Afterwards





ナツが姿を消してすぐに歪みが消えた。陽が完全に落ちた為に、元に戻った景色は暗く不鮮明だ。
暫く佇んでいたラクサスは踵を返して山を降りはじめた。
ゆっくりと足が地を踏みしめながら行きの時とは違う肌寒さを感じた。夏の終わりが近づいているとはいえ、気温はまだずいぶん高いはずなのに。
なだらかな斜面を降り、地とアスファルトの境目で足を止めた。
目を閉じて視界を遮れば脳裏にはナツと過ごした時が甦る。ナツが当り前のようにこの世界に留まっていた時には一日離れても何とも思わなかったのに、別れて数分足らずの今はもうナツを求めている。

来年の春からはナツのいる世界へと行く為に研究に携わる。ラクサスが今まで専攻していなかった分野にもかかわらず教授は簡単に了承した。
教授の名はヤジマ。ラクサスの祖父であるマカロフとは旧知の仲だ。そのせいかと問うたラクサスにヤジマは首を振るった。

『ワスはマー坊の孫というだけでは許可せんよ。重要なのは研究に対スての想いの強さだけぇねぇ』

ラクサスの瞳を見ただけで必死さが伝わったのだろう。理由を聞く事もなくヤジマはラクサスの願いを聞き入れたのだった。

思考を止めて足を踏み出そうとしたラクサス。それを止めるように目の前に一台のバイクが止まった。

「ラク兄ちゃん!」

闇夜でくすんで見える桜色が風に揺れている。

「“ナツ”」

旅に出ていた“ナツ”が帰ってきたのだ。旅に出る前より少し逞しく成長した“ナツ”は、帰ってしまったナツとどこか被る。外見は元から似ているのだが、雰囲気だ。
ナツが戻ってきたのかと、ラクサスでも一瞬錯覚してしまった。

「ただいま」

にこりと笑みを浮かべる“ナツ”に、ラクサスも口元に笑みを浮かべる。

「おしかったな。ちょうど今、お前の兄弟が帰ったとこだ」

「兄弟って……もしかして、俺が居ない間に父ちゃん再婚したの!?」

驚愕に目を見開く“ナツ”に、ラクサスは帰路へと向かって歩き始めた。

「んなわけねぇだろ。ほら、さっさと帰るぞ」

“ナツ”はバイクを降りて後を追い、ラクサスを見上げた。
窺うような視線に気づいてラクサスは口を開いた。

「イグニールなら平気だ」

少し安堵したように和らいだ“ナツ”の表情。過保護だった父親の事は気がかりだったのだろう。だが、きっと再会したら驚くだろう。ナツと出会って、受けた影響は大きかったのだ。
ラクサスが愛おしそうに目を細める。それを真横で見た“ナツ”は、瞬きを繰り返した。

「ラク兄ちゃん、変わったね」

“ナツ”の言葉に一瞬足が止まりかけた。ラクサスは足を進めながらゆっくりと口を開く。

「……そうかもな」

ラクサスの返答に“ナツ“は首をかしげた。

“ナツ”を送り家に入っていくのを確認して、ラクサスも自宅へと入った。部屋に戻ると、倒れ込む様にベッドに身を預ける。
ナツはこのベッドを気にいっていた。出会って初めてナツが部屋に訪れた時も、ベッドに身体を弾ませてはしゃいでいた。
町を歩けばナツとの会話さえ甦ってくる。目を閉じている今でも、まるで目の前に居るかのような錯覚さえするのだ。ナツがどれほど自分の心の中に入りこんで来ていたかが分かる。

だからこそ、苦しい。会いたいという気持ちが溢れてくる。

気持ちを落ち着かせるようにと吐きだした溜め息は、感情を表すかのように震えていた。

「必ず、会いに行く」

会いに行って見せる。







研究に関する事にはまだ知識が薄いとはいえ、今まで大学で高い成績を収めてきた。
ラクサスは春までの間は関連学の詰め込みに徹し、ヤジマの元で研究に加わった春からは日々が加速しているように感じる程に没頭していった。

