何て魅力的なプロポーズ





反対するラクサスを長期戦で無理やり納得させたナツは、昼から夕方までの時間、家から一番近くにあるスーパー内にいた。服装は、常と変らぬ身動きのとりやすい、ジーンズにシャツ。その上には、従業員の制服でもあるエプロン。一週間前から、パートとして働いているのだ。

「やべぇ、もうこんな時間かよ……」

ナツは時計を確認して、顔を歪めた。
パートの時間を終えてから数十分は経過している。パート仲間の年配女性達に菓子を与えられて話しに付き合わされていたのだが、それなりの収穫は得た。
半ば放り投げるようにエプロンを脱ぎ捨てて、ナツは従業員扉を通って店内へと出た。握りしめていた紙切れを睨みながら店内を徘徊する。
先ほどパート仲間から、簡単な料理のレシピを教えてもらったのだ。今日の夕食にするために、時間を追われながら、素早く材料を集めた。

「ナツさん!?」

一通り買い物かごに放りこんだナツがレジへ向かっていると、背後から声がかかった。仮にも働いている場所だ、顔見知りは数え切れないほどいる。
反射的に振り返ったナツの目に、少し離れた場所に立つ青年が映る。

「ナツさん、久しぶり!」

駆け寄ってくる姿は、まるで犬だ。瞬きを数回繰り返したナツは、記憶内に一致する名前を口にした。

「スティングじゃねぇか!久しぶりだなぁ」

高校時代の知り合いだった。ナツが通っていた妖精学園とは違う、剣咬学園の生徒。ナツより一歳下で、バスケ部のエースだった。
ナツが名前を口にした瞬間、青年スティングは気恥ずかしげに笑みをこぼした。

「何年ぶりかな。ナツさんはあんま変わってねぇけど」

「あれから、背伸びてんだぞ」

「でも、俺の方が高いよね」

スティングの手が、ナツの頭の少し上を空ぶる。手の位置はスティングの身長を表しており、数センチだが確実に差はあった。
悔しそうに呻ったナツがったが、店内に設置されている時計を目にした瞬間、意識はスティングから逸れる。

「あー!早く帰んねぇと!」

「急いでんの?」

「急いでんだよ!」

ナツはスティングに背を向けるとレジへと突っ込んでいった。
会計をすませた食料を、持参していた手さげ鞄へと詰め込むと、店を飛び出す。家と店の距離はあまり離れていないからと、徒歩で来たことが今では少し恨めしい。大して変わらないかもしれないが、気が急いている今は、一分でも早く帰宅したかった。
走ろうと踏み出したナツの足は、目の前に止まったバイクに止められた。バイクに跨っているのは、先ほど別れたスティング。

「送ってくよ。急いでるんでしょ?」

ナツは表情を輝かせると、バイクの後部座席へと飛び乗った。

「あ、お前、俺の家知らねぇよな」

「そういや、引っ越したんだっけ。新しい家どこ?」

スティングが知っているのは、以前までナツが住んでいたマンションの部屋。大分長い間会っておらず、その間にナツは住居を変えていた。手紙のやり取りをするわけでもないので、住所など知るわけもない。
ナツの指示通りにバイクを走らせれば、すぐに目的地へと到着した。

「ここ、ナツさん家だよな……」

目の前には、一戸建ての住宅。アパートやマンションだというスティングの予想は外れた。しかも、庭付きで二階建て。どう考えても一人で住む規模ではない。
家を呆然と眺めるスティングに、バイクの後部座席から降りたナツが振り返った。

「ありがとな。おかげで早く帰れた!」

にっと歯をむき出しにした笑みは、実際年齢より幼さがある。
スティングは頬を染めながらも口を開いた。

「別に暇だったし」

つーか、ナツさんともっと一緒にいたかったし。
スティングが内心で呟いたことなど知らずに、ナツは脳内を過った考えに目を輝かせて、スティングの腕を掴んだ。

「なぁ、よかったら飯食ってかね?」

「飯って……もしかして、ナツさんが作るの?」

「当り前だろ」

家で、手料理。これで頷かなければ男ではない。スティングは考えるまでもなく頷いた。
家の中へと招かれたスティングは、リビングへと案内された。外装も真新しかったが、内装も綺麗で整頓もされている。
スティングはソファに座りながら、周囲を見渡す。

