オオカミに恋をした





学校を終えたナツは、毎日通る道を外れて下校していた。その足で向かったのは警察署。

「よぉ、ナツ。お父さん戻ってきてるぞ」

入り口前で立番をしている警察官に声をかけられる。ナツは挨拶の言葉を短く返し、それに付けくわえた。

「つーか、父ちゃんじゃねぇよ」

警察官が父親と呼んだのは、ナツの保護者であるギルダーツ。数年前にギルダーツが幼かったナツを引き取ったのは警察署内で知れており、ナツは顔パス状態だった。
ナツは署内へと入ると目的場所のある三階へと上がった。三階には刑事課の部屋があり、第一課に所属しているギルダーツも署内にいる時はその部屋にいることがほとんどなのだ。
ナツは、第一課の部屋に顔を覗かせた。

「ギルダーツいるかー?」

ナツの明るい声に、その場にいた者の視線が集まる。

「ナツか、久しぶりだな」

「親父さんなら少年課行ってるぞ」

幾度となく顔を出している為に、一課の人間とも顔馴染みで、ナツも全員の顔と名前を把握している程だ。
ナツは、本日二回目となる単語に、すばやく切り返す。

「だから、父ちゃんじゃねぇって言ってんだろ!」

このやり取りは毎回ナツが訪れるたびに行われている。
部屋の中はナツを揶揄する笑い声で満ちており、ナツは目を吊り上げた。

「俺じっちゃんとこ行ってくんな!」

床を蹴りながら部屋を離れ、階段を降りながら小さく悪態をもらす。その足は、一つ下の二階にたどり着いたところで止まった。
ギルダーツは、同課の者だけではなく、今行っている少年課を含んだ他の課にも慕われている。特に少年課は、警察官というよりも、検挙や補導された未成年たちがギルダーツを頼りにしている節があるのだ。

「やっぱギルダーツはすげぇんだよな」

誰からも頼られる。それは、一番近くにいるナツにとっては誇らしかった。父親ではないが、同じかそれ以上に大きな存在だから。
ギルダーツの事を考えている内に、先ほどまでつり上がっていた目は柔らかく細められていた。
二階のフロアを歩き、向かうのは署長室。
先ほどナツがじっちゃんと呼んだのは署長の事で、名前はマカロフ・ドレアー。今は亡き父親イグニールとも面識があり、当初、ギルダーツの元に身を寄せているナツを引き取ろうとも考えていた、ナツがギルダーツ以外で頼りにしている老人だ。

「ナツ」

署長室を目の前に、ナツは名を呼ばれて足を止めた。振り返れば、少し離れた場所に見知った人物が立っている。

「ラクサス」

ナツがラクサスと呼んだ青年は、マカロフの孫であり、ギルダーツと同じ刑事課に努めている警察官。
イグニールが健在だった頃は、ラクサスがナツの面倒を見ることが多々あったのだ。

「少し話がある」

呼ばれるままに近寄ったナツに、ラクサスは持っていた缶ジュースを差し出した。
ジュースを受け取り、ナツはラクサスと共に廊下の隅に設置されているソファに腰を下ろした。
ジュースを飲むナツを見つめ、ラクサスは口を開く。

「おっさんとはうまくやってんのか?」

ナツは缶から口を放してラクサスを見上げる。
言葉の意味が理解できずに首をかしげるナツに、ラクサスは続けた。

「本当は、ジジィがお前を引き取るはずだったんだよ」

「……知ってる。じっちゃんから聞いた」

ナツは、缶へと視線を落とす。
ラクサスの言いたい事をようやく察することができた。ギルダーツと暮らしている事で不便がないかと案じてくれているのだ。だが、ナツにとっては、その心配も理解できない。
缶の飲み口をぼんやりと見つめるナツに、ラクサスは視線を前に戻して口を開く。

「今からでも俺のところに来るか?」

ナツは耳を疑った。横顔をじっと見つめるナツに一度視線を向けたラクサスは、気まり悪げに舌打ちをもらした。

「お前は弟みたいなもんだからな。ガキの頃は無理だったが、今なら……」

「ラクサス」

名を呼んでラクサスの言葉を遮ったナツは、ゆっくりと続ける。

「ありがとな。でも俺、もうギルダーツの家族なんだ」

それに。
俯いたナツに、ラクサスは目を見張った。

「ギルダーツと一緒にいてぇんだ。だって俺、ギルダーツが……」

少しずつ声は小さくなっていき、最後の方は聞き取れないほどだった。それでも、ナツの顔が赤く染まっているのを見れば、何と言ったのか見当がつく。
ナツはギルダーツに特別は感情を抱いているのだ。保護者である事に加え、己の父親よりも年の離れた中年の男に。
嫌悪といった感情はラクサスの中には浮かばず、ただ、仕方がないと諦めがついた。

