3倍返しで頼んます
バレンタインには、ナツからラクサスにチョコレートが贈られる。それは、まだナツがラクサスの家で共に暮らしていた時から、毎年行われてきた。
大学から帰宅したラクサスは、玄関で靴を脱ぎながら、出迎えてきたナツへと視線を向けた。おかえりと言葉を発してから、ナツは落ち付かない様に視線を彷徨わせている。
幼い頃に一時期身を置いていた事もあって、中学卒業目前になってもナツはドレアー家へと訪れる。第二の家と言ってもいい程だ。
ラクサスは家に上がると持っていた紙袋をナツへと差し出した。中には、ラクサスが大学で貰ってきたバレンタインの贈り物が詰められている。これも毎年恒例となっていて、ラクサスは自分に贈られた物をナツへと回しているのだ。
大食漢であるナツは、ラクサスからのチョコレートを嬉々として受け取る。それが毎年のはずが、今年は違い、ナツは差し出される紙袋を受けとらず黙って見つめている。
「ナツ?」
どうしたのかとラクサスが目で問えば、ナツは歪めた顔を隠すように俯いた。
「い、いらねぇ」
「あん?」
「そんなのいらねぇ!」
ナツが叫ぶ意図が掴めず、ラクサスは訝しむ様に顔をしかめた。真っ先に飛び付いて来るという予想は裏切られてしまった。
機嫌が悪いのだろう。早々に思考を切り上げて、ラクサスは自室へと足を向けようとするが、ナツに服の裾を掴まれて阻止される。
「何だよ」
呆れた目で見下ろせば、目が合ったナツは居心地が悪そうに視線をそらす。隠す様に背後に隠れていた、裾を掴んでいる手とは逆の手が、前に出された。その手には、ハートの柄が入っている小型の手さげ袋。その中身が何なのか聞かなくとも分かる、バレンタインの贈り物だ。
ラクサスは小さく息をつくと、それを手に取った。
「あのさ、ラクサス、それ……」
ナツの言葉が止まる。ラクサスは、受け取った贈り物を、自分が手にしている紙袋に放り込んだのだ。
「義理を感じんのはいいが、もうガキじゃねぇんだ、そろそろ止めとけ」
大体男が男にチョコレートを渡す事も、ラクサスには受け入れがたい事だった。ナツは弟の様に思っていたから受け取っていただけだ。そうでなければ、女みたいな事は避けたい。
ナツは、ただ呆然と、己が渡したチョコレートを見ている。どうでもいいかのように、その他と共にくくられてしまった。
何の反応も返さないナツに、ラクサスは眉を寄せた。
「聞いてんのか?ナツ」
名を呼ばれたナツは、身体を震わせながら、ラクサスを睨みつける。
「義理じゃねぇ!!」
耳を刺激する叫び声は、怒りよりも悲しみで震えていて、ナツの瞳には涙が浮かんでいる。
唖然とするラクサスに、ナツは先ほどラクサスに渡した物を紙袋から取り出し、ラクサスの胸に押しつけた。
顔を赤く染めながら、悔しそうに唇を噛みしめる。
「本命……に、一番近い義理だ!バカ!」
やけくそとばかりに吐き捨てるように言うと、ナツは逃げるように家を出ていった。
それから二人は顔を合わしていない。ナツの方が避けているのだろう。今まで、ナツの方からラクサスの家へと訪れていたから、ナツが足を運ばないかぎり会う事はない。
そして、丸一月が経過し、ホワイトデー。ラクサスは、春休みに入りながらも、特別講義の為に大学に出ていた。
一時限目が終わり、ラクサスは使用していた教室を出た。教員の都合で次の授業が中止となり、時間が空いてしまった。高校までと比べて、大学の授業は倍ほどある。一限空けば、その時間をつぶすのも一苦労だ。それに加えて昼休みもある分長い。
昼にも早い時間だ、どう時間を潰そうかと考えあぐねながら、廊下を突き進む。
ラクサス同様に、春季休暇でありながらも、大学に出てきている学生も多い。そして、稀に視界に入る男女のやり取りに、ラクサスはようやく今日がホワイトデーだと察する事が出来た。それと同時に、ナツとも一月顔を合わせていない事も。
家で預かっていた頃は当り前だったが、家を出ていった後でも、ナツは毎日のように顔を出していたから、こんなにも長い間会わない事などなかった。もしかしたら、二度と会う事はないのではないか。
はまってしまった思考に、妙な焦燥感に襲われる。
