prologue





最後に聞こえたのは見知らぬ声。最後に見たのは、気持ち悪いほどに口元を歪めた、男の笑み。

『良い旅を』

声と共に、弾くような音が耳を刺激し、それを最後に意識が途切れた――――







額のこそばゆさと、近くで小鳥のなく声。閉じている目蓋越しでも刺激してくる光。
耐えきれずに目を開いたナツは飛び起きた。それと同時に小鳥が驚いて飛んでいく。
ナツは呆然と周囲を見渡した。

「……誰もいねぇ」

人の気配が感じられない。
ナツは立ちあがると、探すように歩き始めた。

意識を飛ばす前にナツはいつもの如く最強チームでクエストに出ていた。仕事は賊の壊滅だったのだが、その裏で闇ギルドが手を引いていた。
賊を倒した後に、森で四人と一匹でギルド一つと応戦となった。力だけならば大して問題はないが相性というものがある。ナツが相手した魔導士は奇妙な術を使う相手で、いつの間にかナツは気を失っていたのだ。

「とにかく、ハッピーたち捜さねぇと」

悔しそうに顔を歪めながらキョロキョロと周囲を眺めるが、木々ばかりが目に付くだけで人影など見当たらない。
一度森から出るべきかもしれない、そう考えながら歩いていると続いていた木々に終わりが見えた。ナツが嬉しそうに駆けていくが、すぐにその笑顔が消える事になる。
森だと思っていた場所は山で、その下に広がる景色にナツは愕然とした。すぐ下に町があるのだが全く見覚えがないのだ。

「どこだよ、ここ」

あまりの事態に生唾を飲んだ。
町並みどころの話ではない、見た事のない建物ばかりだ。ナツは森の中へと視線を戻した。よく考えれば最初居た場所とは違う気もする。

「ハッピー!ルーシィ!エルザー!グレーイ!!」

己の声が響くだけで、返事など返ってこない。

「俺だけなのか……そういや、あいつ!」

最後に戦った魔導士を思い出してナツは目を吊り上げた。
魔導士の発した最後の言葉。ナツだけが、別の場所へと飛ばされたと考えるのが自然だろう。

「あいつを捜せばいいのか!!」

怒りの言葉を叫びながら、再びナツは森の中へと突っ込んでいった。しかし、その勢いはすぐに落ちてしまう。
電池が切れたようにぐったりとその場に倒れ込むナツの腹から空腹を訴える音が鳴り響いた。

「腹へったー」

このままでは飢え死にだ。川があれば魚でも捕れるかもしれないが、水の気配も感じない。町に降りれば食べ物など簡単に手に入るが、残念な事にナツは最近、仕事での破壊のしすぎで金欠だった。
ナツが地面にへばりついていると、地を踏みしめる音が近づいてきた。人だと察してナツが顔を上げる。

