夏休み目前
「ラクサス、遅刻するぞ」
ナツが朝食を終えて食器を下げる中、ラクサスは静かに食事を続けていた。
今日は平日だ。いつもならナツと同様に食事を終えて支度をしているはずなのに、ラクサスは急ぐ様子はない。
遅れて食事を終えたラクサスが立ちあがった。
「今日は休みなんだよ」
「ずる休みか!」
ラクサスは面倒くさそうにナツを見下ろした。
「試験休みってのがあんだよ。お前はさっさと学校行け」
追い払うような手の動作に、ナツはむっと口元を歪めた。
「ずりぃ!オレも休む!」
「あ?何言ってんだ、お前」
「だって、ラクサスずっと寮にいるんだろ」
予定もないのに暑い外へと自らすすんで出ていくわけがない。
答えずにいるラクサスに、ナツがしがみ付いた。
「ラクサスが居るんならオレも……ぐぇ!」
ナツは首を締め付ける感覚に短く悲鳴を上げた。
常に身に付けているマフラーが急にきつくなったのだ。その原因は、いつの間にか背後にいたグレイ。
ナツは、マフラーの端を掴んでいるグレイの手を払うと睨みつけた。
「なにすんだ!」
「はやく準備しろよ。遅刻すんだろ」
グレイはすでにランドセルを背負っていて、いつでも登校できる状態だ。
「オレは行かねーからいいんだよ」
ナツの言葉にグレイが不機嫌そうに顔を歪めた。
ナツは言い始めたら聞かない我が侭な部分がある。そんなやり取りをしている内に食堂にいる人数もだいぶ減っていく。このままでは間違いなくナツは遅刻をし、その責任はラクサスへと向かってくるだろう。
ラクサスは溜め息をつくと、グレイと言い合いを始めていたナツの頭をぐしゃりと撫でた。
「いいから行け。帰ってきたら遊んでやる」
ラクサスが自ら約束の言葉を口にするのは珍しい。
不機嫌だったナツの表情が嘘のように輝く。期待を込めた大きな瞳がラクサスを見上げた。
「ほんとか?」
「……ああ。学校に行くんだったらな。休むってんなら今のは無しだ」
「い、行く!ちゃんと行く!」
ナツはグレイの手を引きながら、食堂を出ていく。
「すぐに終わらせて帰るからなー!」
決まった時間で動いているのに一人でどうやって早く終わらせるのか。慌ただしく出ていった小さな背中を見送って、ラクサスも自室へと足を向けた。
そして昼過ぎ。ナツは言葉通り寮へと飛び込んできた。
「遊ぶぞ、ラクサス!」
子供たちがいない寮で静かな時間を満喫していたラクサスは、居るはずのないナツに目をみはった。
「お前、何でここに」
「40分休み!」
つまり給食の時間を終えた後の昼休みだ。
急いだのだろう、ブイサインをつき出して笑みを浮かべるナツの口元には食べかすが付いていた。
ラクサスは脱力するように溜息を吐くとナツの頭をはたいた。
「いて!何すんだ!」
「途中で帰ってくんじゃねぇ」
バカ。
もう一度はたかれても、ナツは言い返せずにぐっと声を漏らすだけだ。
「だって」
涙をじわりと浮かべながらナツにしては珍しく口ごもる。
ラクサスが再度叩こうとしていた手を止める。
「ラクサスが居るなら、オレも、こっちがいい」
何故こんなにも懐かれているのかラクサスには理解できなかった。子どもに好かれやすいわけでもない、ナツに特別に優しくしたわけでもないのだ。
しかしナツの考えなど、どう頭を働かせようが分かるわけがない。
ラクサスは、叩く準備をしていた手をナツの頭にのせた。
「仕方ねぇから、学校まで送ってやる」
ナツの頭にのせていた手を、今度はナツへと差し出す。
ナツは、笑みを浮かべてその手に自分の手を重ねた。
「おう!」
その日の夕食の時刻。冷やかす声が食堂中に飛び交い、その後数日間はラクサスの不機嫌はいつもよりも増していたのだった。
20100725