迎え
夏祭りから帰って来て数日、ナツは何事も上の空だった。食事中もテレビを見ていても心ここに有らずといった様で落ち着きがない。
リビングのソファに身を預けていたナツは近寄って来た黒猫を抱きあげた。
ドラグニル家で飼われている愛猫。数年前に“ナツ”が、捨てられていた子猫を拾って来たのだそうだ。そしてハッピーと名付けた。向こうの世界のハッピーと考えていいだろうが、もちろん話す事は出来ない普通の猫だ。
膝の上に乗せて喉をさすると、ハッピーは気持ちよさそうに目を細めて喉を鳴らした。
「なぁ、ハッピー」
ナツの手が止まるとハッピーが目を開いてナツを見上げる。向こうの世界でのハッピーの毛色の様に青い瞳がナツを映す。
「俺、こっちに来てから変なんだよ。病気にでもなったのか?」
あまり病気になど縁がないナツは頭を悩ませていた。しかしナツの問いに普通の猫であるハッピーが答える事などできない。甘えるように鳴いただけだ。
今まで経験がなかった感情に弄ばれているようで気分が悪い。ハッピーを腹において横になるナツ。その口からは切ない溜め息が漏れた。
「……ラクサス何してんのかな」
天井を見つめて名を呟く。自分の声で紡いだラクサスの名が自らの耳に戻って来る。鼓膜を響かせるどころか、身体に流れる血液が沸騰しそうだ。
再び名を紡ごうと口を開いた時、それを止める様に呼び鈴が鳴り響いた。
ナツが慌てて起きあがると、それに驚いたハッピーがどこかへと駆けていってしまった。それを気にしている余裕もなく、ナツは早鐘を打つ胸に手を当てて肩で呼吸をする。
「び、びびった」
悪い事をしていたわけではないのだが後ろめたい。
イグニールが仕事で家には居ない事を思い出し、ナツは慌てて玄関先へと向かった。知らない人間だった場合、対処ができないから出るべきではないのだが、警戒心の薄いナツにそこまで頭が回るわけがない。
「誰だよ……」
ナツは扉を開いて、目の前に立っていた人物に表情を強張らせた。そして次の瞬間無意識に扉を閉める。
風を切る様に勢いよく閉められた扉。それに寄りかかってナツは溜め息をついた。
「な、何で居るんだ!?」
煩く高鳴る鼓動を押さえていると扉が開かれた。ナツではない、来客の手によってだ。己を照らしてくる陽の光にナツは顔を上げた。
「何の遊びだ」
不機嫌そうな顔と声に、ナツは顔を引きつらせ片手を上げた。
「よぉ。ラクサス」
ラクサスが不機嫌になるのはもっともな理由だ。訪問した直後に拒否するように扉を閉められれば、誰だって不快な気持ちになる。
見下ろしてくるラクサスの視線に耐えきれずに俯くと、ラクサスは小さく息をついた。
「出かけるぞ。準備しろ」
顔を上げるナツの頭をぐしゃりと撫でたラクサスの表情に、先ほどまでの不機嫌さは見られない。再び機嫌を悪くしない様にと、ナツはすぐに頷いた。
どこかに行くとも言われてはいない。ただ、出かけるとだけだ。家を出てから暫く経ち、ナツはそっとラクサスを見上げた。
「どこに行くんだ?」
「行きたいとこはあるか?」
真っすぐ前を向いたままで問うラクサス。
質問で返されてナツは言葉を詰まらせた。まず、ナツは町の全てを知っているわけではないから、聞かれても困るのだ。
答えずに居るとラクサスが首をひねって、ナツへと視線を向ける。
「今日はお前に付き合ってやる。行きたい所があるなら言え」
今日どころか、夏祭りだけじゃなく街の案内や食事など、ラクサスはナツが来てから行動を共にしている。
今更の事なのだが、ラクサスの言葉にナツは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「フェアリーテイルランド!!」
目を輝かせるナツの口から出たフェアリーテイルランドとは、マグノリアの町から大分離れた場所にある遊園地だ。最近二十五周年を迎えたらしいそこは、人気が絶大で平日関係なく人で溢れている。
ラクサスも幼い頃は何度も行った記憶があるが、わざわざ人ごみに飛び込みたいとは思わなくなった。
「ギルドと同じ名前なんだぞ、この遊園地!」
「そういや、そうだったな」
しかし遊園地の希望を出されるとは思っていなかった。まだ昼前だし交通機関を利用して一時間程度。金も足りなくなったら銀行から下ろせばいいだろう。
予想外だが大した問題はないと思いラクサスは承諾したのだが、この後が問題だった。