いつの間にか歩みも止まっており、不自然に立ちつくすラクサスに、すれ違う学生の視線が集まる。
「ラクサス!」
名を呼ばれ、ラクサスは反射的に振り返った。聞こえた声はナツのものだった。しかし、そこに当人の姿はなく、変わりに立っていたのは幼馴染であるミラジェーン。
ミラジェーンは柔らかく笑みを浮かべると、手にしていた携帯電話をラクサスへと向けた。
『ラクサス!』
ミラジェーンが操作する携帯電話から流れる、先ほどと同じナツの声。無意味に繰り返されるそれは、録音したもので間違いない。
「……てめぇ」
低く呻るラクサスだが、ミラジェーンは笑みを崩しはしない。
「少し話しがしたいの。時間あるでしょ?」
ミラジェーンからは有無を言わさない雰囲気が出ている。面倒だが、断った方が更に面倒になる事は、長い付き合いから分かっている。ラクサスは内心舌打ちをした。
ミラジェーンに連れられて向かったのは大学の近くにある喫茶店。季節によって度々限定商品を出している店だ。
席を確保して待っていれば、二つのカップを乗せたトレーを持ったミラジェーンが近づいて来る。
奢るからと勝手に注文された飲み物が目の前に置かれた。漂ってくる甘い香りにラクサスは眉を寄せる。
「桜ラテよ、飲んでみて」
脳裏に浮かんだ桜色の髪を消す様に、ラクサスはカップを手にとって一口口に含んだ。想像通りの甘いそれに、一月前にナツから贈られたバレンタインの菓子までも思い出してしまった。
一つが引き金になったように、思考は再びナツに染まっていく。
思わず舌打ちするラクサスを、ミラジェーンがじっと見つめる。
「おいしかった?」
「気分が悪くなるほどに甘いな」
嫌味を含めて言ったつもりが、ミラジェーンは首を振るう。
「それじゃなくて、ナツからのバレンタイン」
先ほど考えていたことを口に出してしまったのか。そう思えるほどにタイミングが良い。
顔を歪めるラクサスに、ミラジェーンは表情を崩すことなく続けた。
「あれ、ナツが自分で作ったのよ。もちろん、私やリサーナも手伝ったけど」
ナツからのバレンタインの贈り物。あの日の、ナツの言動に思考がついていけずに、すぐには手を付けられなかった。
数日後に開ければ、中身はチョコレートマフィン。生地にチョコが入っているにもかかわらず焦げが目立っていたが、ナツの手作りというのなら納得できる。
「ナツ、がんばったのよ。泡だて器が折れたり、オーブンが爆発したり大変だったけど」
ラクサスの口元が引きつる。普通に使えば、折れも爆発もしないはずだ。というか、それを食べた自分は平気なのか。
ラクサスの脳内でいくつも言葉がめぐる。それを察したミラジェーンが小さく息をついた。
「あなたに渡したのは、一番上手にできたものに決まってるでしょ」
半ば呆れた様な言い方だが、ラクサスは言い返す言葉を飲み込んで、変わりに溜め息を吐いた。
「あいつが作ったもんなら、何が入ってても喜ぶだろうな」
「誰の話し?」
「あいつの親父やグレイだ。てめぇもそうだろうが」
ナツが手渡せば、ゴミでも喜びそうな面々である。グレイなら、紙切れでも額縁に入れかねない。容易く想像できてしまうのが恐ろしい。
げんなりとするラクサスとは逆に、ミラジェーンは目を見開く。
「そんなわけないじゃない」
心底驚いた様な声が落ちる。
「グレイは別として、私だけじゃなくて、リサーナにもくれなかったのよ?」
ミラジェーンは深くため息をつくと、額に手をあてて俯いてしまった。
不機嫌に顔をゆがめるラクサスに、ミラジェーンは額から手を退けて、ラクサスへと視線を戻す。
「あげるのは一人だけなんですって。ナツは、そう言ってたのよ」
それがどういう意味なのか、一月前にナツの言葉もあれば、考えるまでもない。そして、ミラジェーンは知っているのだ、ナツがどういう思いでその言葉を言ったのか。
一ヶ月間の間考えていなかったわけではない。ナツがどういう思いで、あの言葉を口にしたのか。だが、ラクサスにとっては、血の繋がりがないとは言っても、ナツは弟のようなのもでしかなかった。
――――い、いらねぇ。そんなのいらねぇ!
