Happiness
「赤ちゃんの名前は、やっぱりコナツかしら」
ミラジェーンの言葉にハッピーは、何故だと首をかしげた。
「だって、ナツコだと女の子みたいでしょ。だから、コナツ」
コを付けるのは決定的なようだ。おそらく幼い頃のナツに似ているから子ナツという意味なのだろうが、何という安直さだ。
そうしてミラジェーンが名付け親となり三日。
「父ちゃん!母ちゃーん!」
すっかり成長したコナツがギルドに飛び込んできた。数日前だったコナツの成長は人とは違って異常に早く、ナツがギルドへと加入した頃と同じ年頃になっていた。
コナツは、依頼版を眺めているラクサスとナツを見つけると、背後から飛びついた。ナツとラクサスは衝撃で体をよろけさせながら振り返る。
「お、コナツ。どこ行ってたんだ?」
「見ろよ、ほら!」
コナツは手に持っていた物を差し出す。クローバーだ、葉の数が四枚あるそれが、二輪。覗きこんだラクサスが口を開いた。
「四つ葉か」
「ヨツバ?」
ラクサスの声にナツが目を瞬くと、ラクサスは呆れたように溜息をついた。
「見つけると幸せになれるんだとよ。女が好きそうな占いやまじないの類だ」
「あんま見つかんねーんだぞ!」
胸を張って言うコナツに、ナツは、へぇと声をもらした。すげーな、とコナツの頭を撫でてやる。コナツは照れたように頬を紅色させて、落ち着かない様子でナツとラクサスを見上げた。
「あ、あのな……これ、母ちゃんたちにやる」
「見つけたのはコナツだろ?」
首をかしげるナツに、コナツはクローバーを持つ手を精一杯ナツ達へと向けた。
「オレ、父ちゃんと母ちゃんに幸せになってもらいてーんだ」
本当の人の子ではないとはいえ自分たちを親と慕う。そんな見た目幼い子供が、純粋な目で見上げてくる。
クローバーを握る小さな手は、土で汚れていた。きっと必死で探したのだろう。こんな姿を見せられて胸を打たれないわけがない。ナツがそっと手を伸ばした。
「ありがとな。コナツ」
コナツから二輪の内の一輪を受けとる。ラクサスがコナツの小さな手に居座ったままのクローバーを見つめていると、二対の猫目が期待するように見つめてくる。
それに急かされるようにクローバーを受けとると、ラクサスは空いている方の手でコナツの頭をぐしゃりと撫でた。
「へへ!くすぐってーよ、父ちゃん」
幼い瞳が嬉しそうに細められた。その姿に、ナツも嬉しそうに笑みを浮かべていたが、手にしたクローバーに視線を映す。
なぁ、と呼びかけるナツの声に、ラクサスとコナツはいっせいに視線を向けた。
「これ、どうやって食うんだ?」
真剣なナツの表情に、コナツは驚いたように目を見開き、ラクサスは呆れたように目を閉じた。
「食えんのか!?」
「……食うな」
この二人なら本気で食べてしまいそうだと、ラクサスは制止の声を落とした。親子のようなやり取りを繰り広げている三人に、ミラジェーンが近づいた。
「今日も仲が良いのね」
「あ、ミラだ!よぉ」
「おはよう、コナツ。……あら、四つ葉のクローバーね。久しぶりに見たわ」
ナツとラクサスの手に握られているクローバーに目を止めたミラジェーンが、小さく笑みを浮かべた。
「おお、コナツがくれたんだ。な?」
「うん!がんばって見つけたんだ!」
コナツの頭に手を置くナツに、コナツは両手を握りしめて胸を張る。微笑ましい二人の姿に和みながらも、ミラジェーンはクローバーへと視線を映した。まだ摘まれたばかりで青々しくとも、時間が経てば枯れてしまうだろう。
「そのままじゃ枯れちゃうから、押し花にでもしたら?」
押し花。親子のようなやり取りをしていても、三人は男だ。ラクサスの場合思い浮かべる事は出来るが、作り方など分かるわけがない。ナツとコナツの場合は問題外だ。押し花と言われて、力いっぱい押しつぶす事しか想像できていなかった。
「よかったら、私に預けてくれない?栞にしてあげるから」
「出来んのか!?」
