君、限定
ナツは食事をとるべくハッピーと共にギルドへと来た。昨日までクエストに出ていたので、数日はのんびりしようと本日ギルドにきたのは昼過ぎ。
「何だ?」
「何かあったのかな」
いつも騒がしいギルド内。その一角に人だかりができている。争いが起こっているわけでもなさそうだ。
ハッピーが翼(エーラ)で羽を生やして様子を見ようと人だかりへと近づいていき、ナツもそれを追うように足を向かわせた。
「ナツ!大変だよ!」
人だかりをかき分けようとしているナツの頭にハッピーが着地した。
「どうした?ハッピー」
「グレイが大変なんだよ!すごい怪我してるんだ!」
ナツは顔をしかめると、人だかりをかき分けてそれをつくっている元へと急ぐ。ナツよりも背の高い連中の集りだ、最前列までやってこないと視界は塞がれたままだった。最後の一人を退かせてやっと視界が開けた。
「グレイ!」
そこには手当てを受けたあとのグレイの姿があった。身体の至る所が包帯で隠れ、いつもどおり脱衣しているにもかかわらず、露出している部分はほとんどない。どれほどの危険なクエストだったのか。
ナツはグレイの前で足を止めた。
「何があったんだよ」
ナツとグレイはいつも喧嘩ばかりしているが本音では互いを認め合っている。ナツはグレイの実力を知っているからこそ、これほどまでに怪我を負って帰ってきたグレイの姿が信じられないのだ。
ナツの問いに答える気がないのか、グレイはナツから視線をはずしたままで顔を見ようともしない。
グレイの態度が気に入らないナツが噛み付こうとしているのを止めたのは、グレイの手当てをしたミラジェーンだった。
「ダメよ、ナツ。グレイは怪我しているんだから。ナツは食事をとりに来たんでしょう。すぐに準備するからカウンターの方へ来てくれる?」
「……ああ」
ナツは一度グレイを睨みつけると、ミラジェーンの後を追ってカウンター席へと足を向けた。
ずっとナツの頭に乗っていたハッピーが翼で身体を宙に浮かせ、ナツの隣へと移動する。
「グレイがあんな怪我するなんて珍しいよね。そんなに危険な仕事だったのかな」
「知るかよ。あんな奴」
まるで覇気がないようなグレイの姿にナツは苛立ちをつのらせていく。
いつでも、どちらかが一言言えば喧嘩腰で言い返してくる。そんな決まっているような形がいつもだったのに今日はなかった。それが妙に自分の心をかき乱すのだ。
「ナツ、いつもの出来たわよ?」
立ちつくしたまま考えにふけっていたナツはミラジェーンの言葉に我に帰った。
目の前には顔を覗き込んでくるミラジェーンの顔。視界の端に心配そうに顔をゆがめるハッピーの姿。
「飯にしようぜ、ハッピー」
「あい」
ナツはハッピーとともに食事が準備されているカウンター席へと座った。
「いただきます!」
「まーす!」
元気に手を合わせて挨拶をして、食事に取り掛かる。
それを暫く見ていたミラジェーンが口を開いた。
「グレイの事なんだけどね」
食事をしていたナツの手が止まる。ほお張っていた食べ物を咀嚼しながらミラジェーンを見上げた。
「クエスト中、魔法使えなかったんですって」
ナツは目を見開いた。そんな例は自分の周りにはなかったからだ。ハッピーも食事を取っていた手を止めてナツを見上げる。ナツの表情が強ばっていた。当たり前だ。魔導士ギルド内にいる条件は魔導士である事。魔法が使えなくてはギルドにいる条件を満たしていないことになる。
「ねぇ、ミラ。グレイはもう魔法が使えないの?」
ハッピーの心配そうな声色にミラジェーンは眉を下げた。
「心配は要らないと思うけど……ただ魔法は精神力を要するから、心が弱っていたり不安定だったりすると、魔法にも乱れが出るの」
「俺は、そんなことねぇけどな」
「ナツには無縁な話しだね」
いつでも前向きで前進あるのみのナツにとってはあまり関係のない事かもしれない。
ミラジェーンは二人の会話に小さく笑みをつくった。
