化猫の宿
ミストガンとラクサス、二人のバイクが制限速度は無視した速度で走り抜ける。
ラクサスの後ろに乗っていたナツには辛いものがあるだろう。顔を青くしてラクサスの背に凭れかかっていた。
ミストガンがナツへと気遣わしげに視線を向けると、速度を調整してナツの横へとバイクを付ける。
「ナツ、やはりお前は待っていた方がいい」
バイクの騒音にかき消されない様に声を張り上げるミストガンに、ナツは首を小さく振るった。
「俺と同じ、ドラゴンスレイヤーがいるんだろ。会ってみてぇんだ」
保護しにいくのだから、待っていれば嫌でも会える。しかし、同じ境遇の人間がいる事で、大人しくしていられないのだろう。
ナツの声はバイクが切る風の音でかき消されたが、唇の動きで言葉を読み取ったミストガンは頷いた。
「分かった。それなら少し我慢してくれ、速度を上げる」
アクセルを深く捻るミストガンのバイクが速度を上げれば、ナツは、げっと小さく声を漏らした。ラクサスが面倒くさそうに声を落とす。
「落ちるなよ」
ついでに吐くな。
ナツには聞こえていないだろうが、ラクサスはお決まり言葉を呟いて、ミストガンを追う様に速度を上げた。
かつてない程の長時間乗り物に乗っていた。乗り物が苦手なナツにとっては地獄といってもいいその時間は、運転していたラクサス達よりも何倍も長く感じられただろう。
妖精の尻尾がある町とは違い、高い建物が少ない。山など自然の多い場所。木々に囲まれた森の中へとバイクを止めた。
バイクから崩れる様に降りたナツは、自然の空気を吸いこんだ。
「……うぐ」
口元を押さえて蹲るナツに、ラクサスは呆れたように見下ろしている。ミストガンは周囲を確認すると空を見上げた。知らせる様に、煙が天に上っていくのが目に入る。
「ナツ、動けるか?」
やっとナツの状況に気付いたミストガンは眉を寄せた。乗り物酔いもここまで来ると病気だ。ミストガンも心配を通り越して若干引いている。
ナツは数回深呼吸を繰り返すと、立ちあがった。
「よし、行こうぜ」
まだ顔色が良くない。しかし立ち止まっている時間もないのだ。ミストガンは頷くと、煙が上る方へと足を進める。
「なぁ、ミストガン。これから行くとこって」
「化猫の宿。この温泉街有数の旅館で、そこに天竜のドラゴンスレイヤーが保護されている。名は、ウェンディだ」
ミストガンから紡がれた名に、ナツは歩みを止めた。真っすぐと前を見据えたままで、繰り返す様にその名を紡ぐ。
「ウェンディ」
ナツの反応に訝しむミストガンだったが、声をかける前に、先を進んでいたラクサスが振り返った。茂みの向こうに目的である建物が見えていたのだ。
「話しは後だ。油断してると連れてかれるぞ」
「そ、そうだな。気を付けろよ。ミストガン、ラクサス」
真剣な表情で告げるナツに、ミストガンとラクサスは同時にナツを見やった。
「てめぇの事だ、バカ」
「自覚してくれ。狙われているのはドラゴンスレイヤーだ」
二人の咎める目に、ナツは大人しく頷いたのだった。
木の陰に身を隠して現状を目で探る。旅館は妙な静けさを纏っており、人の気配が感じられない。
「撤退したとは思えねぇが」
「ああ。途中までは監視カメラも起動していた。複数設置したうちの最後の一つが壊されたのは、私たちがここへとたどり着く間際。その時点では、ウェンディの姿も確認できている」
撤退するには早すぎるだろう。相手が普通だった場合の話だが。
互いに目配せをして、ミストガンがナツへと振り返った時だ。今まで居たはずのナツの姿がない。
「ナツ?どこに」
「ウェンディ!どこに居るんだー!」
旅館の入口を見張っていたラクサスが頭を抱えた。ミストガンは先ほどまで居た場所からナツの姿が消えていて、周囲を見渡している。
「おーい、ウェンディー!!」
ラクサスとミストガン、二人の視線が旅館の裏の方へと向いた。姿は見えないが、ナツの声がする。
ラクサスは怒りに身体を震わせて立ちあがった。
「これが終わったら、あのバカはどこかに監禁するんだな」
ミストガンも疲れたように溜め息をついて、ナツがいるだろう裏の方へと急いだ。
旅館の裏手では、ナツが周囲を見渡しながら声を張り上げている。それを止めるように影がかかった。
「うるさいわよ」
頭上から高い声が降ってきた。顔をあげたナツに、それは圧し掛かってくる。
