父の日休業日





目覚まし時計の音ですぐに起きたナツは、慌てて目覚まし時計を止めた。そっと隣へと視線を移せば、イグニールが静かに寝息を立てている。
ナツは安堵に溜め息をついて、目覚まし時計を手に取った。裏に手を回して指針を遅らせていく。
長針を数時間遅らせて時計を元の位置に戻すと、立ち上がった。

「よし、作戦かいしだ」

イグニールを起こさぬようにと小さな声で意気込み、拳をかかげた。
素早く着替えをすませ、顔を洗えば身支度は整う。
ナツは食卓の椅子に乗り上げると、テーブルに紙をおいた。マジックを走らせ、書きあげた文字を確認するように眺める。

「うむ、タッピツじゃ」

意味など分かっているのか怪しいが、分かっていたとしても自画自賛に過ぎない。達筆どころか、努力しなければ書いた本人以外で読める者などいなそうだ。
ナツは紙とテープを手に椅子から飛び降りると、階段を下りて行く。
一階にある店を突っ切って、店の入り口から外へと出た。振り返って引き戸を見上げ、持っていた紙を張り付ける。
テープで紙を止めていると、それに気づいた通行人が声をかけてきた。

「何やってんだ、ナツ」

振り返ったナツの目には見知った顔。さくら食堂の近くにあるマグノリア商店街の中に店を構えている住人の男だ。
ナツは振り返ると、張り付け終えた紙を指さした。

「今日はりんじ休業だ!」

「イグニール具合でも悪いのか?」

開店して間もないとはいえ、今までさくら食堂が定休日以外で休んだ日はない。
心配げに顔を歪める男に、ナツは両手を腰にあてた。

「ちげーよ、今日の父ちゃんは父の日休かでお休みなんだ」

胸を張るナツに、男は笑みを浮かべた。
イグニールの経歴を知らない者は少ない。ましてや、商店街に店を構えている者達には周知の事実。
イグニールは雑誌やテレビなどで顔を知られた有名な料理人。そして、ただ一人の息子の為に長年勤めていたホテルを辞職し、食堂を開いたのだ。

「そうか、今日昼飯食い行こうと思ってたんだけど、父の日じゃ仕方ないな」

「おとといきやがれ!」

「何やってんだ、クソガキ。そういう時は、またのお越しをお待ちしております、だ」

聞き覚えのある声にナツは振り返った。人物を確認して笑みを浮かべる。

「ラクサス!」

大きめの箱を手にしていたラクサスが、呆れ顔で立っていた。
ラクサスはナツに近づき、手を押しつけるように頭を撫でる。

「やめろ!ちびになるだろ!」

「元からチビだろ、お前は」

更に力を込めれば、ナツの力では抗う事は出来なく体勢が低くなる。悔しそうに呻っているナツから、ラクサスは目の前にいる男へと目を向けた。

「悪いな、今日は貸し切りなんだ」

それだけを告げ、店にナツを押しやったラクサスは、戸に張り付けられている紙に目を止めた。
悪戯かと思われそうなそれを見つめ、字を解読して溜め息をつく。「父の日きゅうぎょう」と世辞にも綺麗とは言えない字。
剥がそうと手を伸ばすが触れる前に止め、ラクサスは紙をはがす事なく店の中へと入っていった。
店内へと入ったラクサスは、持っていた箱を食い入るように見つめてくるナツに視線を落とす。

「お前の希望通りにつくってやった」

「さすがラクサス!」

「煽てなくていい、準備しろ」

ラクサスは厨房へと向かった。持っていた箱を冷蔵庫にしまいながら振り返れば、ナツがエプロンを身に着けている途中だ。

「イグニールは寝てるのか?」

「おお。ちゃんと言ったとおりにしたからバッチリだ」

目覚まし時計の指針を遅らせるというのはラクサスの入れ知恵だったのだ。イグニールが起き出してこないための工作。
ナツがエプロンを身に付けたのを確認して、ラクサスは口を開く。