「うまくやってんなら、それでいい」

ラクサスは溜め息をついて、ナツの頭を撫でるが、その手はナツに触れたところで止まってしまった。
視線を感じて、探る様に視線を彷徨わせれば見知った人物の姿が目に入った。しかし、その人物の目は鋭く、殺意さえ浮かんでいる。
ラクサスはナツから手を放すと、喉を鳴らして声も出さずに睨み合う。

「お、ギルダーツ!」

ナツの明るい声で、ラクサスは強張っていた体の力が抜けた。それと同時に、殺意が嘘のように消える。
ナツが名を呼んだ通り、少し距離をおいた場所に立っていたのも、またラクサスに敵意を向けていたのもギルダーツ。
訝しむラクサスの前で、ナツはギルダーツに駆け寄っていった。

「ギルダーツ、遅ぇぞ!」

「ちょっと時間かかっちまったか」

穏やかな日常を描いているような光景だ。
誰もが、ナツとギルダーツを親子の様だというが、今のラクサスにはそうは思えなかった。
ラクサスは小さく舌打ちをもらして、二人の元へと近づいて行く。
ラクサスが近づいた途端、ギルダーツはナツの身体を引き寄せ、己の隣に立たせた。

「おお、ラクサス。すまねぇな、ナツの相手させちまって」

「あんたに礼言われる事じゃねぇよ、こいつは俺にとっても特別だからな」

挑発するラクサスの言葉にも、ギルダーツはナツの肩に手を回したまま顔には笑みを張り付けている。
二人の視線がそらされる事なく沈黙が続いたが、ナツの声で止められた。

「ラクサス、ジュースありがとな!」

張りつめていた空気などものともせずに壊してしまう明るい声に、ラクサスは表情を緩めてナツの頭を撫でた。

「何かあったら連絡しろ、すぐに駆けつけてやる」

「おお!」

ちらりとギルダーツを見やったラクサスは、ナツから手を放す。

「俺はジジィに用があるから、もう行くぜ」

ナツの別れの挨拶を受けながら、ラクサスはナツに背を向けた。その顔は、ナツに見せていた穏やかさなどない。

「目が笑ってねぇんだよ」

二人から距離が離れたあたりで、ラクサスは足を進めながら低く呻る。その言葉通り、ギルダーツがラクサスに向けていた笑み、その目は恐ろしく冷たかった。

「冗談じゃねぇ。あれは、人殺しの目だ」

ラクサスは床を蹴りながら署長室へと向かった。










ラクサスの背を見おくったナツは、ギルダーツの腕にしがみ付く。
顔を擦りつけて甘えるナツに、ギルダーツは目を細めた。

「甘えん坊か?」

「仕事おわったんだから、今のギルダーツは俺のだろ」

口を尖らせて拗ねるナツに、ギルダーツは生唾をのんだ。

「ナツ」

ギルダーツは腰を屈め、ナツの頬に手を滑らせる。至近距離で顔が近づくと、ナツは頬を紅潮させて顔を俯かせた。
ギルダーツの両手がナツの頬を包み、顔を上げさせた瞬間。

ぐるるるる。

呻り声のような音がその場に響いた。
音の発生源はナツの腹で、ナツは顔を真っ赤に染めてギルダーツから顔をそむける。

「ち、違ぇからな、これは……」

今のは腹の虫だとギルダーツも理解しているのだが、羞恥で混乱しているナツは、どうにか誤魔化そうと頭を働かせていた。

「俺じゃねぇ!!」

誤魔化す言葉が思いつかず、最終的にナツの口から飛び出たのは、自分ではないという否定の言葉だけだった。しかし、ナツではないとすれば、その場にいるのはギルダーツのみ。
真っ赤にした顔で必死に訴えかけてくるナツに、ギルダーツは盛大に噴き出した。

