時を経て
最後の記憶は魔道具に吸い込まれるまで。その後は意識が飛んでしまった。そして、今目の前に広がっているのは晴れ渡った空。
ナツとハッピーは地面に転がっていた。
「……ハッピー」
「何?ナツ」
ナツとハッピーは地面に背を預け、空を見上げた。何年経とうが、この空だけは変わる事はない。
「俺たち帰ってきたんだよな」
ハッピーは身体を起こすと周囲を見渡した。魔鏡は変わらず気の幹に立てかけてあるが、効力を使いきったのだろう割れてしまっていた。これで過去へと行く事は出来ない。
「ナツー!ハッピー!」
「いるのなら返事をしろ!」
「いい加減出てきやがれ!クソ炎!」
ルーシィとエルザ、グレイの声が森中に響き渡る。懐かしい声に起きあがったナツは、ハッピーと顔を見合わせた。
「行くか。ハッピー」
「あい」
ナツとハッピーは声のする方へと向かう。翼を出して先を行くハッピーにナツは足を止めて振り返った。視線の先には使い物にならなくなった時空転移の魔道具。
「……じゃぁな、ラクサス」
「どうしたの?ナツー」
ついて来ないナツにハッピーが戻ってきた。
ナツは笑みを浮かべて、走り出した。
「何でもねぇ。おーい、ルーシィ!エルザ!ついでにグレーイ!」
「俺はついでか!」
「もう。どこに行ってたのよ、二人とも」
「日が暮れてしまったぞ」
どうやら過去で過ごした程には、こちらでは時間は経っていないようだ。ナツとハッピーは久しぶりに見た仲間の顔に顔を緩ませた。
「相変わらずだな。ハッピー」
ナツの言葉に頷くハッピー。ルーシィ達はわけが分からず、訝しげな表情を浮かべていた。
「ていうか、急いで帰りましょ!」
ルーシィが時計を見て慌てたように声を上げる。エルザも時間を確認して頷くと歩き始めた。グレイだけは不機嫌そうに顔を顰めている。
「何急いでんだよ。仕事は終わったのか?」
「オイラ達何もできなかったね」
わけが分からず三人についていくナツとハッピー。振り返ったルーシィが驚いたように目を見開いている。エルザまでも足を止めて、気遣わしげにナツを見つめた。
「頭でも打ったのか?」
どういう意味だ。
失礼な発言に顔を顰めるナツ。ルーシィが時間を気にしたように足を進めたまま口を開いた。
「今さら何言ってんのよ、ナツ。待たせると、睨まれるのはあんたじゃなくてあたしたちなんだからね」
「待つって、誰が?」
ナツが首をかしげると、ルーシィは本気で心配そうに顔を歪めて、ナツに近寄った。
「やだ、本当に頭打ったの?」
「打ってねぇよ!何なんだ、さっきから!」
「あ、もしかして今更照れてるわけ?」
うふふと、怪しげに笑みを浮かべるルーシィにナツは顔を引きつらせながら身を引いた。
「気持ち悪ぃ」
「失礼ね!」
何かは分からないままだがルーシィ達が急いでいる事は確かだ。先を歩き始めたルーシィ達の背にナツとハッピーも後を追った。
「ただいまー」
「皆、おかえりなさい」
ギルドへと足を踏み入れれば、いつもの如く酒場内を忙しく動き回るミラジェーンが出迎えてくれる。
しかし、ナツとハッピーは、ギルド内に入ってすぐに足を止めた。二人の視線の先には居るはずのない人物がいたのだ。
「ラクサス!?」
破門されたはずのラクサスが騒がしい酒場に腰をおろしていた。不自然な光景だ。
ラクサスの姿に口をだらしなく開けて見入っている。そんな二人はギルドの視線を集めた。
「おいおい、どうしたんだ?ナツの奴」
「いつもなら真っ先に……なぁ?」
我に返ったナツはラクサスに駆け寄るとじろじろと見つめる。穴が開いてしまうのではないかというほどに見つめるナツに、周囲から案ずる声が上がる。
「ポーリュシカさん呼んだ方がいいんじゃねぇか?」
周囲の言葉などナツには耳に入っていない。
「お前、本当にラクサスか?」
翼を出して近くに寄ったハッピーも、まじまじとラクサスを見やる。
「何で破門になったラクサスがいるの?」
ハッピーの言葉に周囲は言葉を失った。
何か変な事を云ったのかと首をかしげるハッピーに、ギルド内が一気に騒然となる。
「ハッピーまでおかしくなったのか?!」
ラクサスの存在に加え、それを当然の様に見ている周囲やその言葉に、ナツとハッピーの頭はうまく働かなかった。
「そうか、今日じゃったか」
言葉もなく立ちつくしているナツとハッピーに、マカロフが歩み寄ってきた。ただ一人納得したような言葉をこぼしたマカロフは、全て承知しているようだ。
視線を向けるラクサスにマカロフが頷くと、ラクサスは困惑するナツの耳に口を寄せて小さく囁いた。
「久しぶりだな、ナツ……いや、ナツ兄ちゃんつった方が分かりやすいか?」