「ナツ」

男の声だ。名を呼んでくると言う事は顔馴染みだろう。しかし、一緒にクエストに来た仲間の声ではない。顔を確認しようにも陽の光が逆光になって顔が見えなかった。

「誰だ?」

空腹ながらも警戒した声を発するナツに、目の前で立っている影は腰を落とした。

「こんな所に居たか」

呆れた様な声。しゃがんだ事により距離が近くなり顔が確認できた。身を包んでいる衣服は見た事のないものだが、顔だけは見覚えがある青年。

「……お前、何でここにいるんだ?」

信じられないとばかりに見つめるナツに手を伸ばすと、ナツの問いに答える様子もなく青年はナツを抱えて立ちあがった。
荷物の様に小脇に抱かれ流石にナツはもがいた。

「何すんだ!」

「帰るに決まってんだろ」

真っすぐ前を向いたまま歩く青年の言葉にナツは目をみはった。抱えられているという事が頭の中から消え失せるほどだ。

「ここがどこか知ってんのか!?」

青年は足を止めると、訝しむようにナツを見下ろした。

「頭でも打ったか?」

冗談を言っていると思ったのだろうが、ナツの目を見て溜め息をついた。

「ここはマグノリアだろうが。……まさか本気で頭打ったんじゃねぇだろうな」

面倒くさそうに呟く。ぶつぶつと、病院だのと呟いているから言葉とは逆に心配はしているようだ。
しかし、ナツはそれどころではない。

「嘘つけ!ここがマグノリアなわけねぇだろ!」

「あァ?いい加減にしろよ、クソガキ。お前の親父がどれだけ心配してると思ってんだ。おかげで俺まで駆り出されてんだよ」

青年は不機嫌そうに歩き始めた。

「親父……父ちゃんの事か?」

「それ以外に親父がいんのか?ああ、ギルダーツは親父って呼ばれてんな」

ナツの瞳が揺れる。ナツが父親と呼ぶのはイグニールだけだ。七年前に自分の前から姿を消した竜。
青年の口から告げられていく言葉をうまく理解する事が出来ない。
ナツが呆然とする中、いつの間にか山を下りていた。目の前に広がるのは見覚えのない建物ばかり。青年が踏みしめる地面は土でも石畳でもない造りをしている。
通る道も、それに沿うように等間隔で立っている棒も、民家であろう建物も全てが見た事のない物ばかり。

「ここが、マグノリア?」

青年が言う言葉に偽りは感じられないのだが、信じられるわけがない。
周囲に視線を走らせるナツを抱えていた青年が、一軒の家の前で歩みを止めた。ちょうどその扉がタイミングよく開く。
中から出てきたのは、炎のように赤い髪を持った男だった。最初は青年を見た男だったが、ナツに気付くとくしゃりと顔を歪めた。

「ナツ!」

名を呼ばれて首をかしげるナツ。
青年がナツを降ろすと、男は駆け寄りナツを抱きしめた。抵抗しようとしたナツだったが、男の身体が震えているのに気づいて身体の力を抜いた。

「よかった、無事で……!」

男は声を震わせてナツを強く抱きしめる。力強い抱擁、そこから伝わってくる暖かさに懐かしささえ感じナツは目を閉じた。

「あ、ラクサス!」

男が呼び止めるように声を上げる。ナツが身じろいで振り返れば、ナツを運んできた青年が背を向けて歩きはじめていた。
青年の髪は金髪。男が呼んだ名の通り、ナツもよく知るラクサスと同じ姿をしていた。
ラクサスは振り返ると、ナツを指し示すように顎をしゃくった。

「そいつ、病院に連れて行った方がいいぜ。頭打ってるみたいだからな」

「頭!?」

男が慌てた様にナツを見下ろす。きょとんとするナツの頭を探る様に触っている。その間にラクサスは後ろ手に手を振って去って行ってしまった。

取り残されたナツは、病院に連れて行かれそうなのを抵抗して、何とかそれは免れた。背を押されて家へと招き入れられリビングのテーブルに着かされる。
大人しく座るナツの目の前では、男が台所でいそいそと調理をしている。

「ナツ、お腹空いてるだろ?」

ナツが口答する前に腹が返事をした。空腹を訴える音が鳴り響き、それに柔らかい笑みを浮かべて男は調理を続ける。

「父ちゃんが今、お前の好物たくさん作ってやるからな」

声が弾んでいる。それに水を差しくはないのだがナツはこの男の事を知らないのだ。息子だと思っている事に加え戻ってきた事を喜ばれている状況は、いくらナツでも居心地が悪い。

「あのさ、俺」

「ナツ」

ナツの言葉は名を呼ばれる事で止められてしまった。
男は寂しそうな声で続ける。

「もう、家出なんてしないでくれ」

自分が悪いわけではない。家を出ていったのも父親を悲しませているのも。しかし、悲しみが見える男の背に、胸に痛みが走る。
打ち明けようとしていたナツの口は閉ざされ、ただ頷くしかできなかった。

