会いたくて会いたくて会いたい
天狼島のもっとも近い、リゾート地であるアカネ。浜辺やホテルもあるその場所に、生誕祭もかねてドレアー家で所有している別荘に訪れていた。
夜の生誕祭を控えた昼間、暇つぶしにと天狼島付近まで周航していた際に嵐にあい、船が転覆しないまでもラクサスが海に転落。アカネの浜辺に無事たどり着いたのだが、当然の如く生誕祭は中止となった。
「残念だったな」
自室のベッドで休んでいたラクサスは、訪ねてきたフリードの言葉を鼻で笑った。
「せいせいする。あんなくだんねぇもんに出なくてすんだんだからな」
ラクサスが好んで生誕祭を開いていない事はフリードも察している。それでも付き合いというものがあるのだ。大企業の次期社長の位置につくとなれば当然必要にもなる。
「見つかったか?」
ラクサスの言葉に、フリードは一瞬戸惑って口を開く。
「お前の言う女性はアカネにはいないようだ。今範囲を広げている、もう少し時間をくれ」
そうか。ラクサスの短い返事はわずかに落胆の色がある。
フリードがラクサスに出会ったのは学生時代。学年は違っていたが、ラクサスの存在感と統率力に惹かれ、現在でも側に付いている。
ミラジェーンには及ばないが付き合いの長いフリードも、ラクサスが他人に悟られるほどに動揺する姿を見るのは初めてだった。ラクサスは自尊心が強い分、己の弱みは見せぬところがあるのだ。
「ラクサス」
ラクサスの目は、窓から外へと向けられていた。遠くに見える海辺へと向いていた視線が、フリードの呼びかけでそらされる。
振り返ったラクサスに、フリードは思案するように少し間を置いて口を開いた。
「食事はどうする、昨日昼食をとって以来なにも口にしていないだろう」
今現在、時計は昼時を差している。丸一日食事をとっていないのは、フリードには気がかりだった。
ラクサスは面倒そうにフリードから視線をそらすと、ベッドに身体を倒す。
「いらねぇよ。当分誰も部屋にいれるな」
他人の指図は決して受けないラクサスに、いくらフリードが気にかけていると言っても意思が変わる事はない。
フリードは了承の言葉を呟き、部屋を出ていった。
一人になり、静寂が戻った部屋。ラクサスはポケットにしまってあったロケットを取り出した。中を開き、姿を現した一粒の真珠を指でつまんで天にかかげる。照明に照らせば、輝きを失う事のない真珠が眩しく光った。
「あの時俺を助けたのは、あんたなのか?」
物に問いかけるなど、幼い頃を除いてラクサスが行動した事はない。
暫く真珠を眺めていたラクサスは、小さく息を吐き出して真珠をロケットへと戻した。ベッド脇に備え付けてあるサイドテーブルにロケットを置き、目を閉じる。
目蓋の裏には、桜色の少女が映る。それは昨日からではなく、十年も前からだった。
十年前。リゾート地であるアカネには、祖父であるマカロフと共に何度も訪れていた。しかし、祖父も社長という立場にあり、長時間滞在というわけにはいかない。
「ラクサス、ワシは一度戻らねばならん。お前はどうする」
「俺は残る」
孫を溺愛しているマカロフが、ラクサスの意思を拒否できるはずもない。
別荘には使用人もおり、幼馴染であるミラジェーンとその兄弟もいる、ラクサスも中学に上がっており一人きりではない分余計だろう。
「明日には戻ってくる、それまでミラたちと仲良くしていなさい」
友人もいれば退屈な時間はない。そう思って承知したのだが、運が悪いのか事件は起きた。
「おねーちゃん!」
ミラジェーンには弟と妹がいる。浜辺で休んでいたミラジェーンに、二歳下の妹リサーナが駆け寄った。
涙を浮かべるリサーナに、ミラジェーンの顔が顰められる。
「いじめられたの?」
強気に目を吊り上げるミラジェーンに、リサーナは首を振るい、海に指をさす。
「ラクサスがたいへんなの!」
ミラジェーンは、リサーナの指ししめす方へと視線を向ければ、海岸沖に水しぶきを見つける。遠目ではっきりとはしないが、リサーナの動揺と言葉から、状況がよくない事は判断がつく。
「なにやってんだ、あいつ!」
「わたしのせいなの……わたしがぼうし飛ばしちゃったから」
リサーナは気に入っていた帽子があった。花の飾りがついている麦わら帽。今日も身につけていたはずのそれが、今はない。
「あんたは悪くないよ、心配しないで」
ミラジェーンはリサーナの頭をなでると走りだした。
「人呼んでくるから、リサーナはここで待ってて」
幼くては何もできず、去っていくミラジェーンの後ろ姿に、リサーナは不安で座り込んでしまった。