フェアリーテイルランドまでは電車を利用するのだが、マグノリア駅から電車に乗ろうとしたラクサスに、ナツは必死で抵抗していた。
「いい加減にしろ!」
流石のラクサスも声を荒げた。
電車内へとナツを引きずって行こうと試みるが、ナツも中々の力がある。乗る乗らないの攻防が続いていた。そんなやり取りがかれこれ数十分だ、誰だって怒りが募るだろう。
しかしナツも必死だ。ラクサスの声に怯むことなく目を吊り上げた。
「何で乗り物に乗るんだよ!」
「他に手段があんのか?」
「歩いて」
「無理に決まってんだろ」
電車や車を利用しても一時間弱はかかるのだ。徒歩が無理とは言わないが、着く頃には夜になっているだろう。時間はかかるし進んで選びたくはない方法だ。
「乗らねぇなら行くのやめるぞ」
そう言ってしまえば、行きたい気持ちが強いのだろうナツが悔しそうに唸る。それを見下ろしていたラクサスは、ホームに電車が入って来るとナツ腕を掴んだ。
「少しぐらい我慢しろ」
「あ?ちょ、待っ……」
電車の扉が開いたと同時にラクサスはナツの身体を引きずって車内へと飛び込んだ。
顔を青ざめて出ようとするナツだったが、その身体はラクサスに捕らえられている。必死に扉へと手を伸ばすが、それはすぐに閉ざされてしまった。
「何が嫌なのか知らねぇが、電車位……おい?」
電車が動き出したその弾みでナツの身体が傾いた。
ラクサスは前に倒れていくナツの身体を支えた。ナツの身体が人形の様にぐったりとしているのだ。
「だめ、きもちわ……うぷ」
口元を手で押さえるナツにラクサスは顔を引きつらせた。どう考えても乗り物酔いだ。まだ乗ってから一分も経っていないのだが。
異常なナツの状態に周囲の乗客も心配そうな目を向けてくる。ラクサスは、電車が停車するとナツを抱えて電車を飛び降りた。
ぐったりとするナツをベンチに寝かせるとナツの表情が和らいでいく。
「お前、乗り物に弱いのか」
「ちょっと、気持ち悪くなるだけだ」
「だから酔ってんだろうが」
電車に乗っている時間が短かったから回復も早い。立ちあがったナツに、ラクサスは溜め息をついた。
「お前、そんなんで遊園地に行きてぇなんて言ったのか?あんなとこほとんどが乗り物じゃねぇか」
ナツの目が驚愕に目を開かれる。ナツの頭には遊園地は楽しい場所というだけで大半が乗り物という認識はなかったのだろう。
「諦めるんだな」
ラクサスの言葉にナツはがくりと肩を落とした。
相当楽しみにしていたのだろう事はナツの態度で分かる。しょんぼりとするナツの頭をラクサスの手がぐしゃりと撫でた。
「あんなとこ行かなくても十分楽しめんだろ」
宥めるラクサスをナツがちらりと上目遣いで見上げた。ばちりと視線があうとラクサスは咄嗟に手を放した。
「腹減ってんだろ。行くぞ」
背を向けて歩きだしてしまったラクサスを、ナツは慌ててついて行く。ラクサスの言葉通りナツの腹は食事の準備が万端だった。
駅を出てすぐ、ナツの希望でファーストフード店に入った。食べ物を前にして機嫌が良くなったようで、トレーに乗せられているハンバーガーの山にナツは目を輝かせている。
トレーに載っている桁外れの量のハンバーガーは当然周囲の目を引いた。大食いにでも挑戦したいのかと疑問に思えてしまうが、これがナツの標準の量だ。ナツに対してラクサスは珈琲だけ。
それを目にしたナツが、ハンバーガーを一つ手に取りラクサスに差し出した。
「ほら、ひとつやるよ」
「いいからお前が食え」
大体食べたいのなら最初から注文しているだろう。
珈琲に口を付けるラクサスに、ナツもハンバーガーの包み紙をはがし、齧り付いた。咀嚼しながら、思い出したように口を開く。
「ほふぁへ」
「飲み込んでから喋れ」
口の中のものを全て飲み込むと、再び口を開く。
「お前、今日はどうしたんだ?遊ぶのもさ、俺はいいけどお前はロンブンってのがあるんだろ」
「お前が気にする事じゃねぇ。論文ならもう終わる」
相槌を打ちながら再びハンバーガーに食らいつくナツ。それを眺めてラクサスが続けた。
「お前の親父が、祭りから帰ってからお前の様子がおかしいって心配してんだよ」
それが今日誘った理由。
心配されるほどに自分が妙な行動をしたのだろうか。ぼうっと思考に入りこんでいるとラクサスの声が響く。