「へぇ、綺麗にしてるんだね」

「まぁな。これも俺の仕事だし。あ、なんか飲むか?紅茶かコーヒーかジュースかビール、ワイン――」

「ナツさん、俺バイクだから」

飲酒運転になってしまう。ナツの、仕事という言葉に内心で首をかしげながら、スティングは無難なとこの飲料を選ぶ。

「じゃぁ、珈琲ちょーだい」

ナツが返事をして暫くして出された珈琲。キッチンで料理を始めるナツの姿を眺めながら珈琲を飲むのは格別だった。

「つーか、エプロン……」

ナツが身につけたのは、裾にフリルのついたエプロン。首裏で結ばれた肩紐と、腰紐が大きめのリボンになっており、器用に蝶結びされている後ろ姿は、文句つけようがなくかわいい。
キッチンで夕飯の支度をする新妻のようで、スティングの男心は鷲づかみされていた。
思わず緩んだ頬を隠してスティングは周囲に視線を走らせる。学生時代のナツの性格を知っているスティングには、驚くほどに整頓されているように思えた。まるでナツの家ではないみたいだ。
その中で、棚の上に並んでいるいくつかの写真立てに目を止めた。深くは考えていなかった。気になって、立ち上がったスティングは写真に近づいていく。
徐々に写真に納まっている光景がはっきりと瞳に映る。写真立てを手に取り、写真を間近で見たスティンは強い衝撃を受けた。よく例えでもある、後頭部を鈍器で殴られたような、強い衝撃。
写真立ては、一つだけが先頭に飾られており、それが家の主にとっての思い出の光景なのだと分かる。
その先頭の写真立てをスティングは手に取ってしまったのだが、映っている人物達に、うまく思考が働かなくなってしまった。

「え、これ……いや、嘘だろ、だって……」

スティングは戦慄く唇を噛みしめてキッチンで動き回るナツへと振り返った。
楽しそうに料理をする姿をかわいいと、今は思っている余裕はない。ナツの家に来て、何度も違和感を覚えた。まず、新しい住宅は一人で住むには妙だった。家の中が綺麗だと言った時に、仕事だからと返してきた言葉。表札が、ナツの姓であるドラグニルではなかった。

「ドレアー」

表札に書かれていた名前を呟いたスティングの脳裏には、一度にさまざまな光景が蘇えった。
走馬灯のように、学生時代にまで遡った記憶。その中に、よく耳にした名前の中にあったドレアーという姓。ナツが通っていた妖精学園の、ナツより数年早い卒業生。卒業後も長い間語り継がれてきたバスケ部のエース。

「ラクサス・ドレアー」

写真立てを持つ手に力が入る。
写真に写っていたのは、ナツとラクサスだった。ただ隣り合って映るだけではない、ナツはウェディングドレスを、ラクサスはタキシードを身に着けていた。ここ数十分の違和感の正体を教えるには十分な証拠。
どれほどそうしていたのか、写真立てを手にしたままぼんやりと立ちつくしていたスティングは、慌ただしい足音で我に返った。

「おかえり!」

振り返ったスティングの目が、リビングの入り口で、ナツに抱きつかれている男を捕らえた。
金髪で長身。ナツを優しげに見つめる瞳。その右目には縦に傷跡がある。脳内に記憶されていた特徴としては十分だ。

「ラクサス・ドレアー」

再び、先ほど紡いだ名を口にする。
ラクサスは、ナツの腰へと手を回して、唇に触れるだけの口づけを落とした。何度も繰り返された事なのだろう、ナツは羞恥の欠片もなく瞳を閉じて口づけを受けている。
ふと、ラクサスがスティングの存在に気付いた。二人の視線が交わったのは一瞬で、ラクサスは眉を寄せると、ナツへと視線を落とす。