「笑うなよ!」

廊下中に、ギルダーツの豪快な笑い声が響く。

「そ、そうだな……すまねぇ、今のは俺の、腹の音だ……」

こみ上げる笑いを噛み殺しながら言葉を紡ぐギルダーツに、ナツは目を吊り上げた。

「ギルダーツ!!」

ギルダーツは息を吐き出して笑いを押さえると、ナツの頭に手を置いた。

「飯に行くか。俺も腹減っちまってんだ」

宥めるように頭をなでられ、ナツは勢いを失った。

「……俺も腹へった」

今日、ナツがわざわざギルダーツの仕事場に訪れたのは、外食の約束をしていたから。
外食は月に一度決まった日に行う事になっていて、今日は七日。七日は、イグニールが殺害された事件が起こった日なのだ。
毎月行われるそれは、まるで、ナツを慰める儀式。

「今日は何が食いてぇんだ?」

ギルダーツはナツの脇に腕を差し入れると、ナツの身体を持ち上げた。不安定さにナツは慌ててギルダーツの首に腕を回す。

「なんだよ、急に」

しがみ付きながら、後頭部に向かって困惑の声を投げるナツに、ギルダーツは口を開く。

「でかくなったなぁ」

「当り前だろ、いつかギルダーツも越えてやる!」

ナツの身体を抱きしめるギルダーツの腕の力が強まる。

「もう、大人だな」

常よりも低い声が耳を刺激した途端、不安に襲われる。それは徐々に膨れ上がり、ナツは居心地悪さに身じろいだ。

「ぎ、ギルダーツ、降ろせよ」

腕の中でともがくナツを逃さぬ様に強く抱きしめ、囁く。

「ラクサスと、何の話してたんだ?」

拒否を許さぬ声に、ナツはギルダーツの雰囲気に戸惑いながら、ゆっくりと口を開いた。

「ラクサスに『俺のところに来るか』って聞かれた」

そうか。
平静を保ちながら相槌を打つギルダーツの顔は顰められている。

「それで、なんて答えたんだ?」

「俺はギルダーツの家族だからって、断ったぞ。後……」

ナツは真っ赤に染まっていく顔を隠すように、ギルダーツにしがみ付く。
くっ付いている体の部分が熱を持ち、ギルダーツはナツの心音が早くなっている事に気付いた。

「ナツ」

「ギルダーツと」

ナツはしがみ付いていた腕の力を解いて、ギルダーツの顔を見つめる。

「ギルダーツと一緒にいたいって、言った」

震えた声で紡いだ口は半開きのまま止まり、緊張で呼吸が乱れている。まるで誘っている様なその仕草に、ギルダーツは衝動のままにナツの唇に口づけを落とした。
歯止めが利かなくなりそうなのを押さえ、触れるだけで止めたギルダーツは、唇を放した至近距離でナツを見つめる。

「んなこと言ってると食っちまうぞ」

ナツは、状況の把握が出来ていないのか、ぼんやりとギルダーツを見つめるだけだ。
ギルダーツは苦笑すると、ナツを降ろした。

「飯行くぞ」

歩きはじめるギルダーツからは、先ほどまで纏っていた雰囲気が消えていた。いつも通りの、ナツが焦がれてやまない心地良い空気。
少しずつ距離が離れていくギルダーツの背を見つめていたナツは、己の唇に触れた。

「今の、ちゅーだよな」

一瞬だったが、確かに唇同士が触れあった。

「俺、ギルダーツとちゅーしたんだ……!」

言葉に出せば、心臓が壊れそうなほどに鼓動を刻む。
ナツは力が抜けるようにその場にしゃがみ込んだ。ギルダーツが階段を降りはじめ、鳴らす靴音が異様に響く。
ナツは、膝に額をあてて、目を閉じた。

「ギルダーツ、好きだ」

聞こえない、届かない。
それでもナツは、己の声で耳が熱を持っていくのを感じた。

「ナツぅ、置いてっちまうぞー」

階段から響くギルダーツの声に、ナツはゆっくりと立ち上がった。
これから、いつもなら誰が見ても分かるほどに楽しみで仕方がない食事なのに、今のナツは何も喉を通る気がしなかった。
ナツは、振り絞る様に名を紡ぐ。

「ギルダーツ」

どうしようもなく胸が苦しい。




2011,08,16


ほとんど師弟関係にする事が多いじっちゃんとお義父さま、このパロでは「父ちゃん、昔はやんちゃだったんだ(若干照れ)」という事です。
過去話書いたら平和そうだな。。。


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