過去の研究の資料や論文の内容を頭に叩き込んでいる内に季節は再び夏が訪れ、ナツと別れてから一年が経過しようとしていた。

「学食の妖精ラーメンはうまいねぇ」

ヤジマに連れられて大学内の学食へと来たラクサス。目の前ではヤジマがラーメンのチャーシューを満足そうに口へと運んでいる。
視線を落とせば目の前には定食が湯気を立てて置かれている。今ラクサスは食欲などなかったのだが、ヤジマに無理やり食堂へ連れてこられたのだ。
研究に加わってから数カ月、気持ちばかりが急いてしまって睡眠を削っていた。食事と睡眠を最低限にして残りの時間を論文に目を通す。何かしていないと落ちつかなかった。
ぼうっと定食を見つめていると、ヤジマが口を開いた。

「何を焦ってるのかねぇ」

ラクサスはゆっくりと視線をあげた。ヤジマは啜った麺を咀嚼しながら、ラクサスを見つめる。

「君はこの研究を簡単に考えとるんか」

ラクサスが否定を口にする前にヤジマが続ける。

「君一人が無茶をスたところで先へは進めんのよ。ちゃんと食べて、ちゃんと寝なさい」

食事はもちろん睡眠不足では頭の回転が悪くなる。未知の分野に深く入り込んでいくのならなお更必要な事だ。

ゆっくりと食事を取りはじめたが、ヤジマが食事を終えたあたりで、ラクサスは思い出したように口を開いた。

「教授は、黄昏を知ってますか」

「“誰そ彼”の事だね」

黄昏の意味や語源は、高校辺りの授業で学ぶ事だ。それを教授であるヤジマが知らないわけがない事はラクサスも承知している。しかし、一年弱論文と睨み合っていたラクサスは、もう一つの語源が記されている物を未だに見た事がなかった。

「黄昏には、まだ意味がある」

ラクサスの言葉にヤジマは耳を傾けた。そして、ラクサスが話したのは、ナツと別れる前日のハッピーが口にした事。

「黄昏時は次元が歪む、か……」

考えるようにテーブルを見つめるヤジマに、ラクサスは一年前の事を話した。ナツと出会い過ごした事。信じてもらえる確率は低いが、仮にも平行世界について研究している教授だ、興味を持てば良い方だろう。
話し終わった後、ヤジマは興味深そうにラクサスを見上げた。

「その子の持ち物は残ってないのかい?」

訝しむラクサスにヤジマは続けた。

「石や砂でも、向こうの世界の物質があれば……」

ラクサスは勢いよく立ちあがった。勢いで椅子が倒れたがそんな事などに気付いている余裕などない。ヤジマを見つめるラクサスの瞳が揺れる。

「服だ」

ナツがこの世界へと訪れた時に身に着けていた服。帰るときには、こちらの世界のイグニールが用意したものを身にまとっていた。イグニールの事だ、捨てたという事はないだろう。

「あるんだね」

ヤジマの言葉に頷いて、ラクサスは食堂を飛び出した。
気持ちばかりが急いていて冷静ではなかった。ナツが残していった物に、目もくれなかった。

「お前が、残していってくれたのに……」

ラクサスが学内を走り抜ければ、その珍しい光景に周囲は目を見張った。しかしそんな事にも気にしていられない。無我夢中で所有のバイクに跨り、ナツの家へと向かった。
こんなにももどかしく感じるのは久しぶりだろう。ナツの家までそう距離があるわけでもないのに胸が騒いで落ち着かない。赤信号も突っ切ったその速度は、気付かぬうちに制限速度を遥かに超えていた。

「、ラクサスじゃないか。どうした?」

踏みこむ勢いでナツの家を訪ねたラクサスを迎えたのは、運よく在宅していたイグニールだった。
イグニールはラクサスの姿に目を見張った。いつも落ち着いている印象が強いのだ、必死な形相をされれば、何かあったのではないかと危惧してしまう。

「ナツの……ナツの服はあるか」

イグニールはすぐに、こちらの“ナツ”の事ではないと察した。

「ちゃんととってあるよ。洗濯して綺麗にしまってある」

ラクサスはイグニールの言葉に顔を顰め、力が抜けたようにその場に座り込んでしまった。
何故予想もつかなかったのか。まず一年も経過している服を、洗濯もせずに保管しているはずがないのだ。
せっかくの希望が消えてしまった。
疲れたように床の一点を見つめるラクサスに、イグニールは心配そうに顔を歪めた。

