一員
ナツにとって、かつてないほどの苦痛だっただろう。どれほどの壮絶な戦いよりも、辛い時間だったかもしれない。
「ナツ、しっかり」
ハッピーはナツを列車から引きずり下ろした。
今回仕事に赴いた国までの長時間の移動。列車を数度にわたり乗り継ぎ、ナツにとっては地獄の時間といってもいいだろう。声をかけても返事がない、まるで屍のようだ。
「マグノリアに着いたんだよ」
街の名前に反応したようにナツは上体を起こした。辛そうに身体は震わせながら立ち上がる。
ハッピーは駅の外へと視線を向けて首をかしげた。
「ラクサス来てないね」
毎度ナツとハッピーが帰って来るのを駅で待っているラクサス。その姿が今日はない。帰って来る前に連絡入れたはずなのだが。
「修行してんだろ、多分」
酔いを落ち着かせるように息をついたナツに、ハッピーは空を見上げた。
修行に夢中になっているというのも分からないでもないが、もう日が暮れ始めている。日が半分顔を隠し、東の空には闇が訪れ始めていた。
「無茶してないかな」
「ロブも付いてんだ。心配いらねぇよ」
今の妖精の尻尾で、ナツがマカロフ以外の魔導士で頻繁に接触している唯一の人間だ。ロブは大分年老いていて引退も考えているらしい。仕事の数も減ったという事で、最近はラクサスの修業を見てくれている。
ナツは背伸びをして荷物を背負いなおした。いつも以上に重みを増しているそれの原因は、ラクサスへの土産だ。
「お土産喜ぶといいね」
仕事に出る前の約束通り、初めて踏み入れた国で見つけた食べ物を買い込んだ。
「面白いもんばっかあったよな。ウサギが入ってないウサギパイとか」
「蟹が入ってない蟹の爪とかね」
フィオーレ王国では見られない物ばかり。ラクサスが喜ぶ姿を想像して、ナツとハッピーは笑みを浮かべた。
「帰ろうぜ。ハッピー」
「あい!」
足取り軽く、マカロフ宅へと向けて歩き始めたナツとハッピー。しかし、ギルド周辺に近づけば妙な雰囲気が漂っていた。慌ただしく駆け回る者たちは見覚えがある。ギルドの魔導士だ。
「何かあったのかな」
不安そうに声を落とすハッピーに、ナツも自然と顔を顰めていた。嫌な予感に、ナツはギルドへと足を向けた。
いつものギルド内ならば、酒場はにぎわいを見せているはずだが、今のギルド内には不穏な空気が流れていた。ギルド内を出入りする者の表情は険しい。
唖然と入り口で立ち尽くしていたナツは、見知った人物を見つけて駆け寄った。
「ロブ!」
年老いたロブの姿は異常だった。服から見える素肌は、全て包帯で隠れている。ロブはナツの姿を確認して笑みを浮かべた。
「おかえり。ナツくん」
酷い怪我なのだろう、手当はしてあるが痛々しい。ロブの姿に顔を顰めるナツ。ロブの浮かべていた笑みは次第に歪められた。
「……ラクサスくんが連れてかれてしまった」
「ラクサスが?」
話が見えない。首をかしげるナツにロブは口を開いた。傷が痛むのか、たまに言葉を切りながらも事の次第が伝えられた――――
ナツが帰還する連絡を受け取ったラクサスは待ちわびながら修業に励み、予定よりも少し早めに駅へと向かおうとしていた。
心底嬉しそうに足を進めるラクサスを孫のように見守りながら、ロブもラクサスに付いていったのだが、その途中で問題が起きた。
『ナツ、土産おぼえてるかなぁ』
足を弾ませていたラクサスは、ぴたりと足を止めた。いきなり走りはじめるラクサスにロブが呼び止めようとするが、予想外の事が起きた。
ラクサスが駆け寄っていった店のガラスが割れ、破片がラクサスへと振りかった。
割れた窓ガラスの破片と共に人が飛び出してきた。全身を黒い服で包んでいる。顔までもが隠されていて一目で不審だと分かる。
『お前悪いやつだろ!』
ガラスの破片を被りながらも、ラクサスは不審者を睨みつけた。ラクサスが急に駆け出したのは店の異常を感じたからだったのだ。
覆われた布から除く瞳が、気味悪くラクサスを見下ろす。
破片を踏みにじる音と共に、店員が店から顔をのぞかせた。暴行を受けたのか立っているのも辛そうだ。苦しそうに呼吸をしながら、声を荒げた。
『軍を呼んでくれ!強盗だ……ッ』
言葉を続ける前に、店員は吹っ飛ばされてしまった。店から黒ずくめの男たちが数人出てくる。ラクサスを見下ろす者も含めて、同じ強盗犯だろう。
