幽鬼の支配者とナツ
「つっかまえたー!」
幼い子供の腕にやっと収まる大きさの犬。首輪が付いているのは飼い主がいる証拠だ。
ナツは犬をまじまじと見て写真と照らし合わせ、笑みを浮かべた。
「やっぱお前だ」
今回の仕事は、迷子になっていた犬探し。散歩中に森で迷子になってから数日、戻ってこない事を飼い主が心配し妖精の尻尾に依頼したのだ。
この森には多少なりとも怪物が存在する。一般の人間が立ち寄るのは避けた方がいいような場所だった。
「よし、帰るぞ」
依頼の話を受けにいった時の、依頼主の心配で強張らせていた顔を思い出し、ナツは犬の頭を撫でた。
見事に依頼を達成したのだ。きっと依頼主は喜ぶに決まっている。
犬はナツの匂いをかぐと、尻尾を振ってナツの顔を舐めはじめた。動物に好かれやすいナツだ、犬も匂いで感じ取る事が出来るのだろうか。
「はは、くすぐってー」
くすぐったさに身をよじっていたが、耳に届いた音に動きを止めた。通常の聴覚なら無理でもナツの感覚は常人離れしている。犬もそれを聞き取ったのだろう、ナツと同じ方へと顔を向ける。
「なんだ?」
破壊音のように聞こえた。そう遠くはない場所だ。何にでも首を突っ込むナツが気にしないわけがなかった。
ナツが音のする方へと走り出すと、犬もナツを追いかけるように走り出した。
近づいていくにつれて、音が激しくなっていく。鳥が逃げていくように空へと飛び立っていくのが見えた。
「あいつ、ゴリアンだ!」
たどり着いたナツの目に入ったのは、苔の様な緑色の毛並みを持った怪物。別名森バルカンと呼ばれる凶悪モンスターだ。
森に行く際には気をつけるようにと、ナツはエルザに凶悪モンスターをたたき込まれていた。ナツの頭でも怪物を見ればすぐに名前と危険度合いが出てくる。幼いナツの手に負えるものではない。
しかし、ゴリアンの他にも人がいた。襲われていたのだろう数人転がっている。その内一人は無傷で、ゴリアンと向かい合うように立っている。肩ほどにまで伸ばした黒髪に、黒い帽子。全体に黒を連想させる男だ。
「おっさん、逃げないと危ねーぞ!」
ナツの声に男が視線を向け、ばちりと視線が合う。それが隙になりゴリアンが拳を振り上げた。
「危ねー!!」
ナツは思わず飛び出して男を突き飛ばした。変わりにナツがゴリアンの拳を受けてしまう。直撃は免れない。骨の軋む音と共に身体は吹っ飛ばされた。
「ぐぁ!!」
木に背中を強く打ちつけてしまい上手く呼吸ができない。必死に酸素を取り込もうと荒い呼吸を繰り返すナツに影がかかった。ゴリアンがナツに狙いを定めたのだ。
ナツを見下ろすゴリアンの手がナツへと延びる。
捕まる、そう覚悟して目をつむったが、それは訪れなかった。
「ワンワン!!グルルル……」
目を開けば、犬がナツを守るように立ちはだかっていた。牙をむいて威嚇している。
「げほ、い、いぬ……」
獣同士とはいえゴリアンは怪物だ。凶悪とつくモンスターに適うわけもない。
ゴリアンが犬に向かって叩き飛ばそうと手を振り上げると、ナツは犬を守るように覆いかぶさった。仕事だというのもあるが、自分を守ろうとしてくれた犬を目の前で危険にさらすわけにはいかない。
轟音が響き渡り、反動で木がなぎ倒されていく。その音が耳に入っていながらも、何の衝撃も感じない。
そっと顔を上げてみれば、ゴリアンが砂埃の舞う中で倒れていた。起きあがる気配はない。
「……なにがあったんだ?」
視界をさえぎっていたせいで何が起こっていたのか分からない。瞬きを繰り返すナツに、影がかかる。
「お怪我はありませんか?」
先ほどナツが突き飛ばした男だ。帽子は飛んでしまったようだが、流れる黒髪は乱れていなかった。
今この場で意識のある者はナツと犬以外はこの男以外はいない。という事は、ゴリアンを倒したのは男と言う事になる。
手を差し出す男に、ナツは犬を抱きしめていた手を伸ばした。手が触れると男はナツの手を掴んで引きあげた。
反動で立ちあがったナツに男は優しげに微笑む。
「先ほどは、助けていただいてありがとうございます」
「おっさんが、ゴリアン倒したのか?」
「私は魔魔導士です。これでも、ギルドマスターを務めさせていただいているのですよ。あの程度のモンスターはとるに足りません」
ナツは表情を輝かせた。
「すげー!じゃぁ、強ーんだな!」
純粋な瞳が真っすぐ男を見上げる。
男は目を細めると握ったままのナツの手を優しく撫でた。
「よろしければ、私のギルドに来ていただけませんか?助けて頂いたお礼をさせていただきたい」
「オレなんもしてねぇけど」
「ご馳走しますよ」
「ゴチソウ!?」