「誰だ、ありゃぁ」

「誰って、スティングだろ」

「……知らねぇよ」

名前だけでは分からなかったラクサスの表情は、訝しみから呆れへと変わった。
己の知っている人物ならラクサスも面識があると疑わなかったナツは、きょとんとしながらもスティングと出会った当時の事を記憶から引っぱりだした。

「俺、高校の時運動部の助っ人やってたって言ったろ?スティングは剣咬バスケ部でさ、俺が助っ人で出た時の試合相手だったんだよ」

運動神経がずば抜けていたナツは、特定の部活に所属はせずに、助っ人という立場で様々な部活に手を貸していた。在籍する学校は違ったが、試合で偶然出会ったのだ。きっかけとなった試合では、ナツの活躍により妖精学園が勝利し、それからスティングはナツに憧れという感情を抱いたのだが、その事は、ナツは知らない。

「確か、お前俺より一個下だよな。今何してんだ?」

首で振り返ったナツが声をかけるが、当のスティングはラクサスから目がそらせなかった。当然のようにナツへと触れる手が、全てが、腹立たしい。
ナツの問いなど耳に入っておらず、スティングは足を踏み出した。ラクサスから数歩距離を保った場所で歩みを止めると、口元にだけ笑みを浮かべながらラクサスを睨む。

「あんたが、あのラクサスね。ドウモ、ハジメマシテ」

好意など欠片も含まれていない態度に、ラクサスは眉をひそめた。そして、すぐに察した、スティングが持つ感情を。
ラクサスは、ナツの腰へと回していた手を引き寄せ体を密着させると、嘲笑うように鼻で笑った。

「人のいない間に家に上がり込むとは、ずいぶん礼儀正しい後輩だな」

「あんたの後輩じゃないんだけど?そもそも、あんたに会いたかったわけじゃないし」

むしろ、会いたくなかったね。
二人の間に火花が散る中、身じろいだナツがラクサスの身体を押すようにして、密着していた体を離した。

「まだ飯作ってる途中なんだよ。もう少しで出来るから、ラクサスは着替えてこいよ。悪いな、スティング。もう少し待っててくれ」

キッチンへと足を向けたナツだが、その足は一歩前へ出ただけで止まってしまった。振り返れば、腕はラクサスの手に掴まれている。

「なんだよ」

訝しむナツに、ラクサスは腰を折って顔を近づけた。

「旦那さまだろ?出迎えのキスぐらいしろよ」

「なっ……さ、さっきしたろ!」

ナツの顔が真っ赤に染まった。慣れた仕草で口づけを受け入れていたとは思えない程動揺する姿に、ラクサスは喉で笑いながら、ナツの顎に手をかけた。

「ナツ」

名を囁けば、戸惑っていたナツの抵抗を完全に消した。ナツは目を閉じると、ほんのわずかしかない顔の距離を埋める。
しかし、唇が触れあう事はなかった。

「これ以上ナツさんに触んな」

ナツは、背後からスティングに抱き寄せられていた。

「やっぱそうか――」

まるで、己の所有物のようにナツを抱きしめるスティングに、ラクサスは不快に顔を歪めた。好戦的な態度や言葉から、スティングがナツへ好意を持っていることはすぐに察することができた。先ほどナツに、口づけを催促したのは反応を見る為だったのだ。

「てめぇこそ慣れ慣れしく触ってんじゃねぇよ。そいつは俺の妻だ」

ナツ。
凄む様に呻るラクサスだったが、ナツの名を呼ぶ声は柔らかい。側に来いと含ませた声に、ナツはスティングの腕の中から抜け出ようとする。しかし、スティングの腕はナツを逃さぬようにと力を強めてしまった。