『軍が来る前に撤収だ』
低い声が落ちる。店から出てきた数人のうちの一人が主犯なのだろう。主犯がラクサスに気付き、見下ろした。
『何だ?このガキ』
他の者とは違う空気を持っていた。幼いラクサスにもそれは分かったのだろう、恐怖で身体がすくんでしまっている。
『ラクサスくん!!』
経験が多いロブには、すぐに彼らが魔導士だと察する事が出来た。
ロブは強盗犯へと走りながら、手を前へ出した。ロブの周囲の空気の質が変わる。熱風が渦巻き、強盗犯に向かっていく。しかし、強盗犯に触れる前に魔法が消え去ってしまった。
予想外の事にロブの動きが止まる。それが隙になり強盗犯が口元に笑みを浮かべた。卑下した様な笑みは深くなり、ロブに向けられる手。ロブの身体を炎が包んだ。
熱で悲鳴さえも出ない。ロブはもがく様に地に転がりながらも、周囲の空気から酸素を奪った。
酸素がなければ火は消える。同時に人も酸素がなければ呼吸ができないため、ロブは酸欠状態で意識がもうろうとしていた。
『ロブじいちゃん!』
ラクサスの悲鳴を混じる叫び。
それを聞きながら意識を失い、手当てを受けたロブが目を覚ました時には、ラクサスは連れ去られていた。おそらく人質なのだろう。
強盗犯はいまだに見つからず、マスターであるマカロフは定例会で帰って来るのに時間がかかる。今いる者だけで動くしかないのだが、状況は進まなかった。
「、情けない!こんな老いぼれでは、守ってやる力もなかった!」
涙を流すロブの姿にナツは拳を握りしめた。過去の世界であっても、ギルドの仲間を傷つけられ黙っていられるわけがない。
ナツは荷物を下ろして、ロブに背を向けた。
「ラクサスは俺が連れ戻す」
「ナツ!?」
ハッピーが慌てたように呼び掛けるが、ナツには届いていないようだ。歯ぎしりをして足を踏み出した。
「ロブはここで待ってろ」
ギルドを出ていくナツに、ハッピーは慌ててついていく。
怒りを纏っているナツに近づくなど、慣れていない者以外は無理だろう。周囲の者たちがナツの通る道をあけるように避けている。
「ナツ!待ってよ、ナツってば!」
「何だよ。ハッピー」
通常よりも低い声が落ちる。
足を止めないナツに、ハッピーは翼を出してナツの目の前に立ちはだかった。
「ナツ!」
ハッピーの真剣な瞳に、ナツは足を止めて真っすぐ見つめる。
「退けよ、ハッピー」
「行っちゃダメだよ」
ナツの眉がピクリと動いた。ハッピーの言い方では、助けに行く事を反対しているように聞こえる。
顔を顰めるナツに、ハッピーは辛そうに顔を歪めた。
「マスターに任せよ」
「それじゃ遅ぇよ。じっちゃんが帰って来るのに時間がかかんだろ。その間にラクサスに何かあったらどうすんだ」
ハッピーが口を閉ざすとナツはハッピーを退かして歩き始めた。
迷うことなく進んでいくのは、鼻がきくからだろう。ラクサスがどこにいるのか分かっているようだ。
走りだろうとするナツにハッピーがしがみ付いた。
「いい加減にしろ!仲間が連れてかれたんだぞ!」
「分かってるよ!オイラだってラクサスが心配だけど……もしこれで未来が変わったらどうするんだよ!」
過去へと来てから、ハッピーは幾度となく繰り返した言葉。過去に深くかかわって未来が変わってしまう恐怖。出会ってきた仲間たちがいなくなるかもしれないという不安。
大きな事件にまで手を出してしまう事が、ハッピーには怖かったのだ。
「未来に戻った時、ギルドがなくなってたらいやだよ。ルーシィたちがギルドに来なかったら……」
想像しただけで悲しい。涙を流すハッピーに、ナツは小さく息をついた。
「これぐらいの事で妖精の尻尾は変わらんねぇよ。ハッピー」
ハッピーの頭を撫でて、ナツは笑みを浮かべた。その表情は信じ切っていて不安は一切見られない。
「それに、ルーシィがエルザがグレイが……もし、未来に戻った時にいなかったら、俺達で迎えにいけばいいだろ」
「ナツ……」
「つか、迎えに行かなくても、あいつらはギルドに来ると思うけどな。ハッピーはどうだ?」
ナツを見つめていたハッピーは、涙をぬぐうとナツを掴んで空へと飛んだ。
半分闇に入っている空に浮かび、ハッピーは弱々しかった瞳を吊り上げた。
「ラクサスを助けに行こ、ナツ!」
「おお!頼んだぞ、ハッピー!」