ナツは涎を垂らさん勢いだ。朝食をとって仕事を始めたので、それ以降食事をとっていない。すでに昼を通り越し、しばらくすれば日が暮れはじめるだろう時間だ。空腹状態だった。
「クゥン」
犬の鳴き声にナツは現実に引き戻された。我に返ったナツは数ヶ月前の事を思い出した。
森でイグニール探しをしていたら危うく連れて行かれそうになったのだった。その時はラクサスが助けに来てくれたが、そのせいでラクサスは怪我を追った。
エルザにも酷く注意を受けたのだ。ギルド中の者たちから知らない人間について行くなと何ども釘を刺されている。
「し、知らないやつについて行っちゃいけねーんだ」
ご馳走という言葉は空腹状態の子供には魅力的だが、その後の事を考えてしまうと頷けない。
ナツは男から手を離して犬を抱きしめなおした。さっさと依頼主に犬を返してギルドに帰ろう。
「おや、その犬怪我をしていますね」
男の声にナツは犬を見下ろす。ゴリアンからナツを守ろうとした時だろうか、小さい傷があり毛も少し赤く染まっている。
「大丈夫か、犬!」
大した事はないのだろう。犬は傷を舐めていた。慌てたようなナツに男は笑みを深めた。
「私のところで犬の手当てもしましょう」
「ほんとか?」
不安そうに瞳を潤ませるナツの頬に、男の手が触れる。骨ばった手が撫でるように滑る。
「悲しそうな顔をしないでください。あなたには似合いませんよ」
依頼主に引き渡す前に犬の手当てはしたい。迷いながらも頷くナツに男は嬉しそうに笑ったのだった。
「申し遅れました。私はジョゼと申します」
「おれはナツだ」
ジョゼは倒れていた者たちを起こすと、すぐに馬車を呼び寄せた。
マスターを務めているジョゼは定例会からギルドに戻るところだったらしい。近道にと森を抜けようとしてゴリアンの襲撃をうけたようだ。妖精の尻尾でも、マカロフが定例会でギルドを離れていたのだった。
「ナツさん」
馬車での移動中、乗り物に酔いながらも呼びかけに顔を上げる。
「な、んだ?」
乗り物酔いには気付いてないのか盲目的なのか。愛おしげにナツを見つめる。
「いえ、とても可愛らしいと思いまして」
運悪く聞いてしまった部下は戦慄した。自分たちのマスターの思いがけない言葉に目を向いている。
そんな中、その言葉を別の意味で捉えたナツは顔を寄せくる犬を撫でた。
「おお。こいつ、いいやつなんだ」
可愛らしいという単語は犬に向けているものだと捉えたようだ。ナツの言葉にジョゼは苦笑した。
「そうではなく、あなたが……」
「マスター・ジョゼ!ギルドに着きました!!」
必死な部下の声が響いた。
ジョゼは不機嫌そうに返事を返して止まった馬車から降りると、続いて降りようとするナツに手を差し出した。
「ナツさん。お手を」
どうぞ。
ナツは最後まで聞かずに、さっさと馬車から降りてしまった。乗り物から解放されてナツは気持ちがよさそうに背伸びをした。
ふと気づいて、ジョゼへと振り返る。
「ん?今なんかいったか?」
ジョゼは空しい手を握りしめた。
「いいえ、何も……さぁ、行きましょう。準備させてありますから」
ジョゼは犬を部下に手当てさせるように言い渡すとナツの手を取って足を進める。一々触れてくるジョゼにナツは首をかしげた。
「手なんかつながなくても、迷わねぇよ」
「そうではありません。女性をエスコートできないようでは紳士失格ですから」
「何言ってんだ、おっさん」
理解できない単語でナツは顔をしかめた。とても理解がしがたい。しかし、ナツの思考はすぐに切り替わる。
連れて行かれた部屋のテーブルの上には菓子などが山になっていた。ケーキから始まり焼き菓子、フルーツ。光に輝く豪華なそれらは滅多に味わえる事がないものだ。
「う、うまそー」
「あなたの為に用意させました。どうぞ召し上がってください」
ナツは席に飛びつくと、菓子を口へと放りこんだ。
「うめー!」
「それは良かった。全てあなたの物ですよ」
「いいのか!?おっさん、いい奴だな!」
ナツが吸い込む勢いで食べ物を口へと放りこんでいく。その姿をジョゼは穴があくほどに見つめている。幽鬼の支配者の者たちにとっては衝撃を隠しきれない様な光景だ。
自分のギルドのマスターが少年好きだという事実に誰もが卒倒しかけた。ジョゼの場合顔に加えればただの変態でしかない。紳士的な口調も怪しくさえ思えてしまうだろう。
「付いていますよ」
「もごご、もがごが」
頬に付いたクリームを拭うジョゼに礼を言ったのかもしれないが、口に食べ物が詰められすぎて聞き取れない。
「ナツさん、ここにいれば毎日あなたの為に用意させます」
首をかしげるナツに、ジョゼが続ける。
「もし、あなたが宜しければ、ずっと私の元に……」
