なっちゃんホイホイ
三日連日、ナツはなっちゃん≠フ格好で仕事をしていた。ナツがなっちゃん≠ナいる理由のほとんどはラクサスに怒られないためで、今回もまたナツは問題を起こし、ラクサスの怒りから逃げていた。
「今回は長いなぁ……」
製造室の雰囲気を背中で感じながら、ルーシィは溜め息をついた。
三日前の開店時間直前、その日予約の入っていた特注のケーキ――開店時間に受け取りに来る予定の物――を、ラクサスは常よりも早い時間から厨房に入り仕上げていたのだが、それを店に降りてきたナツが見事に台無しにした。
即行で作り直したのだが、時間に間に合わず客を待たせることになってしまった。
クレームがあったわけではないが、自尊心の高いラクサスには耐えられなかったのだろう。三日経つが、ラクサスは仕事に関する以外は、ナツを見ようともしない。
「あんなに怒らなくてもいいのにね?」
ミラジェーンが苦笑するが、ルーシィには頷けなかった。
今、ナツは、居づらいナツを憐れんだミラジェーンに頼まれ買い出しに出ている。
「なっちゃんに何の反応もないなんて初めてですよね……それだけ傷ついているのかな」
眉を落とすルーシィに、ミラジェーンは綺麗な笑顔を浮かべた。
「器がちっさいのよ」
「ミラさん!?」
ミラジェーンの声は、常とは比較にならないほど低かった。
買い出しに出たナツは、買い物メモを見ながら商店街を歩いていた。買ったものと買い物リストを照らし合わせていると、肩に何かが触れた。
「アリエス!」
同時に聞き慣れない声。ナツが振り返ると、見知らぬ青年が立っていて、肩に乗っていたのは青年の手だった。
青年はナツの顔を確認すると慌てて手を放した。
「ごめん、人違いだ」
青年は己の茶髪をぐしゃりとかき混ぜる。サングラス越しの目が気まり悪げに泳ぎ、その頬は赤く腫れていた。
ナツは、買い物袋に手を突っ込むと、自分用に買っていたアイスをとりだし、青年の頬にあてる。
予告なしに頬に触れた冷たさで、青年の体が跳ねた。
「ぶつけたのか?赤くなってるぞ」
顔を覗かせるナツに、青年は笑みを浮かべると、ナツの手ごとアイスを掴む。
「いいのかい?アイス、溶けちゃうよ」
「溶けたら、凍らせればいいだろ」
迷わず返すナツの瞳をまっすぐに見つめながら、青年はナツの手を強く握りしめた。
「ありがとう……」
青年に連れられ、ナツは近くの公園へと移動した。
設置されているベンチに座り、青年はアイスで頬を冷やしながら、ナツへと視線を向ける。
「自己紹介がまだだったね、僕はロキ。君は……その服はケーキ屋の制服だよね」
「分かるのか?」
「あの店の前はよく通るし、女の子が可愛いからね」
にこりと笑う青年ロキに、ナツは適当な相槌を打つ。
「俺はナツ……じゃねぇ、なっちゃんだ」
「なっちゃんって呼んだ方がいいのかい?」
「今はなっちゃんだからな」
当然とばかりに言っているが、ロキは事情を知らないのだ。それでも、困惑しながら頷いた。
「分かったよ。今日はありがとう、なっちゃん」
ロキは、ナツに顔を寄せると頬に口づけを落とした。瞬きを繰り返すナツに、ロキは目を細める。
「女難の相でも出てるかと思ったけど、思わぬ天使に出会えてラッキーだったかな」
女難という事は、頬の腫れは女性がらみだったのだろう。しかし、ナツにはロキの言葉は半分も理解できていなかった。
ナツが口付けられた頬を擦りながらロキを見上げると、ロキは立ち上がって持っていたアイスをナツへと差し出した。
ナツの元に戻ったアイスはすでに溶けており、触らなくても分かるほどに袋の中で液体化している。
「今は人を探して時間がないけど、必ずお礼をしに行くから。待ってて」
ロキはそう告げて去っていってしまった。
呆然と見送っていたナツは、アイスへと視線を移す。
「……帰るか」
アイスを冷凍庫に入れてしまいたいし、何より買い出しの途中だったのだ。
後日。
製造室内は通常通りに戻っていた。ラクサスの怒りも消え、ナツも機嫌良く動き回っているのだが。
「いつまでその格好でいる気だ」
ナツは未だになっちゃんの格好をしていたのだ。
ラクサスの苦い顔に、ナツは胸の前で両拳を作り、首をかしげた。
「好きだろ?」
「ふざけてないで着替えてこい」
ナツとしては罪滅ぼしのつもりなのだが、当のラクサスには伝わっておらず、逆に遊んでいると思われていた。
ナツは拗ねたように口を尖らせながら、製造室を出て行こうとする。
「ナツ、あんたにお客さんよ」
扉に手をかけたナツは、店にいるルーシィに呼ばれて踵を返した。個人的に訪れたとすれば、ナツの頭に浮かぶのはリサーナぐらいなのだが、それにしてはルーシィや共にいるミラジェーンの反応がない。
ナツは、内心首をかしげながら店内に出た。
「客って誰だよ」
「やぁ、なっちゃん」
ショーケースを挟んだ向かい側に立っていたのは、数日前に出会った青年。
「ロキ……お前、なんでここにいるんだ?」
「もちろん、この間のお礼に来たんだよ」
にこりと笑顔で告げられて、ナツは思い出したように、ああと声をもらした。別れ際、確かにロキは礼をしに来ると言っていたのだ。
ロキの手には薔薇の花束があり、ロキは、その手をショーケース上からナツへと伸ばした。
「よければ、食事に誘われてくれないかい?」
貰える物は貰う主義のナツは、花束に自然と手が伸びていた。
しかし、ナツの手が花束に触れる前に、凄い勢いで迫ってきていたラクサスに止められた。
ラクサスはナツを製造室に引き戻すと、ナツの身体を壁に押しつけた。
「なんだ、あの野郎は」
ラクサスの目は殺気立っており、ナツは慌てて口を開く。
「ロキは、この間買い出しに行った時会って……なぁ、い、痛ぇんだけど」
ナツは顔を引きつらせながら、頭の両脇にある己の両手を横目で見やる。
ラクサスの手によって壁に縫いつけられている手首は、ラクサスの掴む力が強まって悲鳴を上げていた。
「てめぇは――」
ナツはラクサスの顔を見て短い悲鳴を上げた。
「買い出しに行って男ひっかけてくんのか」
地を這うような声に、ナツの顔は次第に青ざめていった。
その後ラクサスの怒りが再び湧きおこり、暫くの間ナツのなっちゃん生活は続いたのだった。
20110816
心が狭い。器すら持ってなさそうな、らっくん。