first dream of the New Year
頭二つ分自分よりも高い位置にある顔。今日その目は優しく細められて、まっすぐに自分を見下ろしている。
手が温かいのは、隣にいる男が握り締めているからだ。
自分に合わせて歩幅を合わせてくれる気遣いは珍しく、自然と頬が緩んでしまう。そんな顔が恥ずかしく俯くとマフラーが口元を隠してくれた。
ふと名を呼ばれて顔を上げると、握り締められていた手が放されて、その手が自分の頬へと触れてきた。
頬をすっぽりと覆ってしまう大きな手に自分の手を重ねて、彼の名を呼んだ。
「んあ?」
ナツは目を開いた。
窓から差し込む陽が目を刺激する。ナツは瞬きを繰り返して状況を把握しようと半分夢うつつ状態の頭を働かせた。
今自分がいるのはベッドの中。もちろん自分の家だ。そして、右手は自分の頬へと触れている。
「……ラクサス?」
名を呼んで、ナツは我に帰った。自分は夢を見ていたのだ。
ナツは起き上がると、夢の内容を思い出して顔をゆがめた。夢に誰が出てきてもこれといって問題はない。だが今回の場合状況が違う。夢の中のナツとラクサスは、密接な関係と取れるような行動をとっていた。
色恋沙汰には呆れるほど疎いナツが、日常でそんな妄想をしたことさえもないのに夢で見るとは、それこそ異常だ。
ベッドの上で胡坐をかきながら唸っていると、近くで眠っていたハッピーが目を覚ました。
「ナツ?……おはよー」
「お。起きたか、ハッピー」
ハッピーが目を擦りながらベッドに登ってきた。
「起きるの早いね、ナツ。もうギルドに行く?」
時計を見てギルドの開店時間を過ぎているのを確認したハッピーが訊ねる。
ナツは空腹を訴える腹に手をあてた。夢の事で占めていた脳内が食欲へと早々に切り替えられた。
「飯だ。行くぞ、ハッピー!」
「あいさ!」
窓から飛び出すナツとハッピー。
短縮として使われる窓のおかげで、玄関の利用は徐々に減りつつあるが、その家の住人が二人だけなので咎めるものはいない。
「そうだ。ナツー」
窓から飛び出したナツとハッピーはギルドまでの道のりを歩いていた。
いつもよりも人通りが少ない気がする。ナツはハッピーの呼びかけに視線を足元に下げた。
「何だよ。ハッピー」
「あけましておめでとー」
ナツは一瞬なんだと思ったが、すぐに理解してにかりと笑った。
「おう。今年もよろしくな!ハッピー」
ナツは目覚めの悪さで忘れていたのだ。今日からまた新しい一年を迎える。昨夜は年越しということで零時を回るまでギルドの閉店が伸ばされていたのだった。
あの後荒れたギルドの片付けがどうなったのかは、先に帰宅したナツ達には分からない。もしかしたら開店に間に合っていないのではないかと少々不安になるところである。
「ご飯食べられるのかな」
「食えないって思うと余計腹減るよな」
ナツの腹から空腹を主張する音が盛大に鳴り響いた。ハッピーにも聞こえたらしく笑っている。
もしかしたらギルドには酔いつぶれている大人たちが床を埋め尽くしているのではないかとか色々予想を立てているうちに、話題にしていたギルドについた。最悪の想像は免れ、門は開いていた。
ナツとハッピーはギルド内へと足を踏み入れる。
「あけおめー!」
「ことよろー!」
ナツとハッピーがいつもよりも三割増程度に元気よく挨拶をすると、あちこちから返事が帰ってくる。いつもどおり朝からにぎやかなギルド。それにしてもよく片付いたものだ。
「ナツ、ハッピー。あけましておめでとう」
「よぉ、ミラ。あけおめだ」
「ことよろだー」
ミラジェーンはくすくすと笑いながら、トレーに乗せた飲み物を注文を受けた客のテーブルへと置いた。
「元日から元気ね」
「いつも元気だよな。ハッピー」
「あい。元気だけが取り柄です」
ハッピーのはほめ言葉でもなんでもないが、ナツは気にしていない様だ。