「あの時の事が怖かったんだろ」
感情を抑えた様な低い声。
ナツは顔をしかめた。あの時といって当てはまる事と言ったら一つしかない、祭りで悪漢に襲われた事だ。
「別にあんなもん何ともねぇよ。すぐにぶっ飛ばしたし」
事実、手を縛られて浴衣を肌蹴された位だ。事を起こされる前に言葉通り殴りとばした。
「それなら、他に何かあったのか?」
何もない。そう返そうとしたナツの口は、言葉を発する前に閉ざされた。
――――二度と離れんな……ちゃんと、俺の目の届くところに居ろ
祭りの日、強く抱きしめてきたラクサスの体温と、耳元で囁かれた震える声。脳裏をよぎった記憶に、ナツは思わず顔を赤面させた。
「な、何もねぇ!!」
誤魔化すようにハンバーガーを頬張るナツに、これ以上何を聞いても無駄だろう。ただ分かるのは、その身に悪い事が起きたのではないという事だ。
ラクサスは話しの終わりを告げる様に珈琲に口を付けた。窓のから外へと視線を向けてみれば夏休みのせいもあって人が多い。それに加え時間帯が昼飯時だからだろう、今いるファーストフード店も、入った時よりも混雑していっている。
今日はナツの気分転換にと外に連れ出したのだが、この人込みの中どこへ行けばいいのか。人の流れを目で追いながら思考にふけっていたラクサスは、目の前に座るナツへと視線を向け、目に入った光景に溜め息をついた。
「……落ち着いて食えねぇのか」
ナツの目の前にあった食べ物達は全て消えており残っているのはトレーと包み紙だけ。
ラクサスの言葉など耳に入っていないようで、ナツは満たされた腹を撫でていた。気分転換などと考えていた方が馬鹿らしくなるほどに普段通りだ。
「何だよ?」
呆れた様に見ていたラクサスに、ナツが訝しげに顔を顰める。それにラクサスは思考を切り替えた。
「どこか行きたい場所……つっても、この辺の事知らないんだったな」
それ以前に、この世界の事自体を全て認識しているとは言い難い。頷こうとしていたナツを止める様に目に留まったもの。ナツは窓から見えるそれに指を差した。
「あれ映画だよな!映画見ようぜ!」
ラクサスもナツが指で指し示す方へと視線を向けた。遠目でも分かるほどの映画の告知看板が掲げられている。先日公開されたばかりのものだ。
「映画なんて久しぶりだなー」
楽しそうに目を輝かせるナツの言葉に、ラクサスは微かに目を見張った。
「お前の世界にもあるのか?電気がねぇんだろ」
「電気はねぇけど、映画も灯りもあるぞ」
そこでラクサスは、ようやく合点がいった。
「ああ、魔水晶か」
出会って間もなく、ナツが素性と同時に世界観も話した。魔法のある世界で電気やガスなどの動力の代わりに魔水晶が普及しているのだ。それならば映画も可能だろう。
「映画魔水晶ってんだ。俺はあんま見ねぇけど」
大人しく画面と睨み合っているより外で動き回っている方が似合う。そんなナツが自ら進んで映画を観に行くとは思えないが、この後の行動が決まったのだから問題はない。
ラクサスは珈琲を飲みほして、立ちあがった。
選択した映画は看板でも目にした、トレジャーハンターG〜妖精の秘境〜。何故か脱衣癖のあるトレジャーハンターの主人公Gが、悪の組織から逃れてきた少年に出会い、少年に協力して伝説の秘宝を探しだすという話しだ。少年は竜の子孫というファンタジー要素付きだった。
「かっこよかったな!トレジャーハンター!」
興奮で頬を染めながら映画を語るナツだが、ナツの世界には魔法も存在するのだから、映画など比較にはならないだろう。物語は人が興味を引くような内容にしているのだから現実とは別物なのだというのは分かるのだが。
映画の後、ナツの希望で軽食を取った。その後ナツが興味を示すまま歩きまわれば、いつの間にか夕刻に差しかかる頃になっていた。
夏場で日が長いとはいえ、時間が遅くなれば“ナツ”の父親であるイグニールが気にかけるだろう。
ラクサスが帰宅の旨を告げようと隣に視線を向けるが、共にいたはずのナツが居ない。
「ナツ?」
一瞬はぐれてしまったかと危惧してしまったが、振り返ればすぐにその姿はあった。路上の端に出ていた露店だ。数多く並んでいる装飾品を、ナツは興味深げに眺めている。
ナツの隣へと近づいたラクサスは、ナツの視線を追って並べられている装飾品へと目を向けた。
「興味あんのか?」