「スティング?」

訝しむ声に、スティングはナツを解放した。その目はナツではなくラクサスへと向いている。

「ねぇ、ゲームしない?一対一のさ」

「バスケか?」

「そ。ワンオンワン」

一対一のバスケ勝負。互いにバスケ歴が長く、学生時代に活躍してきた分自身がある。

「ナツさん、ボールある?」

「あ、ああ、あるけど……」

「貸してよ。すぐ終わるから」

ラクサスは口端を吊り上げると、上着を脱ぎ、ナツへ押しつけた。

「ほぉ、ずいぶんな余裕だな」

「あ、俺大学でやってるんだよね。ずるになっちゃうからおっさんにはハンデあげるよ」

ネクタイを緩めていたラクサスは、口元を引きつらせた。

「いらねぇよ。現役じゃねぇなら勝てると思ってんのか?クソガキ」

「冗談でしょ。あんたが現役でも余裕だよ」

ラクサスとスティングは玄関へと向かって歩きはじめる。状況について行けていないナツは、慌てて後を追う。

「おい、飯はどうすんだよ……」

「ナツ!ボール持ってこい!」

「……あい」

苛立つラクサスの声は、頷く以外許してはいなかった。

近所にある南口公園は、規模が大きくバスケットコートまである。利用の許可をとる必要はなく自由に使える為、学生が練習で使っている事も多い。ナツも学生時代は何度も利用した場所だ。
自室に置いていたバスケットボールを手にしたナツは、二人より遅れて公園へとたどり着いた。

「ほら、ボール」

食事の準備の途中だったナツの顔は不満が滲んでいる。それに気付いたラクサスは、ボールを受け取り、口元に笑みを浮かべた。

「今日の飯はなんだ?」

「グラタン。パートのおばちゃんがレシピ教えてくれたから」

拗ねて尖る口が可愛らしく、ラクサスは空いている方の手でナツの頭を撫でた。

「そいつは楽しみだな。すぐに終わらせる」

コートの外に出た時には、ナツの機嫌は戻っていた。ナツは、コート内の中央に立つラクサスとスティングに、手を振りながら声を張り上げる。

「二人ともがんばれよー!」

「ナツさん……!」

ナツさんが見てんだ、負けられねぇ。かっこいいとこ見せたい!

ナツの声援で更に闘志を燃やすスティングとは逆に、ラクサスは怒りを再び起こしていた。

このクソガキ、人の妻に色目使いやがって……あのバカもだ、応援は俺だけにしろ!くそ、やっぱパートなんか許すもんじゃねぇな。

ラクサスは舌打ちをもらすと、スティングへと視線に向き合った。

「三本勝負でいいな」

二点先取した方が勝ちとなる。頷くスティングに向かって、ラクサスはボールを投げた。

「来いよ」

ラクサスがバスケをしていたのは高校卒業までだ。ブランクがあるにも関わらず強気な態度。見下す視線に、スティングは眉を寄せた。
ボールがドリブルで地面に弾む。夜の時間帯は人気が少ない。異様に響くボールの音を聞きながら二人の姿を眺めていた。
ナツには、未だに二人が勝負をしている理由が分かっていない。そんなことよりも、目はバスケをするラクサスの姿を追っていた。

「そういや、ラクサスがバスケやってるとこ見た事なかったな」

ナツとラクサスは六つの年の差がある。高校も大学も同じ学園だったが、どちらにせよナツとラクサスが同時期に在籍することはなかった。
ナツが、初めてラクサスの姿を見たのはビデオの映像内。バスケ部の助っ人として試合に出る事が決まった時、過去の試合のビデオを部員が見ていたのがきっかけだった。
だから、映像ではない、生で動いている姿を見るのは今が初めてとなる。