男の用意した食事はおいしかった。食べ慣れている様なものから、見た事のないものまで色々で。ナツの腹は満たされた。
テーブルを埋め尽くしていた料理は、ほんのわずかの時間でナツの腹へと消え、その光景を見ていた男は笑みを浮かべる。

「ほんの少しの間に、ずいぶんと逞しくなったな」

「そ、そうか?」

「前は全部食べきれなかったろ?家を出ている間色々あったんだな」

男の話す“ナツ”は、いったいどんな人物だったのか。何故、父親の愛を一身に受けているにもかかわらず家を出たのだ。
ナツは心がもやもやしている事に気付いた。それが、今まで経験した事のない妬みだと言う事にナツ自身気が付く事はない。

「どうした?ナツ」

胸を押さえて動きを止めてしまったナツに、男が心配そうに顔を覗く。

「何でもねぇ……あ、そうだ!」

男の名さえも分からない。しかし、一人名前がはっきりしている人物に会っている。

「ラクサスってどこに住んでんだ?」

慌ただしく立ちあがるナツに、男は首を傾げた。

「本当に変わったな。前はラク兄ちゃんって呼んでたのに」

男から告げられ驚愕の事実にナツは目をみはった。

「ラク、にいちゃん?」

「よくラクサスの家に遊びに行っていたのに、忘れちゃったのか?」

苦笑する男を目の前に、ナツはテーブルに手をついて項垂れた。俯いたまま身体を震わせる。

「……ラクサスの家、どこだ?」

男に教えられると、ナツは家を飛び出した。知らぬ町並みだが迷うなんて事はまずない。ラクサスの家は隣だったのだから。
ナツは呼び鈴も鳴らさずに家の中へと入りこんだ。非常識な行動が常のナツだが、普通ならば住居不法侵入で通報されてもおかしくない。

「どこに居んだ!?ここにもいねぇ!」

二階建ての造りの家。リビングやトイレや収納庫、一階にある全ての扉を開け放っていく。
鍵が開いていたから留守ではないのだろうが、まだ誰にも人とは出くわしていない。物騒だ。

「どこだ!ラクサスー!」

階段を見つけたナツが駆け上ろうとしたところで、目当ての人物が二階から顔をのぞかせた。

「うるせぇんだよ、さっきから」

「ラクサス!」

鬱陶しそうなラクサスの表情。ナツは階段を駆け上った。

「話しがあんだ」

真面目に見上げてくるナツに、ラクサスは溜め息をついた。

「分かったから部屋に来い」

ラクサスにつられて部屋へと向かった。
ナツは、ギルドの仲間であるラクサスの部屋を訪れた事はない。元より仲は良くないのだ。しかし“ナツ”は何度も訪れたのだろう、ラクサスの行動や、父親である男の言い方ではそう取れる。
物珍しそうに部屋を眺めて、ナツはベッドに腰掛けた。

