遠く離れていても





妖精の尻尾のギルド内。その日ギルドは、いつも以上に落ち着かないようで、誰がどう見ても不自然だった。

マスターであるマカロフは定例会に赴いていて不在である。また何か問題でも起こしたのだろうか。いつでも問題ばかり起こしている彼らの場合、そう思われるのは仕方がない。だが、今回ばかりは違った。

「ねぇ。マスターまだ帰ってこないのかな」

リサーナが指を弄びながら、しがみ付く様にしてテーブルに向かっているナツへと視線を向ける。ナツはリサーナの声さえも届いていないようで、必死に手を動かしていた。

「ナツ、まだやってるの?」

リサーナがナツの手元を覗き込む。ペンを握りしめている幼い手は、ずらりと長く続く紙に黙々と文字を刻んでいた。同じ言葉を、繰り返し書き続けている。

「ていうか、長すぎ!」

リサーナの声にも反応せず書き続けるナツに、流石にリサーナもナツの動きを止めに入った。

「ストップ!もうそれぐらいでいいの!」

ようやく声が届いたのだろう。ナツは手を止めて、リサーナへと振り返る。

「なんだよ、リサーナ。オレはまだ書けるぞ」

「そんなにあっても使いきれないよ」

「そうか?」

長い紙には切り取り線が付いていて、一つが横長の長方形の様な形。そして、すべてに「かたたたたきけん」と書かれていた。

「“た”ひとつ多いし」

「肩たたき券」と書きかたかったのだろう。端を持って広げて見せるナツに、リサーナは呆れたように声をもらした。長々と続く手作りの券はナツの身長を軽く超えている。それだけでも多いのに、それが数枚あるのだ。

「リサーナは終わったのかよ」

共に、肩たたき券を折りたたんでいるリサーナへと首をひねる。一つたたみ終えて、リサーナは笑顔で頷いた。

「うん!きれいなお花いっぱい摘んできたの。ミラ姉とエルフ兄ちゃんはケーキ作ってるし……ドキドキするね!」

「へへ!じっちゃん、びっくりするよな!」

「喜んでくれるよね!」

笑い合う幼い二人はとても微笑ましい。落ち着かない雰囲気でギルド内を行き来する者たちの表情も、自然と緩んでいった。
いつもとは違った雰囲気を漂わせるギルド内。その理由が今日は父の日だからだ。一番長くギルドにいた者も、そんな単語をほとんど聞く事などなかった。しかし、ギルドに子供が増えたせいか、その行事に目を向けた者が出てきたのだ。それがリサーナだった。仕事で訪れた街で耳に入れ、考えに至ったのだ。ギルドの親であるマカロフを祝おうと。
リサーナの案に賛同したギルドの面々は、マカロフが定例会でギルドを開けている間に準備を進めていたのだ。

「マスター、いつ帰ってくるのかなー」

そろそろ日も暮れてくる頃だ。朝から準備すれば、やる事もなくなる。子供の手で出来ることなどわずかだから特にだ。手持ちぶたさになってしまったナツとリサーナはテーブルにへばり付いていた。

「おせーよな。じっちゃん……」

「マスターなら、もう帰ってくるってさ」

向けられる声に、ナツ達が振り返れば、カナが立っていた。

「今エルザが駅まで迎えに行ってるよ」

ナツとリサーナの表情が輝いた。

「じーさん、やっと帰ってくんのか」

疲れた様子で近づいてきたのはグレイだ。毎度の如く上半身は裸だ。

「グレイ……服!」

微かに頬を紅色させて注意するカナの言葉を気にした様子もなく、グレイはナツの隣へと腰かけた。テーブルに置かれている肩たたき券の束に視線を落として、笑みを浮かべた。

「汚ぇ字だな。もっときれいに書けねーのかよ」

今日は一日準備でナツとグレイは顔を合わせていなかった。グレイがナツへとちょっかいをかけたい気持ちは分かるのだが、当のナツには怒りしか浮かばない。

「うるせー!おまえには関係ねぇだろ!」

眉を吊り上げて睨んでくる猫目に、グレイの表情は緩む。しかし性格がそうさせるのか彼のいつもの行動がそう見せるのか、意地悪気に見える。
放っておいたら喧嘩になるだろう事は分かり切っていた。発展する前に、リサーナが二人の間に割って入った。

