約束
ギルダーツが帰還し街にとどまっている間、ナツは決してギルダーツから離れようとはしない。毎度のことで黙認されている光景は今回も同様だった。
帰還してから一週間、再びギルダーツがクエストへと向かう寸前である今も、ナツは向き合うようにギルダーツの膝の上に腰かけギルダーツを見上げていた。
「ギルダーツ、だめか?」
細い首を傾け、幼い猫目で懇願するように見つめられれば、うっかり頷いてしまいそうになる。
ギルダーツは、カウンターに座って酒を飲んでいるマカロフへと顔を向けた。
「なぁ、マスター」
「無理に決まっとるじゃろ」
当然とばかりに呆れた様なマカロフの声。それに苦笑して、ギルダーツは頭をがりがりかいた。
「……悪ぃな、ナツ」
必死に頼めば、ギルダーツならば願いを叶えてくれると思っていたのだろう。ナツは表情を一変させて、拗ねたように唇を尖らせた。
「連れてってくれよ!SS級クエスト!」
喚くようなナツに周囲は呆れるばかりだった。
幼いナツではまだ小さい仕事しかこなせないのに、ギルドで最強と呼ばれる男の仕事についてくと言うのは自殺行為だ。ギルダーツなら命をかけてでも守ろうとするだろうが状況が悪ければどうなるか分からない。
今まで黙って見守っていたエルザが厳しい目でナツへと近づく。
「我がままを言うな、ナツ。お前にSS級クエストは早すぎる」
早いというよりも問題外だろう。咎めるような言葉にナツはむっと口元を歪めた。
「バカにすんな!」
「バカ以外にねぇだろ!てめーがSS級行けんなら、オレはSSS級行けんだよ!」
ねぇよ、SSS級なんて。あるのは十年クエストだ。
エルザを押しのけて前に出てきたグレイに、周囲は呆れたように溜息をついた。ギルダーツも苦笑いを堪え切れていない。
挑発的なグレイの言葉にナツはギルダーツの膝から降りると、頭突きの勢いでグレイの額と突き合わせた。
「てめーがSSS級ならオレはSSSS級だ!」
「あ!?それならオレはSSSSS級だ!」
「だったらオレは……おわ!」
意味のない言い争いに発展してしまうのは分かり切っていた。ギルダーツはナツの腹へと巻きつけるように腕をまわすと、ナツの身体を引きよせる。
「ナツぅ。その辺にしとけ……な?」
ギルダーツに片腕で抱きしめられ頭を撫でられれば、ナツの興奮も一気に冷める。身を預けながら、ナツの瞳がギルダーツを見上げた。
「なぁ、ギルダーツ。オレ」
「ナツ、悪ぃがお前はクエストには連れて行ってやれねぇんだ。分かってくれ」
ギルダーツがナツを見つめる。その真剣な瞳が、どれだけ粘っても意思が動かない事を物語っていた。ナツは身体を震わせると、ギルダーツの腕を振り払った。
「ギルダーツなんか、もう知らねぇ!!」
「おい、ナツ!」
ギルダーツの声をも無視してナツはギルドを飛び出して行ってしまった。
ナツに振りはらわれた手は行き場をなくし、空しく宙に浮いたままだ。ギルダーツは溜息をついて、テーブルに寄りかかった。
「ギルダーツ!?」
周囲から慌てた様な声が発せられる。ギルダーツが触れた途端、テーブルが粉々に崩れ去ったのだ。もちろん自然に壊れたわけではない、ギルダーツの魔法だ。
ギルダーツは粉々になったテーブルに紛れて倒れてしまっている。それに、周囲は心配そうに近づいた。
「大丈夫か、ギルダーツ」
「はは、すまねぇ。気が緩んだみてぇだわ」
手近にあった椅子に手をついて立ち上がろうとするが、触れた椅子も粉砕された。触れるものが簡単に無残な姿になる。ギルダーツは困惑したように頭をかいた。
「おかしいな……ちょっと誰か触らせてくれねぇか?」
「ふざけんな!」
手を伸ばすギルダーツに周囲を慌てて距離をとった。今のギルダーツなら、人間さえも破壊してしまえそうで、怖い。自分が崩れていく想像をして顔を青ざめさる面々。
その光景を見ていたマカロフが溜め息をついた。
「主は何をやっとるんじゃ」
「マスター」
「ガキにそこまで心乱される奴があるか」
バカモン。
咎めるようなマカロフの言葉。ギルダーツとて己の事だ、自分の動揺が分からないわけがない。
「すまねぇ」
「分かったら話を付けてこい。そのまま仕事に出ても身が入らんじゃろ」
「……いや、俺はこのまま仕事行くわ」
マカロフの目から逃れるように、ギルダーツは背を向けた。