ナツが指し示す先は、すでに日が落ち闇に沈んだ森だった。その森は隣町へと続いている。ラクサスを連れ去った魔導士の逃亡経路としては考えられなくもなかった。
森の上空からナツは視線をさまよわせる。見逃さぬように感覚を研ぎ澄ませていると、暗闇の中小さな光を見つけた。一瞬だったが、それには見覚えがあった。ラクサスの魔法だ。
「ハッピー!あそこだ!」
ナツが指さす方へとハッピーは急降下した。
風を切り、近づけば少しずつ視界がはっきりしてくる。木々の間をナツとハッピーが落下する速度で地に降りた。
「ラクサス!」
翼の羽ばたく音とナツの声は、視線は集めた。
強盗犯数人と、抵抗していたラクサスの姿。逃れようとしていたのか、ラクサスは木に背を張りつかせている状態で追い詰められていた。
ラクサスの瞳は、ナツを確認してじわりと潤む。
「ナツ!」
ナツへと駆け寄ろうとしたラクサスは、気が抜けた瞬時に捕まってしまった。
細い首は、大の男の腕がかけられて圧迫される。もがくラクサスの耳元に男は口を近づけた。
「おっと、逃げるなよ。人質なんだからよ」
低く囁かれ、ラクサスは身体を震わせた。
今まで味わった事がない恐怖だ。震えるラクサスに、ナツは笑みを浮かべた。
「待ってろよ、ラクサス。すぐに助けてやるからな」
ラクサスに向けていた笑みとは一変して、強盗犯を睨みつけながらナツは指の関節をならせた。
ナツの姿にラクサスを捕えている強盗犯はにやりと笑みを浮かべた。
「威勢がいい兄ちゃんだな。こっちには人質がいるって分かってんのか?」
男の腕が、ラクサスの首を絞める。力が込められてラクサスは苦しそうに声をもらした。
「これじゃ、やたらと手出せないよ。隙でも出来ればいいんだけど」
ハッピーが言うとおり、ラクサスを捕えていた男に隙は全く感じられない。そうでなくてもナツの周囲は少しずつ強盗犯が囲み始めていた。
子供の細い首など、鍛えられている男の力なら、簡単にへし折れてしまうだろう。下手に動く事はできない。
手段を脳内でめぐらせているナツ。真面目なナツの表情に、ラクサスは唇をかみしめた。
「ごめん、なつぅ」
堪えようとしていた涙は瞳から零れてしまった。震える声に、ナツは眉を寄せる。
「オレ、ナツみたいに、なりたかったんだ」
それが、無謀にも強盗犯に向かった理由だったのだ。
涙で覆われたラクサスの瞳が、弱々しくナツを見つめる。
「悪いやつだって、やっつけたかった……でも、魔法も全然だめなんだ」
ぐすぐすと鼻を鳴らせながら涙をぬぐうラクサスの姿にナツは目を見張り、耳に入る耳障りな声に歯を食いしばった。
強盗犯たちが、ラクサスの言葉を蔑むように声を上げて笑っている。
「じーじの孫でもおかしくないように、修行もがんばったのに」
「ラクサス!!」
ナツの一声は周囲に響いた。嘲笑もぴたりと止まり、静寂が周囲を包んだ。
「俺、前に言ったよな」
ナツの瞳が真っすぐラクサスの瞳を見つめる。まっすぐな瞳は、ラクサスの涙も止めてしまった。
「お前はラクサスだ。じっちゃんの孫とか関係ねぇ。お前はお前、俺の仲間だ」
まだギルドに所属していなくても関係ない。身体に紋章を刻んでいなくても、きちんと輪の中にいる。
「今は魔法がちゃんと使えなくても、お前は強くなる。俺は知ってんだ」
きっと確定した未来。ラクサスが強くなる事をナツは嫌というほど分かっている。どれほどギルドを好きだったのかも知っている。
「ナツ……」
弱々しかったラクサスの瞳に光が宿る。ラクサスはきっと睨み付けて、己を捕らえている腕に噛み付いた。
「いっ!?」
容赦ないラクサスの攻撃に男は腕の力を弱めた。その隙にラクサスは腕の中から抜け出して、ナツに向かって駆け出す。
「後は任せろ」
駆け寄ってくるラクサスの頭を撫でてやり、ナツは地面を蹴った。
ラクサスが振り返った時には、ナツはラクサスを捕らえていた男を殴り飛ばしていた。それは、ラクサスも見た事がない光景だった。炎を纏う拳は人とは思えない威力を持ち、口から吐き出される炎はまるで生きているようだ。
「す、すげー!」
「離れてないと危ないよ」
ハッピーに服を掴まれてラクサスの体を宙に浮いた。そのままその場を離れようとするハッピーにラクサスは慌てた。
「待ってよ!ナツが戦ってるんだ」
「ナツなら大丈夫だよ。それより、皆を安心させてあげなきゃ」