「喧嘩しないの!マスターも帰ってくるのに台無しになっちゃうよ」

リサーナの言葉に耐える様に身体を震わせて、グレイを睨むだけで止まった。

「グレイは何の準備だっけ?」

「オレのはこれ」

グレイが手のひらに拳をあてた構えを作る。手の周囲を冷気が漂うと、弾ける様に細かい氷の粒が飛び散った。光にあたり輝くそれは宝石のようだ。

「きれい!」

「これをマスターが入ってきた時にやるんだよ。本番はもっと派手にやるけどな」

しかし、それだけで疲れているのだろうか。幼い顔に似合わない疲労感を漂わせる顔に、ナツが噴出した。だが、ナツの揶揄にも反応する事もないグレイに、リサーナとカナが心配げに眉を落とす。

「大丈夫?」

グレイの指がある方へと向けられる。その指が微かに震えていたのは見間違いではなかった。指さす方へと振り返れば、光り輝くものがそびえ立っていた。テーブルの上に積み重ねられているそれ。俗に言うシャンパンタワーだった。

「あれ全部氷で作ったの!?」

「もしかして、人数分あるとか?」

リサーナとカナの言葉に、グレイは頷いた。

「氷だから溶けんだよ」

当り前だ。

「溶けるたびに作りなおした」

午前中から始められた準備。それはマカロフがいつ帰還するか分からないから、早めに行われていたのだが。氷の準備など、早めにすればその分溶けるのは早いのだ。今はもう日も暮れ始めている。気の遠くなる作業だったろう。

「誰がそんなの作るなんていったの?」

まさか、グレイではないだろう。

「ミラだよ。それに、エルザが乗ってきやがった」

逃げられないパターン。グレイとナツにとって、エルザは一番逆らえない人物だ。それでグレイは、魔力が尽きかけながらも作り続けたわけだ。ナツの顔も若干引きつっている。

「マスターが帰ってきたぞ!」

門で外の様子をうかがっていたマカオが声を張り上げた。微妙な空気を出していたナツ達も我に返ったように立ち上がる。リサーナとカナは奥へと引っ込み、ナツはテーブルに置いておいた券を握りしめる。グレイは魔法を使えるように構えた。
夕日が差し込む中入ってきたマカロフの姿を確認すると、クラッカーの音と同時に造形魔法で放たれた氷の粒が舞う。

「マスター!いつもありがとう!」

呆然と立ち尽くすマスターに、リサーナとカナが駆け寄った。手には花束。色とりどりのそれは、個性豊かなギルドの面々を表わしているようだった。

「な、何の騒ぎじゃ、こいつは」

マスターの問いに答える様に、遅れて入ってきたエルザが近づいた。

「今日は父の日だから、皆でマスターを祝おうという話になったんです。花束もリサーナとカナが準備しました。受け取ってください」

エルザの言葉に、花束を受け取りながらも、困ったように頬を指でかいた。

「しかし、ギルドの親と言っても、ワシはのう……」

「私達にとって、マスターは本当の親の様なものです。ギルドは家で、マスターが居るこの場所こそ、私達の帰る場所です」

暖かいからこそ、何度危険な仕事に出ても、帰りたいと思える。暖かいからこそ、その繋がりを大切だと思える。それは言葉にする以上に難しく、かけがえのないものだから。

「ご迷惑でしたか?」

反応をしめさないマカロフにエルザの不安そうな声が落ちる。マカロフは笑みをこぼした。

「ガキどもが祝ってくれてるのに、喜ばんわけがないじゃろ……ありがとな、お前達」

周囲が騒ぎ始める中、ナツもマカロフへと駆け寄ると肩たたき券を差し出した。

「じっちゃん!いつも、ありがとな!」

小さな手で握りしめられていた、手製の券。少し強く力を込めてしまったらしく、しわが寄っている。分厚い束になってしまっているそれを、マカロフはゆっくりとした動作で手に取った。

「こりゃ、使いきれんのう。さっそく使ってもいいか?」

「おう!」

マカロフを席へ導き、ナツはマカロフの肩を叩きはじめる。初めてで力加減が難しく、ぎこちない。それは微笑ましいものだった。
ミラジェーンとエルフマンの手製のケーキが運ばれ、想像を絶する出来栄えに周囲は声を上げた。さながら結婚披露宴で出されそうだ。数段に積まれているケーキに、エルフマンは別として、ミラジェーンの料理上手という疑いたくなるような事が事実だと周囲は認めざるを得なかった。