ナツとハッピーが近くの席へと腰を落ち着かせると、一時手の空いたミラジェーンがテーブルによってきた。
「いつものでいいの?」
「おう。正月限定トッピングで!」
「オイラもー」
「すぐに用意するから待っててね」
カウンターに戻りながらも途中で呼び止められた客の注文を受けたり、ミラジェーンは年明け初日から忙しそうだ。
「ナツ、ハッピー。あけましておめでとう」
来たばかりのルーシィがナツの前の席へと着いた。
「あけおめだ。ルーシィ」
「ことよろー」
ルーシィは忙しそうなミラジェーンと、ギルド内に視線をさまよわせたあとに小さく息をついた。
「よく片付いたわよね。あんなに散らかってたのに」
昨夜年越で一緒にいたルーシィ。ナツたちと帰る前に片付けの手伝いを申し出たのだが、まだ帰らなさそうな客やギルドの人たちがいるからと、丁重に断られたのだった。そのあと心配していたルーシィだったが、それも無駄に終わったようで何よりだ。同感だと頷くナツの肩に手が乗せられた。
「新年早々元気だな」
手の主はグレイだった。
ナツはグレイの顔を確認して顔をゆがめた。グレイの表情が緩みまくっていたからだ。正直気持ちが悪い。
「何だ、そんな見つめんなよ。寂しかったのは分かるけどな」
グレイはナツの隣へと腰を下ろし、手をナツの腰へと回した。ナツの肌がぞくりと粟立つ。
「気持ち悪ぃ、触んな!」
「照れんなよ」
顔を近づけるグレイの表情は恍惚とした表情をしている。
ナツは体を引こうとするがあいにくとグレイに腰を抑えられていて適わなかった。
「ちょっとグレイ、あんたどうしたの?」
事態の異常さに、前に座っていたルーシィが思わず立ち上がる。
「こいつ、気持ち悪ぃ」
いつもの状態のナツなら殴るでもしているところだろうが、いつもとは違うグレイの行動に不快感が限界を超えたらしい。限界も超えすぎると気も失せさせるものだ。
「楽しそうね」
食事を運んできたミラジェーンがナツたちの光景に、いつもの笑顔を向けた。しかし当の本人には笑えない状態である。
「ミラさん!」
「あけましておめでとう。ルーシィ」
「あけましておめでとうございます……じゃなくて、グレイの様子がおかしいんですよ!」
ルーシィの言葉にミラジェーンがグレイへと視線を落として見る。
「いつもと変わらないわよ」
「これがいつもだったら怖いですよ!」
卒倒ものだ。首をかしげるミラジェーンにルーシィは、この人は天然なのだと自分に言い聞かせる事で、あきらめた。
しかしながら慌てているのが自分ひとりとなると存外異常な事態でもないのではないだろうかと思えてしまう。食事をテーブルへと置くミラジェーンの横で、ルーシィは大人しく座って目の前の少年二人の観察を始めた。
「何なんだよ、お前!手放せコラ!」
「初心だな、ナツ。これぐらいで照れてたら、この後どうすんだよ」
「何するつもりだよ……つか、照れてねぇ!」
「おいおい。照れてねぇって、やる気満々だな。よし、俺の家に行くか」
「何でだよ!てめ、いい加減にしねぇとマジで黒焦げにすんぞ!」
「今更だろ。俺のハートはお前に焦がされてんだよ」
「うがーッ!気持ち悪ぃ!」
グレイに無理やり連れて行かれそうになっているナツ。
ルーシィはふっと口元に笑みを作った。
「やっぱりおかしいからこの状況!!」
テーブルを叩いて立ち上がるルーシィ。
「ちょっとグレイ!あんた変よ!?」
「ルーシィに変って言われたらおしまいだね」
「ハッピーは黙ってる!」
騒がしいルーシィに、ミラジェーンは苦笑しながらグレイへと顔を向ける。
「何かあったの?グレイ」
「おぉ、ミラちゃん。実は夢見が良くてな」
にやにやとだらしなく顔を緩めるグレイ。
至近距離にいるナツが顔を青ざめさせてうんざりとしている。
「初夢ね。どんな内容だったの?」
「初夢?」