「やるぞ」

「あいさ!」

敬礼するナツに、ラクサスも頷いた。
父の日である今日、ナツが父親であるイグニールを祝う為に計画を立て、ラクサスに協力を頼んだのだ。その名も作戦F、FはfatherのFだ。
作戦の内容は、イグニールの目覚めを阻止し、日曜も昼時に開けている食堂を休業にする事から始まる。そして、客の入らない食堂を利用して準備を進め、目が覚めたイグニールが慌てて食堂へと降りてきたら祝う。
まずナツが行う事は、食事作りだ。
ラクサスは、冷蔵庫の中から食材を取り出して調理台の上に並べる。

「イグニールの好物がハンバーグってのは本当か?」

前もってラクサスとナツが計画を立てている時、イグニールの好物はハンバーグだとナツは言いきった。それを信じてラクサスも準備をしていたのだが、それが事実なのか怪しい。ラクサス自身イグニールの好物など知らないのだが。
ナツは、ラクサスの言葉に口元を歪めた。

「うそじゃねーよ。父ちゃんに聞いたら、オレと同じだって言ってたんだからな」

「……そうかよ」

親馬鹿であるイグニールらしい回答だ。ナツの好物はハンバーグであり、特に好き嫌いはないイグニールはナツと同じと答えたのだ。ナツが作ったとすれば砂でも食べそうだから何でも問題はないだろう。
ラクサスは野菜を洗い、ナツに準備しておいた子供用の包丁を渡した。小学校中学年ともなれば普通の包丁でもよさそうだが、料理に不慣れなナツには子供用がちょうどいい。
洗った野菜をまな板の上に乗せ、ナツへと差し出す。

「まずは玉ねぎの皮むきだ」

ナツの手が玉ねぎの皮をむく。それを見守りながら、ラクサスは他の食材を、使用分だけ分けていく。
玉ねぎの皮がむけているのを確認し、次の指示を出そうとしたラクサスだったが、住居となっている二階からの騒音に動きを止めた。
乱闘でも起こっているのかと疑うような騒々しい足音が階段を下りてくる。

「起きたか」

舌打ちしたラクサスは階段へと目を向けた。
階段の途中で足音は止まった。音の主はイグニールで、イグニールはラクサスの姿を確認して目を瞬かせた。
ラクサスとイグニール、互いに視線を交わしながら動きを止まる。
片や居るはずのない人間の存在に対して、片や見たことがないほどの乱れた身なりに対して。

「ラクサス、これ皮しかねーぞ」

ナツの声で二人の意識は戻される。
ラクサスは、ナツの手元を見て眉を寄せた。ナツの手は玉ねぎの皮どころか白い部分までむき始め、すでに半分ほどの大きさになっていた。

「バカ、むき過ぎだ」

「ナツ居るのか!?」

ラクサスがナツの手から玉ねぎを奪い取ったのと、イグニールが駆け寄ったのは同時。
イグニールは厨房内に立つナツの姿を確認して、安堵のため息をついた。目を覚ましてナツの姿がなかった事に慌てたのだろう。

「よかった」

ナツは、イグニールの存在に気付いて目を見開いた。作業していたものを背後に隠す様にしてイグニールへと振り返る。

「父ちゃん、なんで起きてるんだ?!」

「さっき目が覚めたんだけど、時計が遅れててびっくりしたよ。電池変えたばかりだったんだけどな」

困惑するイグニールに、ラクサスもナツもかける言葉がなかった。電池のせいではなく人為的な工作なのだから。

「父ちゃん寝坊しちゃったな。早く準備しないと開店に間に合わない」

苦笑しながら厨房内に入ろうとするイグニールに、ナツは声をあげた。

「入っちゃダメだ!」

「、ナツ?」

思わず足を止めたイグニールは眉を寄せた。ナツの言葉は拒絶するもので、愛息子の言葉に、イグニールの表情は情けなく歪んでいく。
準備が整うまでは計画を隠しておきたかったナツには事実が伝えられない。理由を考えようと必死に頭を巡らせるナツの頭に、ラクサスの手が乗せられる。

「もう隠せねぇんだ、不安にさせてやるなよ」

ナツは、イグニールをちらりと見やり、眉を落とした。

「父ちゃん、ごめん」

謝罪の言葉から始まり、ナツの口から朝からの行動を含めてあらかた計画を話された。もちろん、己の為のナツの行動をイグニールが咎めるわけがない。

一度着替えてから戻ってきたイグニールは店内の椅子に腰かけ、そのテーブルにラクサスは体重を預けて寄りかかった。
ナツは今、ハンバーグのタネをこねている。それから視線をそらさぬようにしながら、ラクサスが口を開いた。