「何度か作った事あるから大丈夫よ」
ナツが表情を輝かせる中、コナツは少々不満そうだった。唇を尖らせてミラジェーンを見上げている。その姿にミラジェーンが首をかしげた。
「大丈夫、借りるだけよ。後でちゃんと返すから」
目線を合わせるようにしゃがみ込んだミラジェーン。諭すように告げるが、コナツは表情を暗くさせたままだ。何が不満なのか。ナツとラクサスの視線もコナツへと集中する。そんな中、コナツは隣に立っていたナツの服を掴んだ。
「コナツ?」
「それは、オレが父ちゃんと母ちゃんにあげたんだ」
それはナツとラクサスだけではない、やり取りを見ていた者全員が分かっている事で、ミラジェーンもその一人だ。
「ミラに貸したら、母ちゃん達幸せになれなくなるだろ」
見つけたら幸せになれるという説を信じて探した二輪のクローバー。それを渡せば、幸せになってもらえる。そう信じてナツとラクサスにプレゼントした。
クローバーを差し出してきた時の純粋な瞳。それを思い出して、ナツは言葉を詰まらせた。ミラジェーンが口を開く前に、横から手が伸びてきた。ラクサスだ。大きな手がコナツの頭に乗せられる。
「父ちゃん」
見上げてくるコナツの前髪を、かきあげるように撫でれば、狭い額があらわになった。
「これは俺たちの為に、お前が手汚してまで探してきたんだろ。それが、少しの間他の奴に貸しただけで、お前の気持ちまで消えんのか?」
そんな小さな思いだったのか。そう問われているようで、コナツは必死に首を振るった。壊れた玩具の様な動作にラクサスが小さく笑みをこぼす。その表情に、同様に笑みを浮かべたナツは、頬を紅色させた。
「そうだな!」
ナツの明るい声に、コナツが視線を映せば、太陽のように明るい笑顔が見下ろしてきていた。ナツは光にかざすようにクローバーを天へと向ける。
「これにはコナツの気持ちが詰まってんだもんな。ちょっと貸した位じゃなんともねーよ」
コナツは、ナツとラクサスを交互に見上げ、顔を俯かせた。
「……ミラ」
もじもじと落ち着かない様子のコナツ。何を言いたいのか察しを付くが、ミラジェーンはコナツが言葉を紡ぐのを待っている。
コナツは、ちらりと上目遣いで見上げ、恥ずかしそうに口を開いた。
「おしばな、やってくれるか?」
「ええ。任せて」
笑顔で答えるミラジェーンに、コナツは弾けたように笑みを浮かべた。クローバーを受けとったミラジェーンは、しばらく時間がかかると告げると、酒場に戻っていった。
翌日、妖精の尻尾のあるマグノリアでは、至る所で女性たちが騒いでいた。遊びたいというコナツにせがまれて、公園に向かっていたラクサスとナツ。コナツは二人の間で両手をつながれ満足そうなのだが、ラクサスとナツだけは違った。
「何か見られてねぇか?」
ギルドを出てから、視線を感じるのだ。異様なそれに落ち着かない気分になる。
ナツの問いかけに、気のせいだろと短く返したラクサスだったが、ラクサス自身ナツと同じように視線を感じていたのだ。
ふと顔を向けたラクサスが複数いるうちの一人の女性と目が合うと、女性は顔を赤らめて周囲と黄色い声で騒ぎ始めた。
「……お前、何かしたのか?」
ナツの訝しむ顔にラクサスは答える事はなかった。自分からわざわざ人と接する事はほとんどないのだ、何かする事もない。そうでなくても、コナツが来てからの数日は、ナツとコナツ、二人といる時間が長いのだから。
「あ、おばちゃん!」
コナツが、ナツとラクサスの手を引いて、近くに店へと近づく。マグノリアでも人気のパン屋、パンパン・ベーカリー。この店は年配夫婦が経営していて、ラクサスやナツも顔見知りだ。
コナツが近づいて行くと、カウンターにいた年配の女性が顔を綻ばせた。少しふくよかなのが優しげな印象を与える。
「コナツちゃん。今日はお父さん達と一緒なんだね」
元気に返事をするコナツに、ラクサスは表情を変える事はなかった。最初は嫌そうに顔をゆがめる事もあったのだが、慣れたというよりも諦めているのかもしれない。