リサーナの帽子が風にとばされ海へと落ち、波にさらわれていくそれは、ラクサスが拾いに海へと入った頃には大分沖の方へと流されていた。
泳ぎには自信があった。だからこそ、逆に侮っていたのだ。
帽子を掴んだ瞬間、ラクサスは迫っていた波に襲われ、波と共に漂っていた木片が勢いよく右目に直撃する。
木片の尖端は鋭く突き出ており、右目を切りつけた。出血し、海水にさらされた傷が熱を持っていく。
傷と波に気を取られ、ラクサスは泳ぎに集中できずにいた。傷が深いためか意識は少しずつ薄れていく。
完全に身体が海へと沈む。抗う事も出来ずに波に弄ばれる体。その腕を、ラクサスより幾分も幼い手が掴み、同時に身体は海面へと引き上げられた。
ラクサスは急きこみながらも、肺に酸素を取り込む。
「もうちょっとガマンしろよ」
至近距離で聞こえた幼い声に、ラクサスは首をひねった。
右目が傷で開かないどころか、意識を保つのがやっとのせいで視界自体がおぼつかない。微かに分かるのは、ピンク色。
波にさらわれそうになりながらも、細い腕に支えられてラクサスは岸へとたどり着くことができた。
力の入らないラクサスの身体が、幼い手によって寝かされる。
「……よかった、生きてんな」
影がかかっているのは目蓋を閉じていても分かる。己を救ってくれた幼子が顔を覗きこんでいる。
ラクサスは重い手をあげて、幼子へと手を伸ばした。だが、その手は触れることなく空ぶる。
目蓋越しに光が差し、幼子が立ち上がったのを感じてラクサスは無理やり瞳を開くが、目は人物を捕らえることはなく、変わりに海へと飛び込む音が耳に入ってきた。
ラクサスの意識はそこで途切れ、次に目を覚ました時、自室のベッドの上にいた。
「ごめんなさい!」
泣きながら謝罪の言葉を繰り返すリサーナをどこか遠くに見ながら、ラクサスは顔の右部分に手を触れる。
包帯が巻かれており、治療されたのだろう痛みはない。ぼうっとしていると、共にいたミラジェーンが手を差しだした。
人差し指と親指で摘ままれているのは、白い真珠。
「これ、倒れてたあんたの側に落ちてたのよ」
ラクサスが手を差し出すと、手のひらに真珠が転がり落ちた。
幼い頃に何度も夢に見た人魚姫の姿が脳裏をよぎる。
「人魚の涙」
マカロフが人魚に出会った場所は天狼島付近。その場所にもっとも近いアカネで出会った。姿は見ていないが、童話のように溺れたところを助けられ、海へと姿を消した。
胸の鼓動は早まり、ラクサスは真珠を握りしめる力を強めた。
ラクサスを助け天狼島へと戻ってきた時には陽は暮れていた。
濡れ鼠のナツの姿で察しはついたのだろう、帰ってきたナツに老女は烈火のごとく怒りを表した。
「あれだけ人間に関わるなって言ったろ!」
「でも、ばーちゃ……ッ!」
ナツは老女に引きずられていき、木の家から大分離れた場所にある小屋の中へと投げ込まれた。
「ばーちゃん!」
扉はすぐに閉じられ、鍵をかけられる。ナツは、不安そうに眉を落として、扉を見つめた。扉を挟んですぐのところには、未だ老女の気配がある。
ナツが黙っていると、老女の震えた声が響いた。
「人間はねぇ、お前が考える以上に酷い生きものなんだよ」
いつでも強気でいる老女には想像もつかない、弱々しい声だった。
ナツが言葉を返せずにいると、外から地を踏む音がする。
「少し頭を冷やしな。外のことも、時間が経てばすぐに忘れるだろ」
足音は次第に遠ざかっていき、聞こえなくなる。
ナツが放りこまれたのは貯蔵庫で、室内には食べ物や薪などが納められている。数日閉じ込められても食べ物には困らないだろう。
貯蔵庫には窓などなく、時間の経過は分からない。腹が空腹を訴え、ナツは貯蔵庫に置いてある果物に手を伸ばす。
一つを食べ終えたところで、ナツの限界は超えた。
「ばーちゃんには悪いけど忘れらんねぇよ」
脳裏には美しい金糸の髪がよみがえり、思い出すほどに、焦がれる思いは強まる。
「ラクサスって呼ばれてたよな」
ラクサス。
何度も名を呟く、ナツの頬は次第に紅潮していった。
「もう一度会いてぇ」
髪に触れたい、同色の瞳を見つめたい。声を聞いてみたい。
溢れる思いに、ナツは勢いよく立ちあがり、脱出しようと扉の前に立つ。ぶち破る事を考えるが、すぐにそれが敵わない事だと思いとどまった。
以前、激しい嵐に襲われた時、扉が破壊され貯蔵庫内のすべてのものが無駄になってしまった。そのすぐ後に貯蔵庫を強化してしまったのだ。