「上がっていきなさい。少し休んだ方がいい」

「いや、平気だ。大学に戻る」

ゆっくり立ち上がったラクサスが玄関の扉へと手をかけた。その姿を見ていたイグニールが、思い出したように、あ、と声を漏らした。

「もう一つ」

首だけで振り返ったラクサスに、イグニールは続けた。

「洗っていなかったけど、サンダルが残っていたな」

ラクサスは掴みかかる勢いでイグニールへと迫ると、その腕を掴んだ。

「頼む。それを、俺に預けてくれ」

力の加減が出来ていない。イグニールは掴まれている腕に走る微かな痛みに眉を寄せた。必死なのだろう、イグニールが痛みを感じている事にもラクサスは気付いていない。
見つめてくるラクサスに、イグニールは小さく息をついた。

「分かったよ。ラクサスなら信用できる」

ラクサスから解放されたイグニールは玄関脇に設置してあった下駄箱を覗き込むと、奥に静かに収まっていたサンダルを取り出した。
汚れの見えるそれに、イグニールは眉を下げた。

「やっぱり汚れてるな」

ラクサスはイグニールの手からサンダルを受けとると、サンダルの裏に触れた。指についたのは土。溝にも入りこんだそれにラクサスは安堵に溜め息をついた。

「それで役に立つかな?」

イグニールの問いに、ラクサスは手にしていたサンダルを握りしめた。

「ああ。助かる」

くしゃりと少し歪んだ笑み。珍しい不器用なそれに、イグニールは見入ってしまった。
ラクサスが逃げるように出ていくと、我に返ったイグニールは苦笑した。

「参ったな……息子を盗られそうだ」

ラクサスが大学に残り研究に没頭しているという事は知っていた。それが平行世界へと関する事なら、別の世界に居るナツが関わっていると考えるのが自然だろう。そして、ラクサスが必死になっている理由も感づいてしまったのだ。







大学に戻ったラクサスがヤジマへサンダルを渡し、すぐに土の成分の分析が始まった。土に関しては世界が違っても大差はなかったのだが、サンダルの溝に入りこんだ苔は違った。

「この世界では見られないもんだねぇ」

どの植物と照らし合わせても細胞が一致しなかった。新種という事はないだろう。ラクサスの期待する視線に気付いたヤジマが己の机の引き出しから書類の束を取り出し、それをラクサスに差し出した。
ラクサスは数十枚にもあるそれを捲り、目を通した。文字や数式が書きつづられているそれは研究に関するものだとすぐに分かる。

「それは、昔ワスとマー坊が行った研究の論文じゃ。まだ発表スとらんよ」

ラクサスにも見覚えのないものだ。

「研究も、これで大きく進めるわい」

数カ月後。

陽が沈みかけている時刻、ラクサスは庭園のある大学の屋上に居た。しかし立っている場所は危険極まりない柵の外側だ。
落下しない様に柵に手を駆けて振り返ると、内側に立っているヤジマが口を開いた。

「もスかスたら帰って来れんかもスれんよ」

ラクサスは迷わず頷いた。

「覚悟なら出来てます」

少なからずとも可能性があるのなら、それに賭けたい。
別の世界へと行く為に時空を抜けなければならない。その為に屋上から飛び降りた時にでる落下速度が必要になるのだ。
それと、ヤジマが開発した小型装置から発せられるプラズマに加え、時空に歪みの出やすい黄昏時。ヤジマが計算して導き出した状況だ。

「気をつけなさいよ」

ヤジマの言葉に頷き、ラクサスは手首に付けていた小型装置を起動させた。体中に電気の様なものが走り思わず顔を顰める。ヤジマが見守る中、ラクサスは外へと身を投げた。
迷いなどない潔い行動だ。当事者以外から見たら飛び降り自殺にしか見えないだろうが、ラクサスの身体は地面に落下するよりも先に消失した。
屋上の縁から足を離した時に目を閉じていた。風を切る音だけが耳に入ってくる。身体は、装置から発せられるプラズマで外側を膜の様に覆われている。静電気の様な微弱な電気を感じながらもラクサスは目を開けられなかった。
聴覚を失ったと錯覚するほどに物音が消え、脳が揺さぶられような吐き気を感じた。天地の判断が付かず、今自分の状態も分からない。
目が開けられないのではなく身体が思い通りに動かないのだ。しかしそんな状態でも頭を過ったのはナツの顔だった。
闇さえも照らしてしまいそうな、明るい笑顔。そう想像していた時、閉じていた目蓋越しに光を感じ、ラクサスは目を開いた。

「ッ」

開いた目には青々しい青葉が鮮明に映っていた。
ゆっくり体を起こし周囲を見渡せば、辺りは生い茂る草木で満ちている。記憶にない場所だというのは分かるし、何より屋上から飛び降りて身体に全く外傷がない。