「グレイは今、何か悩みがあるのかしらね。話してはくれなかったけれど、そのせいで魔法が使えなかったんだと思うの」
魔法が発動しないほどに心を乱すような悩み。ナツとハッピーは頭を悩ませた。まるで想像できないが、そのせいでナツに何の反応も示さなかったのだろう。
「何とか依頼は終えて戻ってきたんだけど、見ての通りひどい怪我もしていたし……これじゃ、当分仕事は無理そうね」
しかし怪我が治っても、精神が乱れたままで魔法が使えないとしたら仕事は無理だ。まずは悩みというのを解決しなければならないだろう。
ナツは残っていた食事を全て口の中へと放り込むと、荒々しく席を立った。椅子が倒れたがそんなこと気にはしていられない。
「仕方ねぇ。俺が気合入れてやる」
グレイの元まで駆け出していくナツを見送って、ハッピーは小さく呟いた。
「実力行使だね」
「ふふ。ナツに任せれば大丈夫ね」
ミラジェーンは何か訳知りのような顔で笑った。ハッピーはそんなミラジェーンに、きっとこの事態を収拾するにはナツが必要だったのだろうと察して、大人しく傍観する事に決めたのだった。
「うおりゃ!」
ナツは駆け出した勢いのままグレイに蹴りを食らわせた。
状況からして避けることも出来ずにまともにナツの攻撃を食らったグレイは、壁に体を叩きつけた。
「よし、かかって来い!」
仁王立ちしてグレイに指を突き刺すナツ。
グレイはゆっくりとした動作で立ち上がると、顔を上げてナツを見つめた。何か言い返してくるわけでもなく、ただナツを見つめる。
そんなグレイの様子にナツは顔をしかめた。
「おい、こら!かかって来ねぇのかよ、腰抜け!」
両手の拳に纏った炎を前に構えるが、グレイはふいっとナツから視線をそらした。ナツはグレイの態度につのらせていた苛立ちが爆発した。
床を蹴ってグレイの元まで移動すると、すかさず炎を纏っていた拳でグレイを殴る。
「おいナツ、その辺でやめとけ」
一方的に仲間がやられる光景など、あまり見たいものではない。ナツを止めようとするギルドの人間の言葉に、ナツは歯軋りをした。
倒れこむグレイの胸倉を掴んで引き寄せる。
「このままでいいのかよ、てめぇは。魔法が使えなきゃ魔導士じゃねぇ。妖精の尻尾にいられねぇんだぞ」
ギルドの魔導士は一人ひとりが仲間であり家族。そう豪語するナツにとって、この事態を黙って見てはいられない。それはいつも喧嘩ばかりするグレイでも同じだった。
「グレイ!」
胸倉を掴むナツの手が怒りのせいか震える。その手首をグレイの手が掴んだ。
「ナツ……場所を、変えさせてくれねぇか」
「……分かった」
いつもとは違って下手な態度のグレイ。ナツはグレイから手を放して立ち上がると、グレイを見下ろした。ナツの攻撃の痛手が大きいのか顔をしかめながらゆっくりと立ち上がったグレイは、ギルドの入り口へと足を向ける。ナツはそれについていくように同じように足を進めた。
グレイがどこへ向かっているのか分からない。ただギルドを出てからも無言の状態でナツはグレイの後をついて歩いた。
「ミラちゃんから聞いたんだろ」
足はゆっくりと動いたままで、グレイが小さく呟いた。
全く覇気のない声に少々の苛立ちを感じながらも、ナツは頷いた。
「お前魔法使えなかったんだってな」
「ああ、自分でも心が乱れてるのは分かってる。だせぇよ、このぐらいの事で魔法が使えなくなるなんてよ」
グレイのだいぶ参っている姿に、ナツはふて腐れたように口を尖らせた。先ほど無抵抗なグレイを殴ってしまった事が少しだけ後ろめたい。
「ナツ、お前に聞いてほしい話がある」
振り返ったグレイの表情は覚悟を決めたようで、まっすぐにナツを見つめていた。もちろんナツは頷くしかない。そのために着いてきたのだから。
気づけば二人はセリオール湖まで来ていた。水面が日の光を反射して美しく輝いている。
グレイは目を閉じてゆっくりと息をはいた。心を落ち着かせるためだろう行為。じっと待つナツは黙ってそれを見ていたが、次にグレイが目を開いた瞬間、気圧された。
