兄弟
「女の子なのに、怪我したらどうするの」
「お前がした事は素晴らしいが、私達のような者は体が資本だ、無茶はするな」
目の前に座る二人の少女に、ナツは頷くしかできなかった。
今ナツは、本日の仕事場であるテレビ局内にいる。控室に入るまでは、いつも通りelementsのメンバーと共にいたのだが、早く着きすぎた為に収録まで時間が空いてしまい、大人しくしているのが苦手なナツは、探検しようと控室を飛び出したのだ。そして、迷った。
まだ携帯電話を持たされていないナツは、メンバーと連絡する手段がなかった。そこで、適当な人間をつかまえて控室の場所を教えてもらおうと思ったのだが、捕まえてしまったのが、二人の少女。
「ちょっと、聞いてるの?」
「人の話しはちゃんと聞かないか」
運がいいのか悪いのか、少女二人ともが同事務所である妖精の尻尾に所属していた。
金髪の少女はルーシィ、バラエティ番組に出演が多いタレントであり、女優や歌手としても活躍している。
茜色の髪の少女は、エルザ。舞台を中心に活動している実力派女優。数多くの賞も受賞している。
ナツは、出会うまで存在すら知らなかったのだが、二人はナツの存在を週刊ソーサラーの記事で知っていた。そして、その記事についての説教をされているのだ。
エルザの控室に押し込まれ、半ば無理やりに座らされ、延々と続けられる説教。
無言で二人の説教を聞いていたナツが俯いてしまうと、ルーシィとエルザは小さく息をついた。
「まぁいいわ。ロキ達にも注意されてるだろうしね」
ルーシィの口から知っている名が出て、ナツは勢いよく顔をあげた。
「お前、ロキの事知ってんのか?!」
「あのねぇ、私達同じ事務所なのよ?」
ほとんどのタレントの顔は把握しているし、全てとはいかないまでもマネージャーとも面識がある。
感心したように、へぇと声をもらすナツに、エルザが立ちあがった。荷物の置いてある場所を漁り、振り返る。
「ルーシィ、ナツ。一緒にどうだ?」
笑みを浮かべるエルザの手が持ち上がる。そこには、洋菓子店の箱。ルーシィが目を輝かせた。
「それって有名なスイーツのお店じゃない!」
「ふふ。来る途中で買ってきたんだ」
勝ち誇ったような笑みを浮かべてエルザが戻ってくる。きょとんとするナツに、エルザは箱を開けて中身を見せる様に差し出した。
「一つ取れ、ここのシュークリームは絶品だぞ」
中にはシュークリームが数個並んでいる。それを一つ手に取り、ナツは笑みを浮かべてエルザを見上げる。
「サンキュー!お前、いい奴だな!」
先ほどまでの表情とは一変して、眩しい程の笑顔を向けてくるナツに、エルザとルーシィは一瞬見入ってしまった。
二人で顔を見合せて、苦笑する。
「私達は気にしないけど、他の人にはちゃんと敬語使いなさいよ?」
「礼儀だぞ」
玩具のように何度も頷きはするが、聞いているのか疑わしい。食べるのに夢中になっていて、シュークリームはあっという間にナツの腹へと消えてしまった。
「うまかったー!」
口の周りを汚しながら、手についたクリームを舐めとる。その姿は、女性らしさとはあまりにもかけ離れていた。
「まるで男の子みたいね。可愛いのに、もったいないわよ」
「そうだな。そのままでも十分だとは思うが、自分の持つ魅力を限界以上に引き出すのも仕事の内だ……やるぞ、ルーシィ」
目を光らせるエルザに、ルーシィも笑みを浮かべて頷いた。ナツも、雰囲気で察したのだろう、顔を引きつらせながら立ちあがる。
「お、俺、帰らねぇと」
「控室分からないんでしょ?ロキには連絡したから、迎えにくるまでゆっくりしていきなさいよ」
「観念するんだな」
妖しい笑みを浮かべて、荷物置場からスーツケースを引きずってくる。エルザは常にスーツケースを持ち歩いており、その中には多種にわたっての衣装が入っているのだ。
エルザはスーツケースを開くと、一着の服を取り出した。レストランで使用されていそうなウェイトレスの制服だ。スカートの丈は短く、胸が大きく開き肩の出ているワンピース。リボンタイと付け襟。胸元には“8Iceland”と書かれている。