「クローバーは見つけられたかい?」
「うん。母ちゃんと父ちゃんにあげたんだ!」
そうかい。コナツの笑顔を眩しそうに見つめる女性に、ナツは目を瞬いた。
「何で知ってんだ?」
「あのな、おばちゃんがクローバー教えてくれたんだ」
知識を与えた人物がいるとは思っていたが、まさかパン屋と接点があるとは思わないだろう。コナツは思った以上に街に馴染んだようだ。
ナツは、昨日のクローバーを思い出して口元を緩めると、カウンター越しの女性へと視線を移した。
「コナツに貰ったクローバー、今ミラに押し花にしてもらってんだ」
ギルドで喧嘩ばかりしている同一人物とは思えない笑顔に、女性は目を見はった。
幼い無邪気な笑顔、その中に微かに見えた。それは、母親を経験しているからこそ感じ取れたのだろう。ナツの笑顔に見入る女性に、コナツが首をかしげた。
「どうしたんだ?おばちゃん」
コナツの声に我に返った女性は、商品のパンが並んでいるケースから一つのパンを取り出すと、袋に入れた。カウンターを乗り出して、それをコナツへと差し出す。
「これ試作品なんだよ。食べてくれるかい?」
「あ、クローバーだ!」
小さな丸いパンが四つくっ付いている様な形。コナツが嬉しそうに声を上げた通り、クローバーにも見える。
「お、ホントだ!コナツがくれたのと似てんな」
「コナツちゃんに食べてもらいたくてね。感想を聞かせておくれ」
頬を紅色させてパンを見つめていたコナツは、女性を見上げた。
「うまいに決まってんだろ!だって、クローバー見つけると幸せになれるんだぞ!」
コナツはにこりと満面の笑みを浮かべた。
「これ食べたら、幸せになれるな!」
「……そうだね。ありがとう」
真っすぐだからこそ、想いも直接触れたように伝わる。コナツの笑顔は、心にじんわりと沁み込んでいく。女性の、笑みで刻まれた目じりのしわが、そう告げているようだ。
「おい、もう行くぞ」
コナツと女性の様子を見守っていたナツは、ラクサスの声に振り返った。その隣には、店に用があるのだろう、客が困ったようにパンの並ぶケースを覗き込んでいた。
会話していて気付かないが、店先で談笑していれば邪魔になる。
「コナツ、公園行くんだろ」
コナツは返事をすると、差しだされるナツの手に己の手を乗せた。
「じゃぁな、おばちゃん!パン、ありがとなー!」
手を振って歩きはじめるコナツと、ナツ。それを追いかけるように足を踏み出したラクサスだったが、ふと足を止めて振り返る。パンを物色する客を見ていた女性が、ラクサスに気付いて視線を移した。
「悪いな」
小さく動いた唇。感謝を含んだその言葉は、女性だけではなく、うっかり聞いてしまっていた客までもが度肝を抜かれた。
生まれた時からマグノリアで育ってきた女性には、ラクサスの事も赤ん坊のころから知っている。成長していく内に、関わる事はなくなってくるとはいえ、どう成長してきたかも見てきたのだ。
「あんなに荒れてた子が……」
魔法のせいでラクサスが数年分若返っている事は、マグノリアでは知らぬ者はいないだろう。しかし、今の若返った姿が実年齢だった当時、その頃と比べて今のラクサスには穏やかさがある。
「人ってのは、変わるもんだねぇ」
遠ざかっていく三つの背中を見つめながら、女性は呟いたのだった。その声は、楽しそうに弾んでいた。
「よかったな。コナツ」
ナツに手を繋がれているコナツ。先ほどはラクサスとも手をつないでいたが、今は片手がパンを持っていてふさがっているのだ。
ナツの言葉に頷くと、コナツはつないでいた手を離して、袋に入っていたパンをとりだした。食欲をそそる芳ばしい香りが鼻をくすぐる。
四つくっ付いているうちの一つを、ちぎってナツへと差し出した。
「これ、母ちゃんの」
「くれんのか?」
「だって、幸せのパンだぞ。母ちゃんと父ちゃんと食べるんだ」