ナツが首をひねってミラジェーンを見上げる。ナツの反応を見たミラジェーンが、知らないのだろうと察して、ええと一度頷いた。
「初夢っていうのは年が明けてはじめて見た夢の事、今年はまだ元日だから今朝見た夢ね。初夢は正夢になるって言うのよ。それで、グレイはどんな夢を見たの?」
そんなのは迷信で実際に正夢になった話など聞いたことなどないが、あえて言わない。
感心したように、へぇと声を漏らすナツに、グレイが頬を染めた。
「もしかして、グレイが見た夢ってナツが関係してるのかしら」
「まぁな」
ここまでくれば対外想像はつくだろう。
傍観者に回っていたルーシィも、ナツたちとは関係がないように顔をそらしている。首がもげそうだが必死な形相なので、誰にも突っ込めない。
「気になるわね。聞かせてくれない?」
ミラジェーンが希望するのを待っていたかのように、グレイが目を輝かせる。
ナツが自分には都合が悪いのだと直感したのだろう。逃げようとするが、グレイにがっちり抱きすくめられて逃げられない。
「放せーッ!!!」
「夢では俺はカルディア大聖堂にいてよ……」
緩みまくった口からグレイが見た夢の詳細が次々と語られていくことになった―――。
カルディア大聖堂の礼拝堂。足元には門から敷き詰められる赤い絨毯、その中央には一直線に白い花が散り敷かれている。まるで花嫁の先導をしているようだ。花が門から繋ぎ祭壇の前、そこにグレイは立っていた。
列座にはギルドの人間だけではなく、グレイの兄弟子であるリオンも参列していた。ステンドグラスから差し込む日がグレイの顔を照らす。まぶしそうに目を細めていると、パイプオルガンが礼拝堂に響き渡った。グレイは胸の高鳴りを抑えるようすもなく今まさに開かれようとしている門を愛しそうに見つめる。
「ナツ……」
愛おしさは抑えきれずにグレイの口から小さくこぼれた。自分の耳にだけ響く声。それに応えるように門が開いた。
外から差し込む光が門に立つ人物を光で包んでしまっている。パイプオルガンの曲に合わせるようにゆっくりとした足取りで絨毯を踏みしめていく。光から抜け出した花嫁の姿に、参列者からほう、とうっとりした声が漏れる。
胸から足元まで隠す長いドレス。型押しした生地は白を基準にし、繋がる大輪の薔薇のレースを境に半分の丈がレースであしらわれている。淡い色のピンクのレースは可愛らしさをさらに引き立て、花嫁はギルドの名のごとく妖精のようだ。
花嫁と腕を組んで歩いているのは父親役を買ってでたマカロフ。体を魔法で巨大化させているので、花嫁よりも頭一つ分ほど高い。だが残念な事に涙で顔がすごいことになっていた。
「泣くなよ。じっちゃん」
苦笑するナツに、マカロフはさらに涙を溢れさせた。
「泣いておらんわい!」
「じっちゃんが泣いたら……俺まで、」
じわりとナツの瞳に涙が浮かぶ。そんなナツの頬に触れたのはグレイの手だった。ナツはグレイの前までたどり着いていたのだ。
ナツはマカロフから手を放してグレイに抱きついた。
「ナツ、」
「じっちゃん、俺ちゃんと幸せになるから!」
マカロフの涙腺は限界を超えた。表現するなら洪水だろうか。魔法もとけて通常の体格に戻ってしまっている。
声を上げて泣き出すマカロフに、参列していたミラジェーンが駆け寄って参列へと連れていった。
「俺、幸せだよな。みんなが祝ってくれて、グレイとこれからずっと一緒にいれんだから」
グレイの顔を覗き込むように微笑むナツに、グレイは引き寄せられるように口付けた。一瞬ではなれた唇。ナツの頬がうっすらと紅色する。
「……何すんだよ、グレイ」
「ばーか。お前が可愛すぎるからだろ。まだ誓いの言葉も言ってねぇってのに」
グレイの顔もかすかに赤い。そんな表情を間近で見たナツは、今度は自分から唇を合わせた。
「そんなのいらねぇよ」
ナツは、祭壇に背を向けて参列者を見渡す。
「みんな!俺グレイとずっと一緒に、幸せだからな!!」
