養護施設・妖精の尻尾





『父ちゃん!』

桜色の髪を風に揺らせながら、少年が年若い男へと駆けよる。
男が少年を出迎えるように膝を折り腕を広げると、少年は満面の笑みで男の腕の中へと飛びこんだ。

『父ちゃん……どうしたんだ?』

少年は、男の顔を見上げて首をかしげた。
男は悲しそうに顔を歪めていたのだ。男は少年にそんな表情を見せた事などなかったから、少年を不安にさせた。
男の手にはしわの寄った紙が握りしめられている。もしかしたらそれが男に悲しい思いをさせているのではないかと、少年は考えていた。

『なぁ、父ちゃ……』

『愛してるよ』

男は少年をきつく抱きしめて囁いた。声が震えている。
泣いているように聞こえて、少年は慌てた。

『ど、どうしたんだ?ハラ痛いのか?』

少年を抱きしめる腕はさらに強められて、痛いぐらいだった。
少年が苦しそうにもがくと、男は少年を解放して立ち上がる。

『父ちゃん、今から出かけなきゃいけないんだ』

『……おれも行っていい?』

男は首をふるった。
男の様子がおかしい。少年が困惑していると、男は己の首に巻きつけていたマフラーを外して、少年の首にかけた。

『これを、ずっと身につけているんだ』

『ずっと?』

『約束できるか?』

男の手がマフラーを巻いていく。
子供用ではないそれは長く、少年の口元を隠してしまった。少年は男の言葉に何度もうなずく。

『……すぐに戻ってくる』

『約束だぞ』

少年が小指を差し出すと、男は少しだけ戸惑って己の小指を絡めた。
無邪気な笑みを浮かべる少年に、男は小指を離し少年の額に唇を落とした。
愛おしむように、額に両頬に。くすぐったそうに身をよじる少年に、男は決意したように背を向けた。

『お前は俺の大事な息子だ。心から愛している。……ナツ』

男は炎のように赤い髪を靡かせて扉の向こうへと消えてしまった。
その後、何日待ち続けても、男が帰ってくる事はなかった…――――







「いい加減起きねぇか、ナツ!」

耳を刺激するような大声に、ナツはうっすらと目を開いた。日の光が目を刺激して、くらます。

「……うるせぇんだよ、グレイ」

「てめ、いい度胸だな。今何時か分かって言ってんのか?」

ナツを起こしに来ていた黒髪の少年グレイは、口元を引きつらせて目覚まし時計をナツの顔面へと押し付ける。ナツは顔を顰めて時計へと視線を向けた。

「あー!!!」

ナツは絶叫して目覚まし時計を奪いとると、再度時間を確認して飛び起きた。間近で叫び声を聞いたグレイは、ナツの頭を殴りつけた。

「うるっせんだよ、バカ!」

「起こすならもっと早く起こせ、バカ!」

ナツが殴り返すと、そこからは毎日のやり取りとして、殴り合いになる。これは、彼らにとって挨拶のようなもので本気ではない。しかし、朝の忙しい時間帯に喧嘩などしている余裕などあるわけもないのだ。

「グレイ、ナツ。またやってるの?」

「あ、ミラちゃん」

部屋に顔をのぞかせたのは、白い髪の女性ミラジェーンだった。リボンで前髪を上げて、エプロンを身につけている。
ナツはミラジェーンに気を取られているグレイを殴り倒して、パジャマのシャツを脱いだ。

「バカグレイに付き合ってる暇ねぇんだった。遅刻しちまう!」

「ば、急に脱ぐんじゃねぇよ!」

グレイは慌ててナツから視線をそらした。その反応に、ナツは顔を顰める。

「何言ってんだ、お前。脱がなきゃ着替えらんねぇだろ」

至極もっともなナツの言い分にも、グレイは気まずそうに顔をそらしたままだ。その様子に、見守っていたミラジェーンはくすりと笑みをこぼした。

「み、ミラちゃん!」

ミラジェーンは笑みを浮かべたまま、グレイは部屋から引っ張り出した。

「ふふ。ほら、グレイも部屋を出て。ナツが着替えにくいでしょ」

「いあ、俺は別に……て、んな暇ねぇ!!」

「先に食堂に行ってるからね」

ナツは豪快に服を脱ぎ捨て、用意してあった制服に着替えると、鞄を手に部屋を飛び出た。
廊下を走り、すれ違う顔なじみに挨拶をしていく。帰って来る返事を浴びながら足を進めた。

「あれ。ナツ、寝坊?」

玄関前で靴を履いていた青い髪の少女。制服を身につけ、今まさに登校しようとしているところだ。声を掛けられて、ナツは足を止めた。

「お、レビィ!そうなんだよ、グレイが起こしてくんなくてよぉ!」

「どうせ、ナツが起きなかったんでしょ。早くしないと遅刻だよー」

口をとがらせるナツに、レビィは手を振ると出て行ってしまった。
ナツは玄関から近くの扉へと突っ込んだ。広い部屋に長い机がいくつも並んでいる、食堂だ。ほとんど人はいない。