ジョゼの言葉を止めるほどに騒がしい足音が近づいてくる。足音は部屋の前で止まり扉が荒々しく開かれた。
「マスター!」
「何ですか。騒々しいですよ」
ナツとの空間を邪魔されて不機嫌を隠しきれないジョゼ。
説明をしようとしていた部下は横から出てきた腕で退かされてしまった。部屋を覗き込んだのは幽鬼の支配者の者ではない。
「ここに居たか」
姿を現せたのはラクサスだった。ラクサスの声に反応したナツが、咀嚼しながら振りかえった。
「もー、もぐはぐ」
上機嫌で手を振るナツにラクサスは溜息をついた。ラクサスの姿をジョゼは唖然と見つめた。
「あなたは妖精の尻尾の」
妖精の尻尾のマスター・マカロフの孫でもあり、実力も伸ばし始めているラクサス。その噂は他のギルドにまで届いているのだ。
「何故あなたがここに居るのです」
「あんたが、うちのを連れてったんだろうが。こっちはわざわざ迎えに来てんだよ」
「うちの……?」
ジョゼは、菓子を頬張るナツに視線を向けた。
頬張っている姿は可愛らしいが、そこでやっとむき出しになっている肩に注目した。ギルドの紋章が入っている。妖精の尻尾のものだ。
「妖精の尻尾!?あなた妖精の尻尾の魔導士なのですか!」
「もが?んぐ……おお。そうだぞ?」
ナツ自身隠していたつもりはない。気付かない方がおかしいのだ。
ジョゼは手で顔を覆った。
「まさか、こんなに可愛らしい方がよりにもよって妖精の尻尾だなんて」
ジョゼの言葉にラクサスは嫌そうに顔をしかめた。服で隠れてしまっている腕は鳥肌が立っていた。
「可愛らしいって、そいつは男だぞ」
「男!?」
「見りゃ分かんだろ」
ラクサスが訝しむようにジョゼを見上げた。
「帰るぞ」
ラクサスに促されて、ナツは菓子をかき集めると椅子から飛び降りた。
ラクサスが視線を向けるとジョゼは燃え尽きたように真っ白になって項垂れている。
「くだんね」
溜め息を抑えられない。
ラクサスに付いてギルドを出ていくナツ。気付いた犬も追いかけてきた。約束通り手当てはしてある。
犬とじゃれながら機嫌良く歩いていたナツだったが、ふとラクサスを見上げた。
「そういや。ラクサス、何でここにいんだ?」
「この近くで仕事だったんだよ」
仕事を終えて帰ろうとしていたら妙な噂が耳に入った。あまり評判の良くない魔導士ギルド幽鬼の支配者に、子供が連れ込まれたというのだ。聞き流そうとしたが、子供の特徴が桜色の髪にマフラーなのだ。そんな子供滅多にいない。
「お前は何で変態を呼び寄せんだ」
この間の事も含めて、頭痛がする。
ラクサスの言葉にナツは瞬きを繰り返した。
「ラクサス、変態だったのか?」
「ク、ソ、ガ、キ」
ラクサスの手がナツの頭を鷲づかみした。締め付けられナツが痛みに騒ぎだすと、ラクサスは手を離した。
「知らねぇやつに付いてくなってあれほど……」
「あ。これ、食うか?」
ナツの手がラクサスに向けられる。その手には菓子が一つ。先ほど貰った菓子だ。差し出される菓子にラクサスは顔をしかめた。
「まさかそんなもんに釣られて、のこのこ付いてったんじゃねぇだろうな」
ナツはびくりと肩を震わせると、目をそらせた。
「ち、ちげーよ。犬の手当てしてくれるっつーから……」
「それだけか?」
嘘をつくのが苦手なナツだ。すぐに言葉に詰まってしまった。
ラクサスは口元を引きつらせると、歩く速度を速めた。怒っているという事は顔を見なくても察する事が出来る。
「ら、ラクサス」
「ちょうどいい。ジジィにあれやってもらうか」
「あれ?」
首をかしげるナツに、ラクサスは足を止めることなく続けた。
「仕置きにはちょうどいいだろ」
「あ、あれってなんだよ!」
慌てるナツがラクサスに追いつこうと駆け足になる。ラクサスの服を掴んで問い詰めるナツに、ラクサスは視線を遠くへとやった。
「キツイな……」
「あれってなんだよー!!」
ナツの瞳は涙目になっていた。ラクサスがここまで言う様な仕置きなど想像がつかない。
帰還したナツが、ラクサスの言う仕置きを受けたのは言うまでもない。それからはナツを含めた子供たちがトラウマになったのだった。
そして定例会。酒の席で、ジョゼが言い合いの果てに、マカロフにボコボコにされたのは、このすぐ後だった。
六年後。
妖精の尻尾襲撃事件が起きた。抗争に決着がつき大分落ち着いた頃、食事をとり終わったナツが思い出したように呟いた。
「そういや、ジョゼって奴どっかで会った気がすんだよなー」
幼い頃の事は、ナツの記憶に残っていないようだ。腕を組んで唸るナツに、事情を知る者達は溜息をもらした。
「どこだったかな。あの、いやらしい感じの顔」
同情せざるを得ない。
2010,05,17