「……成功したのか」

自分のいた世界とは別の世界に来られたと考えていいだろうが、まだ一つ問題がある。平行世界というものは一つではないという仮定だ。別世界に来られたとしても、この場所がラクサスの求めているナツがいる世界だという確証はまだない。
まず人に会って、どうにか確認したいところだ。

「ここで何をしてるんだい」

森を抜ける事を考えていたラクサスに声がかかる。振り返れば初老の女性が立っていた。

「、ばぁさん」

ラクサスにも見覚えのある顔、ポーリュシカだ。マカロフの古くからの知人で、高齢でありながらも現役で活躍する優れた医療技術を持った医師。
まじまじと見つめてくるラクサスに、ポーリュシカは訝しむ様に眉を寄せた。

「ここに来るなんて子供の時以来だね。何の用だい、ラクサス」

名を呼ばれた事で、こちらの世界でも顔馴染みなのだと見当が付いたが、ラクサスはこちらの“ラクサス”とは別人だ。
ラクサスは躊躇いながらも口を開いた。

「この世界には、魔法があるか?」

突然のラクサスの問いは、二人の間に沈黙を落とした。
妙に気恥ずかしい気持ちにはなるのだが、これ以上の尋ね方が思いつかなかった。ラクサスは、ナツのいる世界には魔法があるというぐらいの特徴しか知らないのだ。

「……妙な事言うんじゃないよ。あんたも魔導士だろ」

ポーリュシカの言葉を脳内で何度も繰り返す。ようやく来たのだ、ナツのいる世界に。言葉を紡ごうと口を開くが唇が震えてしまう。
ラクサスのその姿にポーリュシカは眉を寄せた。

「まさか頭でも打ったんじゃないだろうね」

ラクサスは昂る気持ちを落ちつかせる様に瞳を固く閉じると、ゆっくりと開いた。

「フェアリーテイルがどこにあるか、教えてくれないか」

ラクサスが冗談を言っているわけではない事位ポーリュシカにも判断はついた。ラクサスの言動に訝しみながらもポーリュシカは口を開いた。

「森を抜けてすぐにマグノリアの街がある。そこだよ」

「そうか。助かった」

ラクサスは身を翻すと、足早にその場を離れようとした。
背を向けて駆けていくラクサスの姿に、ポーリュシカは慌てて声を駆ける。

「待ちな!人間を引きとめるのは癪だが、すぐに出ていくんなら診てやるよ」

ポーリュシカはラクサスがおかしくなったと思っているらしい。ラクサスは振り返ると、苦笑した。

「騙したみたいで悪いが、俺はあんたの知る“ラクサス”じゃない」

その言葉にポーリュシカが返してくる事はなかった。ラクサスは一気に森を駆け抜けた。気持ちがはやって歩いている事も出来ない。こんなにも気が高揚しているのは久しぶりだ。
しかし、森を抜けて真っ先に目に入った町並みに、ラクサスは足を止めた。

「思ったより広いな」

行きかう人の量も想像を超えていたが、何より町並みに新鮮さを感じた。ラクサスのいた世界ではビルなどの近代的な建物が目立っていたのだが、この世界でそれは見られない。
これならば、ナツが物珍しげに町を眺めていたのも納得がいく。

「この町のどこかにフェアリーテイルがあるのか」

町を探索したいという思いはあるが、今は一刻も早くナツに会いたい。
ラクサスは周囲を見渡して通りすがった男を引きとめた。

「フェアリーテイルはどこにあるんだ?」

引きとめられた男はラクサスの言葉に目を見張っていた。なに言ってんだとばかりの視線に、ラクサスは納得したように内心頷いた。
前にナツに話を聞いた時に、こちらの世界での“ラクサス”はギルドマスターの孫だと言っていたのだ。
正直面倒だと思いつつ、ラクサスは口を開いた。

「悪いが、俺はあんたの知る“ラクサス”じゃ」

「あぁ、誰か変身してんのか」

ラクサスは言葉に理解できずに口を閉ざした。すると男はまじまじとラクサスを見やった。

「物好きだな。よりにもよって“ラクサス”に変身するなんて」

その言われ様に、自分の事を言われているわけではないのだが、怒りが浮かんでくる。しかし、これで面倒な説明はしなくて済んだ。

「それよりフェアリーテイルの場所を教えてくれ」

あっさりと聞き出せた事は良かったが、どうにも納得できない。
男に教えられた通りに中央通りを一直線に歩くラクサスの表情は、お世辞にも機嫌がいいとは言えない。

「こっちの俺はどんな奴なんだ」

あまり性格はよくなさそうだ。ナツが「むかつく」と発言していたのも何となくだが理解できた気がする。
通りを歩いていると、その終わりに待ち構えるように建物が立っていた。看板に書かれている名前に、ラクサスは目を細めた。