「グレ」
「ナツ、好きだ」
ナツに危険信号が発されたのは遅かった。グレイの名を呼び止めようとしたナツの言葉は、グレイに遮られた。それは、やはりあまりにも予想外の言葉だった。
「……悪ぃ。今なんて言った?」
聞こえなかったわけではない。そうでなくても滅竜魔導士は感覚がとても優れているのだ。
ナツは額に冷や汗を浮かべながら、目の前に立つグレイを見上げる。
「何度でも言ってやる。俺はお前が好きなんだよ。ナツ」
決して何度も言われたくはない。
ナツはフル回転で頭を働かせた。もちろんグレイの言葉の意味などすぐに理解は出来るのだが、ナツの中では否定したい自分もいるのだ。というよりも否定しかしたくない。
「お前、知ってるか?俺もお前も男なんだ」
「知ってる」
「つまり男同士なんだ」
「分かってんよ」
ナツはグレイから少しだけ距離を置いた。
「お前そういう趣味かよ!近寄んな、変態!」
鳥肌を立たせて首を振るう。全体で拒否を示しているナツに、グレイは顔をしかめてナツから視線をそらした。
悲痛な表情をつくるグレイに、さすがにナツは困ったように顔を歪めて頭をかいた。
「……グレイ」
「悪かったな。自分でもどうにかしてるとは思ってんだ。ただ、今回クエスト中に魔法が使えなくなっちまって、本気でお前に惚れてるって分かっちまったんだよ」
種類は違えど、ナツにとってギルドの人間全ては好意に値するものたちだ。友愛であり親愛でもある。ただグレイがナツに持つ感情は、今までナツが持った事のない感情だ。理解するのも難しかった。
グレイも浮いた話のなかったナツが恋などしたことがないというのは分かっていただろう。心底困り果てるナツに、グレイはもう一度ナツへと視線を向けた。
「それでも、お前が好きなんだよ」
真正面からの言葉に、ナツは一瞬で赤面した。
「な、何言ってんだ、バカ!本当バカじゃねぇの!バカ!」
動揺しているようで、ナツは目を泳がせながらしきりにバカと暴言を繰り返している。
ナツの反応に、グレイも思わず頬を紅色させながら口元を押さえた。惚れ込んでいる相手のこの反応は可愛すぎる。
「な、何だてめぇ!笑ってんのか?!」
悔しそうに目を吊り上げていても、そんな姿さえも可愛く見えてしまうのだから末期だ。
グレイはナツの前まで足を進めると、ナツの手を引っ張り抱きしめた。
「ヤバイ。お前、可愛すぎ」
「っ、てめ、放しやがれ!バカグレイ!」
グレイが抱きしめる力を弱めて真正面から見つめれば、状況に不慣れなナツは抵抗を止めて口を閉ざした。
グレイも決して手馴れているわけではないが、いつの間にか強気な態度に戻ってしまっていた。
「もういいよ」
「あ?」
グレイはナツの額に己の額をくっつけた。
「これからゆっくり惚れさせてやる」
ナツは言葉も出ずに口を開閉を繰り返した。
グレイはナツを開放してやると、その手で魔法を使う構えをつくった。左の掌に右手の拳をあてて魔力を込めると、少しずつ冷気が纏い始め、手のひらには氷の塊が出来上がった。きれいなハート型だ。
「やるよ、ナツ」
呆気にとられているナツの手に、造型魔法で作り上げたハート型の氷を乗せてやる。
「んじゃ、魔法も使えるようになったし、ギルドに戻るとするか。先に戻ってるぜ、ナツ」
ナツに背を向け手を振るグレイ。そのまま来るときとは逆に軽い足取りでギルドへと戻っていった。
残されたナツが正気に戻った時には手の中の氷もだいぶ溶けていて、ナツはぐったりとその場に膝をついたのだった。
後日、クエストに向かったグレイを見送ったミラジェーンが、嬉しそうに笑った。
「グレイ、立ち直ったみたいね」
よかった。
そう言うミラジェーンにハッピーはなんとも言えない表情をつくった。
「開き直ったんじゃないかな。それより今度はナツが大変だよ」
ハッピーはテーブルでぐったりとしているナツへと顔を向けため息をつくのだった。
2009,12,21