「おお、やわらけー!」

身体を弾ませてはしゃいでいると、それを見ていたラクサスが小さく笑みを浮かべた。

「変わったな」

まただ。父親だという男も、ラクサスと同じように言った。
ナツは動きを止めると大人しく座りなおし、見下ろしてくるラクサスに視線を向ける。

「……あのさ、俺ナツじゃねぇんだ」

部屋に沈黙が下りる。
何も返してこないラクサスに、ナツは慌てて続けた。

「いあ、俺もナツなんだけど、お前らの言うナツじゃねぇんだよ!ラクサスもラクサスじゃねぇし……俺の父ちゃんは、イグニールだけだ」

自分を置いて姿を消してしまった父親。思い出すように、どこか遠くを見つめるナツにラクサスは顔をしかめた。

「何言ってんだ。お前の親父はイグニールだろうが。俺が違うってのはどういう意味だ」

「ち、ちょっと待て!今イグニールって言ったか?お前、イグニールの事知ってんのか!?」

飛びつくようにラクサスに掴みかかるナツ。その姿にラクサスは目をみはった。ナツの表情は必死で今にも泣きそうだったのだ。

「……お前が冗談言ってるわけじゃねぇ事は分かった」

ラクサスはナツの頭に手を乗せた。縋る様に見上げてくるナツを落ち着かせるように優しく撫でながら、続ける。

「飲みもん持ってきてやるから、少し落ち着け。ゆっくり話しを聞いてやる」

部屋を出ていったラクサスの背を見送ったナツは、激しく鼓動する胸を押さえた。
やはり違うと、ナツは内心呟いた。
ナツの知っているラクサスはいつも見下したり揶揄する目しか向けてこない。それなのに、今目の前に居たラクサスの目は優しかった。

「何か、変だ」

ここに来てからは、もやもやしたりドキドキしたり、胸が変に騒ぐ。
首をかしげていると部屋の扉が開き、ラクサスがコップとカップを手に戻ってきた。コップの方をナツへと差し出すとラクサスは座り込んだ。

「飲めよ」

「あ、ああ。ありがとな」

一口含めば、柑橘系の果汁の香りと味が口に広がる。喉が潤うのを感じながらラクサスを見上げれば、湯気の立つカップを口に付けていた。
ナツの視線に気づいたラクサスがカップを放した。

「落ち着いたか?」

ナツが頷くと、ラクサスは手にしていたカップをテーブルに置いた。

「じゃぁ、話せ。ゆっくりでいい、ちゃんと聞いてやる」

先ほどよりも、ずっと落ち着いて話す事が出来た。
自分が魔導士である事、魔法にかかって他の場所へと飛ばされた事。仲間やギルド、自分の知るラクサスやイグニールの事。
横やりなど入れずに、ラクサスは黙って聞いていた。
ナツが口を閉ざすと、ラクサスはゆっくりと口を開く。

「とてもじゃねぇが、信じられる話しじゃねぇな」

「嘘じゃねぇ!」

「嘘とも信じねぇとも言ってねぇだろ」

目を吊り上げるナツに、ラクサスが溜め息をつく。

「俺の知るナツは、お前みたいに喧しくねぇんだよ。流石にたかだか一週間足らずで人がここまで変わるわけがねぇからな」

ラクサス達の言う“ナツ”が家出をして一週間ほどしかたっていなかったのだ。
学校が夏休みに入った翌日にバイクに乗って出て行ってしまった。もちろん、帰らないわけではなく夏休みの間にバイクで知らない地を周るという目的があっての事だ。

「あと、竜じゃねぇがイグニールだ」

きょとんとするナツに、ラクサスは続けた。

「”ナツ”の親父の名前なんだよ、イグニールってのは」

「に、人間じゃねぇか!」

「お前がどこから来たかは知らねぇが、竜なんてもんはいねぇんだよ。少なくともここではな」

竜は、紙の中でしか存在しない伝説上の生き物。
ラクサスの言葉にナツは瞳を揺らせた。

「あれが、イグニール……父ちゃん、なのか」

ナツの思うイグニールは、人とは比べ物にならない程の身体と力を持っている。持つ知識は幅広い。誰よりも強く、優しく温かい存在。優しくて暖かいという点は、こちらのイグニールにも当てはまった。
呆然とするナツに、ラクサスは口を開いた。

「それで、お前はこれからどうする気だ?」

ラクサスの問いは尤もだ。この場所がどこかも分からなければ帰る方法さえも分からないし、何のつてもない。
腕を組んで唸り始めるが、どう考えても方法など出てくるわけもい。途方に暮れるナツにラクサスは溜息をついた。

「タイミング良く、こっちの”ナツ”は夏休み中戻って来ねぇ」

「ああ、旅に出てんだよな」

そうだ。
頷いてラクサスは続けた。

「だから、お前が”ナツ”のふりをしてここで暮らせ」




2010,08,22
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