「それ、前ドラマで使ったやつよね。気に入ったんだ……」
ドラマで使用した衣装の中で気にいった物は買い取っているのだ。
「それ着るのか?」
「当り前じゃない。ほら、脱いで脱いで!」
ルーシィがナツの服に手をかけた。
胸の開いた服などきたら、男の体系だと知られ、正体が男だと感づかれてしまう。ナツの脳内では、男だと勘付かれる事より、その後に勘付かれた事でラクサスに叱られる様子が浮かんでいた。烈火のごとく怒るラクサスを想像して、ナツの額には脂汗がにじむ。
「や、やめ、」
「照れてるの?大丈夫よ、女同士なんだから」
手慣れている様子で、ナツに抵抗する暇も与えずに、ルーシィはナツが着ていたシャツの釦は外し、前が開く。
「やだ、下着付けて……ない」
「下着はきちんとつけろ、ナツ」
ルーシィがぎこちなくエルザへと振り返る。
「そうじゃなくて、ないの」
「何がないんだ?」
「胸がないのよ!!」
エルザの目が見開かれ、その視線はナツの胸部へと向けられる。
開いたシャツから覗く健康的な肌は、平らだ。揶揄で貧乳ともいえるかもしれないが、年齢で考えても有り得ない程に膨らみのない胸。
「これは、どういう事だ?」
エルザの顔が顰められる。その迫力にナツだけではなく、ルーシィも身震いをした。
それと同時だ、控室の扉が開かれた。
「何かあったのかい!?」
現れたのはロキだ。
「今、ルーシィの悲鳴が聞こえた気が、したんだ、けど」
ロキの目に、服を乱したナツが映る。エルザとルーシィの雰囲気から全てを読みとり、ロキは引きつった笑みを浮かべた。
「聞き間違いじゃないみたいだね」
「もちろん、説明してくれるわよね?」
ルーシィだけではなく、エルザも居るのであれば逃げる事は不可能だ。ロキは観念したように経緯を語った。
最初は、怪しむ様な目をしていたルーシィも、ナツの身の上の話しを聞いている内に、勢いは失せていった。元より情に深い性格だ、事情さえ知ってしまえば強く咎める事は出来ない。
「まぁ、理由は分かったわよ。でもね……」
どんな理由があっても、大勢の人を欺いている事に変わりはない。外部に漏れでもすれば一大事になる。
「頼む!父ちゃんを探すまででいいんだ、秘密にしてくれ!」
どれほどの覚悟をもって、飛び込んできたのか、想像さえつかない。ルーシィは、頭を下げるナツの頭部を黙って見つめていた。
ルーシィが言葉を発せずにいると、その意識を向けるかのようにエルザが立ちあがる。ルーシィと目が合い、エルザは口元に笑みを浮かべた。
「社長が決めた事だ、私はそれに従おう」
ルーシィは諦めたように溜め息をつくと、ナツへと視線を戻した。
「仕方ないわね、付き合ってあげるわよ」
勢いよく顔をあげたナツの表情が輝く。
「本当か?!」
「動機が不純であったなら叩きだしている所だがな。事情があるのなら仕方がない、早く父親が見つかるといいな」
「おお!ありがとな、エルザ、ルーシィ!」
浮かべられるナツの笑顔は無邪気で、ルーシィとエルザも、無意識のうちに笑顔を浮かべていた。
秘密を知るものが増えれば、外部に漏れる可能性が高くなるが、信用できる者が周囲にいれば、窮地に陥った時に手を借りる事も出来る。
ルーシィ達に、男だと知られてしまった事は、ラクサスに伝えないわけにはいかない。それでも、ロキの口添えもあり、ラクサスの怒りはさほど大きなものにはならなかった。その変わり、単独行動が禁止になったのは言うまでもない。
順調に収録を終えて控室へと戻ったナツ達を、ロキが待ち構えていた。elementsが収録に出ている間、ロキも収録を見守っている場合が多いのだが、今回は終わり間際、スタジオから抜けていた。
そういう場合も稀にあるのだが、様子がおかしい。
ナツ達が控室に入ると、ロキは携帯電話を耳にあてていた。通話中だったのだろう、短く言葉を喋ると、携帯電話を耳から離して、ナツへと目を向ける。
「社長から連絡だよ。ナツ、ガジルとウェンディっていう名前を知ってるかい?」
「あぁ、家族だ」