「……かっけぇ」

ナツは、緩む頬を抑えられずに笑みをこぼした。現役だった当時に見られなかったのが恨めしい程に、ラクサスはブランクを見せない動きをしていた。ボールを狙う真剣な瞳と、動きやすいようにと腕まくりされているシャツから見える筋肉。
ナツの視線は少しずつ下がり、最後には俯いてしまう。胸の鼓動が早鐘を打ち、まさに、惚れ直すという言葉の意味を実感することになってしまった。そして、同時に脳裏を蘇える半年前の出来事。

半年前まで、大学を卒業したナツはFTC(フェアリーテイル・コーポレーション)という名の会社で働いていた。ゲーム開発が中心で、ゲーム業界では頂点に立つと言われるほどだ。会社の名前など、世間で知らぬ者の方が少ないだろう。
そして、運命の日。その日の昼、食堂に来ていたナツが食事を初めてすぐだ、目の前の席に男が座った。反射的に顔を上げたナツと、男の視線が交う。

「ナツ」

ドラグニル。
名の後に、付け加えられた姓。
きょとんと首をかしげながら、ナツは見覚えのある男の顔に、必死で記憶を探る。髪の色は金で、相当深い傷だったのだろう右目には傷跡がある。
ここまで特徴があっても思い出せないのは、今のナツが空腹状態で、目の前に食事を置かれているおあずけ状態だからかもしれない。

「……悪い、誰だっけ?」

思い出せずに笑って誤魔化したナツに気にした様子もなく、男は手を前に突き出した。その手には一枚の書類。

「俺のものになれ」

男は、書類をテーブルに滑らせてナツへと差し出す。書類には婚姻届と書かれており、鈍いと周囲から評価されるナツでも書類が何のための物か分かる。だが、男の言葉の意味を理解できない。

「いあ、意味分かんねぇんだけど」

「三食昼寝付きだ。おやつも付けてやる」

口早に言い放たれた言葉に、ナツは深く考えるのをやめて頷いていた。
男の名はラクサス・ドレアー。現在のナツの夫であり、ナツが働いていたFTCの副社長。見覚えがあったのは、面接を社長ではなく副社長がおこなったからだった。
後のラクサスの話しでは、面接時にナツに一目惚れをしたものの、接触の機会がなかった。当人は知らない事だが、ナツに好意を寄せるものが多く、他の男に取られる前にとナツなら絶対拒まないだろう言葉を選んだのだ。正直な話、誰が聞いても求婚とは思えない言葉で、誰が見ても頷いたナツの頭を疑ってしまう状況だった。
ラクサスは、約束した通り、ナツに家事を求めなかった。ただ、寿退社したナツは、時間を持て余すことになった結果、家事を進んでやることになったのだが。
炊事経験などなかったナツだ。今では、少しずつ作れる料理の種類が増えて平穏が続いているが、最初は一月カレーが続き、その次の月は毎晩シチューという地獄めぐりになったのだった。

回想に浸っていたナツは、静かになったのに気付いて顔を上げた。勝負はついたようで、ボールは地に転がり、ラクサスとスティングは肩で息をしながら睨み合っている。

「どっちが勝ったんだ?」

様子から判断しようと眺めていると、スティングが駆け寄ってきた。

「ナツさん!」

両肩を掴まれ、ナツの身体がびくりと跳ねる。瞬きを繰り返すナツの頬に、スティングは口づけを落とした。

「悔しいけど、また会いに来るから」

「は?ああ……って、おい、飯は!?」

スティングはナツの声に振り返ることなく走って行ってしまった。スティングの言葉から、勝者はラクサスだったのだろう事が窺える。
口付けられた頬を抑えて呆然としていると、ラクサスが目の前まで来ていた。

「あのクソガキ……」

ラクサスはスティングが消えていった方を睨み、視線をナツへと映す。

「お前も隙作ってんじゃねぇ」

ラクサスは頬を覆っていたナツの手を退かせて、頬を手で擦った。加減などない強さに、摩擦されてナツの肌が悲鳴を上げる。

「痛ぇ!」

手を振り払って、ナツはラクサスを睨みつける。しかし、ラクサスの表情を見れば、目の鋭さは消えてしまった。
ラクサスは、耐えるように眉間にしわを寄せ、歯を食いしばっている。名を呼ぼうと薄らと口を開くナツに、ラクサスの声がかぶさった。