ナツが目を見開いてラクサスを凝視する。
初めて見た優しく笑みを浮かべるラクサスにナツは声が出ない。それでも脳内である予想が付いていた。
「お前、まさか……」
「ようやく会えたな」
予想は当たっていたのだとラクサスの言葉からそう確信し、ナツも笑みを浮かべた。
ナツが過去でラクサスと接触した為に、未来は変わってしまい、バトルオブフェアリーテイルは起こらなかったのだろう。
話しが通じ合ったと察したマカロフが口を開く。
「お前たちも話したい事があるじゃろ。行きなさい」
ナツがハッピーに声をかける前に、ラクサスの手がナツの手を掴んだ。突然のラクサスの行動に反応出来ずにいると、そのままラクサスに手を引かれた。
ラクサスに手を引かれながらギルドを出たナツは、久しぶりに見る広い背中を見つめた。
間違いなく幼い頃に出会ったラクサスだと、破門されたラクサスと姿形は同じはずなのに納得せざる得ない雰囲気がある。
「なぁ、どこ行くんだ?」
マグノリアの街を迷うことなく歩いて行く。
道も店もほとんど変わってはいない事に感慨深いものを感じながら、ナツはラクサスの動きを止める様に握られている手を握り返した。
「帰るんだよ」
動きを止めて振り返ったラクサスにナツは首をかしげた。その隙にまたラクサスに手を引かれて歩き始める。
帰るといったら家だろう。その単語でまず思い浮かんだのはラクサスの家だ。過去の時にマカロフと共に過ごしていた家が今通っている道の先にある。
しかし、この時代のラクサスは一人暮らしを始めていたはずだ。その家が今まさに通りすぎたのだが、ラクサスの足が止まる事はない。
「お、おい、ラクサス!お前の家ここじゃ……あれ?」
ナツが居る場所からでも見える二階。ラクサスの家であるはずのそこに、ラクサスではない他の人物が居た。
困惑していると足が止まった。たどり着いたのは、過去にいる間にナツも共に住んでいたマカロフ宅。
「お前、ここに住んでんのか?」
「お前もな」
家の中に入っていくラクサスをナツが慌てて追いかける。
「俺もってどういう事だよ」
無言で足を進めるラクサスが止まったのは一室の前。この部屋はナツには見覚えがあった。過去に居る間に使っていた部屋だ。ただ違うとすれば、ドアにはナツとハッピーの名前が刻まれている猫型のプレートがかかっていた。
ナツは、ラクサスへと視線を移した。
「俺、ここに住んでんのか?」
「そう言ったろ。入れよ」
ラクサスに促されて部屋の中へと入れば、確かにナツの私物らしきものがいくつもあった。過去に住んでいた時よりも生活感があるのは、長い間暮らしているという証拠だろう。
ぼうっと佇んでいるナツに、ラクサスも部屋へと足を踏み入れた。
「ここはお前とハッピーの部屋だ。お前が居なくなった後もそのままにしといたんだよ。いつ戻ってきてもいい様に」
「お前、待っててくれたのか」
弾かれた様に顔をあげたナツに、ラクサスも視線を合わせた。
「絶対にまた会えるってお前が言ったんだ。信じるしかねぇだろ」
ラクサスはナツの頬に手を滑らせると、懐かしむ様に目を細めた。
「お前に……あんたにようやく会えた」
会いたかった。
掠れた声で囁かれ、ナツは自然と目蓋が熱くなるのを感じた。ナツにしてみれば別れてから僅か一日足らずなのだが、長い間離れていた様な気分になってしまった。
こみ上げてくるものを抑える様に息を飲み込んで、ナツは笑みを浮かべた。
「お前、でかくなったな」
「どれだけ時間経ってると思ってんだ。散々待たせやがって」
「い、いいじゃねぇか!会えたんだから!」
そうだな。
ナツの言葉にラクサスは小さく呟き、ナツの頬に触れていた手を髪へと移す。珍しい桜色を指で弄んでいると、ナツが居心地悪そうに身じろいだ。
「なんかお前変だぞ」
ナツの反応に目を見張ったラクサスは、その口元に笑みを浮かべ、ナツの頬に唇を寄せた。
耳を刺激した軽い音に、ナツはとっさにラクサスを突き飛ばすと、頬に手をあててラクサスを睨みつける。
「お、おまえ、今なに……」
「今のあんたに記憶はねぇが、俺とあんたは」
「待った!ヤバい気がするから何も言うな!」
耳を塞ぎ目を閉じて拒否するが、それは徒となった。無防備なナツの唇に、ラクサスの唇が合わさったのだ。
驚いて目を開いたナツの視界には、間近にあるラクサスの顔。
「こういう事だ」
ナツは崩れる様にして床に膝をついた。項垂れるナツの顔色は悪く、額には脂汗が滲んでいる。
「何で、そんな事になってんだよ……」
衝撃を受けるだろう事はラクサスも想定していたが、ナツの場合は露骨だ。