「フェアリーテイル……ここに、ナツがいるのか」

周囲に目を配りながらギルド内に足を踏み入れる。
魔導士のギルドという話を聞いていたが、誰がどう見ても酒場である。入ってまずはオープンカフェ、グッズ売り場までもが設けけられていた。そして何より騒がしい。賑やかというには生易しすぎる程だ。
想像を絶するギルドの姿に戸惑いながらもラクサスの目はただ桜色を探していた。

「あら。おかえりなさい、ラクサス」

名を呼ばれて咄嗟に振り返れば、そこには淡い色の髪をした顔馴染みの女性。

「ミラ」

ミラジェーンはラクサスが紡いだ名に、瞬きを繰り返した。

「……あなたにそう呼ばれるのは初めてね」

“ラクサス”はミラジェーンをミラと略称で呼ぶ事はない。しかしラクサスは、ナツへと思考が向いていて、ミラジェーンの言葉を気になどかけていられなかった。

「ナツは居るか?」

「ナツなら仕事よ。難しい仕事じゃないし今日帰ってくるんじゃないかしら」

不在という事に落胆しているのが目に見えて分かるのだろう。ミラジェーンは不思議そうにラクサスを見上げた。

「ナツに何か用があるの?あなたからナツの事を聞いて来るなんて今までなかったじゃない」

ナツの事どころか、尋ねるという事自体“ラクサス“はしないだろう。そんな事もラクサスには関係ないのだが、ナツが今日帰ってくるというのならギルド内で待っていればいい。
空いて席を探していると、ギルド内の喧騒さえもかき消してくれそうな声が、響いた。

「腹へったー!飯食うぞー!」

ラクサスが弾かれる様に門へと振り返れば、待ちかねた桜色が目に入る。

「今回は珍しく報酬減らされなかったもんね。豪華にいこうよ、ナツ!オイラ、魚と魚と魚ー!」

「ちょっと、飢え過ぎだから」

翼の生えた青い猫はこちらの世界のハッピー。それと、その言葉に呆れたように溜め息をつくルーシィ。その後ろにはグレイやエルザもいる。
賑やかなメンバーと共に笑顔を浮かべるナツ。それを少し離れた場所で見ているラクサスに、ナツの目が止まった。視線がばちりと合い、ナツが足を止める。

「ナツ、どうしたの?」

突然止まったナツにハッピーが顔を覗き込むが、ナツはハッピーなど視界にも入っていないようで、ラクサスを見つめて首をかしげた。

「ナツ」

ラクサスがナツの名を呼ぶと、ラクサスを見つめている猫目が驚きで見開かれた。

「ラクサス、か?」

「会いに行くって言ったろ。ナツ」

柔らかく笑みを浮かべるラクサスの姿に周囲が騒然となるが、二人の耳に入る事はない。
信じられないとばかりに見開かれたナツの瞳に、少しずつ涙の膜が出来る。止まっていた足が一歩踏み出され、ラクサスに向かって走りはじめた。
飛び込んできたナツの身体を支えるラクサスをナツは見上げた。

「ラクサスだ、そうだよな。だって、“ラクサス”はそんな風に笑わねぇし……本当にラクサスだよな?」

周囲にとってみればナツの言葉は理解不能だろうが、当事者であるラクサスは別だ。
必死に見上げてくるナツの頬に手をそえて、親指で目元をなぞる。

「泣くなよ」

いつもなら泣いていないと反発するのだが、ナツは己の頬に触れているラクサスの手を掴んだ。
震える手で、逃さないとばかりに強く握りしめる。

「……会いたかった」

堪えるようにきつく結ばれた唇。震えるそれに、ラクサスは触れるだけの口づけを落とした。

「俺もだ。ナツ」

ラクサスの視界に光るものが目に入った。ナツの左手の指に収まっている、見覚えのある指輪。最後に見た時は中指に収まっていたそれは、薬指に移動していた。別れ際のラクサスに対してのナツの答えと取っていいだろう。
ラクサスは堪らずにナツを抱きしめると、耳元で優しく囁いた。

「これからは俺の側にいろ」




2010,11,09
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