「俺がいない間に男を連れ込みやがって」

「だって、家まで送ってくれた、から……」

続けようとした言葉が喉元でひっかかる。見つめてくるラクサスの瞳に止められているようだ。
言葉を失ったナツは、一歩足を踏み出して距離を縮め、寄りかかるようにラクサスの胸に額をあてた。

「ごめん」

ナツの脳裏に、ラクサスの祖父マカロフの言葉が過る。ラクサスは生まれたと同時に母をなくしている。幼い頃に父親は蒸発し、親族は祖父のみという環境で育った。マカロフはFTCの社長だ、生活上の不満はなかっただろう。しかし、愛情は別だ。

あ奴は、少し心に問題がある。お主が支えてやってくれ。

結婚前にと挨拶に行った時にマカロフに告げられた言葉だ。心に問題があると言っても、本人でなければ重さは分からない。でも、寂しさならば、少しはナツにも理解できた。ナツの父親は、仕事の都合で海外に身を置いており、一年に一度でも会えればいい方だから。
ラクサスの腕がナツの身体に絡まる。まるでしがみ付くような強さに、苦しさを感じながらもナツは決して口には出さない。

「家に帰ろうぜ、ラクサス」

顔を上げたナツは、ラクサスの表情に見入ってしまった。眩しそうに細められた瞳には、優しさと愛しさが混ざり合っている。
固まってしまったナツから腕を解放すると、ラクサスはナツを抱え上げた。俗に言うお姫様抱っこという横抱きで、我に返ったナツは顔を真っ赤に染めた。

「な、何してんだよ!」

「逃げられたら敵わねぇからな」

「逃げるわけねぇだろ!」

文句の言葉がいくつも頭に浮かぶが、変わりに溜め息をついて抵抗を諦めた。落ちないようにと、ラクサスの首に腕を巻き付けてしがみつく。

「絶対落とすなよ」

「あぁ」

返された短い声も、柔らかく心地良い。
妙なくすぐったさを感じながら、ラクサスの頭にすり寄る様に首を倒した。肩口から見える景色が、ラクサスが足を進める度に揺れる。それを暫く眺め、瞳を閉じた。

「まだ、話してなかったけどさ――」

好きでもないのに、条件の良さだけで求婚を受けた。だけど、今思えば、それだけが理由ではなかったのだ。
ナツの脳裏に、学生時代に見たビデオの映像が蘇える。バスケをする姿に、惹きつけられて目が離せなかった。あの時の鼓動の高鳴りは、プレーに対してのものだけではなかった。

「俺の方が、先にお前のこと知ってたんだぜ?」

先に恋に落ちたのは、どっちだったのだろう。




2012,03,16

後日談もある予定でした。スティングくんが遊びに来るんですが。
妖精バスケ部にはガジルくんもいました。剣咬バスケ部(学園名悩みましたが、虎じゃ変な気がして剣咬にしますた。どっちが良かったのかしらー)にはローグとスティングの二人がエースで、ガジルとナツのコンビに負けたわけです。
卒業後も、なんやかんやで遊んだりした四人ですが。ナツさん結婚事件をスティングくんが知らなかった理由がありました。
ガジルを通して結婚招待状をローグとスティングにも届けてもらうはずだったナツ君。ガジルから二人分の招待状を受け取ったローグが教えなかっただけです。大学のバスケ部の試合が近かったので、戦闘不能になられては困るとの理由でした。カワイソウデスネ。
そのまま事実を知らないまま半年がたち、現在に至る。虎視眈々と狙ってます。
スティングと一歳しか変わらないナツは大学卒業後の就職ですから。つまりは、ナツが会社にいた期間は…半年もないことになります。なんという…あれ、ラクサス何歳?


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