「あいつに嫌われでもしたら、それこそ正気を保っていられる自信がねぇよ」
情けねぇな。
呟いたギルダーツの声に覇気はなかった。ギルダーツはギルドの隅に寄せておいた荷物を担ぎあげると。小さく振り返る。
「じゃ、行ってくるわ」
ギルドを出ていくその背中が寂しそうで、誰も声などかけられなかった。
「ギルダーツの奴、べた惚れだな」
ギルダーツの姿が見えなくなって、ギルドで最初に発せられた言葉だった。誰もが頷かざるを得ない。
ナツ以外は、ギルダーツのナツへと寄せる思いに気が付いているのだ。常識を遺脱した感情に。
「ねぇ、これ!」
しばらく経った後、カナが何かを引きずってきた。
何だと首をかしげる面々だったが、その正体がすぐに分かる。ギルダーツがクエストに出る際に持参している布団だ。いつもなら先ほど背負っていった袋の中に入っていたはずなのだが。
「忘れてったのか?」
「でも、ギルダーツの荷物結構入ってたみたいだし……」
ナツの事で大分参っていたようだから、忘れても仕方がないだろう。なくても大して支障がないものだ。布団が隅へと追いやられるのを確認し、エルザが外へと視線を向けた。
「それよりも、ナツだ。今日は様子がおかしかったからな。……リーダス、何を描いているんだ?」
エルザの視線がリーダスへと移動する。リーダスはいつも持ち歩いているスケッチブックと向き合っていた。珍しい光景ではないが、彼がこうして絵を描きとめているという事は、何か関心を向けられるものがあったのだろう。
エルザは大分形になっている絵に目を見張った。
「ナツ?」
「うん。さっきギルダーツの荷物に悪戯してたんだ」
描かれているナツは、楽しそうにギルダーツの荷物をあさっていた。エルザが知る限り、ナツはずっとギルダーツにくっ付いていた。荷物に触れる機会などないはずだ。
「まさか……マスター!」
顔を強張らせるエルザに、マカロフは深くため息をついた。エルザと同様の思考にたどり着いたようだ。それは二人だけではない、周囲も信じられないとばかりに手で顔を覆ったりしていた。
ギルドを出たギルダーツは町はずれの森に入った辺りで、荷物の異変に気付いた。背負っていた袋から妙な音が漏れているのだ。いびきとも取れるような音。
ギルダーツは進めていた足を止めて、荷物を下ろした。
「……マジかよ」
ギルダーツは荷物の中を開いて、愕然とした。それは、袋の中にはあるはずのないモノと、それに気が付かなかった己に対してだ。
「起きろ。ナツ」
袋の中ではナツが丸まって眠っていたのだ。ナツは身体を揺すぶられて、ゆっくりと目を開いた。ギルダーツを確認すると、欠伸をしながら腕を伸ばした。
「おぉ、ギルダーツ!クエストの場所についたのか?」
目を輝かせるナツに、ギルダーツは脱力したようにその場に座り込んだ。
ナツはそんなギルダーツの姿よりも、己の居る場所がマグノリアから離れていない事に不満のようだった。
「何でまだマグノリアにいるんだよ!」
ナツは、ギルダーツの荷物に忍び込みこっそりクエストについて行こうとしていたのだ。計画が失敗に終わり目を吊り上げるナツを、宥めるようにギルダーツはナツの頭をぽんぽんと叩いた。
「ナツ、何でそんなにクエストに行きてぇんだ?」
ナツとて幼くとも男だ。強さを求め、より困難な仕事を受けたいと思うのも分かる。だが、己でも無謀というのは分かっているだろう。必死にならずとも、ナツならばいつか己の力でクエストに行く事が出来るはずだ。
ナツは、ギルダーツの言葉に目を伏せると、地面に見つめながらゆっくりと口を開く。
「いっか月……」
何がだ。首をかしげるギルダーツに、ナツはくしゃりと顔を歪めた。
「すぐ帰って来るっていったじゃねーか」
今にも泣きそうなナツの表情に、ギルダーツはようやくナツの言葉を理解する事が出来た。
ギルダーツは前回の仕事を終えて帰還するのに一月要したのだ。もちろん、その間会う事は出来ず、ナツは待つばかり。
ナツの言うすぐがどれほどかは分からないが、仕事へと赴いているギルダーツと待っているナツとでは時間の感じ方が違う。加えて、ナツ程幼ければ更に時間の経過が遅く感じるだろう。
「……寂しかったか?」
笑みを浮かべるギルダーツに、ナツはしがみ付く様に抱きついた。
「ギルダーツは、オレと一緒にいられなくてもいいのかよ」