「女性の真下から見上げるなんて失礼なオスね!」
「ぐぎゃっ!」
ナツは重みに耐えきれずに地に倒れた。下敷きにされながらも、ナツはもがきながら腹に圧し掛かっている影を見やる。
ナツの目には、風になびく、空の色よりも濃い青色が映っていた。同色の瞳が不安そうに揺れている。それを守るように寄り添っていたのは、雲の様な白。青髪の少女と白猫だった。
ナツは呆然と少女を見つめながら、無意識に口を動かす。
「ウェンディ」
少女とナツの視線が交う。少女の瞳に涙が浮かび、幼い手がナツへと伸びた。縋る様なそれがナツへと触れる前に、ラクサスとミストガンが駆け付けた。
「ナツ!」
ウェンディを呼ぶナツの声が途切れたことで、何かあったのではないかと危惧したのだ。しかし、二人の目に映ったのは、少女と猫に押しつぶされるナツの姿。
訝しむラクサスとは逆に、ミストガンはナツへと近づき少女へと視線を向けた。
「君がウェンディだな。私達は君を保護しに来た」
ウェンディに差し伸ばしたミストガンの手は、白い猫の手に叩き落とされてしまう。
「ウェンディに触らないで!」
警戒心をむき出しにする猫を止めるようにウェンディが抱き上げた。
「大丈夫だよ、シャルル。この人たちは大丈夫……そんな気がするの」
ウェンディがナツを見つめれば、シャルルは諦めたように溜め息をついた。それに続く様にラクサスの口からも溜め息がもれる。
「いつまでそうしてるつもりだ?」
ウェンディは未だにナツの上に乗っかったままなのだ。ウェンディは慌ててナツの上から退いた。
「あの、ごめんなさい!私」
「お前さ」
ウェンディの言葉を止めたナツの声。ナツはじっと見つめて、続けた。
「どっかで会った事ねぇか?」
息がかかりそうなほど至近距離で顔を近づけるナツにウェンディは身を引いた。怯えるように目をそらすウェンディに構うことなくナツはじっと見つめる。
「ちょっと、いい加減に……」
シャルルが間に入る前にナツは距離を置いた。正確には、ラクサスがナツの襟を引っ張って引き離したのだ。
首がしまって苦しそうに声がもれる。振り向いたナツの目には、呆れたラクサスの目が見下ろしていた。
「遊んでんじゃねぇ。まだ終わってねぇだろ」
ミストガンが弾かれた様に立ちあがった。静まり返る旅館へと向けた目を細める。探る様なその目に、ナツは首を傾げた。
「どうしたんだ?ミストガン」
問うてくるナツに、ミストガンはナツのへと視線を移した。口を開く前に、ウェンディが旅館に向けて足を一歩踏み出す。
「おじいちゃん……」
呼び止めるより先にウェンディは駆け出してしまった。それに慌ててシャルルが付いて行く。二人が旅館の中へと入っていくのを見送ったナツ達も、二人を追う様に旅館の中へと入った。
外からでは分からなかったが、中へと入れば所々損壊しているのが分かる。明らかに争った形跡や血痕さえあるのに、人の気配が全く感じられない。
思わず顔を歪めるナツに、ラクサスは走る速度を緩めて、ナツに並ぶ。
「敵が居ても手ぇ出すなよ」
「何だよ、それ」
邪魔扱いされているような物言いだ。不快そうに睨みつけるナツに、ラクサスは口を開く。
「てめぇは、まだ戦えねぇだろうが。俺かミストガン……どっちでもいい、離れるな」
ナツは言い返す言葉もなく口を閉ざした。
ラクサスの言葉は、ナツに数時間ほど前に襲われた事を思い出させた。友人であるルーシィも巻き込んでしまった。戦える力さえなければ、己どころか周囲まで危険にさらす事になるのだ。
「おじいちゃん!」
開けた場所に出たところで、ナツ達は足を止めた。宴会にも使われるような大広間だ。その場には、マカロフほどに年老いた男性と、その老人に抱きつくウェンディ。
「おお。無事じゃったか、ウェンディ」
老人は、ウェンディを抱きとめると、優しく頭を撫でる。
ウェンディと、側についているシャルルの様子から、老人が敵ではない事は察する事が出来る。
「誰だ?」
「化猫の宿の長、ローバウル・ニルビットだ」
ナツの問いに、ミストガンは周囲を探るように見渡しながら告げる。ミストガンの説明に、へぇと声をもらしながら、老人ローバウルへと視線を向ければ、ナツとローバウルの視線が合う。
「やはり、勇士は現れておったか」
ローバウルの言葉に首をかしげるナツ。
ローバウルは、抱きついたままのウェンディの身体を離した。
「ワシがニルビット族の末裔だというのは話したな」