ロキは、未だ繋がったままの携帯電話を、ちらりと見やる。
「その二人が、事務所に来ているらしい。もちろん、君を訪ねにね」
どうするのかとロキが目で問うと、ナツは考える様に口を閉ざした。ナツ自身ハコベからマグノリアへと出てきたのだ、どれほど距離が離れているか身をもって知っている。訪ねてきたのなら会うべきだろう。
ナツが口を開く。だが、声を発する前にラクサスに腕を掴まれて止められた。
「行くなよ」
ラクサスは、ナツの耳元に口を近づけ、耳打ちする。
「そいつらは、お前が男だって知ってんだろうが。行ってどうする気だ」
女装して芸能人やってます、とでも言うつもりか。事務所を訪ねて来た時点で、女装も全てばれているのだろうが、わざわざ足を運んだという事は、連れ戻しに来たと考えて間違いないだろう。
黙ってしまったナツに、ロキは口を開く。
「二人は、君を連れ戻しに来たんだって。女の子の、ウェンディっていう子は、君の事を本当に心配しているみたいだよ」
「……ウェンディは、俺の妹だ」
血の繋がりはないから、妹の様に思っているだけだが。同じ施設で暮らしている者達は家族だとナツは認識している。ウェンディが心優しい事も、分かりすぎているぐらいだ。
ナツは、己の腕を掴んでいるラクサスの手を外した。
「俺、二人に会わねぇと……俺が何も言わないで出てきたのがいけねぇんだ。ちゃんと話してくる」
「分かった。そう言う事だから、君たちはタクシーで帰ってくれ」
ロキの運転する車で移動しているのだから、ロキがナツと共に行動するのなら、自然とラクサス達の移動手段は断たれる。電車など公共機関を使えば、顔が広く知れ渡っているラクサス達だ、面倒事になるのは避けられないだろう。
「待て、俺も行く」
ラクサスの言葉に、グレイが割って入った。
「俺“達”だ。てめぇだけ行かせるかよ」
「ナツ、私達が側についている」
予想がついていたのだろう、ロキは小さく息をついて、携帯電話を耳にあて、すぐに向かう事を告げるだけで通話は切られた。
早々に衣装から私服へと着替え、事務所へと向かったナツ達は、着いてすぐに社長室へと駆けこんだ。
飛びこむ勢いで扉を開いたナツの目に、社長であるマカロフと、二つの見慣れた後ろ姿が映る。その内の一つが振り返った。
長い青髪が宙に舞わせる少女、その表情がくしゃりと歪む。
「ナツさん!!」
少女がナツへと飛びこんだ。
ナツは、背後から転倒しそうなのを耐えて視線を下げると、腰にしがみ付いている少女の頭に手を置いた。
「ウェンディ……元気だったか?」
無言で何度も頷く少女ウェンディの身体は小さく震えている。ナツの手が頭を撫でると、ゆっくりと顔が上げられた。
「ナツさん、一緒に帰りましょう。皆、すごく心配してるんですよ」
涙で潤んだ瞳で見上げられ、ナツは眉を寄せた。今までなら、弱々しい瞳で見上げられれば頷く以外の選択はなかったが、これまでとは状況が違う。
「悪いけど帰れねぇ。俺、父ちゃん探しにきたんだ」
「そんな事だろうとは思ったぜ。じーさんが、親父の事話したって言ってたからな」
溜め息交じりに吐きだされた声。ナツが視線をあげれば、もう一つの後ろ姿が振り返っていた。
「ガジル」
「んなことよりも、お前、学校はどうする気だ。夏休み入る前に出ていきやがって……新学期のことも忘れてんじゃねぇだろうな」
ナツの口から、あっ、と小さく声が漏れた。
気まずげに視線を彷徨わせるナツに、ガジルは予想がついていたのだろう、小さく息をついただけだった。ナツの考えのない行動は今に始まった事ではないのだ、共に暮らしていた分免疫ができている。
「こっちの学校に編入すればいいんじゃねぇか?」
割りこむ様に口を開いたグレイに、視線が集中する。不機嫌そうに顔を顰めるガジルに気にした様子もなく、グレイはナツへと視線を向けた。
考えあぐねているナツに、マカロフが口を開く。
「学校の事なら心配いらん。とっくに用意しておる」
「じーさんの許可もなくか?」
ガジルの呼ぶ“じーさん”とは、施設の経営者。ナツ達にとっては教師でもあり、保護者のような存在だ。