「ミラ、飯くれ!」

「はいはい。用意できてるわよ」

ミラジェーンが手を指し示す席へとついて、ナツは食事を始めた。
噛んでいるのか疑わしい。飲みこんでいるという表現の方が正しいだろう。口の中へと流し込んでいたナツは、視界に入った金髪に、顔を向けた。

「お前も寝坊か、ラクサス!」

嬉しそうに頬を緩ませるナツに、食事中だった青年ラクサスは呆れたように眉をひそめた。

「一緒にすんじゃねぇ。講義は昼からなんだよ」

大学に通うラクサスは、講義の時間が曜日によってまちまちだ。食事を全てたいらげたナツは、ラクサスへと駆け寄った。

「ちょうどいいや。学校まで送ってくれよ」

「あ?ふざけんじゃねぇ。何で俺が」

「いいじゃねぇか!バイクならすぐだろ!」

ラクサスは自分のバイクを持っている。大学までの移動が楽だという理由なだけど、決して他人の為ではない。
ナツがせがんでもラクサスは動こうとはしない、無駄に時間が経つばかりだ。ミラジェーンは呆れたように声をかけた。

「ナツ、本当に遅刻するわよ。グレイは先に出たからね」

ナツは時間を確認して顔を歪めた。

「もう間にあわねぇ!ラクサスのバカ野郎!」

ナツは慌ただしく食堂を出て行ってしまった。
残されたラクサスはナツの暴言に口元を引きつらせながらも、早々に食事を済ませて立ち上がった。食器の片付けをしていたミラジェーンは、足早に食堂を出て行こうとするラクサスに思わず笑みをこぼす。

「行くの?」

ラクサスは足を止めて振り返った。嫌そうに顔を歪めている。

「コンビニだ」

不機嫌そうに出ていくラクサスに、ミラジェーンは苦笑して、片づけを再開した。
ナツ達が寝食を共にしている、建物。ここは養護施設、妖精の尻尾(フェアリーテイル)。二十歳までの身寄りのない者たちが共に生活をしているのだ。ラクサスだけは孤児ではなく、施設の園長マカロフの孫だが。
ナツ達が通っている学校、妖精学園も、マカロフが運営している一つである。それにより施設の子供たちは皆、妖精学園に通っているのだ。
食堂をからすぐの玄関で靴へと履き替えて、玄関を飛び出す。門を出てすぐに、ナツは足を止めて振り返った。ナツを追うようにバイクが排気音を立てて門を出てきたのだ。

「ラクサス!」

バイクを走らせてきたラクサスが手前で止まると、ナツは期待に笑みを浮かべた。送ってもらうのは、今回が初めてはない。

「乗せてってくれんのか?」

「コンビニ行くついでだ」

徒歩でもそうかからない場所にあるコンビニに、わざわざバイクを利用する者がいるだろうか。逆に面倒だろうが、ナツが深く考える事はない。

「サンキュー」

笑顔で礼を口にするナツに、ラクサスは舌打ちをしてヘルメットを投げた。
赤を基準とし炎がデザインされている、ゴーグル付きのそれはナツ専用だ。最初はヘルメットを着用しなかったのだが、乗せる回数が増えた為に用意されたのだ。しかし、誰が用意したかナツは知らない。いまだに謎である。

「お。ミストガン!よぉ!」

慣れた手つきでヘルメットを装着していたナツは、見知った姿に手を上げた。
呼ばれた青年ミストガンは振り返った。ナツを確認して挨拶を返そうとしていたが、ラクサスに気付くと、被っていた帽子を深く被りなおしてしまう。
ラクサスは、逃げるように寮内に入っていくミストガンに鼻で笑った。

「相変わらずシャイだな」

「変だな、いつもはちゃんと挨拶してくんのに」

ミストガンを追おうとするナツの襟を、ラクサスが掴む。止められたナツは、喉がしまって短くうめき声を上げた。

「な、何すんだ!」

「さっさと乗れ。送ってやんねぇぞ」

「乗る乗る!よし、出発ー!」

ナツはバイクの後ろに飛び乗ってラクサスの腹に手を回した。それを確認して、ラクサスはアクセルを回した。走りはじめるバイク。
肌で感じる風とは別に、背中に体温を感じる。ナツの身体が寄りかかって、発進前よりも重心がかかっているのだ。毎度のことながら、ラクサスは溜息をついた。