ラクサスは不機嫌そうに顔を顰めて、立ち上がる様子のないナツの腕を掴んで引きあげた。無理やり立たされてふら付くナツの身体を支えると、近づいたナツの顔を見つめる。
「そんなに嫌か」
ナツは言葉を詰まらせた。
ラクサスの言葉というよりも、辛そうに細められた目だ。幼い頃のラクサスの姿が脳裏をよぎり、それがナツの否定の言葉を奪った。
「別に、そういうわけじゃ、ねぇ……けど」
顔をそらそうとしたナツの顔を、ラクサスの両手が覆って止めた。複雑な色を浮かべる猫目を見つめながらゆっくりと口を開く。
「ガキの頃はあんたに憧れてた」
降ってきた言葉にナツは瞬きを繰り返した。
ラクサスの口から、憧れという言葉が出てくる事など以外だったのだ。その対象が自分となれば余計だろう。
まじまじとラクサスの顔を見つめていたナツは、はっと我に返った。頬に添えられているラクサスの手が微かに震えている。しかし、ナツが言葉を発せようとする前に、視界は塞がれてしまった。
「ラクサス」
視界を塞いでいたのはラクサスの胸。気が付いた時にはナツは抱きしめられていた。
拒否することなく腕の中に収まりながらナツが小さく名を呼べば、答えるようにラクサスは抱きしめる腕の力を強めた。
「今は、愛してる」
耳に入りこんでくる少し掠れた囁かれる声に、ナツは一瞬強張らせた身体の力を抜き、瞳を閉じた。
暫くして身をゆだねるようにナツの身体がラクサスへともたれかかった。耳をすませば、規則正しい寝息が聞こえてくる。
「……ジジィの言った通りか」
ナツが眠ってしまえば、部屋には静けさが支配する。そんな中呟いたラクサスの声は寂しささえ含んでいた。
ラクサスは、ぐったりとするナツの身体を抱えてベッドへと運ぶ。シーツに身をゆだねるナツに覆いかぶされば、重みでベッドが軋んだ。
頬に手を滑らせるがナツは身じろぐ事すらしない、まるで強制的に眠らされているようにされ見える。
人形のように身動き一つしないナツの髪を梳きながら、ラクサスは口を開いた。
「また、言えなかったな……」
初めての別れの時は何も告げられる事はなかった。そして、再会の日が来るのだと信じて待ち続け、長い月日を経て再会を果たす事が出来た。しかし、それと同時に別れが来るのだとマカロフから告げられていたのだ。
ナツは過去にはあってはいけない存在。それ故に、ナツが過ごした過去の記憶は書き換えられる可能性が強い。ナツが突然眠りについたのも、それが原因だろう。
「じゃぁな、ナツ“兄ちゃん”」
ラクサスは触れるだけの口づけを落とした――――
眩しさにラクサスはゆっくりと目を開いた。カーテンの開けられた窓から差し込んでくる陽の光が目を刺激していたのだ。
手で光を遮る仕草をしたと同時に、ベッドが軋む音を立てた。
「お、起きたか!」
寝起きの頭に響く声。隣へと視線を向ければ、陽の光に負けないほどに眩しい笑顔を浮かべるナツの姿があった。
「ラクサス、おはよー」
待ちわびていたと言わんばかりにくっ付いて来るナツに、ラクサスは少し間をおいてナツの頭へと手を置いた。
「……記憶が書きかえられたか」
顔をあげたナツはきょとんと首をかしげる。その姿は、待ち焦がれた末に昨日ようやく会えたナツではない。幼い頃にギルドへとやってきたナツだ。
寂しそうに目を細めるラクサスにナツは顔を歪めた。
「じっちゃんと喧嘩でもしたのか?」
「何でジジィが出てくんだよ」
「いあ、何とな……んが!」
ラクサスは小さく息をつくと、ナツの鼻をつまんだ。顔を顰めるナツにラクサスは口を開く。
「少し黙ってろ」
言われるままに大人しくなったナツの鼻から手を離し、その手を頭へと乗せる。髪を弄ぶように梳けば、ナツは気持ちよさそうに目を閉じる。
それを眺めながら、ラクサスは小さく名を呼んだ。
「ナツ」
呼びかけに答えるように、閉じていた目蓋が開き大きな猫目が露わになる。
「お前は、どこにも行くな」
ラクサスの言葉の意図が掴めずきょとんとしたナツだったが、次の瞬間ラクサスに抱きつくと、腹に顔を埋めた。
「当り前だろ」
くぐもっているのに声は耳に綺麗に響いてくる。腰に回された手から、触れあっている部分から伝わってくる熱に、ラクサスは目を閉じた。
「……やっぱ変わらねぇな。お前は」
どれだけ年を重ねても、状況や関係が変わっても、この温もりが変わる事はない。幼い頃に憧れた、あの時のまま。
ラクサスの言葉に、ナツは上げた顔を怪訝そうに顰める。
「何言ってんだ。ラクサスだって変わんねぇよ」
だって。
そう続けるナツに、ラクサスも被せるように言葉を発した。
「「お前はお前だろ」」
見事に合わさった二人の声は部屋に響いたのだった。
2010,11,29