隕石が降ってきても平気だとはしゃいでいたのは、誰でもないナツだ。扉も石製で、外壁木製の外側を煉瓦で覆っている。当然だがぶち破ることなどできるはずもない。
「だめだ、出れねぇ!」
ナツは力尽きたようにその場に倒れ込む。落ち着かずにその場で転がっていると、ナツの動きが止まった。
うつぶせの状態だったナツは、下の地面を撫でる。貯蔵庫である小屋の強化はしたが、元より下は床などなく地面のままだったのだ。地面ならば彫る事も出来る。
ナツは室内に視線を走らせ、目当てものを見つけると飛びついた。小刀などの刃物が並んでおり、その中の一つを手に取って、ナツは部屋の隅に近づく。
地面に小刀を突きたて抉る。少しずつだが、確かに地面は削られ、隠れていた外壁の部分が露わになった。このまま地面を掘り進め、塀の下を通り抜ければ脱出できるだろう。
希望を見出したナツは、必死に手を動かし始める。
いくら時間が経っても空腹など感じる事はなかった。必死だったせいだろう、常ならば食事を終えてもすぐに空腹を訴える腹は大人しかった。
どれだけ時間が経ったのか、掘り進めた穴が外の景色を見せる頃には、夜は明けていた。ナツは更に必死に穴を掘り、己が通れるほどに穴を広げた。
「これで、会いに行ける……!」
睡眠をとっていないことに加え、己で希望を切りだせた。ナツは気を昂らせたまま、穴に両腕から顔を突っ込んだ。
ぎりぎり身体が通れる程度だ。手を伸ばし、はいずる様に少しずつ身体を外へと滑り込ませる。
上半身が外へと出たところで、ナツは頭部に走った痛みに顔を歪めた。小さく振り返れば、長い髪が引っかかっていた。
穴を掘る際に、内壁である木も削ってしまった。それがナツの髪を巻き込んだ。どうにか解こうにも体勢を変えることができない為、難しい。
『切らないのかい?』
考えあぐねていたナツの頭に、老女の言葉が過った。
会った事もない父親に憧れ、父親の真似をして髪を伸ばしていた。ナツにとっては捨てがたいもの。でも、ナツの行動を後押しするように、脳裏にラクサスの姿がよぎる。
ナツは名残惜しみながらも、己の髪に持っていた小刀をあてる。一気に髪を切り裂き、穴から抜け出た。
抜けだした穴には、主張でもする様に髪が散らばっている。
己から離れた髪を暫く見つめていたナツは、振り切る様にその場を駆けだした。
すでに日は昇りきり、老女の起床時間に迫っている。ナツは急くように岸へと向かい、渦潮の抜け道である洞窟の穴を探す。
しかし、見つからなかった。変わりに、穴があっただろう場所には不自然な盛り上がりができていた。
「嘘だろ」
埋められてしまったのだ。
洞窟を利用する以外に島を抜け出す方法を、ナツは知らない。
ナツは、穴があった場所を手で掘りはじめる。悪あがきだと分かっていても、諦めたくはなかった。
呼吸を乱しながら穴を掘っても、貯蔵庫から抜け出すのとではわけが違う。もがくように必死に動かしていた手は、だんだんと速度を落としていった。
手の動きが止まり、変わりに砂に水滴が落ちる。ナツは、嗚咽をもらしながらも、再び震える手で砂をかく。
こぼれる涙を拭う事さえも惜しく、ナツはぼやける視界の先に、待っているだろう金糸を見つめる。
「ナツ?」
背後からの声に、ナツはびくりと体を震わせた。
ナツがゆっくりと振り返れば、心配げにナツを見下ろす同い年ぐらいの少年が立っている。髪は黒く、闇夜に同化してしまいそうだ。
ナツは、しゃくり上げながら、少年の名を紡いだ。
「ゼレフ」
「何故泣いているんだい。それに、その髪も」
乱雑に切られた髪に、少年ゼレフは眉を寄せた。
ナツは、目元を擦りながら口を開く。
「邪魔だから切っちまった」
「……綺麗な髪だったのに、残念だよ」
俯いてしまったナツに、ゼレフはナツへと手を差し出す。
「おいで、ナツ。髪を整えてあげるよ」
少し間を置いて、ナツはおずおずと差し出された手に己の手を乗せた。
ナツの手を掴み、ゼレフはナツの身体を引き上げる。己で立つ気力もないようで、ナツの身体が揺れる。
どうにか両足で立つナツに、ゼレフは眉を落とした。
「ポーリュシカと何かあったのかい?」
ポーリュシカは老女の名だ。
ナツは体を小刻みに震わせると、飛びつくようにゼレフにしがみ付いた。
「ナツ?」
震えるナツの身体を抱きとめ、あやすように背をぽんぽんと叩く。
ナツはゼレフの背に腕を回し、服をきつく握りしめた。言葉を詰まらせながら、小さく言葉を紡ぐ。
「助けてくれ……どうしても、会いてぇんだ」
ナツの掠れた声に、ゼレフの手は動きを止めてしまった。
2011,08,01
たーかーしー