「悪かったな、勝手して」

「いや、感謝してるよ。ナツに付き合ってくれてありがとう」

ラクサスとて暇ではない。わざわざ休暇を取ったか偶然休暇だったのかは分からないが、どちらにせよ休みの日をナツの要望にあててくれたのだ。
イグニールは頬杖をつきながら、ナツの姿を眺める。

「ナツも料理できるぐらい大きくなったんだな」

ラクサスに指導されながらでも、己の手で作業をしている。少し離れた場所から見る息子の後ろ姿は、イグニールには常よりも立派に見えた。
去年までは毎年画用紙に大きく描いた似顔絵を贈ってくれた。すべて大事にしまってあるそれを思い出しながら、イグニールはナツの姿に目を細めた。

「ナツ、その位でいい」

作業を止める言葉と共にラクサスがナツの元へと歩み寄っていく。まるで兄弟のような光景に、イグニールはくすりと笑みをもらしたのだった。

暫く経てば、食堂内を香ばしい香りが包み、席についているイグニールの前には食事が並べられた。
ナツが丹精込めて作ったハンバーグと、野菜をぶち込むだけのスープにちぎるだけで作れるサラダ。ラクサスが持ち込んだパンは来る前につくった焼きたてだ。
それらを並べ、ナツは椅子の上に立って胸を張る。

「父ちゃん限定スペシャルコースだ!」

ラクサスが監督したのだ、失敗があるはずがない。それに加えナツがイグニールを思ったのだからなお更だ。
イグニールは目の前に並べられている料理を眺めて、顔を綻ばせた。

「おいしそうだ。立派なコックさんじゃないか、ナツ」

「おう、コックさんだぞ!父ちゃんの息子だからな!」

その言葉に、ラクサスは喉で笑った。

「チビコックの傑作だな」

「ちびじゃねぇよ!」

ラクサスの言葉に反応して食いつくナツに、ラクサスは鬱陶しいとばかりにナツの頭を押さえつけた。

「冷めないうちに食ってやれよ」

「あ、待った!」

ナイフとフォークを手に取ったイグニールは、ナツの言葉に動きを止めた。
ナツはラクサスの手を払うと、テーブルに手をついて身を乗り出し、イグニールの頬に唇を押しつける。
押しつけるような口づけは一瞬で、すぐに離れた。

「父ちゃん、いつもありがとな!大すきだ!」

満面の笑み浮かべるナツに、イグニールの表情は更に緩む。
二人のやり取りを眺めていたラクサスは小さく息をついた。今まで、ラクサスにとってイグニールは尊敬する料理人だった。今現在もそれが変わる事はないが、一人息子が関わった時のイグニールは一人の父親でしかないと思い知らされる。
一人の料理人でいた時は凛とした態度を崩さず完璧に見えたのだ。
最初こそ信じがたいその姿に戸惑いがあったものの、今ではこの姿があるからこその、料理人の姿だったのだと実感している。
思案に沈んでいたラクサスは頬に当たる感触に我に返った。首をひねれば、間近にナツの顔がある。頬の感触はナツの口づけだったのだ。

「ラクサスもありがとな。大すきだ」

恥ずかしげに頬を染めるその表情は、先ほどイグニールに口づけを与えた時とは違う。
ラクサスは顔を引きつらせて、イグニールへと視線を向けた。

「ずいぶん仲が良くなったな」

常より低いイグニールの声。笑顔を作っているつもりだろうが目が笑っていない。息子の言動一つで豹変するのは面倒だ。
ラクサスはイグニールの怒りから逃れる術を即座にひらめかせ、冷蔵庫へと足を向けた。
店に訪れる時に持参していた箱、あれはケーキだったのだ。ナツがイグニールの似顔絵をかき、それをラクサスが作成したケーキに描いた。
突き刺さってくる痛いほどの視線を感じながら、ラクサスはイグニール達の元へと戻ったのだった。




2011,06,19

イグニールおめでとう!

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