あの時ナツが怒った理由は簡単。機嫌が悪い事に間違いはなかった。他の女からバレンタインの贈り物を受けとった事に嫉妬したのだ。
そして、ナツが本気で恋愛感情を持っているのだと、ラクサスはようやく意識する事が出来た。向けられる感情が、不快でない事も。
どこか一点を見つめるラクサスに、ミラジェーンはゆっくりと口を開く。
「このままじゃいけないって、あなたも分かってるでしょう」
ナツは勇気を持って一歩を踏み出そうとした。それならば、次に歩み寄らなければならないのはラクサスだ。
真っすぐに見つめてくるミラジェーンに、ラクサスが返事を返す事はない。ミラジェーンは己のしている腕時計に視線を落とした。
「ちょうど終わる頃ね」
ラクサスが視線だけを向ければ、ミラジェーンは笑みを浮かべた。
「今日、中等部はテストなのよ」
ラクサスの座っている真正面に、店内に設置している時計がある。時間を確認すれば、ミラジェーンが言う通り、テストならば終わってもいい頃だ。昼近くにもなり、店内にも客が増え始めた。
ラクサスは、ゆっくりと立ちあがった。
「講義の方は、うまく言っておくわ」
「……悪いな」
去り際に、どうにか聞き取れるほどに小さく呟かれたラクサスの言葉。
録音しておけばよかった。内心呟きながら、ミラジェーンはカップに口を付ける。桜の香りと甘さが口の中に広がり、カップを離した口は自然と弧を描いた。
ナツが通っている妖精学園中等部の正門前、ラクサスは門柱に寄りかかるように背を預けた。下校で校内から出てくる生徒たちの視線が向けられる中、ラクサスの目は桜色だけを探す。
人の流れに目を追って、たいして経たぬうちに求めていた色を目が捕らえた。すぐに声をかけようとしたが、一瞬戸惑う。ナツから覇気が感じられなかった。まるで、おもりでも背負っているかのように、ナツの足取りが重い。
俯いているせいで、ラクサスの存在には気付いていない。ゆっくりとした速度で、ナツはラクサスへと距離を縮めていく。
ラクサスは、ナツが目の前まで来て、ようやく動いた。
「ナツ」
名を呼べば、ナツの足が止まり、ゆっくりと顔が上がる。ラクサスを目で捕らえたナツは、次の瞬間身体の向きを反転させた。
校舎に向かって走りだしそうとするナツの頭を、ラクサスは手加減なしで叩く。
「っいで!何すんだ!!」
噛みついて来るナツは、ラクサスのよく知るナツに戻っていた。ラクサスの口元が自然と緩み、それを目にした途端、ナツは視線を彷徨わせる。
「何で、ラクサスがここにいんだよ」
大学は。そう問おうとしていたナツの言葉は、頭にラクサスの手が乗せられたことで止まってしまった。
「腹減ってんだろ。飯行くぞ」
髪をかき混ぜるように撫でれば、ナツの顔が綻ぶ。
意識などしなかった頃は、ナツの表情など注意して見ていなかった。いつから、こんな顔をするようになったのか。
こそばゆい気持ちになり、ラクサスはナツから手を放すと、歩き始めた。慌てて追いかけてくるナツの気配に、心地良く感じながら。
駅の近くまで足を運び、ナツの希望したハンバーガー店に入る。ラクサスが、注文した品を手に席へと移動すれば、先に戻っていたナツが窓の外を眺めていた。
トレーの上には、ハンバーガーとポテトが手のつけられていない状態で置いてある。通常のナツならばすぐに食べてしまって、ラクサスが戻ってくる頃には無くなっていても不思議ではなかったはずだ。
ナツの向かいの席にラクサスが座ると、ナツは顔の向きを正面に戻した。
「食えよ、冷めるぞ」
ラクサスに促がされ、ようやくナツは食事に手を付けはじめた。
珍しく静かな食事だ。ナツがいる場合、いつも無駄にナツの方が会話を始める。正確には、ナツが勝手に話しているだけだが。それが、今はナツも無言なために、周囲の雑音がより耳につく。
好意を告げてしまった様なものだから、居心地悪く感じるのは仕方がないだろう。ナツから話しを切りだすとは思えない。
ラクサスは、残りの一口を口に放り込むと、ナプキンで手を拭きながら口を開く。
「ナツ」
名を呼ばれて、窺う様に見つめてくるナツに、ラクサスは続ける。