ギルダーツの服に顔を埋めているせいか、ナツの声はくぐもって聞こえる。ギルダーツの手がナツの頭を撫でると、ナツはしがみ付く手に力を込めた。
「オレは、ギルダーツと一緒にいてぇ」
何という殺し文句だろう。
涙を浮かべた瞳で見つめられ、胸が締め付けられるような感覚にギルダーツは眉を寄せた。
親子ほどに年が離れているとはいえ、ナツに特別な感情を抱いているギルダーツを動揺させるには十分だ。
「ナツ……」
涙を拭うナツの手を止める様に捉え、唇を寄せれば、触れた唇はほのかにミルクの味がした。そういえばナツは、成長を促すためにミルクを飲んでいたのだと思いながら、唇を離す。
誰も触れる事はない幼い唇は、汚れを知らなく柔らかい。夢中になってしまいそうな衝動に、ギルダーツは舌舐めずりをした。
ほんの一瞬触れるだけの口づけに、ナツはきょとんとギルダーツを見上げる。その純粋な瞳に、ギルダーツはバツが悪そうに苦笑した。
「今のは、誓いのキスだ」
「きす?」
「クエストには連れて行ってやれねぇが、ちゃんとお前のところに帰ってくる。一番に会いに行く」
ギルダーツは己の懐を探ると、取り出したものをナツの手に握らせた。
そっと開けば、幼い手のひらには不釣り合いの銀の指輪。飾り気のない簡素な指輪が、陽の光で輝いていた。
「なんだ、これ」
指輪をつまんで、穴からギルダーツを覗き見る。首をかしげるナツに、ギルダーツは笑みを浮かべた。
「指輪だ。それが指に合う様になったら、俺と結婚してくれるか?」
「けっこん……」
次第にナツの顔が熱を持っていく。
「け、結婚したら、ずっと一緒にいられんだよな?」
顔を赤く染めて、ギルダーツを見上げる瞳は期待を含んでいて、浮かんでいた涙はすっかり消えていた。
「分かんだろ?俺もお前と一緒にいてぇって事だ」
ギルダーツの言葉に、ナツは笑みを浮かべた。今まで誰もが見た事のないその笑顔は、花が咲いた様な可愛らしさがある。
ナツは、ギルダーツに抱きつくと、首に手をまわして顔をすり寄せた。
「結婚する!ギルダーツ、すぐに結婚するぞ!」
「もう少し、大きくなったらな」
ギルダーツは幼い背に手を回しながら、苦笑した。
きっと、触れはじめたら衝動は抑えられないだろう。泣き叫んでも止められず、幼い体に自分の印を刻みつけ、それこそ己の魔法の様に粉々にしてしまいそうだ。
幼いナツが、ギルダーツの歪みに気が付く事はない。信じ切って、成長し約束を果たした時でも、おそらく気が付く事はないだろう。
クエストに出ている間の時間を埋めるように、ギルダーツはナツの身体を抱きしめていた。
ギルダーツがギルドを出てたいした時間は経っていなかっただろう。ナツがギルドへ戻ると、ギルド内はナツが居ない事に騒然としていた。
「何やってんだ?」
きょとんとした顔でギルドに入ってきたナツに、周囲は安堵し力が抜け、数秒までとは変わって静まり返った。
「良かった。ギルダーツについて行ったのかと思ったぞ」
ナツに駆け寄ったエルザは、ナツに指輪を突き出されて首をかしげた。周囲も集まってくる中、ナツが満面の笑みを浮かべる。
「オレ、ギルダーツと結婚すんだ!」
ナツの言う事が冗談でもない事は目を見れば分かる。もちろん、ギルド内が騒然となったのは言うまでもない。
当人の居ないギルドでは、彼を非難する言葉が渦巻いていた。当り前だろう、性別に加え、正確な年齢が分からないとはいえ、ギルダーツとナツの年齢差は親子ほどもあるのだ。変態という単語が口々に囁かれている。
「あ、なぁ!ギルダーツの布団どこだ?」
ナツの言葉に、エルザがギルドの端へと指さした。他にもいくつか荷物が集められている中に、ナツが探していた物が紛れていた。
「ギルダーツの家に届けてくれるのか?」
元はと言えばナツのせいで放りだされたのだ。責任をとるのだろうと思っていたエルザだったが、ナツはギルダーツの布団を抱きしめると振り返った。
「ちげーよ。もう、これはオレんだ!」
「貰ったのか?」
「おお!これで、寝ていいって!」
ナツは抱きしめていた布団に顔を寄せる。すり寄せるように顔を埋める、その頬は紅色していた。
「へへ、ギルダーツの匂いがする」
幸せそうなナツの表情を見てしまえば、誰も、ギルダーツを咎める気にはなれないのだった。
2010,07,13
あとがき
フリリクですた。どもどーも^^