少し間をおいてウェンディが頷くと、ローバウルはナツ達へと視線を向ける。
「皆さんも聞いて下され。……そもそも七竜家を生みだしたのが、ニルビット族でした」
七竜家という言葉に反応したのはナツとラクサス、ミストガン。ウェンディは話されていないのだろう、きょとんとしている。
「マカロフ殿から話しは聞いておりますか?七竜家に受け継がれし記憶を」
「竜の呪いってやつか?」
ナツの言葉に頷いて、ローバウルは続ける。
「七頭の竜を倒すために知恵を貸した賢人、それがニルビット族の長。そして、これは七竜家にも語る事はなかったが……竜の呪いは、勇士だけではなく知恵を貸したニルビット族にまで及んでいた」
竜の首を持って帰還した勇士たちに異変が起きたのはすぐだった。人とは異なった身体を持った勇士たちに、賢人は恐れを抱き、竜を討伐した事を称えているように装いながら、勇士たちを七竜家と一つにくくり、人類の害にならない様にと見張る事にした。
しかし、それから間もなく更なる異変が起きる。ニルビット族の者たちが、次々に発狂していったのだ。
竜の呪いが勇士だけにはとどまらず、知恵を貸したニルビット族の長と、その者たちの精神を侵した。
「その内、纏わりつく竜の気に眠る事を許されず、ニルビット族たちは正気を失っていった」
互いに殺し合い、最後まで正気を保っていたのは、長のみ。地獄のような惨状に取り残された長は、ニルビット族に纏わりつく竜の気が外へと流れてしまう事を危惧し、勇士たちの力を借りることにした。
代償は己の身体。身体を器にして己の中へ竜の気を抑え込み、忌まわしき呪いは破壊する新たな勇士が現れるまで、見守る事。竜の気のおかげで長にそれ以上の老いはこなかった。
そして、長は、ただ一人のニルビット族の生き残りとして現代に生き続けている。
「おじいちゃん、ニルビット族の生き残りは、おじいちゃんだけだって……」
ウェンディの声が震えている。
ローバウルは、見上げてくる瞳をまっすぐに見返した。
「ワシが、七竜家の元凶であるニルビットの長じゃ」
七竜家には受け継がれなかった記憶を、ナツ達は言葉を発することなく、その語りに聞き入っていた。
語るローバウルの瞳は、罪悪感を強く抱えているように見える。気の遠くなるほどの時を過ごす中、己を責め続けてきたのだろう。
「希望を生んだのが悪の企みとは、皮肉な事じゃが」
ローバウルは己の手を見つめる。
元より、竜の気を閉じ込めるために器となっていても、人としての生命力はあったはずだ。しかし、今のローバウルにはそれがない。
感じた違和感に、ミストガンが眉を寄せる。
「竜の邪気を抜かれているな。……やはり、奴もここに来ていたのか」
「ウェンディが奴らの手に落ちなかったのが、せめてもの救い」
ローバウルはミストガンに視線を向けると、深く頷いた。
「待ち望んでいた勇士も、すでに現れておる」
勇士という言葉に、ミストガンの視線は自然とナツへと向いていた。ナツもローバウルの違和感に気付いているのだろう、表情は辛そうに歪んでいる。
「彼らとの誓いも、ようやく果たす事が出来た」
ローバウルの手が土の様に渇き、指が崩れる。
短い悲鳴を上げて、顔を覆うウェンディに、ローバウルは笑みを浮かべた。
「ウェンディ、お前の事は本当の孫の様に思っておったよ」
「おじいちゃ……?」
ローバウルはウェンディを抱きしめ、シャルルへと視線を落とした。
「ウェンディの事を頼んだぞ、シャルル」
ローバウルは、ナツへと視線を向けると、眩しそうに目を細めた。
「光は、必ず闇を照らし……」
ローバウルの言葉は最後まで発せられる事はなく、風化するかのように、渇いた身体は崩れ去った。終わりを告げたように砂となり、それは入りこんできた風に流されていく。
「いや!いかないで、おじいちゃん!」
砂となったローバウルを必死でかき集めようとするウェンディ。しかし、その手から逃れる様に全ては風に持っていかれてしまった。
泣きじゃくるウェンディの背を見つめながら、ミストガンはゆっくりと口を開く。
「長く続いた悪夢のような時を、私達が終わらせなければならない。ナツ、その為に覚悟が必要なんだ」
ウェンディに歩み寄っていくミストガン。その後ろ姿を見つめるナツの手は震えていた。
ミストガンの言う覚悟の意味を分かっているから。
2011,03,10