ガジルの怪しむ様な目に、マカロフは頷く。
「タイミングが悪かったのう。今日連絡をとって了承を得たんじゃよ。お前さんたちは、昨夜家を出たんじゃろう?」
ガジルとウェンディは、昨夜の夜行列車でマグノリアまで出てきた。運悪く入れ違いになってしまったのだ。
縋るように見つめてくるウェンディに、ガジルは舌打ちを一つもらした。
「仕方ねぇだろ、じーさんが許可したんだ」
ナツを無理やり連れて帰る予定だったが、それは、ナツが無断で行動を起こしたからだ。施設の長が許許可したのであれば、強制する事は出来ない。
目に見えて落胆するウェンディ。ガジルは歩み寄ると、その頭をぐしゃりと撫でながら、ナツに顔を近づける。
「そいつらは、お前の事知ってんのか?」
ナツはガジルの耳元で囁く。そいつらと括っているのは、この部屋内にいる者達。ガジルが問うているのは、ナツが男である事を告げているかだ。
「じっちゃんとロキとラクサスだけだ。あ、後ルーシィとエルザにも今日ばれたんだった」
二つの名前に、ガジルは覚えがあった。ナツの記事が載っていた雑誌に、同様に掲載されている記事に載っていた名だ。
あっさりとばれた事を告げるナツに、呆れたように溜め息をもらした。
「まぁいい、そんな恰好で永遠に続けられるわけがねぇからな」
ナツは成長期の段階で未発達な身体の為、女装でもばれずにすんでいるが、体格が大人になれば、難しくなる。期限のある活動に過ぎない。
「さっさと見つけて帰ってこい」
ナツが返事をすると、緊張していた周囲の空気も一気に和らいだ。
惜しむ様にウェンディがナツへと抱きついている。それを穏やかに見ながら、ロキが歩み寄った。
「君達、ホテルはとってあるのかい?」
ウェンディがナツの腹に押しつけていた顔を離した。
「あの、私たちすぐ帰るつもりです」
「急だね、泊っていけないのかい?」
元より、二人の目的はナツを連れて帰る事だったのだ。宿泊の予定などまったくなかった。
言い淀むウェンディに、マカロフが口を開く。
「せっかく来たんじゃ、ゆっくりして行きなさい。ホテルはこっちで準備しよう。ロキ、例の場所を頼む」
「ちょうどライブもあるし、どうせならライブを見てからでもいいんじゃないかな」
「ライブって、ナツさんのライブですか?」
ウェンディの瞳が輝いていく。勢いよく振り返り、ガジルを見あげる。訴えかけるような瞳で見つめられれば、頷かずにはいられないだろう。
「……仕方ねぇな」
「うわぁ!楽しみです、ナツさんのライブ!」
両手を合わせて喜ぶウェンディに、ナツも照れくさそうに笑みをこぼす。その間に、ロキが携帯電話で手早くホテルを確保していた。
「さぁ、ホテルまで送るよ」
ロキは、携帯電話をしまいながら、ウェンディとガジルへ視線を向ける。
ウェンディが短く礼を言い、ロキに促がされる様に、ガジルとウェンディは部屋を出ていく。しかし、ガジルは、部屋を出ようとした足を止め、振り返るとelementsのメンバーを見回した。
「こんなんでも、そいつは俺の兄弟だ。何かあった時は覚悟しとけよ、兄さん達」
「……ガジル」
elementsのメンバーを睨みつけるガジルに、ナツの目が見開かれる。
喧嘩腰のガジルに眉を寄せたラクサスとは逆で、ミストガンが頷いた。その表情は、笑みを浮かべながらも、瞳は決意が込められている。
「ナツは、私が必ず守ろう」
「おい、なに抜け駆けしてやがる……ナツの事は俺に任せてくれよ、お義兄様!」
ミストガンを押しのけてガジルに迫るグレイ。ガジルは嫌そうに顔をしかめた。この面子では余計に不安になるだけだ。
「ガジル、ありがとな!」
ガジルは返事をするように、後ろ手に手を振って出ていった。
暫く扉を見つめていたナツは、機嫌良さそうに頬を緩ませながら、見守っていてくれた仲間へと視線を向ける。
「皆もありがとな」
初公演まで、後数日。
2011,04,17
ルーシィとのやり取りは、本当はもっとあったんだけど、めんどくなったんでカットカット。一緒に収録予定だったのに…
鉄火天の三兄弟は仲良しです。