どういう意味なのかって聞こうとしたらまた寝ちゃって」
そもそも自分の存在に気づいてさえいない様だった。せめていつもこの半分ぐらいは大人しくしていて欲しいものだ。
脱力気味なルーシィにミラジェーンは、納得したように頷いた。
「きっと鐘ね」
「鐘ですか?大聖堂の」
「ええ。さっきも鳴っていたでしょう?お昼を知らせる鐘の音」
大聖堂の鐘は一定の時間で鳴る。朝と昼、日の暮れる時間。特別な時は結婚式の日などにも街中に響き渡り祝福する。
「いつも鐘の音はその時刻の数鳴るんだけど、ナツが待っているのは違うのよ」
「え、ていうかナツは鐘を待っているんですか?」
ミラジェーンは眠っているナツを見て優しげに微笑んだ。整った唇が「ゴーンゴゴーン」鐘の音を真似たように小さく呟く。ルーシィが首をかしげると、ミラジェーンはにこりといつもの笑顔をルーシィへと向けた。
「こんな感じで、今みたいに特別な鐘の音を待っているの。彼が帰ってくる合図だから」
「彼?」
先ほどから話がうまくつながらない。必死に頭を働かせようとするルーシィ。ミラジェーンが、あ、と声を上げた。
「ルーシィは知らなかったのよね」
「はい?」
「前に話したかしら。ギルダーツの事」
「ギルダーツって、妖精の尻尾最強の魔導士っていう、あの?」
ハッピーから名前ととても強いと言うことだけは聞いたことがあった。
「みんなからはオヤジって呼ばれてるわ」
それもハッピーが言っていた。話しについていこうと必死に頷くルーシィ。玩具のように首がかくかくと動く。
「ナツが待っているのが、ギルダーツなの」
ミラジェーンは口元に手をあてて小さく笑う。その目をどこか遠くを見ているようで、それでも愛しげに細められる。何かを思い出しているのか、少し間を空けたあとにミラジェーンは口を開いた。
「何年か前、ギルダーツが今のクエストに出る少し前の話し」
強い魔導士に惹かれるナツ。それは妖精の尻尾最強の魔導士の称号を持つギルダーツも例外にはならなく、ナツはとても懐いていた。
ギルダーツがクエストに出る前は、不満そうな顔をしていた。それでも、ナツ自身クエストに出る事もあったし、ギルダーツのクエストの話を聞くのを楽しみにしていたから、口に出すことはなかったのだ。
そして、ある出来事が起こった。
『ギルダーツ、帰ってたのか?!』
ギルド内にナツの声が響く。ギルド内を見回すナツの目はギルダーツの姿を探すが、マカロフがそれを止めた。
『ナツ、ギルダーツはもう次のクエストに出とる』
『ッ……俺、そんなの聞いてねぇぞ、じっちゃん!』
ナツの瞳が涙で潤む。マカロフは困ったように頬をかいた。
『昨夜帰ってきたんじゃがな、すぐに新しいクエストに向かった』
ナツの瞳が大きく見開かれる。耐えるように唇をかみ締めていたが、弾けるように開かれる。
『オレ、知らねぇ!聞いてねぇよ、じっちゃんのバカ!!』
マカロフもこの事態は予想がついていたから、ギルダーツに一言告げておいたのだ。クエストに出る前にナツに会っていくようにと。しかし、マカロフの願いは適わなかったようだ。
ナツはギルドを飛び出して行ってしまった。
翌日、ナツはいつもどおりにギルドにきたものの元気はなかった。その数ヵ月後、ギルダーツが帰還――――。
「その時に、ギルダーツがナツに約束したのよ。自分が帰ってきたときに鐘を鳴らすって。それが合図になるからって」
その時に分かったことなのだが、あの日クエストに出る前にナツの顔を見にいったらしい。だが眠っていたナツを起こすのは忍びなかったらしく、顔を見てクエストに向かったそうだ。
ルーシィはミラジェーンの話を聞いて、息を吐きだした。
「何かちょっとロマンチック」
これが男女間の恋愛だったならばの話しだ。
「それにしても、ナツがそんなに懐くなんてギルダーツってすごい人なんですね」
「もちろんすごい魔導士よ。でも、それが理由じゃないわ」
瞬きを繰り返すルーシィにミラジェーンは続ける。
「ナツとギルダーツは恋人同士なのよ」
「なるほど。もう、そういう事は先に言ってくださいよー」
あははと笑うルーシィに、ごめんなさいと笑うミラジェーン。
そのまま笑い続ける二人だったが、ルーシィのこめかみから汗が一筋流れる。
「……ミラさん、今何て言いました?」
笑顔のまま冷や汗が流れる。ルーシィは表情を固めたままミラジェーンを見上げる。ミラジェーンは首をかしげた。
「あら、言い方が悪かったかしら。ルーシィに分かりやすく言うと、でぇきてぇる゛」
「ハッピーの真似流行ってるの?!ていうか、さっきので十分伝わってます!じゃなくて、ギルダーツって男の人ですよね?それでナツと恋人って」
ミラジェーンはルーシィの反応に苦笑した。
「妖精の尻尾のみんなは知ってるのよ?それに、本人たちがいいなら良いと思うわ」
恋愛は自由だし、他人が口出せる事ではない。だが、そういう種類の人間に出くわしたことのないルーシィは戸惑いを隠しきれないでいた。
ルーシィが混乱している頭を抱えていると、その気持ちが分かるのかミラジェーンがルーシィの肩に手を置いた。
「私も最初は驚いたのよ。だって、ナツが誰かと恋人同士になるなんて想像したことなかったもの。それに相手はギルダーツ、年も離れているし」
同意するように何度も頷くルーシィに、ミラジェーンは、でもと続けた。
「応援したくなっちゃうの」
「え?」
「ナツを見ていると応援したくなっちゃうのよ。だって可愛いじゃない、ああやって寝ていても、鐘の音が聞こえるだけで起きちゃうのよ?顔に出さないし決して口にはしないけど、ギルダーツが帰ってくるのを誰よりも待っているの」
ルーシィは先ほどのナツの表情を思い出した。遠くを見ていたのは、鐘の音を聞き取ろうとしていたのと、どこかにいるギルダーツを想っていたのだ。
一途なナツなど見た事もなかった。そんな一面を見てしまったら、確かに応援せざるをえないかもしれない。
「んむ……ギル、ダ……ツ」
むにゃむにゃと寝言で呟くナツの口は幸せそうに歪んでいる。夢の中でどれほど幸せな時を過ごしているのか内容は分からなくとも手に取るように分かる。
いびきをかき始めるナツに、ミラジェーンとルーシィは互いに顔を見合わせた。
「ね?可愛いでしょ」
「そうですね」
にっこりと笑うミラジェーンに、ルーシィは眠っているナツに笑みを浮かべたのだった。
2010,01,09