夏の祭典
「しっかし、暑いよな」
グレイは手を仰がせて微妙な風を顔に受ける。気温が高ければ、どれだけ風を作ろうとも涼しくはならない。
パイプ椅子にもたれて項垂れるグレイに、ラクサスはタオルを差し出した。
「手拭け」
「お。気がきくな」
「お前の汗で本が湿るんだよ」
ラクサスの言葉にグレイは顔を引きつらせた。言い返そうと口を開いたが、第三者の声に止められる。
「これ新刊ですよね?」
グレイは前へと向きなおし、本を手に取る女性へと笑顔を向けた。
今日、ラクサスとグレイは年に二回行われる最大の祭りへと赴いていた。その名もコミケ。彼らは女性向けでサークル活動を勤しんでいる所謂ヲタクだった。
「ありがとうございましたー」
嬉しそうに本を手にして去っていく女性を見送り、グレイはラクサスへと振り返る。
ラクサスは背後で買いあさった同人誌を黙々と読んでいた。
「つかよ、お前そろそろ変われ。俺だって買いに行きてぇんだよ」
グレイの言葉にラクサスは訝しむような視線を向ける。
「行きゃいいだろ」
むしろ何でずっといるの?みたいな雰囲気だ。
グレイは苛立ちをおさえられずに、乱暴に荷物の中から財布を取り出した。
「てめぇはちゃんと居ろよ」
グレイがスペースから抜けようとした時だった。周囲がざわついた。元から人が多いのだ静かではなかったのだが、それとはまた違う騒がしさだ。それが少しずつ近づいてくる。
何事かと、ラクサスとグレイが視線を向ける先には鮮やかな色。
「ラクサス!グレーイ!」
ラクサスとグレイは顔を強張らせ、互いに顔を見合わせた。
「俺、暑くて頭いかれたか?」
「元からだろ……それより、あれは幻覚でも何でもねぇ」
「……だよな」
がくりと肩を落とすグレイ。
座っていたラクサスが慌ただしく立ち上がりスペースを出て行こうとする。それを腕を掴むことでグレイが止めた。
「どこに行く気だよ」
「抜ける」
「ざけんな!二人抜けるわけにはいかねぇだろ!」
「てめぇが残れ」
二人が言い合いをしている内に、桜色の髪が目の前までやってきてしまった。
「やっと見つけた!すげぇ人だよな、ここ」
可愛らしい声。それに二人はぎこちない動きで振り向けば、目の前には同級生であるナツが立っていた。しかも格好は私服ではない。
「お、まえ、その格好なんだよ」
グレイの動揺した声。ナツは己の着ている服を指でつまんだ。
「これか?ルーシィに着せられた。動きやすいけど変な服だよな。マフラーも暑いし」
ナツの格好は、ラクサスとグレイが同人誌を出している漫画の、主人公のコスプレだった。しかも完成度が高い。むしろ漫画の中から抜け出したんじゃねぇの?って感じだ。グレイなど直視できていない。
「その前に、何でここに居るんだ」
ラクサスの言葉にナツはむっと口元を歪め、両手を腰にあてた。
「お前らが俺を仲間外れにするからだろ!」
仲間外れとは、ラクサスとグレイが何も知らない一般のナツに隠れて同人活動をしていた事だ。特にイベント前は締め切りもあってナツを蔑ろにし、二人だけで行動しているのだ。不審に思わないわけがない。
「俺達の事はルーシィから聞いたのか」
溜め息を混じりに呟くラクサスに、ナツは頷いた。
「この格好したらラクサス達の事教えてくれるっていうからよ。よく分かんねぇけど凄い事してんだな」
確かに、ある意味すごいだろう。
ナツは、テーブルの上に並んでいる本を手に取ると、めくり出した。それに二人が慌てないわけがない。
「ちょっと待て、バカ!」
グレイとラクサスが二人同時に手を伸ばす。その前に横から伸びてきた手によって、ナツの手の中から本が奪われた。
三人の視線が集まる先には、チアガールの衣装に身を包んでいるルーシィがいた。ナツがしているコスプレのキャラが出てくる、漫画のヒロインのコスプレだ。
「ダメよ、ナツ。売り物なんだから」
ルーシィが咎めるようにナツに言うが、グレイとラクサスの視線は厳しい。その視線に気づいたルーシィがにこりと笑みを浮かべた。
「あんた達感謝しなさいよ」
二人が言い返す前に、ルーシィが続ける。
「ナツのコスプレ見れて嬉しいでしょー?」
それを言われては何も言えない。
ぐっと堪えるグレイとラクサス。本を奪われたナツが、ラクサスへと視線を向ける。
「それいくらなんだ?俺も買ってやるよ」
ラクサスが咄嗟に本の横に置いてあった値札を握りつぶし、グレイがルーシィの手にある本を奪い取る。
息の合った行動だが、明らかに不審だ。ナツが不機嫌にならないわけがない。
「なんだよ!それラクサスとグレイが作ったんだろ、読ませろよ!」
例え可愛くお強請りされても、こればかりは譲れない。内容がホモの上に成人向けなのだ。ナツから冷たい視線を向けられると想像するだけで、二人は内心冷や汗ものだった。マジそれだけは勘弁、である。
流石に憐れに思ったルーシィがナツをなだめにかかった。
「あのね、ナツ。この本は女性向けなのよ」
「女が読むって事か?」
「そう。(だいたい)女の人が買っていくの。(たまに男の人もいるけど)女の人が読むのよ」
少し考えるように間を置き、ナツは不満そうに口を尖らせた。
「それじゃ、仕方ねぇよな……俺、男だもんな」
二つのため息が重なった。とりあえず、ナツはコミケの事もよくは分かっていないようだし、自分達の偏った趣味にも気付いてない。
「ナツ、向こうでかき氷でも食べましょ」
「お、いいな!この格好暑くてよー」
それに我先にとスペースから出ようとするラクサスとグレイ。それにナツが振り返った。
「なぁ、お前らはこういう格好しないのか?」
つまりはコスプレの事だ。何言ってんだ、顔を顰める二人に、ルーシィはにこりと笑みを浮かべた。
「エルザが二人の分も用意するって言ってたから大丈夫よ」
何が大丈夫なんだ。同人活動してもコスプレをする気はない。
無言で訴える二人に、ルーシィは更に笑みを深めた。
「エルザが用意してるの」
エルザは、ナツ達が通う妖精学園の恐怖の風紀委員だ。彼女に逆らえる者はほとんどいない。そして、エルザとルーシィはコスプレ仲間。グレイとラクサスのコスプレ参加は強制的に決められた様なものだった。
そして、実物なのではないかと噂になるほどの五人のコスプレイヤーは、伝説となったのだった。
20100814