「妙な誤解してるみてぇだから言っとくが、あれは、お前が食うと思ってるから、わざわざ貰ってきてやってんだ」
ナツが、何の話だと首をかしげるのも、仕方がないだろう。いきなり始まった話しに加え、ナツには思考を働かせている余裕などない。
「先月の話しだ、もう忘れたのか?」
先月という単語で、ナツの脳裏に浮かんだのは、例年通り紙袋いっぱいに入ったバレンタインの贈り物。
ナツは、不機嫌に顔をしかめると、ハンバーガーにかぶりついた。
「……はんはの、ひはふぇ」
あんなのいらねぇ。
食べ物に食いついているせいで、ちゃんとした言葉が発せていないが、ナツが何を言っているのか見当はつく。
「こっちも御免だ、あんな面倒くせぇもん」
心底面倒だと呟きながら、コーヒーを一気に飲み干す。
ラクサスが完食しているというのに、ナツの分は未だ半分は残っている。今までラクサスがナツよりも先に食事を終える事などなかったから、それほどに気が滅入っているのだろう。
空になった紙コップを少し乱暴にトレーに置けば、音を立てるそれにナツが小さく反応を示した。それを見つめながら、ラクサスは口を開く。
「食ったら行くぞ」
急かす様な言葉に、ナツは拗ねたように口を尖らせる。
「急いでんなら、先に帰ればいいだろ」
「あァ?何言ってんだ、お前」
首をかしげるナツに、ラクサスは続ける。
「お返し買ってやるっつってんだよ」
今日はホワイトデーであり、毎年バレンタインのお返しが欲しいと、ナツの方がせがんでいるのだ。今年は、ラクサスも用意してなかったために、好きな物を買ってやろうというのだ。
「くれんのか?」
「ガキの頃から、お前がくれたもんだけは食ってるし、ちゃんと返してんだろうが」
「……何でも、いいのか?」
窺うように見つめてくるナツに、無言で肯定を示せば、ナツの顔が徐々に俯いていく。その顔が赤く染まり、弱々しくも熱のこもった目がラクサスを捕える。
「俺、ラクサスがほしい」
それは、ラクサスに誤魔化しきれないほどの動揺を与えた。胸を締め付けられる感覚に言葉を奪われ、ラクサスは一度口をつぐんだ。
心の中で何かが動いたのを感じながら、動揺を隠す様に、窓の外へと視線をそらす。
「人を物扱いか」
溜め息交じりに呟けば、ナツの表情が曇る。
食事を再開するナツをガラス越しで眺めながら、ラクサスは目を細めた。自分は同性愛者ではないし、腐れ縁であるグレイの様にナツを少年性愛の対象として見た事はない。だが、幼い頃から面倒を見てきたナツに慕われるのは悪い気がしない。
――――ここにいろ
ナツを預かっていた頃、海外出張から帰ってきたイグニールと共にナツは己の家に戻っていった。一週間後に再び現れたナツに、ラクサスはそう告げたのだ。
今になれば、先にナツを手放せなくなっていたのは、ラクサスの方だったのかもしれない。認める事を邪魔しているのは、世間体や自尊心。
ナツが食事を終えたのを確認して、ラクサスは立ちあがった。隅に設置されている返却台にトレーを置き、トレーの上の紙くずとなったものをゴミ箱に放り込む。
続く様に視界の端に入ってきた桜色に、ラクサスは口を開く。
「俺は、てめぇを他人にやるつもりはねぇ」
顔を上げずにゴミを片づけていくナツを、横目で見やる。俯いているせいで見えないが、猫のような瞳は涙で潤んでいるだろう。幼い頃から見てきたのだ、ラクサスにとって、それぐらいの想像は容易い。
ラクサスは、付け加えるように続ける。
「お前以外はな」
ナツが反射的に振りむいたのと同時に、出口へと足を向ける。
「ラクサス……」
「あくまでチャンスをやってるだけだ。今日は別のもんで我慢しろ」
店を出ようとしたラクサスの背に衝撃が襲う。それと同時に背中に伝わる体温と、腹に回される手。
「ラクサス、大好きだ」
逃がさないとばかりに、ナツの手に力が込められる。久しぶりの体温に、ラクサスの手は自然とナツの手へと伸びていた。
ナツの想いに応える日も、遠くないかもしれない。
2011,03,31
店でなにやってんの。
偶然通りかかっちゃったルーシィが静かに突っ込むはずだった。しかし、私の良心がそれを許さなかった。故に、綺麗に終わらせた。
ドレアー家のラク兄さんは酷い人だね