「絶対に吐くなよ、ここで」

バイクで送ってくれという割には、ナツは例外なく乗り物に弱いのだ。乗って動き出せばすぐに酔う。
ラクサスの言葉に、ナツは腹に回す腕に力を込めた。

「お、おお、平気だ……慣れて、る……うぷ」

酔う事に慣れるよりも、乗り物に堪え性つけろ。
ラクサスは内心突っ込んで、速度を上げた。規定速度を超えているが、違反よりも、バイク上で嘔吐される方が堪ったものではない。
寮から学園までの距離はさしてあるわけでもないのだ。しかし、遅刻する者というのは、学校の前に住んでいようが遅刻するものだ。ナツもこれに当てはまるだろう。
数分足らずで学園に到着した。ラクサスは遠慮なく門の中まで走らせると、玄関前で止まった。すでに歩いている生徒は一人もいない。
背後を振り返れば、ナツが力なくぐったりとしていた。

「降りろよ」

「ま、待って……」

意識がある分はマシだろうか、ナツはよろめきながらもバイクから降りた。地に足がつけば気分的にも楽になるのだろう。ナツは青い顔でラクサスを見上げた。

「あ、ありがと、な」

「いいから行け」

見ている方が具合悪くなりそうだ。
ヘルメットを受け取り、ナツが中に入っていくのを見届ける。だが、ナツが校舎内に入って間もなく、予鈴が鳴ってしまった。残念だが、あの状態では間にあわないかもしれない。送った意味がない。
バイクで乗りこんだおかげで、校舎内の窓から眺めてくる生徒たちまでいる始末。見せ物ではないのだ。ラクサスは、寮へ戻るべくバイクを走らせた。
門を出て、一瞬視界に影が過る。隠れるように、すぐに姿を消してしまったそれに、ラクサスは舌打ちした。

「来たか」

予期していたかのようなラクサスの声は、誰に聞かれる事もなく、ヘルメット内により響いたのだった。
本鈴が学校周囲にまで響き渡る中、ナツはようやく教室にたどり着いていたのだが、ラクサスにバイクで送ってもらった事を揶揄する声を浴びて、更に疲労感を漂わせていた。

「おはよー。ナツ」

倒れるように席に着くナツ。その隣からクラスメイトであるルーシィが声をかけてきた。
ルーシィも、ラクサスに送ってもらった事を知っているのだ、緩む口元を手で隠しながらナツに顔を寄せる。

「仲良いのね、あんたたち」

ナツは言い返そうとした言葉を飲みこむと、上体を起きあがらせた。顔色はほとんど良くなっている。

「悪くは、ねぇだろ。家族なんだから」

ルーシィは瞬きを繰り返して、表情を緩めた。先ほどまでの揶揄するものとは違い柔らかく、眩しそうにナツを見つめた。

「そっか。家族なんだ……」

「変なやつだな。同じ家に住んでんだから、当たり前だろ」

「てめー!ナツ!!」

空気をぶち壊すように怒声が響く。聴力が良いナツは、耳に響く声に顔をしかめた。
視線を向ければ、声の主が教室の入り口に立っている。怒りで身体を震わせているグレイだった。ナツよりも先に学校へと向かったはずなのだが、今着いたようだ。

「ラクサスのバイクに乗るなってあれほど言っただろ!」

グレイはずかずかとナツの前まで来ると、胸倉を掴み上げた。

「連れ去られたらどうすんだ!」

ラクサスに送ってもらった後は毎回起こる事なので、ナツは言い返す気も失せている。

「うぜぇ」

一言返すだけで精一杯だ。
大体グレイの言っている事はナツには全て理解不能な事ばかりだった。嫉妬から来るものなのだが、グレイに対して欠片も特別な感情を抱いていないナツには、伝わるわけがなかった。
嫌そうに顔をゆがめるナツに、グレイの気持ちを知っているルーシィは、思わず溜め息をもらした。

「いい加減にしなさいよ、グレイ。大体連れ去るって、同じ所に住んでるのに、どこに連れてくのよ」

仲裁に入るルーシィに、グレイは口ごもりながら続ける。

「そりゃお前、人気のないと事かホテルとか」

「お願い。黙って」

ルーシィの冷たい目に、グレイは押し黙った。出会って当初はなかった凄みが、ルーシィには表れていた。人の成長を垣間見ているようだ。
大人しく席につくグレイ。タイミング良く教室のドアが開いた。

「またやってんのか?グレイは」

出席簿を手にして入ってきたのは、担任のマカオだ。
妖精の尻尾の出身者であるマカオは、寮を出て教員免許を取り、養護施設と直結である妖精学園へと着任したのである。
その為、ナツやグレイとも顔なじみなのも当然だ。グレイのナツへの異常な執着も知っている。

「マカオ、こいつどうにかしてくれ」

「無理だな。つか、先生だってんだろ。ナツ」

口を尖らせるナツを無視して、マカオは出席簿を開いたのだった。




2010,05,13
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