「でも、」
「ナツを信じてよ」
ラクサスがあの場にいても何も出来ない。下手をすれば再び人質になりかねない。しぶしぶ頷くラクサスにハッピー速度を速めた。
ハッピーがラクサスを連れて遠ざかっていくのを視界に入れて、ナツは口端を吊り上げた。
「一人で向かってくる、その威勢だけは認めてやるよ」
主犯の男の繰り出す炎がナツを襲う。巻きつくような炎はナツの身体を包みこむ。術者の心を映したかのように炎は黒い。
「あっという間だったな!クソガキ!」
嘲笑する主犯の男だったが、すぐにその笑声は消えていく。
炎を纏うナツの身体が歩みを進める。炎は一気に口の中へと吸い込まれていった。強盗犯達が唖然とする中、ナツは小さく息をもらした。
「ロブとラクサス……仲間を傷つけやがって」
痛々しい傷を負ったロブと、涙を流すラクサス。その姿を思い出すだけで腹の底から怒りが溢れてくる。鋭い瞳が主犯の男を睨みつけた。
「借りは返させてもらうからな!」
「何だ、お前!こんな魔法聞いた事もない!」
「俺はナツ。妖精の尻尾の魔導士だァァァ!!」
強盗犯の戦意はすでに喪失していて、容赦のないナツの攻撃では片がつくのにさほど時間は要しなかった。
闇の中でのナツの炎は強く周囲を照らしていた。夜に炎は目立つ。特に森ならば、街からでも十分に人目を引く。軍隊が駆け付けるのは時間の問題だった。
軍隊の足音を聞きつけたナツは、気絶している強盗犯を放置して逃げるように街へと戻った。
「ナツー!!」
ギルドから飛び出してきたラクサスを、ナツはよろけながらも受け止めた。ナツの腹に顔を埋めていて表情は見えないが、鼻をすする音が聞こえる。
「また泣いてんのか」
ナツの声にラクサスは慌てて目元をこすった。ナツを見上げるその目元は擦ったせいで赤くなってしまっている。
「泣いてないよ」
噴き出すナツに、ラクサスは口元を歪めた。しかし、その表情はすぐに緩み、ナツに強く抱きつく。
「オレ、絶対に強くなるよ!ナツだって守れるようになるから!」
「いあ、だから俺は」
強いから必要ない。
ナツの言葉は、真剣に見上げてくるラクサスの瞳に止められた。息をついて、ナツはラクサスの頭を撫でた。
「ありがとな」
数日後、ラクサスは正式に魔導士ギルド妖精の尻尾の一員となった。
「オレ、ナツと同じところにマークいれてもらうんだ」
笑顔で言うラクサスに、ナツとハッピーは顔を見合わせた。未来でのラクサスは、マークを左胸の下にいれていた。右肩ではナツ達には都合が悪い。
「ラクサス、俺がやってやるよ」
手を差し出すナツに、ラクサスは嬉しそうにスタンプを渡す。しかし、右肩を差し出したラクサスの服をナツはめくり上げた。きょとんとするラクサスの左胸下に、スタンプを押しつける。それと同時にラクサスの悲鳴にも見た叫び声が響いた。
「あーッ!!!!」
一仕事終えたように息をつくナツとは逆に、スタンプを押されたラクサスは身体を震わせていた。服で隠れてしまったが紋章は身体に刻まれている。
「ナツのバカー!!」
ラクサスの拳がナツの腹に直撃する。うめき声を上げて蹲るナツに背を向けて、ラクサスはマカロフの元へと走って行ってしまった。
「……つ、強ぇ」
「今のラクサスも滅竜魔道士だからね」
ハッピーの声が静かに落ちた。
昨晩、ラクサスがギルドに加入する事と同時に、ラクサスにはすでに滅竜魔法の魔水晶が埋め込まれた事がマカロフからナツとハッピーだけに告げられた。
仕事に出たナツと入れ替わりで帰還したイワンの手に寄って、行われたのだ。身体が弱かったラクサスも、滅竜魔法のおかげで強化されている。魔法を使っても全く支障は出ない。
「イワンの事は別だけど、ラクサスの事はよかったね」
仕事中でも無茶していないか心配する必要はなくなった。ハッピーの言葉にナツは複雑そうに頷いた。
ナツとハッピーの微妙な空気はすぐに変えられる。先ほど怒っていたラクサスが笑顔でも戻ってきたのだ。その手には依頼書が一枚。
「ねぇ、ナツ。いっしょに仕事いこーよ」
見せられる依頼書を目にして、ナツとハッピーは顔を見合わせると笑みを浮かべた。
「よし。んじゃ仕事行くか!」
「あい!」
「うん!」
マカロフ達に見送られて、ナツ達はギルドを飛び出した。
2010,05,06