作家イグニール・ドラグニルとその子どもと担当ラクサス・ドレアー
昼には早い時間、呼び鈴が鳴り響いた。その音で部屋からはいずり出てきたのは、炎を連想させる髪を持つ男イグニール。
「ナツ……」
イグニールが名を呼ぶと、反応をしたのは廊下で待機していた息子のナツ。
目の下に隈を作っているイグニールの顔を見上げたナツは、大きく頷いて敬礼の形をつくる。
「任せろ、父ちゃん!」
イグニールが再び部屋へと戻る。閉じられた扉を見つめていたナツは、しつこくなる呼び鈴に目を吊り上げた。
廊下を駆け抜けて、玄関にとびつくと、扉を勢いよく開け放った。
「うるせー!!」
「うるせぇのはお前だ、クソガキ」
玄関の前に立っていた来訪者は、金髪の青年。
青年の名はラクサス。妖精出版に所属している編集者で、小説家であるイグニールの担当を受け持っている。今日は締切日なために、原稿を受け取りに来たのだ。
「入れねぇからな!」
両手を広げて入り口をふさぐナツに、ラクサスは鼻で笑うと、無理やり足を滑り込ませる。
「お、おい、入んなよ!」
「入らせたくねぇんなら、まずドアを開けねぇことだな」
ラクサスは、ナツの身体を押しのけて家の中へと上がり込んだ。ナツが止めようとラクサスの足にしがみ付くが、力の差は歴然だ、全く効果はない。
「父ちゃんはオレが守るんだー!!」
イグニールが籠っている部屋に行かせまいと踏ん張るナツの身体をしがみ付かせたまま、ラクサスは足を進める。しかし、イグニールの部屋に向かう事はなかった。
ラクサスが家に訪れたのは初めてではなく、家の間取りは把握できている。部屋が分からないわけがないだろう。
「いい加減離れろ」
ラクサスの声に、ナツははっとして顔を上げた。ラクサスと目が合い、周囲へと目を向ける。場所はリビングで、ナツが離れると、ラクサスはソファに腰を下ろした。
疲れたように溜め息をつくラクサスに、ナツは首をかしげる。
「父ちゃんのとこ行かねぇのか?」
「んなことしたら邪魔になんだろ。あの人は締め切りやぶらねぇからな、終わるまで待たせてもらう」
きょとんとしていたナツは、ラクサスの言葉に表情を輝かせた。
「お茶いれてきてやるよ!」
キッチンへと向かうナツに、ラクサスは小さく息をついた。
ラクサスがイグニールの担当についたのは半年前。
イグニールは、単行本の書き下ろしと、月刊誌の連載を請け負っていて、急きょ短編を書くこともある。その分顔を合わす回数も多いのだが、家に訪れるたびに一人息子であるナツが警戒心を丸出しにしてくる。
担当は悪い人間だと、ナツの中で妙は図式が成り立っているのだろう。ラクサス自身、その気持ちは分からないでもなかった。
「前の奴があれだからな……」
ラクサスは、キッチンで動き回るナツへと目を向けた。
以前の担当編集者は、子供嫌いだ。それどころか他の作家からも評判はよくなく、それ故、他の部署へ異動になった。
「お茶だぞー」
ふらふらとしながら、ナツが茶を乗せたトレーを持って近づいてくる。ラクサスは立ち上がると、茶の入った湯呑を手に取った。
「悪いな」
空いている方の手で頭を撫でてやれば、ナツははにかむ様に笑みを浮かべる。それを眺めながら、ラクサスは腰を下ろした。
ナツは人懐こい性格をしている。それが、あそこまで警戒するようになるには、そうとう前の担当と問題があったのだろう。
ナツが隣に座り、話しかけてくる。それに適当な返事を返すのを繰り返して間もなく、イグニールが顔を出した。
「ま、待たせたね……」
崩れるようにソファに座りこんだイグニールの顔はやつれていて、ラクサスは眉を寄せた。いつもなら、締切日だろうが関係なく涼しい顔をしているのだが。
「珍しいな、何かあったのか?」
言葉にしたラクサスは、視界の端に映るナツに合点がいった。
今は夏休みの時期で小学生のナツは常に家にいる。息子を溺愛しているイグニールが、ナツが側にいるのに構わないわけがないのだ。
じっと見つめるラクサスに、イグニールは重々しく口を開く。
「少し、遊び過ぎて……」
「ガキかよ!」
程度を考えろ。子供と大人じゃ体力が違うんだ。
説教じみた言葉を続けるラクサスの足を、隣に座っていたナツがおもいきり蹴りあげた。
「父ちゃんいじめんな!」
「っ、このクソガキ!」
子供の力では大して痛手にはならないが、痛みの問題ではない。
ラクサスはナツの両頬を摘まみ、思い切り引っぱった。
「いひゃいいひゃい!ひゃへほー!」
痛い痛い!やめろー!
手を叩いて抵抗してくるナツに、ラクサスは小さく噴出して、ナツから手を放した。
「ったく、あんたも程ほどにしろよ。締め切りは守ってんだから、こっちは構わねぇが……なんだよ」
振り返ったラクサスは、笑みを浮かべていたイグニールを見て訝しむ様に眉を寄せる。
柔らかく細められた瞳に居心地悪く目をそらすと、イグニールは弧を描いた口を動かした。
「ラクサスが担当になってくれてよかったよ」
「……何言ってんだ、あんた」
ラクサスは、出版社に入社する以前から、イグニールの作品を目にしてきた。ファンだったのだ。文学に関わる仕事を選んだのもその影響であり、イグニールの担当に付けた事は、これ以上にない幸運だった。
そんな憧れた人物からの言葉が嬉しくないわけがない。
ラクサスはイグニールを直視できなく視線をさ迷わせる。すると、ナツと目が合った。
「何だよ」
ラクサスをじっと見上げていたナツは、目を吊り上げ、再びラクサスの足を蹴りあげた。
「っいい加減にしろ、クソガキ……」
「父ちゃんは俺のだ!ラクサスにはやらねーからな!」
ソファを飛び降りたナツは、イグニールにしがみ付いた。
「妙な言い方するな!」
声を荒げるラクサスに、イグニールはナツの頭を撫でながら穏やかに口を開く。
「父ちゃんモテモテだなぁ」
あっはっは。わざとらしい笑い声に、ラクサスは顔を引きつらせたのだった。
20110823
何故か、イグラクに見える気がする…んなこたぁないです。んなこたぁないです。