露店が食べ物屋だったら納得がいくが、ナツが装飾品に興味を持ったというのが意外だ。
「別にそうじゃねぇけど……ほら」
ナツが指さしたのは指輪だ。天然石が埋め込まれている以外は何の変哲のない指輪。
何も返してこないラクサスに、ナツが口を開いた。
「ラクサスの色だ」
「……あ?」
「お前の目と髪と同じだろ、これ」
指輪に埋め込まれている天然石の色は、ラクサスの髪や瞳と似通っていた。ナツの言葉でようやく理解は出来たラクサスだったが、同時に大きく動揺した。
ナツは、興味があるわけでもないのに色が似ているというだけで目に留め、足を止めたのだ。
「ラクサス?」
ナツの呼びかけに固まっていたラクサスは我に返り、その指輪を手に取った。
「欲しいんなら買ってやる」
「いらねぇよ。邪魔だし」
ナツの言う通り、ラクサスでもごついと感じるほどに石が大きい造りをしている。女性なら好むかもしれないが男性が付けるには違和感がある。普段装飾品を身につけないようなナツでは余計に邪魔に感じるだろう。
ラクサスは指輪を置くと、並べられている品を眺めてその内の一つを手に取った。特別に装飾をしていない簡素な銀の指輪。 それを金額分支払って店員から受けとると、早々にその場を離れた。
暫くすると、ラクサスは足を止めてナツへと振り返った。
「手出せ」
指輪を差し出してくるラクサスに、ナツは顔を歪めた。
「別にいらねぇって」
「記念になるだろ」
意味を問う必要などないだろう。この世界に来た事だ。いつ帰るかも分からない、常識ではありえない出会いの記念に。
少し間をおいてナツは手を差し出した。
「じゃぁ、貰っとく」
与えられるのを受け入れる様に差し出された右手。向けられている手の平に指輪を置こうとしたラクサスの手は、ナツの左手を取った。自然な動きで薬指へと指輪を通す。
「……でかいな」
薬指では指輪の大きさが合わない。微かに隙間があり、動きが激しいナツではすぐに失くしてしまうだろう。
ナツはラクサスの手から己の手を放すと、指輪を外し他の指へと通す。
「お、ハマったぞ」
中指に収まった指輪。
ナツの行動に溜め息をつきたい衝動にかられながらも、それ以上にラクサスは己の行動が信じられなかった。深く考えもしなかった行動だけに、頭痛さえしてくる。
ラクサスが頭を抱えていると、指輪を見つめていたナツがラクサスへと視線を向けた。
「ラクサス」
苦渋に顔を顰めたラクサスの目には、笑みを浮かべたナツの姿。その頬は微かに紅色していて、ラクサスは目を見開いた。
「ありがとな。大切にする」
照れを隠す様にナツはすぐに背を向けて歩きはじめたが、ラクサスが追おうとする前に足が止まった。
向けられた背中越しでナツの声が寂しそうに響く。
「俺、いつ向こうに帰んのかな」
ラクサスは自然と拳を強く握りしめていた。
ナツの言葉が「帰れんのかな」だったら、心が揺さぶられる事はなかったかもしれない。まるでナツの言い方では、帰る事を望んでいないという風にも受けとれた。
「……父ちゃんが心配するし、そろそろ帰ろうぜ」
振り返ったナツの表情は予想とは違って普段通りで、ラクサスはナツの歩幅に合わせて歩き始めた。
帰路までの間もナツは普段と変わらず、たわいない話しをしてくる。それに適当な相槌をうっていたラクサスが、会話が途切れたところで口を開いた。
「ナツ」
真っすぐに見上げてくるナツに、ラクサスはゆっくりと続けた。
「もし元の世界に帰る方法が見つからなかったらどうする」
「いあ、帰んねぇと……」
ラクサスの手がナツの手を掴んだ。
「ラクサス?」
「帰れなかったら、このままここで」
ラクサスの言葉は続けられる事はなかった。注意を引く様な鈴の音が鳴ったのだ。
視線を向ければ少し離れたところで猫が見つめてきていた。ナツの家で飼われているハッピーだ。
窺ってくるような目に、ナツはラクサスの手をすり抜けてハッピーへと駆け寄る。
「こんなとこで何してんだよ。ハッピー」
ナツが抱きあげてやると、ハッピーの小さい口が開いた。
「ナツ……やっと見つけた。オイラ、ハッピーだよ」
この世界で猫が人語を放す事はない。そして、その声には聞き覚えがありすぎる。
状況が掴めずに呆然とするナツに、ハッピーはしがみ付いた。
「迎えにきたんだよ!帰ろ、ナツ!」
夏休みが終わる一週間前だった。
2010,10,24