パイプオルガンよりも響き渡る声は、ひどく心地よく感じてしまう。
参列者が立ち上がって声を上がる。中には泣いているものもしばしば見かける。ナツとグレイを幼いころから知る物は兄弟や子が結婚するようなものなのだろう。
異様に熱狂する礼拝堂。その中で座ったままのルーシィが目じりに涙を浮かべていた。
「幸せになるじゃなくて”幸せだからな”なのね」
未来ではなく。今もこれからも、ずっと。そんな想いは純粋すぎて、胸が締め付けられてしまう。
「おめでとう!ナツ!グレイ!」
ルーシィも席を立って拍手を送った。
この結婚式は前例もないほどににぎやかで騒がしい、それでも幸せな結婚式になった―――。
「あのナツは可愛かったな」
表情を輝かせるグレイの横で解放されたナツは灰になっていた。ハッピーが突いても全く反応しない。
ナツの姿に居た堪れなくなったルーシィは、そむけていた顔を戻した。
「ナツ、まだ正夢になるって決まったわけじゃないんだし。それに、そんなの迷信よ迷信。だから元気出して」
その言葉に少しだけ回復したナツがルーシィへと顔を向ける。
「……めーしん?」
「そうよ。正夢になった人がいるなんて聞いたことないもの。ね?」
ナツの表情が次第に明るくなっていく。
そんな夢を見た事自体グレイには腹立つのだろうが、今のナツにはルーシィの言葉だけで十分だったようだ。
「そうだよな!俺、別にグレイの事好きじゃねぇし!」
酷い。
そう思ったが誰も突っ込まない。今回の件についてナツが不憫に思えたからだ。
「でもさ、前例が全くないならそんな話自体存在しないんじゃない?」
作り話でもなんでも、それに似通ったような元になる話があるのではないか。
そう呟いたハッピーの両頬を、ルーシィの両手が挟む。
「黙っててねー?ハッピー」
「俺はグレイなんかとは結婚しねぇ!!」
立ち直ったナツには聞こえなかったようだ。安堵の溜め息をつくルーシィがハッピーから手を放す。
「そういや、俺も夢見たんだ!」
ナツがいつもの笑顔でルーシィに顔を近づけた。
「な、なによ。変な夢じゃないでしょうね」
「それが、何でか知らねぇけど……」
ナツが今朝見た夢の事を話そうとしていると、ハッピーが思い出したようにミラジェーンを見上げた。
「ねぇ、ミラ。オイラ思い出したんだけど、初夢って他の人に話したら正夢にならないんじゃなかった?」
「そういえばそうね」
にこにこと笑みを浮かべるミラジェーン。忘れていたのか、それとも故意なのか判断がつかない。
衝撃を受けてグレイがテーブルに沈んだ。そんなグレイを見て楽しそうに笑うミラジェーンは何か裏があるのではないかと勘ぐってしまっても仕方がないだろう。
「ナツ?どうしたのよ」
話の途中で動きを止めたナツに、ルーシィが怪訝そうな顔をする。
ナツは瞬きを繰り返したかと思うと、口を閉じた。
「やっぱ止めた」
「え?初夢の話してくれるんじゃ……あ、そっか。今ハッピーたちが言ってたもんね。何、いい夢だったの?」
にんまりと楽しそうに笑うルーシィにナツが首をかしげる。
別にこれといっていい夢ではないし話しても構わないはずなのだが、話す気になれない。
ナツは今朝見た夢を思い出してみた。いたのは自分とラクサスで、あり得ないほどに仲がよかった。そして、ラクサスの表情が見た事もないものだった。
「ナツ!?あんた顔赤いわよ!」
「ふぇ?」
ナツの口から珍しい声が漏れた。
顔が熱でもあるかのように赤くなっていて、ナツは自分のことながら困惑した。分かるのは頬が熱を持っている事と、心臓の音が煩いほどに鳴っていることだけだった。
『ナツ』
夢の中で聞いた声は、現実でも聞いたことがない優しい声。実際に聞いたわけでもない声が耳に残って離れない。
「うるせー……」
耳に残る声も、高鳴る鼓動も。煩すぎるのに、何故だか心地いい。
2010,01,05