小さな手が差しだしてきたパン。それをナツはそっと受け取った。
「ありがとな、コナツ」
照れたように笑みを浮かべながら、コナツはまた一つ千切った。それを、ラクサスへと差し出す。
「これ、父ちゃんの」
ラクサスは少し間をおいて、差しだされているパンを手に取った。見下ろしてくるラクサスの口元が笑みを浮かべているのを見てコナツもにっと歯を見せた。再びパンへと手を伸ばして、二つになったそれを半分に割る。その一つに鼻を寄せた。
「うまそー!へへ、いただきまーす!」
コナツがパンにかぶり付いたのと同時に、ラクサスとナツもパンを一口食した。
「チョコだ!」
「クリームだ」
「ジャムだろ」
三人は顔を見合わせた。
「うそじゃねーよ!チョコだ!」
コナツが、パンの中身が見えるように、食いちぎられたパンを差し出す。精一杯腕を伸ばしてくるコナツに、ラクサスとナツはパンを覗きこんだ。確かに中身はチョコのようだ。
「俺はクリームだったぞ」
ナツが、欠けたパンをコナツへと差し出す。白に近い淡い黄色。カスタードクリームのようだ。ラクサスもパンを差し出した。赤い果実のジャムだろう。
「中身が違うんだな」
ナツが感心したように、へぇ、と声をもらした。おそらくもう一つも味が違うのだろう。一つのパンで四つの味とは、店側も色々考えるものだ。
「なぁ、母ちゃん。母ちゃんのちょっと食いてー」
「俺もコナツの食わせてくれ」
ナツとコナツは互いのパンを差しだしあって、一口食した。
「うまいな、母ちゃん!」
咀嚼する顔は幸せそうで、それを見ていたラクサスはパンを持っていた手を、コナツの口元へと持っていく。流れで、己にも強請ってくる事は分かっているのだ。
まるで餌付けでもされているように、ラクサスの手ずから、コナツとナツは一口ずつ齧った。
「うめー!」
口元にジャムを付けながら笑みを浮かべるコナツに、ラクサスは手を伸ばした。指でジャムを拭ってやると己の口へと持っていく。
その様子を見ていたナツとコナツが、己の持っていたパンをラクサスへと差し出した。
「ほら、ラクサス」
「父ちゃん。あーん」
二人が差し出す、欠けたパン。ラクサスは腰をかがめて、二つのパンに口を付けた。
「……甘ぇ」
チョコとクリーム、二つの甘さが口に広がり、ラクサスは眉を寄せた。
パンパン・ベーカリーではジャムも自家製で、甘すぎないその味は、甘いものが苦手でもそれほど気にせずに口に出来るものだ。だから、先ほどパンに入っていたジャムは平気で食べる事が出来たのだろう。
味を消すよう早々に飲みこんだラクサスは、視線を移した。そこには、ナツでもコナツでもない人物が立っていた。
「……で、何やってんだ。あんた」
マックスだった。ラクサスを狙うようにカメラを構えていたのだ。
ラクサスの呆れたような声。ナツとコナツもパンを口に含みながら、瞬きを繰り返した。
「写真を少々」
ラクサスの問いに、悪びれた様子もなく告げたマックス。
これが、先ほどから感じていた視線の原因だった。マックスがカメラを構えていた事ではなく、撮った写真を売っていたからだ。
性格が丸くなったラクサスは、表情も柔らかくなったようで、当時に比べて遥かに笑みを見せる事が多くなった。元より顔は良いのだ、その笑顔の写真が原因で女性に人気が出たらしい。
「すげーな。父ちゃん」
「すげぇな。ラクサス」
重なったナツとコナツの声に、ラクサスは深くため息をついた。
「他人事じゃねぇだろ」
コナツの写真は、年配の女性に人気らしい。それこそ無邪気な姿が我が子のように思えるのだろう。それに関しては大した問題ではない。
しかし、ナツの写真は更にたちが悪かった。グレイを筆頭に妙な趣向の人間が買っていくらしいのだ。
「……くだんね」
どうせ儲けようと考えて、マスターであるマカロフも一枚噛んでいるのだろう。安易に想像が付いてしまい、ラクサスは何度目かの溜息をついたのだった。
2010,07,17