暫く肩を叩いていたナツは、役目を終えて食事に入っていた。周囲もすでにいつもの様に酒を飲んだりと騒がしくなっている。

「父ちゃんかぁ」

身寄りの居ない者が多い妖精の尻尾では、父親だけではない、家族の存在さえ知らぬ者もいる。
ナツはかき込むように食事を終わらせて、立ち上がった。

「もう一回、肩たたきにいくか!」

一日に何度もされては逆に肩を壊しそうだが、幼い子供では限度などないし、自分も何かしたいのだろう。気合を入れていたナツだったが目に入った光景に足を止めた。
マカロフが、ミラジェーンに酒を注がれて照れくさそうに笑みを浮かべていた。親子とはいえない年の差だが、それさえ超える絆を感じる。
身寄りのないものにとってギルドは家であり、マカロフは親の様なもの。とても大きな存在だ。身体は小さくとも、その背はとても大きく見える。
でもナツには、マカロフに負けない程に大きな背を知っている。もちろん、言葉通り人とは桁外れな身体と力を持っている。人間ではない、竜だ。

「イグニール……」

ナツは無意識に、己の首に巻きつけてあるマフラーへと手を伸ばしていた。
誰しも騒ぎに夢中で、ナツへと気を配っている余裕などなかった。この事にあまり関心を持っていなかったラクサス以外は。
無理やりギルドへと止めさせられていたラクサスは、ちょうどギルドを出て行こうとしてところだった。通り際、ぐすりと鼻をならしたナツに気付いて、ラクサスは足を止めた。
未発達とはいえ、ナツよりも大人に近い手。それが、ナツの頭へと置かれる。びくりと肩を震わせて顔を上げたナツに、ラクサスは視線を前へと向けたままで口を開いた。

「空に上げりゃ、遠くまで届くだろ」

何が。瞬きを繰り返し、無言で問うナツに、ラクサスは涙で覆われている瞳を見下ろした。

「花火だ」

零れ落ちてしまうのではないかという程に、ナツは目を見開いた。変わりに零れた大粒の涙を拭って、ナツはラクサスの手を掴んだ。ラクサスの手を引っぱりながらナツはギルドを飛び出した。

「ありがとな!ラクサス!」

ナツの小さな手など簡単に振り払える。しかしラクサスは、振り払おうとしていた手を止めてしまった。それは無意識だった。風を切りながら振り返ったナツの表情が嬉しそうに笑みを浮かべていたから、思わず力が抜けてしまったのだろう。

「来てくれ」

ナツに手を引かれながら向かったのは、ギルドの裏。もうすでに日は暮れて淡い光を纏いながら月が夜空に浮かんでいる。
そんな中ギルドの裏に何かあるわけもない。人の気配もないような場所だ。訝しげに顔を顰めるラクサスの疑問は、すぐに解決することになる。壁に立てかけてある梯子。使用したままで片さなかったのだろう。屋根まで続くそれは、まるでナツを待っていたかのようだ。

「何やってんだよ、ラクサス!」

半分ほど登っていたナツが、上る様子を見せないラクサスを見下ろす。促す様な声に、ラクサスは諦めたように梯子に手をかけた。
軋む音は静けさが支配する夜に響く。それを耳にしながら、ラクサスは屋根へと足を踏み入れた。先に到着していたナツがどこか遠くへと視線を向けている。

「さっさと済ませろよ」

ラクサスはナツに一言告げると、その場に腰を下ろした。

「おう!」

ナツは笑みを浮かべて、天を見上げた。雲ひとつなく、月も星も確認できる絶好の日。
ナツは手で筒を作り口元に当てると、数回にわたって炎を噴き出した。手を通り、小さなそれが闇夜に上がり、弾け飛ぶ。破裂音と共に色鮮やかな花火が打ち上げられた。少し小さな花火は、まるで幼いナツそのものを表わしているようだった。
何度も語りかける様に打ち上げられた花火は、ナツが息を切らしはじめたところで、ようやく止まった。

「イグニール、見てるかなぁ」

空を見上げるナツに、ラクサスは小さく息をついた。輝かしいほどの笑顔を浮かべるナツには、先ほどまで浮かんでいた涙は見られない。

「さぁな」

そっけない返答など、ナツの耳には入っていないだろう。ナツの瞳は、夜空を見つめながらも、どこかにいる養父へと向けられているのだから。

後日、噴火予定などなかった火山から、炎が噴き出したという記事が、アース日報で載せられた。時間的にナツが花火を打ち上げて間もなくだ。まるでナツの想いに答えるような、そんな現象。
新聞記事を見ていたラクサスは、手にしていたジョッキをテーブルへと置いた。無表情のままでも内心では、んなわけねぇ、と繰りかえし己に言い聞かせていた。

遠く離れても、ちゃんと届いてる。




2010,06,20
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