せめて夢の中だけは
決して忘れることなどできないあの日の事を夢に見る。何度も繰り返されるその夢は、瞳に宿す光りさえも少しずつ薄れさせていった。
「ナツ、大丈夫?」
ハッピーがベッドに力なく横たわるナツの顔を心配げに覗きこめば、ナツは首を動かすのも億劫なのか、横目でハッピーを捕える。
「なんでもねぇ、少し眠いだけだ」
就寝時間はハッピーもナツも同じだ。十分な睡眠をとれているはずだと、ハッピーは訝しむ。
しかし、覇気のないナツの表情を見てしまえば、ハッピーがそれを問う事は出来なかった。
「すぐ朝ご飯作るね」
出て行こうとするハッピーに、ナツは口を開く。
「飯はいらねぇから、寝かせてくれ」
体調をくずす事さえ稀で、食事を拒むことなどない。以前ラクサスの雷を食べた後、影響で無気力が続いた事を思い出し、ハッピーは口を開く。
「またラクサスの雷食べたの?」
「いあ、そうじゃねぇんだ」
悪い。
ナツは、一言告げて布団をかぶってしまった。戸惑うようにベッドを見つめていたハッピーだったが、すぐに部屋を出て行った。
扉を閉まる音に、ナツは被っていた布団から頭を出す。天井を見つめ、その瞳を閉じた。
「イグニール」
夢の中で、何度もイグニールが姿を消す。楽しく続いていた日々が、目を覚ました時に終わりを告げる。その瞬間が、繰りかえされるのだ。
閉じている目尻には涙が滲む。それを堪えている内に、意識は沈んでいった。
どれほど眠っていたのか。窓から差し込んでくる日差しの眩しさに促がされ、ナツは目を覚ました。
暫く天井をぼうっと見つめ、ゆっくりと起きあがる。
最近続けて見ていた悪夢が、嘘だったかのように消えた。それどころか、楽しかった日々の夢に変わったのだ。
喜ぶべき事だが、ふと違和感にナツは部屋を見渡した。
「この匂い……」
覚えのある匂いが部屋に残っていた。
住居者である己やハッピーのものでもない香り。嗅覚が鋭いナツだからこそ気づけたその匂いの持ち主に覚えがあった。
「ダメだ、思い出せねぇ!」
思い出せそうなのに出てこない。もどかしさに、ナツは顔をしかめたが、元より楽観的な思考だ。空腹を訴える腹に、疑問は消されてしまった。
最初は大して気にはならなかったが、その後同じ出来事が続いた。悪夢を見ることがなくなったと同時に、目を覚ました時に見守るかのように残っていた残り香。
まるでナツが眠ったのを狙っているかのように訪れる。残り香だけが、存在を教えていた。
「ギルドの奴かな」
差し替えたように夢は楽しい物ばかりが続き、そのおかげで、ナツは爽快な目覚めを手にしている。残り香の人物が影響しているだろうと予想はするが、その人物が何のために行動を起こしているのかナツには理解できなかった。
しかし、人物の断定はすぐにつく事になる。
ギルドで時間を過ごしていたナツは、急な眠気に一瞬で意識を飛ばした。
次に目を覚ました時はギルド全体も騒然となっており、不満の声も上がっている。その口ぐちに囁かれる名前に、ナツは目を擦りながら納得したように口を開く。
「ミストガンか……」
S級魔導士に昇格したばかりの男。マスターであるマカロフにさえ顔を見せることなく、存在は謎に包まれている。
ミストガンの名を呟いたナツは、鼻をかすめた微かに残っている香りに動きを止めた。それは、探していた残り香の人物のものと同じだったのだ。
その晩、常通りの就寝時間を過ぎた深夜。ベッドで眠りについていたナツに影が近づいていく。
影がベッドの前で足を止めると、待っていたとばかりに眠っていたはずのナツが目を開いた。起きあがり、逃がさぬようにしがみ付く。
息を飲む音に、ナツはしがみ付く力を強めた。
「顔、見ねぇから」
影の正体はミストガンだった。残り香の主がミストガンだと判断したナツは、就寝を装いミストガンが訪れるのを待ち構えていたのだ。
ミストガンが人と顔を合わせたがらないのは周知の事実だ。ナツの言葉に、ミストガンは背中の杖へと伸ばそうとした手を降ろした。
身動きしなくなったミストガンに、ナツは視界を塞ぐようにミストガンの腹に額を押しつけながら口を開く。
「いつも来てたのお前だろ。あれ魔法か?お前が来てくれた時は嫌な夢見ねぇんだ」
ミストガンは少し間をおいて、ナツへと手を伸ばし、視界を塞いだ。
「ナツ、眠れ」
「待てよ、まだ……」
ナツの身体から力が抜けていく。
ベッドに身を預けるナツを確認して、その場を離れようと背を向けたが、ミストガンの足はすぐに止まってしまう。
肩越しに振り返ったミストガンの目には、寝息を立てているナツの姿。しかし、ナツの手はミストガンのマントを掴んでいた。
「ナツ」
ミストガンは小さく息をつくと、ナツの手をとりマントから手を放させた。
大人しく眠りについているのナツの頭を撫で、背負っていた杖に手を伸ばすと、常よりも静かに床に杖を突き刺す。
「摩天楼」
夢というのは幻覚の一種であり、幻覚を見せる魔法であれば夢を操作する事も容易ない。今までミストガンは就寝中のナツの夢を悪夢から変えていたのだ。
魔法を発動させてすぐ、ナツの顔が笑みを浮かべた。それに目を細め、ミストガンはその場を後にする。
ナツを見ていると幼い頃に出会った少女を思い出させた。あの時の、竜においていかれたと悲しむ少女とナツが重なって、放っておけなくなったのだ。
ミストガンは己の真の任務であるアニマを閉じるべく、マグノリアの街を出た。
せめて夢の中だけでは、悲しい現実を忘れていればいい。そう願いながら。
2011,06,20〜2012,02,08